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みなさま、おはようございます。食欲大魔人・とらさん🐯です。*〜*〜*〜*〜*〜*火曜日の夕方、買い物に行く道中の信号待ちで、柴わんこのお散歩風景に出くわしました。(о´∀`о)毛が密になってもっふりした柴わんこの可愛いらしさにほっこり💕(*´艸`*)したのも束の間、不意に子供の頃飼っていた犬の事を思い出しました。( ̄∇ ̄)その犬は、厚ぼったい耳が折れていて、毛量抑え気味のベージュっぽいスピッツみたいな見た目をした雌の雑種で、名前はプートンと言いました。( ̄∇ ̄)(※子犬の頃、とても
朝から何回も怒鳴ってしまった何回歯磨きして、着替えてって言ってもダラダラと動かない二人にイライラしてしまってもう勝手にやれ!!ママは車で待ってるから!!って二人置いて車に乗っちゃった着替えも歯磨きもまだ顔の周りはパンにつけたチョコだらけ絶対二人で準備なんか出来ない遅刻ギリギリになる少し前に戻ろうそう思ってたら、、、ママー!!幼稚園の帽子がないよー!!お着替え済ませて、制服着てジャンパーも着て二人で外に出て来たママが知らない間にそんなに成長してたんだねママがやらなくても
Gakkenのすてきな先生カタログは、ついに100号本日販売開始です!!今回は、1,980円のプチプライス商品や6種類のサイズ展開商品に注目ですこれからの時期に活躍できる商品もたくさんあって、どれも可愛い秋冬もGakkenのオリジナルエプロンがおすすめです初めましての方はぜひ『ほんちゃる。shoppingサイト』2019年9月6日、ほんちゃる。shoppingサイトがリニューアルOPENいたしましたお気に入りのエプロンが見つかりますように★改めまして自己紹介★当社は、
夫と年長息子の3人暮らし44歳、パート、ワーママ、のハルコです悩んだら掃除でリセットするHSP気質ワーママ。1日1捨て、買い物、暮らしの工夫で家族との毎日を心地よくこれからの生活がより豊かになるように日々勉強中こんにちは♪突然ですが、皆さんは骨あり塩サバと骨なし無塩サバどちらを買いますか?私は両方試した結果、コストコの骨あり塩サバです。100g163円(税込)小骨処理は面倒なんですけど価格、塩加減が好き😍ラ
こんにちは🌈今日は、11時20分に婦人科の予約をしていたので出掛けて来ましたよ診察してもらったけど、もう大丈夫でしょう。って言われましたホッとしたε-(´∀`*)でもね、子宮の写真を見せてもらってね、子宮が萎縮してるし子宮機能も低下してて、やっぱり年齢的なものがあるから不正出血は起こりやすいって言われたのだ今までとは様子が違う生理のきかたするやろうしって事で細かく説明してくださいましたホルモン数値的にはまだまだ若いけど、やっぱり子宮を見ても年齢的なものがあるし、ホルモンバランスは崩れ
私の無意識な領域で親に望んでいたことが明らかになってから、気づいたときに思考修正してました自分でも気づいていない域なので、なかなか変えるのは大変です💦でも最近やっとやっと成果が出てきてるのを実感私、、、子ども大好きなんですけど、お姫様扱いされている女の子を見るとモヤッとしていたんですなんて私の性格は悪すぎるんだ、とずっと悩んでいましたこれ、答えがわかったのです私が無意識な領域で親に望んでいたあること。そこを思考修正してから、お姫様扱いされている女の子を見ても、
SUMMERCLEARANCE2025SALEが当サイトでも始まりました対象商品が35%OFFです数に限りがありますのでお早めに!!🔴SALE期間🔴2025.7.10(木)20:00〜7.31(木)20:003週間限り!!ほんちゃる。ほんちゃる。shoppingサイト学研の『すてきな先生』新品エプロンの通販当ショッピングサイトは株式会社新潟学習社が運営しております。当社スタッフが厳選した商品をお届けいたします。www.n-gaku.comはじめましての方はこちらを是非
ウユプヨ帰ってこない。。どこいるんだろ。。愛してう〜。。う〜してう〜。。キャロットチーズケーキ焼けたよん。。お月様みたい。。明後日ミシュランが家に来るから🍫ポニャックに渡してもらお。。野菜ポニャックに変身だいっ。。🍫しか食べないから困ったものです。。食べるかな〜。。子ども大好きなチーズも混ぜた。。🧀🧀🧀✨ウユプヨと喋りたいよ〜。。ダーイスキダーイスキ本日のしつこい💠色営💠はどっち
こんばんは。英語リズム体操の講師資格を取得して9か月になります。普段は認定こども園の保育サポートの仕事をしています。3月までは週5日で勤務!パートとは言え、子どもたちが遊んだお部屋や園庭のお掃除やお片付け、水や泥んこ遊び後のお着換え、給食のセッティングから配膳や下膳、玄関や廊下トイレなどのお掃除など、結構な肉体労働でございます。5歳の娘との暮らしで気持ちに余裕がなくなる原因の一つ!それは肉体疲労です。仕事と家事の傍ら、ある国家資格を取るために通信講座で試験勉
君といる時が一番幸せなんだ(加山雄三さんの歌)そんな氣持ちで一杯息子がいて娘がいて旦那がいて私がいて家族全員が揃って私の身体Happyenergy満タンになりました😆大袈裟かもだけど本当に心身共に元氣モリモリ120%です💪子供大好きな母です😅この先息子が北海道戻って来る可能性は低いらいしい(本人談)ただし定期的には帰省するよと(3ヶ月毎)それを信じつつ私も顔を見に行くよとは言っています!その為に元氣で働きます!そうそう就活終了し
こんにちは!3児母さんりんりんです😉先日母さんお誕生日でした😆ハッピーバースデー私!!!娘2人でろうそく10本立てました(笑)大好きな新宿高野のケーキ✨娘たちバクバク食べてました😂長女と次女もおめでとう!!😆と言ってくれるし父さんが私の好きなケーキ買ってきてくれたし🥰ラインでお祝いしてくれた家族や友人もいたり😘幸せを感じたし、大事にしていきたいと思いました💪さー今日も1日頑張ります😉
現在、私のそばには3人の子どもたちがいます。毎日がバタバタで、笑って、怒って、泣いて…あっという間に夜が来ます。でも、その全部が、たまらなく、愛しい時間です。かつての私は、こんな未来がくるなんて思ってもいませんでした。あの冷たい言葉の中で、自分の存在を疑って、ひとりぼっちだと思っていたあの頃。けれど今は、あの頃の私に言ってあげたいんです。――大丈夫。あなたは、ちゃんと幸せになれるよ。私は、私の人生を生きています。誰かの期待やルールの中じゃなくて、自分の選んだ道の上で。それが
私は今、息子を育てながら、確かに思うことがあります。私の母は――毒親だった。あの頃は「これが普通」だと思い込んでいたけれど、今こうして小さな命を抱きしめながら、はっきりとわかります。母の言動は、愛ではなかった。息子の寝顔を見るたびに、心から思います。なんて愛おしいんだろう、と。この子が笑ってくれるだけで、私は幸せになれるんだ、と。だからこそ、ふと自分に問いかける瞬間があります。私は…不幸だったのだろうか?それとも、幸せだったのだろうか?答えは、いまでも簡単には出せません。で
私が家を出てから、母親とは連絡を取っていませんでした。ただ一度だけ、どうしても伝えておきたかったのが、先輩と籍を入れたいということ。その時、母から返ってきたのはただ一言――「勝手にしたら。」どこかで薄く期待していた私が愚かだったのかもしれません。冷たく切り捨てられたようなその言葉に、心の奥がじんと痛みました。婚姻届の親の署名欄は、私の父にお願いすることにしました。母と父が離婚してから、私は一度も父に会わせてもらえなかった。「連絡してはいけない」と、幼い頃からずっと母に言われていた
先輩の母親と話す機会が増える中で、私は次第に自分の母親の異常さに気づかされていきました。先輩の母親は、いつも温かくて、無条件に私たちを受け入れてくれました。小さなことにも目を配り、言葉や態度に愛情があふれていました。それに対して、私の母親はと言えば…比較ばかりで、愛情を示すどころか、私の存在を否定し、傷つける言葉を投げ続けてきました。先輩の母親の優しさは、私にとっては当たり前のようで、でも私の母にはなかったもの。その差が、ますます私の心に母の異常さを浮き彫りにしました。この違いを
息子が2歳になる少し前、姉から出産したと連絡がありました。男の子が生まれたと聞いた瞬間、ふと昔のことがよみがえりました。かつて、母親が私の息子を自分の子どものように扱っていた日々。あの時の母の愛情の形は、私にとって複雑で、時に心を揺さぶるものでした。そして、同じように姉にも愛情を注ぐのだろうか、また同じようなことが繰り返されるのだろうかという思いも、頭をよぎりました。でも…もうどうでもいい。私は今、先輩と息子と一緒に築いた小さな幸せの中にいるから。過去の傷や母への複雑な感情を抱
先輩との生活は決して裕福ではありませんでした。けれど、息子も私も本当に大切にされていると感じる毎日でした。先輩はいつも私の話に耳を傾け、どんな小さな悩みや不安も真剣に聞いてくれました。その優しさは、ずっと私が求めていたものでした。さらに、先輩の両親も私たちをいつも気にかけてくれました。息子を本当に可愛がってくれて、何かしてあげたいと心から思ってくれる姿に、私は驚きました。何よりも衝撃的だったのは、彼らが見返りを求めないということでした。無償の愛情がそこにはあり、私の母親とはまった
母の愛が届かず、深い孤独の中で揺れていた私に、手を差し伸べてくれたのは先輩でした。先輩は当時大学生でしたが、私の妊娠を知るとすぐに自分の親に頭を下げ、大学を退学し働き始めたと言います。私の母が先輩の両親に「ケジメとしてお金を払ってほしい」と伝えていたことも、その時に初めて知りました。私はずっと知らされていなかったのです。先輩は何も言わず、ただ私と息子のために真剣に動いてくれていました。そして何度も、「一緒に暮らそう。家族としてやり直したい」と伝えてくれました。その言葉は、孤独だった私の
先輩と一緒に住もうと決めたその時、姉から妊娠の知らせが届きました。「お姉ちゃんも妊娠した」と聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられるような痛みが走りました。数日前から母親が頻繁に家を出ていた理由が、やっとわかりました。母は姉のことを深く愛し、心から大切にしているのだと。その事実は、私の心に深い孤独を落としました。私には、母の愛はもう届かないのだと痛感し、まるで自分が家族の中で不要な存在のように感じてしまったのです。母の愛が姉に向けられていることを知るたびに、胸の中にぽっかりと穴が空いたよう
あの日、先輩からのメッセージを受け取ってから、私の心は大きく揺れ動きました。これまで「母のルール」に縛られてきた私にとって、初めて自分の意志で選べるかもしれない未来が突然差し出されたのです。けれど、同時に不安もありました。「本当にうまくいくのだろうか?」「母との関係はどうなるのだろう?」「過去の傷は癒えるのだろうか?」そんな葛藤の中で、私は自分自身と向き合う時間を持ちました。母に対して感じていた怒りや悲しみ、寂しさ、そして今も消えない心の痛み。でも、逃げ続けることはもうできないと
ある日、不意に届いたSNSの通知。それは、妊娠中に関係が断たれていた“先輩”からのメッセージでした。私の息子の父親――高校時代のひとつ上の先輩から。実は、妊娠初期に母親から「連絡先を消しなさい」と言われ、そのまま連絡が取れなくなっていたのです。まだ当時の私は、母の言葉に逆らう勇気なんて持っていませんでした。でも、SNSを通してつながり直したその日から、私は「今まで知らされなかった“事実”」を次々に知ることになりました。先輩は、妊娠初期からずっと、毎月お金を振り込んでくれていたというの
あの日、私はようやく母に言葉をぶつけた。「どうして私に、この子の面倒を見させてくれないの?」母は何も言わず、ただ黙ってその場を離れました。私は、これで少しは何かが変わるかもしれない――そう信じたかった。けれど、変わったのは母の態度でした。翌日から、母は私たちにほとんど関わらなくなりました。朝起きても声をかけてこない。買い物にも出かけなくなった。息子に近づくことも、名前を呼ぶこともなくなった。まるで私たちが“存在していないかのように”。食事は作ってあっても、テーブルに置かれてい
息子が生まれてから、母はますます積極的に孫の世話を焼くようになりました。買い物へ行くときも、病院へ行くときも、息子だけを連れて出かけ、私は家に残されることが多くなっていきました。「赤ちゃんの服、見に行ってくる」「ミルクもオムツも買わないとね」それは“手伝い”というより、まるで自分の子どもを連れて外へ出る母親そのものの姿でした。出かけるとき、母はいつも言いました。「ミルクはこっちで持ってくから。あんたは休んでな」私はその言葉に、ただうなずくしかありませんでした。でも、心の奥では、違
母と息子と、3人での生活が始まって数ヶ月。最初は頼りなかった私も、少しずつ赤ちゃんとの生活に慣れ始めていました。けれど、そんな中でだんだんと心にモヤモヤが溜まっていくのを感じるようになりました。母は、私の子育てに対して細かく口を出すようになってきたのです。オムツの替え方、授乳のタイミング、あやし方――「こうしたほうがいいよ」「なんでそうするの?」一つひとつの言葉は、決して意地悪ではありませんでした。むしろ親切心だったのかもしれません。でも、その言葉の一つ一つに、私はだんだんと自信を
退院後の生活は、思っていた以上に大変でした。昼も夜も関係なく泣く赤ちゃん。睡眠不足と不安で、心も体も削られていく日々。けれどそんな中、私は初めて見る母の姿に、何度も驚かされました。母は、息子の世話を本当に一生懸命してくれました。沐浴を手伝い、オムツを替え、泣いたらすぐに抱き上げてあやしてくれる。その姿は、今まで私が知っていた母とはまったく違っていました。冷たくて無関心だった母とは、まるで別人のように見えました。私は思いました。「私も、こんなふうにしてもらっていたのかな……」そう
高校を卒業した翌年、私は第一子を出産しました。男の子です。母は男の子が欲しかったのか、私が妊娠している時から、赤ちゃん用品をたくさん買い揃えていました。「私はもうすぐおばあちゃんになるのよ」と、周囲の人に話していたと聞きます。母から直接「楽しみだね」と言われたことはありません。でも、赤ちゃんの服やおもちゃを準備する姿を見て、私はどこかで思っていました。「ようやく私も母に認めてもらえるかもしれない。褒めてもらえるかもしれない」――と。けれど、その期待はまた静かに裏切られました。出産
高校を卒業した私は、仕事をせず、家で過ごしていました。お腹の中には、新しい命が育っていて、それだけで頭がいっぱいでした。相手は高校の1つ上の先輩。でも、母が結婚を認めてくれず、私は未婚のまま出産することになりました。先輩も無責任な人ではなく、「私の面倒を見たい」と月に10万円を母に渡していたと、ずっと後になってから聞かされました。その事実を知ったとき、私はとても驚きました。というのも、母からお金のことを一度も言われたことがなかったからです。赤ちゃん用品を買ってきてくれたり、必要なも
妊娠を母に伝えたあの日から、母の態度は少しずつ変わっていきました。あんなに私に無関心だったのに、周囲には「娘が妊娠した」「私はもうすぐおばあちゃんになる」と嬉しそうに話していたそうです。母本人から、直接「楽しみ」と言われたわけではありません。でも、孫のために小さな服やベビー用品を買っている姿を見て、私は少し驚き、そして戸惑いました。「これが母なりの喜び方なのかもしれない」そう思う反面、「私のことはずっと無視していたのに」と、心のどこかで納得できない気持ちもありました。でも、私は初め
高校3年生の冬。もうすぐ卒業という時期に、私は妊娠しました。正直、不安しかありませんでした。将来のこと、自分のこと、相手のこと――頭の中はぐちゃぐちゃで、でも逃げられない現実にひとりで押し潰されそうでした。そんな中で、母に妊娠のことを伝えました。今までずっと、私のことを無視し、会話さえほとんどなかった母。叱られるだろう、突き放されるだろうと覚悟していたのに、母は突然、私に色々と話しかけてくるようになりました。最初は、戸惑いしかありませんでした。「なんで今になって?」「どうして今
銀鮭切り身肉厚10切れ【無塩・有塩が選べる】加熱用鮭さけサケ焼き鮭焼き魚魚さかな冷凍家庭用お弁当用お弁当おかず惣菜お惣菜冷凍食品冷凍総菜父の日楽天市場中学時代、部活や周囲の大人たちに支えられて、少しずつ孤独が和らいでいきました。でも、高校に入るとまた心のバランスが崩れていきました。母の態度は、相変わらず冷たいままでした。関心もなければ、会話もない。私がどんな高校に入ったのかも、ちゃんと興味を持ってくれていたのかすらわかりません。気づけば私