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大学1年生の娘。京都で一人暮らしを始めていますが…。やっぱり…色々なことが心配です心配なら…手軽なLINEがあるからやりとりすればいいのですが…娘の自立を促すため…。グッと我慢して遠くから見守ります。どうしても困ったことがあれば…娘から連絡してくるでしょう♪しかし…遠くから見守り続けるのも辛いです
こんにちは😊朝方はちょっと冷えるけど日中は過ごし易いな~♪毎朝早起きして2人分のお弁当の支度はキツイヨ(゜∀`;)💧レビット我が家ではもう古株さんの仲間入りですが去年頃から優しい姿からキリッとした大人顔へと変貌したレビット元々好きな子なのでねー増やしたいけど去年は葉挿しは失敗したし...同期りするのが1番なんだろうけどどうなんだろ自信が無くてさーやった事無い😅こちらの子は最近やっと鉢に植えました💧♪最近までずっと根出ししてましたのよ~ちゃんと根付
北の国に来て12日目。段ボール生活から徐々に文化的な最低限度の生活に辿り着こうとしています。テーブルはまだ段ボールのままですが…最近、頻繁に歯の食いしばりをしていることに気付きました。寝ているときもです。朝、食いしばりで目覚めます。危険信号です!3年前、娘がうつ病になったとき私は歯の食いしばりが酷くなってしまいその後、うつ病になってしまいました。娘のためにと行動しているとどうしてもやり過ぎてしまいます。昭和の人間はダメですね。ついつい頑張りすぎてしまいます
いつもご訪問ありがとうございます読んでくださり感謝です娘が就職のためもうすぐ引っ越します娘の自立は嬉しいですがやっぱりさみしくなってきました娘が産まれて親にならせてもらい親業をさせてもらい、たくさんたくさん経験をさせてもらって私自身が成長することができました。ここ数年は2人でたくさん旅ができて楽しい思い出ができました。先日もバタバタとソウルに行ってきたところです。ソウルグルメ。どれも美味しかったなー。サムギョプサルキムチチゲキンパとおでんトッポッキチーズポールソルロ
2024.2.155歳を前に娘の自立心が芽生えていて、自分で決めたい気持ち、自分で決めた事をやり遂げたい気持ちが益々ついているようです🥰今までの私の頭の使い方から少し変わり、より待つ事が必要になった5歳直前🫡成長がここまで寂しく思うなんて初めての事☺️私の怒りは、娘の成長による寂しさだったと確信😅この記事を書いてる今も大きくなる娘を考えると寂しさが募り、待つだけの作業になった子育て☺️もっともっと離れて行くんだろうなと思うと、赤ちゃんの頃が懐かしいし、ふっと子育てを振り返る余裕ができ
契約直前に心境の変化娘がこれまでの人生で経験したことのない大きな買い物をしようとしている。モノではなく、自分への投資。その金額は、20歳の娘が見たこともない大金である。先日、「ローンは利息が高いから一括で支払いたい。パパ、お金を貸してもらえないかな」と相談を受けた。使途を聞いたところ、悪いことではなかった。むしろ、社会に巣立つ前の準備としては、必要なことなのかもしれない。今月から毎月貯金して、来年末には全額返金することを条件に貸すことにした。ところが、契約直前に考え
私自身が、ここ数年の間で、自分を見つめなおすような事をしまくり、昨年は、自分の大きな変化の年だと感じております。この期間、ウチの母は、私のことが恐かった、と言っていました。言っていることが大きく変わったし、割と容赦ない感じで、母に思っていることをぶつけたり、言い返したり、我慢せずに泣いたり怒ったり。そういう、私の変化が、恐かったんだそうです。私は、そういったことに敏感、というか、そういう周囲の反応を見て、その時の感じを言語化して、ちゃんと説明で
北海道に住みたい!と言って、インターネットで検索しまくり、毎日のように物件を見ていた母ですが、ここに住みたい!!!と言っていた物件は、一歩遅く、既に入居が決まってしまった、とのこと。そこで1回落ち込むんですが(笑)そこから、また色々とみていたのですが、やはり、具体的なイメージが付かない。しかし、いま住んでいる所に比べると、だいぶ家賃も安いので、そんなに不安になることも無く、でも、フワっとしていて、決めかねる。そんな感じが続きます。不動産屋さん
うちの母は、人の目を気にします。気にします、と言いながら、え?そんなことしたの???と、たまにビックリするくらい、大胆な行動をしたりします。どうも、相手の反応が良くないと、自分が言っていることが、オカシイと思われている。と、感じるようなのです。母の、70代で単身移住in北海道。の話を、私の周囲の人にすると、え~!お母さんスゴイね!という反応で、誰も、母のことを変な人だと思わないのですが、え、無謀じゃない?という反応をする人がほとんどだろうから、私っ
𝕎𝕖𝕝𝕔𝕠𝕞𝕖☺︎*.゚好奇心旺盛なアラフィフ女子のブログへようこそ⸜(*॑꒳ˆ*)⋆*☆こちらのページへご訪問ありがとうございます記事を書く前に、この度の地震事故で被災された皆様や御家族にお見舞い申し上げます募金など離れた地域からも応援ꉂꉂ📣そしてこの色で地球全体を包みましょう✨️꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱40代半ばで見えない世界から生まれ変わったように生き直して!!制限なくもっと自由に生きていい!!とスピリチュアルなサインをキャッチした私
娘が短期海外留学で知り合った友達と遊びに行きました。友達との時間はとっても楽しかったようで帰宅後、鼻歌が止まりません。高校中退後、パートナーも私も自宅での仕事なので一緒にいる時間が増えた娘。時間が一緒であればあるほど、娘にとっては私の言動が気になるようで。。。思春期であり反抗期?である年齢、そして私とは同性。パートナーと娘はとっても上手くいっています。娘はパートナーに甘えまくっています。それはとっても有難い。私自身、不登校時代に母にかなり強くあたった経験があるので出来
明けましておめでとうございます。本年も、不器用親子のブログを、何卒宜しくお願い致します。さて。皆様、平和なお正月をお過ごしでしたでしょうか?当家はですね、1日だけ家族で集まる、というのが、ここ数年の恒例となっており、子供達は、その日だけ集合する感じになっています。年末に購入した菓子折りを持って、実家へフラフラ~っと行くと、母が微妙な顔つきで出迎えます。家の中も異様に静かで、「まだ誰も来てないんだ?」となります。それにしても、静か。家の中に入る
娘、なんて言っても、立派な更年期世代で、、(笑)更年期と風邪と仕事のピークとなんか色々押し寄せてしまい、いまだに荒波の中におりますー。結婚していたり子供がいたり親の介護をしていたりそんな中で、この時代を迎える人達は、本当に凄いと思います。。自分のことすら、なんか、ままならない。。しかし、これもまた、自分が選んだ道なんですよね。私は一人で過ごす時間で、自分を保っている部分があるので、やはり、結婚や子育て、親と暮らす、というの
中学校や高校、大人になってから出会った友達の話を聞いていると、ウチの小学校って、ちょっと特殊だったんだな、と改めて感じます。越境組や中学受験が多く、地元の公立中学には、クラスの中で数人しか行かないため、公立中学校では、ウチの小学校出身者は、なかなか肩身が狭かったそうです。越境組が多いと、学校が終わってから遊ぶ、ということが難しくて、今思うと、地元の友達って、本当にいなかったなーと。私も中学受験をしたので、小学校のお友達とは、本当に縁が無くなって
自分で言うのも変かもですが、私は、あまり物怖じしない子で、自由人な空気を、醸し出していたと思います。大人と喋るのも好きだったし、決められたことより、面白そうなことに、引っ張られる子供だったと思います。そんな感じの態度が、周囲の大人からは、【変な子供】扱いされていたよーで、直接、母親に、そういったことを言う、ママ友もいたんだそうです。たまたまなのか、お土地柄なのか、ちょっと、イイお家の方が多かったのもあったみたいで、田舎から出てきた母親は、この時期が、いっ
ちょいと悪ものになりがちな、父の話を入れたいと思います。父の家は、祖母、曾祖母ともに、婿養子をもらい、曾祖母の代で、地方から東京に出てきたと記憶しています。戦争で焼け野原だった東京に、土地を買って出てきたと聞いており、曾祖母は世が世なら、お姫様だった、という家の出身と聞いています。なかなか、女性が強い家だったようで、それは、祖母や曾祖母を見ても、叔母を見ても分かります(笑)私は、祖母や叔母たちの、言葉のきつさが、本当に苦手でした。叔父も言葉遣いが
70代の母が、「函館で一人暮らしをしたい!」となった時、私は、自分の友達や仕事関係の方に、その話をしたんですね。情報が集まりやすい、というのとか、引き寄せの法則とか、そんなのが目的だったんですが、なにより、人間は、いくつになっても、何でも出来るんだ、ということを、いろんな人の頭の隅に、残したかった。というのがあります。なにかしようって思った時に、でも、今更、、こんな年だし、、なんて思わないで、とりゃー!!!って挑戦したらいいし
前回の投稿で、父は、母を馬鹿にしているのか。という話を書きましたが、結構、そういう話を聞くし、自分自身も、父や弟、他人の男性に対して、「あ?馬鹿にしてんのか?」って思うことも多かったです。男尊女卑、なんて言葉があるんだから、そんな風に感じることが多くて、当たり前な世界なんでしょうが。昔々、働いていたところで。社長から、「どうせ結婚したら仕事辞めるのに、なんでそんなに頑張るの?」と、言われたことがあります。時代を感じますね~。「結婚しても、仕
北海道旅行編、思いのほか長くなってしまい。準備編で一旦お休み。まあ、旅行に行くだけでも、感情の揺さぶりがすごいんですよね。それだけ、小さな世界で生きてきたんだな、と感じます。これも、最近思う事なのですが、「家族ってこうあるべきだ」みたいな理想が、父親の中に、強烈にあったのかなーと。もしくは、「こうでなきゃ、いけないんだ。」という理想があって、それから逸脱するものに対して、結構な拒否感があって、排除しまくっていたんだな、と。家族でテレビを観ていても、
北海道旅行の準備のために集まったのに、母親のタブレットの使い方講座になってしまい、本来の話が始まる前に、私はグッタリしてしまいます。ここで強く感じていたのが、妹と、私に対する、態度の差。妹は、母が言う事に対して、正面から受け止めず、サラリと流すことが出来ます。返事しなかったりすることもあるんですが、それに対して、母も、文句を言う時もありますが、スルーすることが多く、それを見て、私は愕然とします。私は、全て受け止めてしまい全部に返事をしてしまい、意見
旅行が決まり、それぞれで行きたいところをピックアップして、それから、どうするか相談しよう。となります。妹も仕事の休みを取れて、私も仕事を調整し、3泊4日の旅行と決まりました。1泊を小樽で。2泊を函館で。ホテルや飛行機の手配は私。ここで私が思っていたことは、妹はどうせ、「なんでもいい」って言うだろうな。母が盛り上がって、あれやこれやと希望を言うだろうな。そういうの、調整するの、私だろうな。私は、とりあえず、無事に旅行が終われば、それでいいや。
北海道へ旅行に行くぞ、と決まった時、ゴルカム展は函館なので、函館だけ行けばいい、と私は思っていました。2泊3日位で、3人別々の部屋で。あまり一緒にいると、喧嘩になりそうで、怖かったのです。だから、母が、3人一緒の部屋がいい、と言った時、ものすっごい不快感と、不安に襲われたのです。絶対、いやだ!となりますが、そんなことを母には言えず、どうしたらいいんだろう、、と本気で悩んでいました。この時点で、妹は、まだ詳しい話に加わっていなかったし、妹も、あ
私の話ばっかりになってきてしまったので、ここで、一旦、そもそものお話に戻ります。我が家は、旅行というと、母の実家に行ったり、子供の頃の家族旅行、くらいで、父が車が好きだったこともあり、ほとんど車移動でした。なので、電車に乗って、飛行機に乗って、という経験が、あまりありませんでした。で、家族旅行に行っても、常に父親の機嫌が悪くならないように、ビクビクと過ごしていたし、調子に乗って、なんかやらかすと、父親に怒鳴られるというのが、いつものパターンでした。
澤村あんなさんのライフコーチングに始まり、ここから、様々な方のセッションを受けていきます。自分自身でも、よく、こんなに、ぴったりと、色んな人に出会うなあ、、と驚くタイミングの良さ、と思っていましたが、結局は、その時の自分が選び取っているだけで、そうでない場合、見えていても、見えていない、という状態なんだと、後から気が付きます。だから、いつも、自分の中身に忠実であるよう、整えておかないとなー、と、強く思います。時系列がぐちゃぐちゃですが、現状で、最
何を見て、最初にHSPを知ったかは忘れてしまったのですが、HSPという単語を知った時は、そんなに意識していなかったのですが、書店をフラフラしている時に見つけた本を読んで、「あー、私、これだわ。」と思ったのでした。Amazon.co.jp:【HSPチェックリスト付き】鈍感な世界に生きる敏感な人たち(心理療法士イルセ・サンのセラピー・シリーズ)eBook:イルセ・サン,枇谷玲子:KindleストアAmazon.co.jp:【HSPチェックリスト付き】鈍感な世界に生き
母をお題にブログを始めているのに、自分の話が続き、恐縮ですが。。私自身が変わっていくことで、母は勿論、父のトラウマにも気がついたり、意識したり、私達は、みんないろんなものを抱えていきているんだ、そんな風に思えて、だけど、それを人のせいにしていては何も変わらないし、先に進まない、そんな風に思うようになってきて、自分と親を、別のものとして考えられるようになってきたのです。それまでは、私は1日たりとも、父と母のことを考えない日は無かったのです。
神様って、なんで、こんな過酷な家に、私を産まれさせたんかしら。そんな風に思う位、ちょっとハードな家でした。これも、おいおい、書いてはいきますが、、思い出しながらの、思い付き投稿なので、時系列がぐちゃぐちゃなのは、ご容赦ください(;^ω^)でも、母親から、不妊治療をして、結婚4年目で、ようやく授かった大事な子なんだよ。と、聞かされていたので、ああ、愛されてはいるんだな、となんか、変ですよね(笑)愛されているんだよ、と言われない
母の自立を目にして、「おお、ついに、ここまで来たんか。」そんな風に思ったのが正直なところでした。何故かというと、私自身が、数年前から「私も幸せになるんだ。」という想いをもって、自分改革に本格的に乗り出していたからです。私は、会社員として働いた事が無く、ずーっとアルバイトや業務委託で仕事をしていて、独立してからも、アルバイトを掛け持ちしながら、なんとか暮らしている状態でした。金銭的にも私生活でも、仕事でも、不安や恐怖が、常に体中を支配しているような
秋から冬へ季節の変わり目に、テレビの天気予報の中継を見て、「懐古園の紅葉が見たい。」70代の母が言ったので、じゃあ行こうか、と、新幹線に乗って行ってきました。ちなみに、母は天気予報士の依田さんが好きです。新幹線の中で、「重い話があるのよ~。」と言い出したので、重いんか~と思いながら聞いていると、、「お父さんにね、離婚とかはしなくてもいいけど、お父さんと2人では暮らせない。」って、言ったのよー。「え?言ったの?」「言ったわよ~。」
𝕎𝕖𝕝𝕔𝕠𝕞𝕖☺︎*.゚好奇心旺盛なアラフィフ女子のブログへようこそ⸜(*॑꒳ˆ*)⋆*☆こちらのページへご訪問ありがとうございます40代半ばでスピリチュアルなサインをキャッチした私そして様々な事に気づいた私は本来の自分自身を取り戻す為にサインの意味を読み取って日々、色々な検証を続けています私は今までの半生で夫や子供、家族のことを全て引き受けて生活してきました昨年の冬、偶然人から聞かされたお話の中に我が家にも関係があるなと意味がある事を感じて娘の自