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毎年、春分の日は太陽の道に居たくて檜原神社さんへ行く『2023.3.21桧原神社・龗神社、山ノ神遺跡』北緯34度32分の太陽の道にある神社で元伊勢の一つでもある桧原神社。おととし、昨年、と春分の日は桧原神社にお参りに来ていた。『春分の日桧原神社2022.…ameblo.jp『春分の日桧原神社2022.3.21』…思えば。昨年も春分の日は桧原神社にお参りさせてもらった春分の日はなんとなく太陽の道に居たくなる桧原神社に行くときはいつも大神神社に参拝させてもらったあと
BODYPITKYOTO院長藤崎進一です。皇紀2684年令和6年甲辰2月4日(日・立春)奈良県に鎮座します橿原神宮へ清掃奉仕に上がりました⛩立春大吉の善き日に、日本建国の父神武天皇を御祭神とする橿原神宮⛩紀元祭前の清掃奉仕にありがたさを痛感!消防訓練も実施されていました🚒サイレンの大爆音とともに消防訓練開始🧯大迫力でしたよ👨🚒正式参拝のあと、落ち葉掃きとどんぐり拾い🍂拾っても拾っても取り切れないಥ‿ಥアッ!と言う間に時間は過ぎ去りました(⚈̥̥̥̥̥́⌢⚈̥̥
橿原神宮(かしはらじんぐう)もう少しで2月11日そう、「建国記念の日」戦前は「紀元節」そして、橿原神宮で行われる「紀元祭」昨年、奈良に行った時は、たまたま2月11日前後だったのでせっかくの日なので橿原神宮に参拝に行きました。ただ、人で混むのも嫌なので夕方に訪れました。御祭神は言うまでもなく神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)橿原神宮は沢山のブログがあるので神宮の説明はなしで、流してみてくださいそれと写真の時期が混じって
奈良県橿原市久米町別表神社勅祭社官幣大社神武天皇媛蹈鞴五十鈴媛命神道橿原神宮に新年初詣りと御朱印を頂きました🙏
『出張の合間の神社巡り関西編2023『牟禮神社』~生き残る秘訣は信長対策~』『出張の合間の神社巡り関西編2023『茨木神社奥宮天石門別神社』~イワトはどこから別けられたか~』『出張の合間の神社巡り関西編2023『弓削神社』~阿波…ameblo.jp↑のつづき。さて、牟禮神社をあとして、さらに茨木の土手の道を歩く。20分ほど歩くと、この日最後の神社にたどり着いた。『溝咋神社』である。ずっと参拝してみたかった。沖縄からはるばるここに来れて幸せである。『神門』。左側に池、
令和5年7月30日(日)葛井寺から橿原神宮へ向かう。14:15葛井寺を出発する。14:22藤井寺駅を出発する。↓河内長野行準急に乗車する。14:30古市駅に到着。↓南大阪線橿原神宮方面に乗り換える。14:37古市駅を出発。↓橿原神宮前行区間急行に乗車する。14:57橿原神宮西口駅に到着下車する。↓徒歩。西参道から入る。15:10橿原神宮南神門前に到着する。橿原神宮は2022年(令和4年)1月3日以来の参拝である。お正月に参拝した記憶があった。参道は玉
第二代綏靖(すいぜい)天皇は初代天皇の第三皇子です。和風諡号では、神淳名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらぎのみこと)御父は初代神武天皇。御母は正妃の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)皇后、大物主神(三輪明神)の娘です。大物主神は大国主神の別神・和魂ともいいますから、素戔嗚尊の子孫にもあたります。綏靖天皇は天津神系と国津神系が一つになった結びの天皇です。ご祭神|大神神社(おおみわじんじゃ)ご祭神、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は国造りの神様として、農業、工業、商
さて、真夏仕様で出かけたのは奈良の中心部です。(貴重なささゆり)あ、お着物のお祭りではないです😁。念のため。奈良市内で1番古い神社の1つ、率川社。三輪の大神さんの所縁でして、こちらのおまつりに三輪のササユリ(三枝)がはるばるやってきます。詳しくはこちらから。率川神社三枝祭2023/6/16~18(日程時間・・・)率川神社三枝祭・ゆりまつり(日程・時間等)を紹介。三枝祭では罇に白酒・缶に黒酒を注いで淡い桃色の笹ゆりで飾った特殊神饌を供え、うま酒みわの舞が奉納されます。なお三枝祭で
漢國神社をでて率川神社さんを目指す。途中、右に行けば興福寺という通りを過ぎた。興福寺も今度来たいなぁ…率川神社さんへ到着正面だけれど正面だろうか恐る恐る鳥居で一礼をして、入らせてもらう。今日は姫蹈鞴五十鈴姫命さまのところへ来るから橿原神宮で買ったお守を身につけてのお詣り。率川坐大神御子神社(子守明神)ご祭神玉櫛姫命姫蹈鞴五十鈴姫命狭井大神こちらもさっきの漢國神社と同じ推古天皇元年(593年)創祀。拝殿拝殿の前に立つと優
東大谷日女命神社さま久しぶりに抜粋を。東大谷日女命神社(やまとおおたにひめのみことじんじゃ)は、奈良県橿原市に鎮座されています。延喜式神名帳に、『大和国高市郡東大谷日女命神社』とある式内社ですが、奈良県桜井市山田にも東大谷日女命神社があり、論社となっています。橿原神宮北門側の参道に「畝傍山登山口」の看板があります。ここを入って行きます。入口から約5分程歩きますと、東大谷日女命神社(やまとおおたにひめのみことじんじゃ)に到着です。御祭神は、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひ
うわーすっごい木!銀杏の木ですね~今日はなんだか木が気になる。。。ここは鷲宮神社さん。お天気も良いので自転車でのんびり来ました鷲宮神社さんは絶賛、屋根の葺き替え中。こちらからお参りしますよ~でね、今日の目的はこちら姫宮神社の活玉依姫(いくたまよりひめ)さまにご挨拶✨私は勝手にご縁を感じている神話のセカイはよく解んないんだけど玉依姫というのはいっぱいいらっしゃる。活玉依姫は豊玉姫の妹の玉依姫とは違う。。。らしい。活玉依姫は大物主の奥さん?何故そこ
(静岡浅間神社)◆玉鋼(けら)の杜~金屋子縁起と炎の伝承~13このシリーズいつまで続くねん?とお思いの方もおられるかもしれません。かなり飽きられているのは想像に難くないですが。たぶん20本くらいになりそうです。「金屋子神」の正体を探るのは今回が最後。その他諸々の説の列挙となります。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事1…金屋子神社の概況(金屋子神祭文雲州非田伝)2…金屋子神の信仰圏3…「金屋子神」八幡神説(前編)4…「金屋子神」八幡
神武天皇は、兄磯城軍の磯城八十梟師が兵を結集していた磯城邑の片居(亦の名を片立。旧十市郡安倍村大字池之内及び香久山村大字池尻付近と推定)を磐余(いわれ)と名付け、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)と称した(日本書紀神武天皇二年二月乙巳条)。兄磯城の勢力地域であった鳥見山は、即位後の神武天皇4年の春2月に皇祖神を祀った場所である霊畤(まつりにわ)と伝えられ、又即位後初めて皇祖天神を祀ったという日本書紀の記述から大嘗祭起源の舞台ともされる。つづき今井町今西家ブログ/十市県
箸墓古墳はもちろんそうだけれど、大神神社も今回のメインイベント先日の大物主神社にお参りへ行ったときから『2022.1.10長洲天満宮と大物主神社』急な用事ができて、尼崎に行くことになった。日時は1月10日。十日戎✨出雲大神宮さんとこんだえびす神社さんで十日戎のお参りは氣持ち的に終わってたけれど、10日の…ameblo.jp近いうちに大神神社に絶対行くぞ、と思っていた箸墓古墳行きを思いついたとき、大神神社にも行けることが嬉しかった。うちの玄関をいつも守ってくだ
星塚古墳神武天皇皇后姫蹈鞴五十鈴媛命陵奈良県天理市大和神社の参道横にあります。
先日の奈良の旅・・・旅は早朝の橿原神宮⛩️から始まった👇畝傍山⛰️の麓に広がる境内地の広さ53万㎡(なんと甲子園球場13個分)👇参拝所『外拝殿(げはいでん)』と畝傍山👆入母屋造りで、広がっていくような屋根の形・・・「争うことなく一つの屋根の下で肩を寄せ合って暮らせる世界を」という神武天皇の理想を表しているんですね!当然、僕も『世界平和』を祈願しました❗👇内拝殿厳かです😅👇深田池池の周囲は桜桜、春来たらは良いだろうね🎵御祭神(橿原神宮HPより)祭神は神武(じんむ)天皇
橿原神宮(かしはらじんぐう)は、神倭伊波禮毘古命(後の神武天皇)が畝傍山の東南の麓に橿原宮を造り、第一代天皇となられ、我が国のはじまりとなったこの地に、明治天皇より、京都御所の内侍所を本殿に、神嘉殿を拝殿として下賜され、明治二十三年(1890年)に創建された。御祭神は第一代神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命で、神武天皇は、天照大神の天孫・瓊瓊杵尊より四代目に当たり、正式には「神日本磐余比古火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)」と申され、皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命は大物主命の御娘
花園神社(橿原市石川町)大和国高市郡奈良県橿原市石川町(「ファミリーマート橿原石川町店」の南西隣)(ファミリーマートの南側の「フローラルコート」というアパートの駐車場に東側から入り通り抜けないと参拝はできません)(P無し)■祭神姫蹈鞴五十鈴姫命記紀や万葉歌にも記される「剣池」の西側、橿原市石川町の住宅密集地内に鎮座する小さな社。知り得る限り、数年前までは周辺は田畑であったように思います。藤原京の南端近く、この辺りは物部氏系の者たちが拠点としていた地。三輪の大物主神(事代主神と
今年の3月、神様に素敵な再会をプレゼントしていただいた。それは、高校の同級生との30年ぶりの再会だった。私が定期的に心身のメンテナンスとして行かせていただいている『鳴海周平さんお話会』がその場となった。思えば、私が鳴海さんのお話会へ行く事になったいきさつも不思議だった。たまたま観たYouTubeでゲストだった鳴海さんの声を聞くやいなやこの人の声を直接に聞かなければーーー、となり…どんな人かも全く知らず、その上調べることもせずただこの耳でその声を
第二代綏靖(すいぜい)天皇は初代天皇の第三皇子です。和風諡号では、神淳名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらぎのみこと)御父は初代神武天皇。御母は正妃の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)皇后、大物主神(三輪明神)の娘です。大物主神は大国主神の別神・和魂ともいいますから、素戔嗚尊の子孫にもあたります。綏靖天皇は天津神系と国津神系が一つになった結びの天皇です。ご祭神|大神神社(おおみわじんじゃ)ご祭神、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は国造りの神様として、農業、工業、商業す
…2022/6/1〜2…今日はよう来た心から感謝するぞ二人で参る時共鳴し合うものがあるなよきぞ我らが時に成すすべきことはこんじんこんじんとは生き抜くことさもなくば死である世も末我々が伝えたいこと世にはばからん戯言いざ仕方あるまいな人間共が侵されてしまった清き心世も末ぞ光をあてぬか清き光をあててみよ己の信じる道を進んでみよまこと伝わぬものかないざ仕方あるまい己で気づいていくのみ己のちからを打診せず本物を見抜くちから養いたもうぞどうだ心の本質とやら
大神神社(大垣市上石津町)美濃国多芸藝郡岐阜県大垣市上石津町宮字街道194-1(境内南側にP有)■延喜式神名帳大神神社の比定社■旧社格郷社■祭神大物主櫛甕玉命[配祀]神倭磐余彦天皇比賣多多良五十鈴姫命「揖斐川」支流の「牧田川」上流沿いに鎮座する社。幹周り5m超の杉の古木が何本も立ち並ぶ荘厳な神域。社叢は岐阜県天然記念物指定。◎創祀は持統天皇朱鳥六年(692年)と伝わっています。岐阜県神社庁によると、持統天皇が伊勢国へ行幸の際、右大臣三輪朝臣高市麿が伊勢国三重郡に至
はじまりの地より自分らしく生きる人生と旅をサポートする招福陰陽師・飛鳥認定通訳ガイド聖徳院結です。今日もご訪問ありがとうございます。只今護符作成・鑑定が大変混み合っております。メールのお返事は時間がかかります。なるべく公式LINEよりご連絡頂けましたら幸いに存じます。五月も今日で終わりですね。夏越の大祓まで一ヶ月となりました。橿原神宮より夏越の大祓のご案内が届きました。橿原神宮は毎年大祓のご案内と共に御幣と形代も送って下さいます。大祓(おおはらえ
かしはらじんぐう橿原神宮おはようございます。ご訪問ありがとうございます。【鎮座地】奈良県橿原市久米町934【御祭神】神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛命【社格等】旧官幣大社、勅祭社、別表神社【創建年】明治23年(1890年)ホームページはこ・ち・ら橿原神宮–橿原神宮の公式ホームページです。橿原神宮は、奈良県橿原市にあり、御祭神として日本の初代天皇・神武天皇(じんむてんのう)と媛蹈鞴五十鈴媛皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)をお祀りしております。ホームページでは
令和4年4月3日、橿原神宮(奈良県)で神武(じんむ)天皇祭が斎行されました。*第一鳥居、高さ9.77m、幅約7.5mご由緒初代天皇である神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るため、明治天皇により1890年(明治23年)に創建。橿原の地は神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされ、明治になり、橿原神宮を創建したいとの声が広がりました。神宮の設計は、数多くの名建築を手がけた伊東忠太です。*東京帝国大学(現・東京大学)名誉教授橿原神宮は明治時代に入り、天皇
新年度おめでとうございます㊗️ごきげんようPassport大森美穂ですそれから、今日は牡羊座新月まさにスタートの日ですさて、女性性の旅①余白『女性性の旅①余白』旅にまつわる色々が濃すぎて書けなかったよごきげんようPassport大森美穂です女性性の旅1日めは京都へ2日めは奈良へ数日前に貴船神社の雨乞の儀式「雨乞と…ameblo.jp②京都『女性性の旅②京都』さて、女性性の旅②雨の京都編ですいよいよ貴船神社ごきげんようPassport大森美穂です①はこちら1月に鞍馬に
春のまほろば大和路。光が眩しい✨ご縁あると教えてもらった倭迹迹日百襲姫、ヒミコのお墓と言われている箸墓古墳、サポートしてもらっている少彦名命と、百襲姫の旦那様だった大物主、大己貴命が祀られている大神神社、魂が繋がっていると教えてもらった媛蹈鞴五十鈴姫(ヒメタタライスズヒメ)が祀られている狭井神社へ、魂の統合の旅。なんと気持ちいいところー!!!✨✨✨狭井神社も病気平癒のご利益の神社と知り、驚いた。くすり道を通って、少彦名命祀られている磐座神社が途中あって。なんか交叉して皆に護られ
27日に益田岩船に行きますごきげんようPassport大森美穂です益田岩船に行く日程をミーナさんと決めて、やりとりをしていた時のことミーナさんがフォローしているチャンネルで益田岩船の話をしていたよご縁を感じるねって送られてきた動画を見ていたら…富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)の話が出てきて、富登というのは女陰のことを表しています…云々ここから女神信仰の話や益田岩船は色んな説があるけど古墳ではないよね❓というお話になっていきますそのお話も興味深いのですが、今回は
率川坐大神御子神社(率川神社)(いさがわにますおおみわみこじんじゃ)大和国添上郡奈良市本子守町18(境内奥にP有り)■延喜式神名帳率川坐大神御子神社三座の比定社[境内社率川阿波神社]率川阿波神社の比定社■旧社格村社■祭神[中本殿]媛蹈鞴五十鈴媛命[右本殿]狭井大神[左本殿]玉櫛姫命[率川阿波神社]事代主神奈良きっての商業地「やすらぎの道」に面して鎮座する社。「ならまち」内では最大、最古の社とされます。大神神社の境外摂社で通称「率川神社」。また「子守
神坐日向神社■表記*天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタノミコト)*久斯比賀多命(「新撰姓氏録」による)*武日方命・櫛御方命・阿田都久志尼命・鴨主命(「系譜三輪高宮家系」による)■概要「先代旧事本紀」に都味歯八重事代主命(ツミハヤエコトシロヌシノミコト)の子とある神。◎都味歯八重事代主命が活玉依姫命の元へ通い生まれた子が以下の通り。*天日方奇日方命*媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)*五十鈴依媛命*天八現津彦命(アメノヤアキツヒコノミコト)◎