ブログ記事65件
ぐりです☆この本を読むきっかけは、ご自由に持っていってくださいの本棚にあったからです(^^)タイトルが気になったのと、表紙が緑一色というのもあり、緑色が好きな私はそそられました♪盛田隆二さんという作家さんで、初めて知りました。読み終わってから知ったのですが、テーマ競作されたもののようで、死に様というテーマで6人の作家さんが書いた小説の1つのようです。内容は、75歳の男性が主人公で、妻に先立たれ、息子一家と同居していますが、家にばかりいるため、息子の妻にすすめられ、絵画同好会に通うこと
いつもお読みいただきありがとうございます😊夫がモンハンナウ再開‼️一緒に夜散歩お月様綺麗です今現在、一人暮らしの方は、ご自分の家の管理から、家事、ゴミ出し、買い物などすべてご自身でされていると思います。ときには、家事代行サービスを利用されることもあると思いますが、基本、一人で何でもされていると思います。私も一人暮らしのときは自分のことは自分でやっていたわけですし、夫もそのはずです。ところが、2人で暮らすようになると、なぜだか、”なんで自分ばかり家のことをしてるんだ、
淡明細胞がんの中に紡錘細胞がんが合併(混じった)してしまった…くつです。紡錘細胞がんとは(肉腫様がん)通常、他の腎細胞がんに合併します。頻度は非常に少なく、最も予後不良とされています。亡くなった妻に私がしてやれること。。してやれることかなぁ?夫婦で一緒に育ててる?うん。そうやね。私は、、生きてるのか死んでいるのかわからないぐらいの日常を過ごしてますが、、、昨年11月頃かなぁ?妻が好きだった花チューリップの球根(ホームセンターで買って)を植え花が咲くまでの期間は何とな
去年の春に友人が亡くなり、早一年が過ぎました。コロナ禍のため、お別れも言えず、心ばかりのお花を友人のご主人に送りした。すると、友人のご主人様から思いがけずお声かけいただき、彼女の家を初めて訪問しました。自分がいなければ何もしないと察した友人は、闘病中にご主人のためにリフォームしたくらいご主人思い❤️大好きなカエルやスヌーピーのぬいぐるみたちが並べられ、まるで彼女がいるみたいに美しい部屋。
葬式が終わってからも父からの電話は続く弟のぼやきライン(父から責められまくりらしい)どうして11月には話も出来たのにスカビちゃんのコンサートも一緒に聞いたのに、おかしいじゃないかと父弟の葬式の挨拶でも12月の中旬にあった忘年会でお寿司を食べたとか2018年の9月に施設に尋ねて来た母の弟は、元気に対応してくれた母を見ている。そういう私だって12月の30日に介助ありではあるが、トイレに行っている母を見掛けた。母が施設に入ってから、幾度となく高齢者の最期の期間を
今日は昼間と夜の2回ジムに行き昼間はZUMBA、夜はZUMBAstrongのレッスンに参加しました。定休日の金曜日を除き月曜日から毎日ジムに行きましたね〜我ながらよくやった、ずっと行って無かったからね。少しずつ体力も戻していかないとね。昼と夜のレッスンの合間に母から連絡があり今日もランチを一緒にしました、長年行きつけの喫茶店で。何ヶ月かぶりに行きました、毎年クリスマスイブに妻と結婚記念日のお祝いしていた喫茶店。久々に行ったらマスターが「少し立ち直りましたか?」と声をかけて頂き「まだま
仕事ネタはコンプライアンス的に…とかいいながら心の中に留めておくにはなんだか…いつもいつも夫婦でご来店のお客様仲良くご来店なんだけどいろいろ手続きするのは奥様で、ご主人は座って待っているだけ。「オレはアッシーくんだからさ」と。70代くらいかな。それがご主人お一人で来るようになりました。「女房が入院中なんだよ。しばらくかかりそうだからよろしくね」と話されたのは2ヶ月前。「毎月毎月、面倒くさいもんだな。アンタがいないと何にもできないからまた教えてな」と月々の支払いや引出しや通
皆さまごきげんよう磐田市でお年寄りなどの訪問理美容やウイッグや個室のある美容室をしているハミングステーションですテレビにノムさんが本を出版するとの事で出ていました。タイトルは「ありがとうを言えなくて」奥さんのサッチーさんに向けての本のようです。昭和の男性はなかなか言葉で感謝を伝えられないようですが、是非生きてるうちに感謝は伝えて下さいね命には限りがあるんですよ看護師時代い~~~~っぱい見て来てるんですから私も感謝はいっぱい伝えていこうと思います
寒い、めちゃくちゃ寒い。今年は暖冬というが、やっぱり寒い今シーズンは亡くなった妻が編んでくれたマフラーを使っている。吹っ切れたわけでも忘れたわけでもない。受け入れることが出来るようになったのだ。体の中に、心の中に、ボクの細胞のひとつひとつの中に一成分として成すようになったのだ。ボクの歴史を語る上でなくてはならないものになったのだ。今月の花です
告別式という名のお別れの会が朝も早々からあった。昨晩帰って、まだ何時間かしかたっていない道をまたたどる。お葬式は泣いていい席なのだけど、泣けないんだよね。わたし・・。喉元までぐっとくるのだけど、真っ赤に泣きはらすってことはないような気がする。それは「この子がいなくなったら生きていけない!」という愛犬を荼毘にふすときも、1人で愛うさを荼毘に伏したときも。年始に友人の葬儀で友人代表の弔辞を述べるときも・・・。悲しくないわけではないのだけど・・。そして、今日は仲の悪い妹たちもきてい
月命日の3日前からの4日間は毎月、仏壇に花を供えたいと思うあの時から3年が経とうとしている今月はシャクヤクの花だ何を思うだろう
おはようございます、こうです。こちらは、『kooの北海道中思い出旅日記』です。亡き妻との思い出、日々の出来事、ポエムなどを紹介しているブログです。みなさんの『いいね』や『コメント』のおかげで、悲しい気持ちから立ち直りつつあります。一日一日が闘いの中で、少しでも前を向いて歩んでいきたいと思っております。これからもどうぞ宜しくお願い致します。さて、早くもG.Wも後半に入ってしまいましたね。私は、今日まで仕事が入っていましたが、
おはようございます、こうです。こちらは、『kooの北海道中思い出旅日記』です。亡き妻との思い出、日々の出来事、ポエムなどを紹介しているブログです。みなさんの『いいね』や『コメント』のおかげで、悲しい気持ちから立ち直りつつあります。一日一日が闘いの中で、少しでも前を向いて歩んでいきたいと思っております。これからもどうぞ宜しくお願い致します。さて、今回は、映画の話をします。さきほどまで、こちらの
こんばんは、こうです。こちらは、『kooの北海道中思い出旅日記』です。亡き妻との思い出、日々の出来事、ポエムなどを紹介しているブログです。みなさんの『いいね』や『コメント』のおかげで、悲しい気持ちから立ち直りつつあります。一日一日が闘いの中で、少しでも前を向いて歩んでいきたいと思っております。これからもどうぞ宜しくお願い致します。**今回は、興味のない方は、スルーでお願いします。**さて、最近は、私に起こっている症状につい
こんばんは、こうです。こちらは、『kooの北海道中思い出旅日記』です。亡き妻との思い出、日々の出来事、ポエムなどを紹介しているブログです。みなさんの『いいね』や『コメント』のおかげで、悲しい気持ちから立ち直りつつあります。一日一日が闘いの中で、少しでも前を向いて歩んでいきたいと思っております。これからもどうぞ宜しくお願い致します。**今回は、興味のない方は、スルーでお願いします。**さて、数日前に病院での茶話会の話をしました。
こんなタイトルを見たら「もしかしてミナさん、俺のこと書いた?」とかドキッとする読者もおられるのかもしれない。でも、違うんです。その妻を看取ったあの人ももう寿命を全うされた。何年も前に。その方は80歳代を超えていましたが妻を看取ってから2年くらいたったある朝、ベッドで冷たくなってしまって見つかった。私には妻がいた時の素晴らしい時間を、どんなに素敵な毎日だったかをいつも話してくれていた。そして、今がなんとつまらなく生きがいのない毎日で、妻が恋しいといつも話してくれていた。しょんぼり
ブログからもすっかりとご無沙汰してしまいました。本編「死別父子家庭20年の自叙伝」を書き上げてから一年、今でも1日に300人ほどの方が読んでいただいているようで、嬉しい限りです。4月になり、娘たちがさらに新しい道に進みだします。私たち家族にとっては大きな区切りとなる日。長女は、妻の母校である地元の高校の英語教師を3月づけで退職。次女は、私と妻の出会いの中学の児童支援をやはり3月づけで退職しました。二人ともまだ若く、生徒や同僚たちの人気や信頼
快晴の中、妻の二十回目の命日を、私も娘達も無事に迎えることができました。「守られている?」と感じたこともしばしばです。5歳と3歳だった娘達、次女は私と妻の出会った母校の中学で支援員として、長女は妻の母校の高校で英語教員として働いています。そして私自身、会社を辞め、独立し14年目を迎えようとしています。当時の私達を知っている人達も時間の長さを感じるでしょうね。私はどんどん年老いていき、54歳の年になっています。当時34歳だった妻の写真を見ると、さすがに歳のギャップを
11月になりました。久しぶりの投稿、ご無沙汰しておりました。妻がくも膜下出血で倒れたのは1997年11月28日。命日は12月11日、間も無く丸々20年になります。この20年、よく言えば「子育てと仕事の両立」をしてきました。娘たちは25歳と23歳、二人ともそれぞれ高校と中学の教員になりました。反面、娘たちが嫁に行ってしまったら、私はひとりぼっちになってしまう。私の親は、父は5年前に他界。母は現在要介護2で、私も介護に手を取られるようになってき
いつも読んでいただきありがとうございます。整体の考えを基にしてカラダのことを書いています。今回は最近奥さんに先立たれた頭痛と五十肩に悩む方でした。合わせて不眠気味で眠っても直ぐに目が覚めてしまい、疲れがとれないとのことです。この方の体の特徴はとにかく全体が硬直していて体のどこにも緩みがないことです。なぜこのような体になってしまったかというと、心理的なショックが原因と考えられます。心理的なショックは物理的な打撲と同じように
巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふるかくも心ににじみ入るこの悲しみは何やらん?(ヴェルレーヌ(堀口大学))本当は今日、お墓参りに行く予定だった。台風のために予定を変更した。夢を見た。妻と喧嘩をする夢だ。妻が勝手にボクの本や何かを片付けたり、捨ててしまったり、そんなことで喧嘩をする夢だ。実際にはそんな経験はない。似た経験を繋ぎあわせて出来た、そんな夢だ。亡くなる前、言葉には出さなかったけど悩んでいたのかもしれない、そう考えると、もっと喧嘩
海老蔵さんが、志賀高原で行われた植樹プロジェクト「ABMORI2017」に参加し、乳がん患者を救うための基金設立を目指すことを明らかにしました。配偶者と死別し、悲しく辛い中でも、感謝の心を持つことができた人は、様々なかたちで社会貢献を行うことが多いようです。私もいくつかの被災地支援活動を行なってきましたが、それは感謝の気持ち、恩返しの気持ちに他ありません。相変わらずその活動に、様々な意見をお持ちの方も多いようですが、今、彼は人を裏切る心を持てる状況では
普通の時は大丈夫なんです。キツい時、厳しい時に寄り添ってくれる人がいたら、どんなにか楽か。死別してから時間が経つと、妻の存在の大きさがよくわかります。子供にとって、だけではなく、自分にとっての存在の大きさが。ランキングに参加しています。よろしくお願いいたします。ノンフィクションランキング
海老蔵さん、麻央さんのブログ『KOKORO.』の英訳を世界に届ける活動を始めたようですね。素晴らしいですね。世界中に乳がん患者はいるわけですから。しかしあまりご無理をしないようにしていただきたいです。わかります。何かしなくてはと、なんとなく追い込まれているような気持ちになるものです。家族の一人がいなくなると、その穴を埋めるため、周りの家族にも負担がかかってきます。これは私の場合ですが、妻を亡くした3年後、私の母が転落事故のため、脊椎の圧迫骨
海老蔵さんが更新したブログで「胸がしめつけられ目覚め胸を抑えると大きな大きな穴が空いている言葉に文字に出来ない喪失感、あの日から涙のでない日がないです、、」と書いています。妻の死から1週間ほど経った時、私はどうだっただろう。20年前のことなので、記憶はとても薄くて、さらに辛い記憶を消そうとする脳の働きもあって、いまいちはっきりとしたことが思い出せない。ただ、、、仕事することで、その時間だけでも気が紛れるようなことをしていたかと思います。葬儀の翌日も
海老蔵さんの今を、ブログやマスコミの情報を聴きながら、20年前の自分を思いだしています。共通点があるからでしょうね、有名人ということ以外は。34歳で旅立ったこと。幼い子供が二人残されたこと。恥ずかしいけど、病により、愛を途中で断ち切られたこと。死別父子家庭で辛いのは、辛くてお酒でも呑んで・・ができません。子供を残して遊びに行くことはできない。(妻に申し訳ないから)子供に何かあった時、突差に対応しなければならないという感覚があり、(妻から大切なも
いま、死別のいわゆるのコミュニティは、ブログでもFBでもmixiでも、海老蔵さんと麻央さん、そしてお姉さんの小林麻耶さんの衝撃が大きく、私たち死別者の心も大きく揺さぶられています。最後の「愛して...たぶん『る』」という満ち足りた言葉は、狂おしいほどに死別者の心に響いています。それは死別した人の多くが、愛を途中で奪われてしまっているからです。続いていくはずのものが、なんらかの理由で奪われた悲しさを背負っています。ブログを頻繁に更新している海老蔵さ
いらっしゃいませ!ここは、妄想占い館です。有り得ないクライアント様が、有り得ない相談にいらっしゃる占い館です。占い自体は、真面目なものです。数秘術、マヤ暦は、生年月日を使います。生まれたその日から「運命」は動き出します。生まれてきた日には意味があるのです。ようこそお運びくださいました。本日のクライアント様は時代劇やミュージカル等で幅広くご活躍のマツケン様です。愛知県豊橋市ご出身なんですね。愛知県観光大使の広告では、お城と合体していて話題になってますよ。暴れん坊将軍の白馬で
「どんな奥さん?僕を変えた奥さんじゃないですか?」海老蔵さんの記者会見で述べた言葉です。海老蔵さん、相当やんちゃな人だったから特にそう思っていると思います。一生懸命に生きて亡くなった妻を、私も同じように感じています。天に召された妻を神格化していることは、たぶんにあります。妻と結婚してなかったら、自分はどれだけダメな人間になっていただろう。いつも妻に見られている気がする。霊とか存在を感じるわけではなく、自分の心が「見られているぞ、しっかりしろ!」と、い