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朝から僕は放心状態で何もできてない。Pola-Bの効果があまり見られないここ数日、LDHは下げ止まり、あとは反転して上昇の不安が残るのみ。なにもできない…毎朝採取され午後には結果が出る血液検査、これの結果が怖い。反転していたらもう終わり…先ほどまで何とか妻と会話してたけどなんか途絶えた。先生が来て血液検査の結果で悪いニュースでも聞いたんだろうかと想像している僕。。。。もうなんか色々と嫌になってきたよ
妻からおはようのメッセージが来た。夜も病院からの変な連絡とかもなく朝を迎えれた。ひとまず夜を越せてよかった。たったそれだけのことだけど嬉しい(´Д`)僕の奥さん、昨日は体を起こして見舞いに来てくれた人たちといっぱいお話しした、それもあって疲れたんだろう、あとフェンタニルの影響もあるのでぐっすり寝たようだ。なので比較的すっきりしている模様。フェンタニルは強力な鎮痛剤、モルヒネより100倍とかの威力がある。そんなのがアメリカのストリートで出回ってるのでアメリカでは大問題のやつ。まだ早朝なの
妻が亡くなってから、ずっと自問自答してる事が有ります21年前に初めて乳癌になって左乳房を全摘妻は温存も考えていたけど、僕が「長生きするなら全摘しよう」といった17年間、再発も転移もなく過ごして、二人とも安心してました5年生存率…遥かに越えたねと喜んでいた再発(転移?)したのは青天の霹靂でした手術して、「これで、また長生きしようね」と話してました2年間は、腫瘍マーカーも上がらず体調も良くて順調でした2019年11月肩と首の辺りが腫れてると妻が言うので、すぐに病院に行った2週間後
朝の放射線科診療後、1時間ほど待ってから産婦人科の主治医の診察となりました。実はこの日の診察室に入った直後の診察内容については、表題の件があまりにショックでよく覚えていません。いつもどおりオキシコドンやサインバルタ、リリカの効き目を報告したこと放射線科での診療時に撮影したレントゲン写真が提示され、妻の肺の1/3ほどが真っ白になっていたこと肺の白い部分は水が溜まっていることが原因であること覚えているのはそれくらいです。それ以外はまったく覚えておらず、次に覚えているのは私だけ診察室の外で
2020年9月24日は、9時から腸腰筋の癌疼痛を緩和するための放射線科、11時から医療用麻薬の効果を報告するための産婦人科というハードなスケジュールでした。サインバルタとリリカを服用すると意思疎通が難しくなるため、この日の朝はサインバルタとリリカの服用はやめ、オキシコドンとオキノームのみ服用することにしました。この頃の妻はすでに立ち上がるのもギリギリの状態で、しかも前日の3日間は夜も眠れない状態でしたが、何とか出かける準備をし、タクシーでいつもの総合病院に向かいました。放射線科はたいていの
妻の癌疼痛はサインバルタとリリカによって緩和することができましたが、息苦しさは解消できない状態でした。そこで息苦しさを少しでも解消しようと妻が思いついたのが、頭の位置を高くすることでした。ただ、リクライニングベッドではないので、病院のベッドのように自在に高さを調整することはできません。そのため、頭の位置に座布団や余っている枕、毛布などを重ねて、息苦しくない高さになるように調整しました。高さを調整した直後は結構楽になったようで、9/18の夜はそれなりに眠れたようでした。しかし、翌日になると
丸山ワクチンの接種が始まった5月下旬頃は、内科へも総合病院へも歩きや電車、バスで行くことができました。しかし、時間の経過とともに癌の憎悪、特に肺転移による息苦しさがひどくなり、7月頃には徒歩で5分ほどの内科に行くのもかなり疲弊するようになりました。妻はもともと暑さが苦手でしたが、本格的な夏を迎えると歩くだけでも相当体力を消耗してしまうことが分かりきっていたため、8月初めに市の社会福祉協議会に車椅子を借りることにしました。最初に電話で問い合わせると、空いている車椅子があるとのことだっ
金曜日は気温が高くて、天気も晴れ、ということで仕事をさぼって花見にでかけました。※忙しいときは無理ですが、気が向かないときはさぼれるのがフリーランスの醍醐味です■総合病院の途中にある公園総合病院はバスで向かうのですが、その途中に道路わきの桜が見事な公園があります。去年の3月後半、まだ割と長距離を歩くことができた妻と診察帰りに見にいこうと話していましたが、その日肺への転移がわかり、とてもそのような気分になれず、結局妻と一緒に見ることができませんでした。今年は、一人ではありますが、
前回の記事で翌日「治験承諾書」の記入依頼のために、妻と一緒に内科を訪問したと書きましたが、改めて妻のブログを確認したところ、どうやら私の記憶違いだったようです。「治験承諾書」は依頼したその日に書いていただき、主治医による「治験登録書」もそろったところで、必要書類とワクチン代を日本医科大学に郵送することができました。その後1週間ほどで丸山ワクチンが届き、接種が始まりました。なので、丸山ワクチンの接種1回目が妻と治験担当医の初対面となります。さて、丸山ワクチンの接種を引き受けてくださ
先日書店に平積みされているある文庫本が目に留まりました。それがこの本。私は元々小説しか読まないので、これまでなら素通りしていたと思います。しかし、やはり妻の闘病があったからでしょう。何となく気になって手に取り、目次とまえがきに目を通してから購入しました。購入の決め手は「第8章悲嘆(グリーフ)の中にある人たちのサポート」という章だったのですが、読み終わったあとで印象に残ったのはそこではなく、自分が緩和ケアに対してどれだけ固定観念に縛られていたかということでした。私だけではな
突然ですが、私は料理がとても苦手です妻ががんを発症してからは多少手際がよくなりましたが、味噌汁をレシピを見なくても作れるようになったブロッコリーの房を切ってゆでられるようになったレシピ通りではなく、余りものの野菜を追加できるようになったなど、できるようになったことが驚くほど低レベルですなので当然、息子も私が料理が苦手なことはわかっています。基本的にはクックパッドで私でも作れそうなメニューを調べて、そのレシピ通りに作るわけですが、レシピ通りに作ると味が濃かったり、薄かっ
丸山ワクチンは1日おきまたは週3回の接種が必要です。主治医のいる総合病院へ週3日通うのは現実的に無理なので(そもそも主治医は週に1日しか総合病院にいない)、必然的に近所の内科に依頼することになります。ただ、多摩地区とはいえ一応ここは東京、調べてみると近所に内科医はたくさん存在しました。そこで妻が各内科の自宅からの距離や診療方針などを調べて検討し、とりあえず3件ピックアップして優先順位を付けました。そしてその優先順位に従って、内科に直談判(?)するのが私の役割となりました。電話でもよいの
妻の闘病中は、仕事の都合で一緒に行くことができず、一人で病院に行ってもらったことが何回かありましたが、基本的には私も同行していました。そして内診のときは席を外しましたが、それ以外は妻と一緒に主治医の診察を受けるのがいつものパターンでした。そんな闘病生活の中、5月か6月頃だったと記憶していますが、内診のためにいったん席を外して待合室にいるときに、看護師から「ご主人に先生からお話がある」と伝えられました。まずこのときに思ったのは「絶対に良い話ではない」ということ。良い話であれば、当然妻も同
昨日は一日中雨だった今日は朝からいい天気地元新聞では、鳥取城の中の御門表門(大手門)が完成したという事で散歩がてら出掛けてみた。途中の河川土手の菜の花。かなり、咲きだした。そして鳥取城跡へ、お濠には昨年、擬宝珠橋(手前)が完成して少しずつ城跡の復元が進んできている。中の御門表門(大手門)が完成鳥取藩にだけ許された徳川家“葵紋”が入った瓦。門の内側。場内の公園散歩していると何やら不思議なものを発見分かるかな~(ヒントは右の松だよ
私はスマホのYouTubeやSpotifyで音楽をかけながら家事をします。それは妻の闘病中も同じで、洗濯物を干すとき、たたむとき、料理をするとき…、妻が寝ているとき以外は音楽をかけていました。普段はどんな曲がかかっていても何も言わない妻でしたが、スピッツの『魔法のコトバ』がかかったとき、めずらしく話しかけてきました。妻「この曲泣けるね」私「うん、ええ曲やな」多分これがきっかけになったのだと思いますが、『魔法のコトバ』については妻がブログに記載しています。『涙腺を刺激する曲
アドリアマイシンによる抗癌剤治療が始まった頃、妻から丸山ワクチンの話が出ました。私は怪しげな民間療法をやるつもりはないけど、丸山ワクチンは試してみてもいいかなと思ってる。でも、私は自分が病気だから、冷静な判断ができなくなっている可能性がある。だから、あなたにもちょっと調べてもらって、やる価値があるかどうか客観的な判断をしてほしい。だいたい、このような趣旨の話でした。何というか、不安と恐怖でいっぱいの中での、この冷静な判断。このときも妻の強さに感嘆したのを覚えています。さ
妻が亡くなってから5か月以上が経過しましたが、これまで妻が夢に出てきてくれたのはたったの2回。ま、これは妻が悪いのではなく、私が悪いのですが…1回目は四十九日の法要が終わった頃。そして昨夜久しぶりに妻が夢に出てきました。でも、夢の中でも闘病中で…。せめて夢の中では元気な姿でいさせてあげたいので、次は頑張りたいと思います(頑張ってもしょうがないのですが)。ちなみに四十九日の法要後に妻の夢を見たとき、息子も妻の夢を見ていたそうです。夢の中身こそ違うものの、同じ夜に二人とも妻
息子は現在大学1年生ですが、今日成績発表がありました。結果はすべての単位を取得、希望の学科に進めることが決定したそうです。息子は試験結果発表や成績発表の前日は結果が心配になるらしく、息子:「不安だー」私:「今更心配してもしゃーないやろ」息子:「分かってるんだけどさ」というやり取りが1日に複数回行われます。基本的にネガティブ思考です。このあたりは妻の気質を思いっきり受け継いでいます※私は基本的にポジティブ思考です。だいたいいつも杞憂に終わりますが、今回も杞憂に終わったようです
子宮体癌で使える抗癌剤は非常に少なく、アドリアマイシンが効かないと非常に厳しいということは妻から言われていました。また、アドリアマイシンは6回しか使用できません。アドリアマイシンの後にTC療法を試してみるという手があるというものの、アドリアマイシンが効くことを心から願いました。アドリアマイシンは、DP療法と比較すると、いろいろな面で負担は少なかったと思っています。■副作用副作用はDP療法に比べると、かなり軽かったと思います。特に大きいのが「吐き気」がほとんどなかったこと。ア
前回に続き、今回は看病におけるフリーランスのデメリットを考えたいと思います。デメリット①看病に割ける時間が少ない(余裕がない)会社勤めであれば、介護休暇や介護休業を利用して、看病に多くの時間を割くことができると思います。しかし、フリーランスの場合、休めばお金が入ってきません。そのため、家族が闘病中でも仕事の比重が高くなってしまいます。私の場合、とにかく仕事と家事に追われていたので、妻から何か頼まれたとき、咳込んだとき、薬を飲むとき、ご飯を食べるときなど、何かないと妻の枕元にいくことは
私は息子が1歳のときにフリーランスとなり、以来18年フリーランスとして自宅で仕事をしています。近年ネットが普及し、フリーランスで働く人は増えているとはいうものの、やはり会社員として頑張っている方が大半だと思います。なのであまり参考にならないかもしれませんが、家族が病気になった場合、フリーランスであることのメリットとデメリットは何かを改めて考えてみました。※「仕事とプライベートの時間を自由に割り振れる」「収入が不安定」など、一般的なフリーランスのメリット・デメリットは無視します。ま
先日ふと「伴侶と死別した場合、結婚指輪はどうするのが一般的なのか?」と疑問に思い、ネットで調べてみました。結論としては個人の自由で、特に一般的な基準はないようです。相手の死を受け入れることができたら外す、自分が死ぬまではめ続ける、別のアクセサリーに形を変える…。その人の人生観や価値観によって、また生前指輪をはめていたかはめたいなかったかによって、いろいろな対応があるようです。我が家の場合、私は結婚指輪をずっとはめていて、妻は結婚指輪を外したままでした。妻が結婚指輪をはめていなか