ブログ記事192件
おはようございます昨日は仕事最終日でした‼️手術1週間前からいろいろ忙しいのでお休みに入る事にしたので14年働いて、初めて長期休暇考えてみたら、2日以上連休は、両親が入院したり、亡くなった時と娘の出産私の事故の時あとは…病気とかはなかったなぁ多分(笑)健康だったんだよ私💪それが癌なんてもう😆嫌になる〜とりあえず、社長と奥さんには長い休暇に入る事、忙しくて人が足りない時にこんな事になり申し訳ないと頭を下げていざ帰ろうとしたら外は雪雪積もってるではないかい多分、普段雪なんて降ら
5月末に6クール目、最後の抗がん剤投与終了。その頃には途中まで残っていた長めの髪の毛も少しづつ抜けていき、完全坊主頭に。抗がん剤の影響か頭皮にシミ?も出てきました。そして先に生え始めてきた髪の毛が全て白髪になっていてビックリしました。眉毛、睫毛も6月にはほぼなくなっていて、人相変わっちゃってました。元々は眉毛、睫毛も濃くフサフサ状態なのと面倒くさがりやでメイクも好きじゃなかったので、眉毛は形を整える程度でした。でもさすがに眉毛ないまま外出やテレワークのWeb会議(原則カメラon)に
以前もブログに書きましたが、手術後、抗がん剤治療途中に仕事に復帰。『仕事復帰のいま』春から仕事に復帰し、徐々に慣らしながら今は通常勤務に戻りました。こうやってまた働けることの有り難さ。社会との繋がり、何より毎月一定の収入が入ってくることは心強…ameblo.jp術前の体力気力の今は6割程度。疲れやすいし集中力も続かないので、長時間の残業は厳しいなって感じてます。そしてやっぱりそんな日々を過ごすなか体調も悪いというか、低下していってるような。『身体は正直』仕事復帰して、徐々に忙しく
あっという間に「チームhowhighthemoon」ができあがりました。訪問医訪問看護師訪問薬剤師ケアマネージャーさんヘルパーさんその他、看護ベッドや車椅子を入れたり、酸素吸入器の設置をしてくださったり。皆さん、地域の中での横のつながりも強くとても安心です。チームの誰かに伝わると、ほどなく他の皆さんも知っているというのは、病院に通っていた頃と同じですね。先週の水曜日、婦人科や緩和ケアの予約が入っていたのです。ちょうど入れ替わるように、自力での通院がどうにも難しくなりま
この1か月で、体調の急降下を3回くらい繰り返しました。今一気に動けなくなり、とても驚いています。そしてとても不安です。これはおそらく肝臓から来ているものと思いますが、とてつもなく大きな倦怠感で動くことが難しいのです。肝臓が腫れ上がってパンパン、呼吸が苦しく、家の中だけでも息切れを起こしています。吐き気が止むことがなくなり、吐き気止めの薬を飲んで吐き気をもよおしています。3度の薬とそのための食事だけはなんとか摂っています。今、急ピッチで在宅診療・ケアの準備を進めていただいています。
お彼岸に、骨転移の症状が悪化して行かれなかったお墓参り。昨日無事に行ってきました。春のお彼岸も腎盂腎炎の緊急入院で行かれなかったので、ずっとずっと気になっていたのです。ようやく行くことができて、気持ちが落ち着きました。はあ、よかった。そして、その足で自分のお墓も見に行ってきました。私の終活のひとつ。これも、ずっと行きたいと思っていたものでした。あれこれ調べて、資料など取り寄せて、ここがいいのではないかと思っていたところ。実際に足を運んでみると、すんなりと気持ちよく、ああ、ここ
恥骨、坐骨の骨転移の痛みは、日に日に軽減しています。放射線照射の効果あり。心からホッとしています。本当に痛かった。これからも、力がかからないように気を付けて生活していこうと思います。さて、昨日からランマーク注射をスタートしました。これから広がっていくであろう骨転移に備えて、骨が弱くなるのを抑制する薬とのこと。これから毎月1回、注射をしていきます。注射そのものは、皮下注射で痛くも痒くもなく、薬の量が多いため少し時間がかかること以外はどうということもありませんでした。注意したい副作
金曜日、放射線照射の待ち時間に嘔吐をしてしまい、以降過去最悪の体調不良でした。足の付け根の痛みで動けない胃だか肝臓だかが張っていて胸がつかえるとてつもない倦怠感在宅診療の準備など追いつかず、このまま終わってしまうんだ。そんなふうに思って気弱モード全開。嘔吐後はしばらく休ませてもらい、先生の判断で放射線治療は続行。最終日だし、やってもらえてよかったです。車椅子でその後の緩和ケアにもまわり、先生のご配慮で薬は院内処方で手にして、膝に袋を広げながらタクシーで帰宅。後はもう、水分だけを
昨日ソーシャルワーカーさんとお会いしました。これからどんなふうに物事が動いていくのか、具体的にイメージできるようになって少し安心できました。この先、今の勢いでひとりでは何もできない状態に急激に進んでいくのか。そうなるまでにはまだ時間があるのか。それは誰にもわからないけれど、準備はしておいたほうがいいということで、介護保険の申請に早速動いてくださることになりました。ケアマネジャーさんが中心になって、生活のサポート、在宅での医療など、私に必要なものを組み立てていってくださることになりま
放射線照射のための毎日の通院、頑張っています。わずか6日間とはいえ、毎日通うのは大変なものですね。今の体調では他に手段がないので往復タクシー。乗れば連れて行ってもらえるのに、痛みがあるのでやはりなかなか大変です。体重がかかると、歩くと、股のあたりの足の付け根に痛みが走ります。そろりそろり、足を引きずるように動いています。そして、ずっと軽い吐き気があって、出かける以外の時間はほとんど横になって過ごしています。もう少しシャキッとしないかな。行けば毎日、どこかしらの科の診察を受けま
三連休をなんとか乗り切って、本日2回目の放射線照射に行ってきました。連休中は、1時間おきにレスキューを飲んでも、歩くのが難しいほどの痛みでした。股のところのなんとかいう骨に、スッとヒビが入っているようです。画像で見ると、スッと、たしかに見えました。これは、くっつくのを待つしかありません。痛いわけですね。いつこんなことになったんだろう。それはそれ、骨転移部分には予定どおり照射が続きます。連休最終日の昨日。図書館の本の貸出期限が来てしまいました。ちょっとこれは…図書館までも行か
前を向いてとは書いたものの、痛いです。痛い。痛い。ここまでの早い展開は想像していませんでした。つい1週間前、友人がトラ子とウマ美の仲間をもうひとり連れてきて、同じこのリビングで大笑いしていたのに。フル装備の痛み止めで立ち向かっても、痛みが増すばかり。もう歩くのは家の中でも厳しくなってきました。骨転移した場所がいけないのでしょうね。安静時はまだ大丈夫。骨が溶け出している痛みなのですよね。そんなこと、想像もしたくありませんが。連休明けの月曜日、またすぐ緩和ケアの予約が入っている
元気のない投稿が続いてしまいました。実は、手術以降ずっと苦しんできた傷の痛みが、ずいぶんと楽になってきていたのです。ソファとかベッドとか、柔らかいところならばそっと腰かけるくらいはできるようになったりして。2-3日様子を見て、安定しているようなら、ブログでうれしい報告ができる!なんて思っていました。ところが、それと入れ替わるように骨転移の痛みが出てきてしまったのです。少しも休ませてはくれないのか。おまけに新しいたくさんの転移。さすがに打ちのめされました。でも、原因不明の嘔吐は治ま
急展開で、明日から放射線治療を行うことになりました。痛みがとても強くなっていること。昨日朝から嘔吐を繰り返していることから、受診予定日を早めて今日受診したところ、そのまま放射線治療科の診察↓照射スケジュールが決まる↓照射位置を決めるためのCTと進んでいったのでした。というのも、先週金曜日の造影CTの結果、右恥骨転移の増大左坐骨転移の出現new!肝転移増悪多発肺転移new!腹膜播種new!などなどがわかったからでした。「左坐骨」がまさに今い
病人を休憩したい少し前にそう書いているブロ友さんがいました。心の底から同意です。少しの間、痛みのない体になりたいなあ。でもそうなったら、戻ったときの絶望感が大きくてやっていけなくなっちゃうかなあ。昨晩からまた痛みが増していて、レスキューを飲んでもあまり改善せず。今日は久しぶりになんの予定もない1日だったので、家の中をそろりそろりと動くだけで過ごしました。全国各地でお祭りが再開されていますね。我が街でも、一昨日3年ぶりとなるお祭りが開催されました。コロナに負けず、少しずつ以前のよ
日本肉腫学会のツイートで、本と手紙のことが書かれていることをブロ友さんがおしえてくださいました。(ツイートの引用は控えます。)『先生に手紙を』私は少し思い違いをしていました。手術をした病院から東京の主治医へ、治療の経過と今後の治療についての提案が申し送られ、それに対して主治医はなんらかの返答をするも…ameblo.jpツイートを読むと、先生の中で私のことは、治療を途中で諦めた患者として記憶されていくのかなと、少し寂しい思いがしました。でも、感謝の気持ちもきっと伝わっていると信じたいで
私は少し思い違いをしていました。手術をした病院から東京の主治医へ、治療の経過と今後の治療についての提案が申し送られ、それに対して主治医はなんらかの返答をするものと思っていたのです。今後積極的な治療をしないと決めたとき、それは主治医から連絡していただけるのかと尋ねたら、特に連絡の必要はないですよとのこと。たくさんの患者さんを診ている中、治療を進めるならばもちろん連絡が必要だが、そうでなければ、先方がずっと連絡を待っていることはないと言うのです。そうか。そういうものか。言われてみればたし
昨日の病院。採血・採尿の後ストーマ外来に向かったのですが、これまで待たされることがほとんどなかったのに、1時間15分を過ぎても呼ばれない。他の科の診療だとそのくらい待つのはあたりまえなのですが、ちょっとおかしいと思い再度声をかけたところ、WOCナースさんに連携されていなかったことが発覚。重い体で、座って待つのは円座があっても辛く、ときどき立って歩くのもそれはそれで痛みがあり。そんな状態だったもので、連携されていなかったなんてあんまりです私たちの痛みや辛さなんて考えたこともないので
体がとんでもなく重いのです。21:00就寝6:00起床も危うくなってきて、7:00頃にようやくなんとか動き出しています。いったい何時間ベッドにいるのでしょうか。それでも、動き出せばそれなりになんとかなります。その日その日で予定や約束があれば、それに合わせて結局は動けています。寝る時間が早いので、夕食後の薬寝る前の薬この間隔が短くて困ります。右脚の付け根と恥骨あたりの痛みが続いています。それから、口の中が腫れぼったくなっています。なんでしょうね?そんな症状を抱えつつ、今
本の話が続きます。抗がん剤10の「やめどき」あなたの治療、延命ですか?縮命ですか?がん専門医は、ギリギリまで抗がん剤治療を続けることがある。大切なのは、やる・やらないではなく、いつ、やめるか?多くのがhonto.jp痛くない死に方がん、認知症、心不全…。2000人を看取った医師が明かす、今まで誰も言わなかった“痛くない”“苦しくない”人生の終わり方honto.jp最近、この2冊を立て続けに読みました。いずれも在宅医療の分野で著名な、長尾和宏医師が書かれたものです。がんの治療の正
10年日記アプリからこぼれ出てきた記録。言わずと知れた世界のベストセラー「夜と霧」。オーストリアの精神科医であるヴィクトール・E・フランクルが、ナチスの強制収容所での壮絶な体験を綴ったものです。ずっと読みたいと思っていたこの本を私が読んだのは、病気が発覚してすぐの頃でした。日記に書き写していたフレーズを紹介します。「まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ。」「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどの
今の私の睡眠が、大変なことになっています。21:00就寝6:00起床まるで入院中のタイムスケジュール。しかも、なかなかこのスケジュールでは眠れないものですが、今は本当にこのとおりに寝ているのです。ビックリですよね?自分で分析するに、ひとつは薬のせい。軽いものとはいえ医療用麻薬を使っているのでそのせいかなと。さらには、やっぱり日中痛みと闘っている疲れなのかな。座っていると、常に身体のどこかに力を入れて必死でバランスを取っているし。立ったりしゃがんだり足を上げたり、何かするた
ストップしていた薬が復活して、痛みはやはり少し和らぎました。身体の状態が良くなっているわけではありませんが、痛みはQOLを著しく下げます。3日ほど何もできない、する気が起きない状態だったので、そこからは脱することができてうれしいです。昨日のWOCナースさんに感謝!当日急に診察してもらうことなど絶対に無理と思っていたので、病院内部の連携で対応いただけたのは本当に有り難かったです。少し前にいただいた今年最後のひまわり今日は、発行された障害者手帳を受取りに行くなど痛いながらもけっこう動けま
この2-3日、新たな痛みに苦しんでいました。恥骨に骨転移があることは以前に書きましたが、どうもそのあたりなので嫌な感じです。立って足に力がかかると、股の内側が特に大きくズキンと痛みます。来週14日が受診日、さらに28日にはまさにその恥骨も含めた検査のためのCTが予定されています。そこまではなんとかだましだましいきたいなあ、と考えながら今日はストーマ外来に。往復タクシー利用です。会うなりWOCナースさんが、今日、具合悪いんじゃないですか?と聞いてくださいました。特別辛そうにしてい
退院から25日。ここ最近の体調です。少し長いです。ここ最近の体調肛門〜尿道切除の傷の痛みはあまり変わらず。座ることは相変わらず苦痛。右脇腹と右脚付け根に痛みが出現。また腎臓か?水腎症か?と慄く。骨転移している恥骨のあたりが、日に何度かズキンと痛む。とにかく眠い。眠くて眠くて本も読めない。大河ドラマ1話も最後まで観られない。食欲はあり。体重は42キロ→42.6キロに。なかなか増えない。こんな中、昨日はまた緩和ケア、ストーマ、婦人科の外来受診でした。緩和ケア痛みの管理は、婦
昨晩、夜中にショックな出来事がありました。おったん(尿路ストーマ)のパウチから、尿が漏れ出してしまったのです。入院中にも経験のなかったことで、気付いたときには一瞬固まりました。先週のストーマ外来で、実は新しい装具の実験中でした。私の交換頻度が中2日であることを知ったWOCナースさんが、その頻度はけっこう負担でしょうと言って、私に適していそうな別な装具で連続4日目というところでした。なかなか快適で、明日の外来までもちそうだなと思い、私も少し油断をしていました。でも、私のお腹はあまり面積
この先治療をしない選択をしたことを、昨日ブログにも書き、姉にも伝えたら、治療をしない先にある自分の姿が、急に現実味を帯びてきました。肝臓がやられたら、黄疸やとてつもないと言われる倦怠感が出たりするのだろうか。やはり言葉は、口に出したり、文字にしたりすると力を持つものですね。ここで思い出さなければならないのは、このとき気付いたことです。『再び点滴が取れた』【術後29日目】午前中、再び点滴が取れました。昨日から流動食も始まって、今日の昼には通常食に戻りました。3歩進んで2歩下がっていますが、
私の主治医は、次の治療に進むとき、これまではやったほうがいいともやらないほうがいいとも、どちらの方向も積極的に示す先生ではありませんでした。この先生とのお付き合いは1年4か月になります。子宮全摘手術をしたときの担当医が、わずか2か月で異動になってしまい、後を引き継いでくださったのでした。うまく気持ちが通わない時期もありましたが、それを乗り越えて今の信頼関係を築いてきました。最後まで自分の時間を大切にしたい生きるための治療はしたいけれど治療するために生きることにはなりたくないこういう
先日の主治医診察日。主治医のところには、手術をした腫瘍外科の先生から手紙による細かな申し送りと電話まであったとのこと。現在の痛みで何度も来てもらうのは大変だからと、なんと主治医は無理やり外科の予約をねじ込んでくれていました。待ち時間はそれなりに長かったけれど、早めの連携を望んでいた外科・ストーマ外来の診察も、1日で終えることができました。細やかな対応をしてくださった両方の先生に、ひたすら感謝です。心から有難いと思いました。ストーマ外来では、おーたんのパウチ(装具の一部)が服の外に響
私がお訪ねするブログで、同じときに同じようなことを書いていた方がおふたりいて、やはり同じときに同じようなことを考えていた私は、深く深くうなずきながらそれらを読みました。友人との距離の取り方、というような話です。病気発覚からの1年半。もらった連絡を放置してしまった人は、両の手では足りません。元気じゃないのに元気ですという軽い返信はできない、変に頑なな性格が邪魔をして、どうしようと思いながらあっという間に時間が過ぎてしまった感じです。でも、これは病気になる前からですが、縁のある人とは何が