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GWでお買い物に遠出をしましてね。その時に寄り道して、旧宅の方へと足を延ばしました。KIZUIです。普段は遠くてなかなか行けないんですが。一回引っ越してるんですよね。多感な時期だったのですごく反発して。でもまあ、納得するしかないかと。出ていく際までずっと別れを惜しんでいた。もう30年も前になるかな。でも、そこまで遠いわけじゃあないんですよ。自転車で行ける距離。徒歩でもまあ、行けなくはないが…かなりかかるからな。目的の店はそこより更に倍ほど遠いので、行った日は疲れて寝ちゃ
こどもの日なので②子供時代のZEROBASEONEマシューくんが結構な大人画像お借りしましたm(__)m
今日も来てくれてありがとう😊オブジェ立ててみた🙋早速、主人が子供時代思い出したかな🥰畑もね山もね誰も見ないので好き勝手に🥰🥰楽しんでます今を楽しむ大切な時間🤗まだまだやることがたくさんある😊素敵なご縁に感謝🤗🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸石凝姥命の女神様のお力をお借りしてお作りさせて頂くオルゴナイト🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸ここからのお店ホームページhttps://lapisrose8558.wixsite.com/kokokaranomiseメー
お家に鯉のぼり飾ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう子どもの頃実家では鯉のぼりをあげていた。庭に鯉のぼりをあげるポールが立っていた。結構大きな鯉のぼりをくくりつけて、国旗をあげるように紐を引っ張ってあげていた。何回か私自身もあげた記憶がある。庭の真ん中に立ったポール、多分小学校3年生くらいまではあった気がする。その後いつの間にかなくなっていた。あのポール、一人で立てるにはかなり高かったのでどうやって立ててたんだろう?もしかしたら1年中立てた
今日の一日一読は第3章の続きで「理屈に合わないものはすべて疑ってかかる――福沢諭吉」までです。福沢諭吉は本書でも一度出てきていて、すごく共感していたのですが、今回の内容はいまいちでした。というのも、福沢が西洋的なものに魅せられすぎて、日本的なもので理屈に合わないものを非合理だと見做しすぎていたからです。たしかに封建時代の日本に生きていて、西洋の近代化を目の当たりにしたら、日本のことを低く捉えてしまうのも不思議ではありません。しかしながら、福沢が嫌っていた本質は身分制であって、一人ひとりの生き方
皆さんこんにちは!いつもこのブログを見て下さり、ありがとうございます😊今回は、こどもの日って事で!私の子供時代について紹介します!当ブログでこどもの日に私の子供時代の話をする機会がないため、紹介しようと思った次第です!私の子供時代は、大人しい子でした。全体的に大人しく、クラスカーストなら1番下にあたるでしょう。悩みを抱える、そんな子でした。自己肯定感についても、低かったんだろうと感じました。今は、ブログで悩みを吐くことが出来ますけど、昔は学生さんがブログ自体立ち上げるのも難しい印
今日の一日一読は第3章「能力をつくる習慣の偉力」の「目にするすべての現象が実験対象ーエジソン」までです。著者は次のように書いています。「好奇心を持たない子供はいない。子供はいつも「どうしてそうなるのだろうか」と考えている。それが子供の最初の習慣である。この習慣を伸ばしたいと思ったら、親は子供のどんな質問にも誠意をもって対応する必要がある。答えられない質問には「わからない」と素直に答え、子供といっしょに考えるというのが誠実な対応である。親が子供の質問をさえぎったり、それを煩わしいと感じるや、
5月3日の一読は第2章の最後の「頭を使って考えることほど楽しいことはない――J・F・ケネディ」までです。今回はJ・F・ケネディの母親、ローズ・F・ケネディの話が出ていました。これを読んで痛感したのは、考える力を鍛えるには学校の授業や本だけではなく、家の中でもつくり出せるということです。これを子育てや家事に忙しい母親が実践したという意味でとても興味深かったです。備忘録として詳しく引用します。「彼女〔ケネディの母親〕が子供たちの心にとくに書き込みたいと思ったのは、ものを考える力と議論する力である
5月2日の一読は第2章の続きで「食卓での会話が子供の好奇心を刺激する――フランクリン、フォン・ノイマン」までです。今回の内容で興味深かったのは親が子どもの手本になれない場合についての事例だったことです。これはかなり汎用性の高いことだと感じましたが、読み終わって、やはりすべての親ができるとは限らないと思いました。「お手本になれるような親はごく稀である。子供のお手本になれない親はどうすればいいか。必要なのは、教育的環境をつくること、向学心や好奇心を育む環境を家庭のなかにつくりだすことである。その一
両手を胸の上で組んで仰向けで寝るのが1番楽な寝かただった産まれて間もなくその姿勢に気付いた母は「気持ち悪い子だな」と思ってたらしい(気持ちはわかるw)子供時代はそのまま寝てましたがね「他の姿勢?疲れるじゃん!」って思ってたしね「普通」に憧れた思春期頃バンザイして寝るとか横向きで寝るとかいろいろチャレンジしてその頃からは普通?の寝方をするようになったけどたまに手を組んで寝るとやっぱり腕が邪魔にならなくてしっくりくるよなぁと思う
かつては母のことを想うと…自分に母を重ね合わせて見ていたこともありこころが重苦しくなりました。日々一緒に過しているので何時もいつも母のことがこころのどこかにありどうして…母は…の想いもずーっと続きました。。。それでもこの10年くらいで…やっと母を一人の女性として自分から切り離して見ることが出来るようになって想いも徐々に変わり…人生の半世紀以上を苦しみの中で生きてきたのだと思うと…どんなに辛く大変だったかと思うと…いろいろな想いが入り混じって自分でも理由のわから
懐かしくはあるな、子供時代。戻りたくはないけどね。今の私の一部でしかないから。キャプテン・フューチャー『キャプテン・フューチャー』主題歌『夢の舟乗り』作詞:山川啓介/作・編曲:大野雄二/歌:ヒデ夕樹youtu.be
こんにちは、ミホです。ブログ初心者必見!ブログ作成とSEOの基本を解説ブログを始めるなら、SEOの基本を押さえることが成功のカギです。SEOとは「SearchEngineOptimization」の略で、Googleなどの検索エンジンで自分のブログが上位に表示されるようします。ブログを立ち上げる際のポイントと、SEOを強化するための簡単なテクニックをご紹介しています。まず、ブログのテーマを明確にしましょう。何について書くのか、その目的は何かをはっきりさせることが重要です。
こんばんは♪優香です✨昨日、夫と「にし茶屋街」を散策してその帰りに、子供時代を過ごした想い出の地を巡りました〜⛩️⛩️⛩️小学4年生まで通った小学校の側にある「春日神社」に行ってきました!神社で、友達と遊んだり♪7歳の時は「七五三」節分の日には「豆まき大会」楽しい想い出が、たくさんあります。その当時と変わらず、ずっと美しい。手水舎の水は、天然湧水なんだそうです!こちらが、本殿です。御挨拶と感謝の気持ちをお伝えしました。⛩️⛩️⛩️鳥居が並んでいます。た
子供時代には扉を開いて、未来を開き入れる瞬間が必ずある。子供時代はあっという間に過ぎる、私の大好きなアニメに葬送のフリーレンという、アニメがあるのだが、それで言うセリフが大好きだ、人は若い時よりも、年取った方が長い人生だということだ、子供時代は特にそうだな、あっという間に過ぎる、これからの長い人生、頑張らなくちゃ、体が動かなくなっても、元気を出そうと、自分を奮い立たせています💪💪💪⇧⇧皆様、ぽちっと押して下さい⇧⇧⇧シャネラーだった頃(笑)香港でレ
最初に子どもの頃のことを話したいと思います(そうとう遠い昔のことです…(ꈍᴗꈍ))「きちんとしっかりしなければ…」気がつけば何時もこの言葉がこころにありました。私は4世代同居の12人家族のなかで育ち…母は(当時の年齢33歳くらい)末の弟を生んだのちに受けた治療が原因となり…突然身体を襲った激しい更年期症状から日常生活にも支障をきたすようになり…周囲にもなかなか理解が得られなかったことも重なって…次第にうつ状態から抜け出せなくなっていったようでした。。
昨夜の最後のウォーキングから帰ってきたのが、確か…23時半過ぎだった。それからずっと起きている。もう、5時間位経つのだ。午前2時50分ウォーキングに行く事にした。でも、今朝は、ルートを決めてなくて、気分が少し下がっている。今日の夕方は、担当看護師さんにお会いする日なのだ。ケジメとして、訪問看護の日にちを決めたのは、自分なのに、ものすごく『抵抗感』がある。ストレートに言ってしまえば…『人に、お会いしたくないのです。』あと、これは子供時代からずっと続いていることだけど、翌日
夏休みの宿題って・・・・何十年前の記憶をよみがえらせればいいものやらもう忘れちゃったよ!!大体・・・せっかくの休みに宿題があること自体・・・嫌じゃない勉強嫌いだったし…できなかったしもう・・・いまさら思い出せないけど…たぶん、私、全部、嫌だったんじゃないかな。できの悪い子供時代だったので…でも…そんな私でも今じゃ、ママやってるからね(笑)
私が子供のとき私にも子供の時代がありました。ただそのころは、今のようにそんなに簡単に写真が撮れる時代ではなかったので、あまり写真は残っていません。いま残っているわずかな写真もどこかに紛れてしまいそうですので、アルバム代わりに、ここに少し載せておきます。貧しかったので、いつも母が心を込めて作ってくれた服を着ていました。すべて覚えています。母がいなければ今の私はいません。幼かった私も、これまで少しずつ、大きくなり、ほんの少しずつ、毎日学び続けて、今に至っています。とて
今日の一日一読は第2章の続きで「いつも父のスウィングを見ていたータイガー・ウッズ」までです。今回は有名なゴルファーのタイガー・ウッズ氏が取り上げられていて、彼が子供時代に父親のゴルフ姿を真似ることから、前人未到の記録を打ち立てるゴルファーへの道が開けたことはよくわかりました。ただタイガー・ウッズ氏が順風満帆の人生を送ったかというと苦難の道もあって、そこから復活する物語もあって、それ自体が興味深いことは間違いありません。ただ子供時代から天才ぶりを発揮するスポーツ選手が大人になって、より大きな成
BSにて絶賛再募集中の割と前の朝ドラ~堺雅人が出ていたぐらいの予備知識しかない状態です。朝のどんよりした気持ちで、みるともなしに見ている感じです。まず、気になったのがヒロインの子供時代が長い!一月たつと言うのに、子役が活躍中。異常な家庭環境を表現するのに、子供時代は重要なのかな。大竹しのぶ演ずる「おかあちゃま」の存在は「生きてる人間が一番怖い」ホラーレベル。それを何だかんだで受け入れてしまう実の両親も怖い。見ているだけで息が詰まる。ヒロイン危うし!朝からみるのはベビーですな。
今日の一日一読は第2章の続きで「自転車から自動車へ、父親が事業の手本にー本田儀平、本田宗一郎」までです。今回は本田宗一郎の子供時代の話が中心かと思いきや、父親の本田儀平(ぎへい)の話が多かったです。著者の狙いとしては、本田宗一郎がどうして成功したかの背景には間違いなく父親の存在があって、父親自身をクローズアップすることで、それを超える成果を上げた本田宗一郎の凄さが自然と読者に伝わる工夫があったように思えます。本田宗一郎の技術力は祖母にまで遡れるようですが、父親の儀平が母親から技術力を継承し発
昭和世代の方々ならわかるであろうイエローピーポーをご存知ですか?https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=yjapp3_and&p=%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%BC&iau=1&aq=1&ai=bae5d30d-cf96-456a-81c0-317395c0cb51&ts=8059「イエローピーポー」の検索結果-Yahoo!
娘が「ドラえもんのシンフォニーがNetflixでもAmazonプライムでも観れないんだよねー」って呟いてたからなんぞや。と思って調べてみたら、今公開中なのねおけ。連れてってあげましょう!うちの子らは、温泉と映画が大好き。(おばあちゃんか)そして映画館で食べるポップコーンが特に好き。高いけど、ポップコーンとコーラなんて300円も払えば家で食べられるけど、映画館で食べるポップコーンというのは付加価値。好きなものを選ばせて好きに食べさせてます。この映画、葉加瀬太郎さんが書き
ショパンのベスト|子供時代と思い出を思い出させるファムークラシックピアノ
何だか眠れないのでアウトプットします。文章纏まってないですがご容赦下さい。父のこと。この人は、私がちょっとした恥をかく時、失敗した時それを優しく庇ったりフォローしたり愛を感じる注意をする事はあまりありませんでした。たまには父親らしくこうするんだよ、みたいな時はありましたが、父は極端な二面性があったと思います。世間に見せる、社交的で面白くて面倒見の良い人。良いお父さんだね、とよく言われました。世間にそう思わせるテクニックを持ち合わせていました。裏ではモラハラ?自己愛?子供たちを傷付け
もう遭遇から45年間も過ぎている。今日も昔のアルバムを見て私の運命を考えておりました。高校時代から私の運命が動き出したと考えられる!異邦人もひつこい性格で決して私を諦めないことは理解できます。子供時代から真面目な性格であったがコントローラーには勝てなかったと考えられる!お二人とも違法なことを好むので困り果てております!無視することはできないが日本人のアドバイザーがついているので間違えは侵さず!コントローラー達はどうも日本人向きではございませんね!追記異邦人は
今日の一日一読は第2章の続きで「母親の芸から人間としての心を学ぶ――チャップリン」までです。今回は個人的にも好きだったチャップリンが登場していて、知らなかった幼少期のことが詳しく書かれていて、気づきが多かったです。喜劇王と呼ばれるチャップリンならではの、単に悲惨な貧乏生活で終わらずに、コミカルさを取り入れていたところがウィットに富むことだと感じましたが、やはりチャップリンにしかできないことだという実感は強くなりました。芸の才能はもちろんのこと、まともに学校教育を受けてこなかったにもかかわらず
昨日の一読は第2章の続きで、「言葉より前に絵を描くことを覚える―――ピカソ、レオナルド・ダ・ヴィンチ」までです。ここでは特にスペインの画家ピカソの子供時代が詳しく取り上げられていました。読み終わって感じたのはピカソの画家として生きることの徹底ぶりです。絵を描くことを生涯求め続けた人生の凄さは、幼少期に言葉を覚える前から始まっていて、学校でも、絵を描くこと以外のことに関心を持たないというところまでこだわっていました。そんなピカソに影響を与えたのは画家の父親でした(61ページ)。この父親がピカソ
昭和と聞いて思い浮かぶのは?懐かしい子供時代!やはり昭和はよかった。田んぼの横の広場で走り回り、草むら掻き分けて先に進んで秘密基地とかね、、、今できないもんね。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう