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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇「言い張ってはいけない」心の扉メンタルカウンセリング横浜◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇にほんブログ村あなたには3歳頃の記憶がありますか?「ある!」と答えた人は、もしかしたらその記憶はウソかもしれません。なぜなら、私たちの記憶はPCのハードディスクに保存されたデータのようなものではなく、いつの間にか加工、修正、改変されてしまう性質のものだからです。もし鮮明にあるとしても、それは親や
DV親や非DV親の愚痴を聞いて、僕自身が行きたい場所にはとてもやないけど行けなくて。楽しい話ならいいけどDV親の場合は誰かの批判、否定、文句を汚い言葉で言い続けるのを聞かないと余計に面倒なことになるし非DV親は性格自体がかなり細かいから本当に小さいことも心配事や不安材料になるからそれを全部聞いて非DV親が納得する返しをしないといけないしそれプラスDV親に対する不満も僕以外には聞いてあげる人がいないから聞かないといけない。何でそんなマイナスな話しかできないのかDV
もう少し運動会の話小学校の行事に参加したのは自分が小学生以来なのでかれこれ35年ぶり久しぶりに参加した令和の運動会上級者の方はこういうイスを使ってました↓↓↓コールマン(Coleman)リゾートチェアオリーブ約3.1kg2000033560Amazon(アマゾン)2,655〜3,300円熱中症対策になりますねテントを使ってる方もいました昭和にはなかったスタイル↓↓↓テントワンタッチテント3~4人用二重層設営簡単軽量テント防風防水UVカ
「私の言う通りにしてれば大丈夫。」「いつでも母親は正しいのよ。」「あなたのためよ。」その言葉を信じて母のレールに乗せられて生きてきた4児母mimi4です。自分で考えるという思考すらなくっていました。『障害があると思う理由【学生時代④大学生】』高校時代にドーナツを食べ過ぎて太りましたが、今でもドーナツが大好きな4児母mimi4ですおかげで去年の健康診断で「メタボ」と書かれました。見た目はそんなに太っ…ameblo.jp今回は専門学生時代からの話です。黒歴史大学を3年の夏に中退
高校時代にドーナツを食べ過ぎて太りましたが、今でもドーナツが大好きな4児母mimi4ですおかげで去年の健康診断で「メタボ」と書かれました。見た目はそんなに太ってないので周りの人は信じてくれません。私も周りの人を信じられないのでお互い様ですが(笑)『障害があると思う理由【学生時代③高校生】』子供の頃を振り返るのが思った以上にしんどくて、少しずつ書いています。ずっと自分に嘘ついてごまかして生きてきたんだなと実感している4児母mimi4です。今回も、…ameblo.jp今回は大学時
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう小学校を卒業してから50年近く経ちます。小学3年生から4年生に進級する頃社宅→両親が家を新築して現在の土地にお引越し。私が卒業した小学校、我が子3姉妹も卒業し、孫は隣学区の小学校を卒業しましたが。長女が母校じゃない隣学区に孫を進学させたのは①本来学区よりもずうっと近い②孫卒業校は築年数が10年前後という理由です。だってさ、私が卒業した小学校も中学校も私が転校してくる以前からある校舎。築年数…50年越えてるわけ
子供の頃を振り返るのが思った以上にしんどくて、少しずつ書いています。ずっと自分に嘘ついてごまかして生きてきたんだなと実感している4児母mimi4です。今回も、学生時代のつづきです。『障害があると思う理由【学生時代②】』自分を知るために自分のことを振り返っています。自分のためにやっているのに、思った以上にしんどいです。でも、私は変わりたい。もうこのままでいたくない。残りの人生…ameblo.jp部活高校で、私はまた吹奏楽部に入りたいと思った。しかし母に反対された。吹奏楽部
自分を知るために自分のことを振り返っています。自分のためにやっているのに、思った以上にしんどいです。でも、私は変わりたい。もうこのままでいたくない。残りの人生は私らしく自分らしく生きたい。自分らしさが何か知るために振り返ります。『障害があると思う理由【学生時代①】』心身の不調からのコロナのような風邪症状にも見舞われ、本当にこのまま死ぬんじゃないかとすっかり悲観的な4児母mimi4ですそんな中、朝から不機嫌な三男よっくんに…ameblo.jp今回は、学生時代の続きです。空
私の子どもの頃は子供向けの自転車って多分20インチとか22インチからだったような。今のように、14・16・18インチは無かったんじゃないかな。というわけで小さいサイズの自転車が無いから早くても小学生になるかならないかで乗り出すのが一般的だったんじゃないかな。ちなみに、私は小学1年生で乗れるように。最初は練習に付き合ってくれた母が私があまりにも乗れないので最後は独りで地道に練習したのを50年以上経ってもまだ覚えてます昭和40年代は、子どもには自転車は贅沢そんな時代でし
心身の不調からのコロナのような風邪症状にも見舞われ、本当にこのまま死ぬんじゃないかとすっかり悲観的な4児母mimi4ですそんな中、朝から不機嫌な三男よっくんに「ママがいたらご飯食べたくない!」と言われました。悲しい。元気な時なら「えー悲しい〜そんなこと言わないで〜」とかテキトーに返すのに。「はいはい、いなくなりますよ。」と2階へ。本当にこのままこの世からいなくなっても良いかなって気持ちになる。それで子供達が幸せになれるなら本望。こーゆう会話に対して夫titiは何も
『あたしって毒親育ち?1「朝ご飯の話」』たま子を身ごもり、産み育てていると、うちの親って…と思うことが増えてきた。殴る蹴るされてた訳じゃないし、ご飯もお腹いっぱい食べてたし、大学まで出してもらってる…ameblo.jp『あたしって毒親育ち?2「小汚い子どもだった話」』自分が子育てするようになって、自分の親って…と思うようになった話シリーズ第1話はこちらたま子の髪を毎朝とかして結んでやる。当たり前に。でもあたしは親にやっても…ameblo.jp『あたしって毒親育ち?3「お小遣いの話」』自
こんにちは。「やっちゃダメなことは大体やると面白い」と理科の先生が言っていましたw椎名ゆきのです。2024/01/09自分が持ってる前提の起こりは、事実ではあるけど真実ではない。「どうせ誰も見てくれない」見てもらえなかったと感じた出来事は確かにあったから事実だけど、それは相手のそもそもの能力やキャパ(を自認できず対処できていない)ことの問題で、「どうせ見てもらえるだけの価値がない」というのは真実ではない。もしかしたら事実でもないかも。今日は投げかけて終わるスタイル
お金がなかったので、県外に行った記憶がありません!あと、子供の時の私は体がとても弱く、すぐ風邪をひく上に乗り物に乗れないくらいのひどい乗り物酔いがあり、遠足とかのバスでは必ず吐いていました車で30分くらいのおばあちゃんの家に行くにも酔ったりしていたので、自家用車で長々旅行なんて無理だったのかもしれませんが…夏休みは父の友達家族と近くの海にキャンプに行ったり、いとこ家族と近くの旅館なんかに行った記憶はあります。新幹線に乗ったのも、高校の時
本当は会いたかった母に会えなくなり月日が経った。教えてもらっていた携帯電話の番号にもこっちから電話はしなかった。相変わらず続く祖母からの嫌味の数々。ワタシはスルースキルが極めて低くいつも苦しんだ。イライラもした。言い返すこともあった。けどそんなこと何も祖母には響かなかった。祖母の口癖は「私は不幸。」その不幸の理由が母だったりワタシだ。不幸話を聞かせてどうしたいんだろう。ワタシに何をしてほしいんだろう。あなたたちのせいで私は不幸
そんなワタシが当時悩んでいたこと。それは母が会おうとしてくれていたことだ。ある時、学校の帰り道で母に話しかけられた。学校から家への帰り道にあるところで働き始めたから毎日寄ってほしいと言われた。母に会えて本当に嬉しかった。友達が居たから泣いたり、喜んだりするなんて照れくさくて見せられなかったけど本当はやっと会えたことにめちゃくちゃ喜んでた。それからしばらくの間は学校帰りに寄って話をした。タイミングが良ければ休憩を取ってくれて少しドライブして、
これも幼稚園に入園する前の歳頃。時々、母が街へ連れて行ってくれました。街と言っても、私の田舎は、とっても田舎。デパートや商店街のある街へ行くために当時は汽車に乗って出かけていました。目的の駅に着くとまず母がしていたのは帰りの汽車の時刻を確認すること。通勤通学の時間帯以外は1時間から1時間半に1本くらいのダイヤなので何時の汽車で帰るか決めておくのは必須!駅の構内上の方に設置されている時刻表を私は母と手を繋ぎ並んで一緒になって見上げています。時刻表は読
つい先日、母が育てていたアマリリスをずっと探している、と書きました。それを聞いた知人が、これではないかとくださったアマリリスに期待をかけているということも。これがそのアマリリスです。朧気になった記憶の中に咲いていたアマリリス。これかもしれません。そうでなくとも、かなり近い感じがします。くださった方は、母が育てていたアマリリスで、フツウの花よ、と言っていましたから、大事に受け継いでこられたものかと思います。これかな。そう、これね。もう少し野性味があったよ
子供の頃、お寿司といったらお稲荷さんと海苔巻きだった。私の故郷は、小さな田舎町。お寿司屋さんは、一軒だけだった。勿論その当時コンビニもなかった時代。家は貧しかったので、特別なお客さんが来た時にお客さんの分だけ届けてもらっていた。なので【握り】なんてほぼ食べた事がなかったし、食べていないから美味しさもわからず食べたいとも思わなかった(笑)もっぱら母が作ってくれたお稲荷さんと海苔巻が、我が家のお寿司だった。子供達がいた頃はよく作っていたけれど夫は好んで食べないので、ここ最近は作っていな
二度と捨てられないようにいい子にしないといけないその思いはワタシの心をひどく苦しめ始めた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・勉強は頑張っても中の上レベルにしかできなかった。だから自分なりに部活を頑張ってみたり、学級代表になってみたりした。それでも「そんなことして何になる」と言われる。休みの日には家事をした。朝から洗濯物を干して、掃除をして、料理をして、これやっておいてと言われることをやってきた。
母が居なくなってからワタシはどうやって過ごしてきたのか。あまりくわしくは覚えていない。けど毎日学校から帰ってきて自分の部屋で泣いたことは覚えてる。誰にも相談できなかった。自分のことを捨てて母が出ていきましたなんて。親からも愛されないワタシですなんて…家に帰ると始まる祖母からの嫌な言葉の嵐。”あんたの母親はこの家に泥を塗った。””あんたも勉強ができないなら○んだほうがまし。”ここからワタシはもう二度と捨てられないようにいい子にしないといけ
前回、幼稚園に入る前の体験から「相手が求めている事を正確に伝えなくてはいけない」というマインドブロックを持ってしまったきっかけを書きました。『発信するのはめちゃくちゃ怖い①』私はこうして誰もが見ることができるSNSで発信していますが本当はめちゃくちゃ怖いです。「間違ってはいけない」「適切な言葉で、ちゃんと伝えなくてはいけない」「…ameblo.jpもう一つ「私は話してはいけない」というマインドブロックがありました。もう少し深堀すると潜在意識の中に「私が話すと相手
ワタシには子どもの頃の記憶があまりない。ただ鮮明に覚えているのは母がいなくなったあの日。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ワタシがまだ小学生の頃。ある日学校から家に帰ると父と母が話をしていた。母は涙ぐんでいたような気がする。大きな荷物もあった気がする。けれど気にもとめずに、糸がほつれてしまった学校の制服を直してほしいとお願いし、お腹も空いたなどとぐだぐだ甘えた。直しておくからご飯食べておいでと言
今日は随分と楽〜になりご飯🍚が美味しい〜って幸せ家事が楽〜に出来るって楽しい〜╰(✿´⌣`✿)╯♡って思ってました私が、回復したのでジジ🐈⬛は何時ものように朝散歩へ行ってましたお気に入りの田んぼにはもう水がはられてて入れないねぇ〜(´艸`)まあいいさ!母ちゃんとゆっくり外でくつろげばいいよねジジ🐈⬛にキラキラ✨そんなこんなの朝のひとときを楽しんで今日はお昼から妖精さんとお茶会です妖精さん🧚の飲み物と甘いものそして石さんたち
私は小さい頃目の前にいる家族のことを本当の家族じゃないと思っていたことがあるこう書くと昭和に流行ったドラマとか少女漫画の見すぎ・・・って思うけど(笑)実際の家族の存在にどうも違和感があって自分の頭の中に「本当の家族」を創り上げて実在する家族よりその脳内家族とずっと頭の中で会話してたいつの間にかその違和感はなくなっていき気づいたら頭の中からもその家族はいなくなってたあれは何だったんだろうな
今日は朝から曇り空、雨が降らないだけでも有難いかな…オイラのいつもの散歩道は一周800mくらい、そこを何周かするのが日課なのですが、そこで見掛けたのは仲良し三人組でした。何だかほのぼのした気持ちになりました…端午の節句にと言えば柏餅ですね。昔、オイラが子供の頃、お袋が手作りしてたよなぁ~だけどお袋が作る柏餅はとにかく餅が堅かった。出来たての時は良いんだけど、冷めるとガチガチになるんだよねぇ~子供なのにお袋に気を遣って「美味しい」と言いながら食べた記憶があります(笑)今
皆さんは小さい頃に好きだった本はなにか、そして、その本がどうして好きだったのかを覚えていますか。私は子供のころ、あまり活字が並んだ本を読みませんでした。野生動物の図鑑みたいなもの、沢山の種類の犬・猫・小鳥・金魚などが描かれた本ばかり見ていた気がします。活字で唯一ハマったのは“トム・ソーヤーの冒険”“怪盗ルパンシリーズ”です。ハラハラする感じと、それぞれの世界観にロマンを感じ、それが好きだったのです。夫もほぼ活字は読まなかったようですが、唯一「ずっこけ3人組シリーズ」は好きだ
幼い頃の記憶で、最も昔のはっきり覚えている事ことといえば従兄のお兄ちゃんとの記憶です。登場人物は、私、従兄、私の母。場所は、私の家の玄関。まだ幼稚園に通っていない頃なので2歳頃かな?従兄たちが遊びにきたので玄関にお出迎えに行きました。そこで従兄のお兄ちゃんが私の名前を呼びながら私が着ていたジャンパースカートのすそをぴらっと摘まんでスカートめくりをするフリをしました。挨拶がてらちょっかいをかけたのですねそばにいた私の母は「あら、だめよ~」みたいなこ
私はこうして誰もが見ることができるSNSで発信していますが本当はめちゃくちゃ怖いです。「間違ってはいけない」「適切な言葉で、ちゃんと伝えなくてはいけない」「誤解されるのが怖い」おまけに写真はこれで良いのか?まで考え込んでしまいます。時間をかけたからと言って質の良い文章が書けるとは限らないので私としてはもっと気軽にサクサクっと書きたいのですが・・・それがなかなかできないのが悩みです。「とりあえず書いて、たくさん書くことで上達する」と頭では分かっていても
小学生の頃、いろいろな思い出がありますよね良い思い出も悪い思い出も、、悪い思い出も時が経つと、懐かしいとかちょっと笑える思い出に変わってる私には今でも笑えない思い出があるいや、大人になったからこそ余計に笑えない小学2年生の時、同級生の男の子の背中を階段で押したやっちゃいけない事、大怪我をする、理解はしていたなのに興味本位からやってしまった教室を出たところに5段くらいの階段があって、2段降りた時に、今ランドセルを押したらどうなるんだろう?それだけの理由幸い大きな怪我にはならず、ひ
こんにちは昨日、病院で薬をいただき、我が家のワンコの下痢も無事おさまっております。そのまま体調が戻ってくれるといいのですがさて、昨日はランドセルと小学生の時を振り返りましたが、もっと振り返りたいと思います。子どもの時のキョーレツな記憶ってありませんか?その中の1つは、うちの父親がお風呂で目の前で滑り、お風呂場の扉の分厚い磨りガラスを肩で突き破り、肩にガラスが多々刺さったという記憶、、、。それまで父親と一緒にお風呂へ入っていたのですが、違う意味で父と一緒に入れなくなってしまいました怖