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昨夜(3/17)放送されたNHKスペシャル「古代史ミステリー第1集邪馬台国と卑弥呼の謎」。邪馬台国関連をテーマにしたNHKの過去の番組から考えて多分近畿説が中心になるだろうとは予想してたけど、それにしても『三国志魏志倭人伝』の記述をここまで無視するのかぁっ・・て感じ番組終了後、勉強会の参加者から「生野先生が生きておられたら激怒ですね」ってメールが届きました。「全く同感です」「倭人伝」には卑弥呼はほとんど人と会わず弟が補助していたと書かれているのに、シシドカフカさん演じる「卑弥
今日わ20年12月に身近の存在を失いました。突然の事で苦しかったです。魂に麻酔を打たれた様でした。現場に向う道中で車内のラジオから流れてきた曲に救われます。顔を上げなさい!立ちなさい!未だ守る人がいるだろう!と響きました。ラジオは偶然じゃないですよね?感謝します。余計な事は考えずに黙々とホフク前進します。すると遠くに光が見えました。必ず出口に辿り着きます。融合と2極化が著しく加速しています。昨年から国内も激しく変動しています。旧統治者が構築した縦社会のシステムが崩壊してます。新しい横社
春日市奴国の丘歴史資料館福岡県春日市岡本3-57吉野ヶ里の次は奴国!入ってすぐ、伊都国の資料館主催のバスバイクだという集団に遭遇。伊都国と不弥国(仮)から来た人達が奴国で合流するなんて面白いね!ってなった😆😆那須岡本遺跡の模型。右下のが王墓と考えられているもの。他のとは明らかに副葬品が違う等の理由で、この辺りで1番偉い人の墓と考えられている。復元銅鏡や復元銅戈を見て、はっと気付いた。これらって本来、金や銀の色をしているんだね。普段、埋葬品っていったら青緑なものを見るから、
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の日本の縄文・弥生時代についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想縄の文様の土器による縄文時代東京の弥生町で見つかった土器の弥生時代(『まんが日本史』より、タイトル画面)邪馬台国はどこ!?今回の主役はこの卑弥呼様(『まんが日本史』より、邪馬台国の女王卑弥呼)稲作が始まり、日照りによる水をめぐる争いや、豊かな村が小さな村を従えて奴隷にするという戦いを通して、富を持った指導者によって、小さなムラ→
勉強会の仲間から電子書籍にはなじみがないとの声生野先生が出版された最新の電子書籍の詳細なページにリンク出来ます。ぜひ、ご利用ください『聖徳太子の謎を解明する』http://www.amazon.co.jp/dp/B0CKC85YGB『神功皇后の実在性と実年代』http://www.amazon.co.jp/dp/B0CKJ7GGZB『「前方後円墳」の起源と歴史的意義について(前編)』http://www.amazon.co.jp/dp/B0CKJ8R5WF
生野先生が月刊誌フォーNETに連載してあった記事の中から、『聖徳太子の謎を解明する』に続いて、今日、『神功皇后の実在性と実年代』と『前方後円墳の起源と歴史的意義について(前・後編)』がそれぞれ電子書籍となってフォーNET社から出版されAmazonで発売開始となりました『前方後円墳の起源と歴史的意義について』は月刊誌フォーNETの2016年11月号から2019年1月号まで連載されたものです。何かと話題になりながらその真実はなかなか解明されない「前方後円墳」について、ヤマト王家の祭器「銅鏡
慈母菩薩菩薩淡島神社:長崎県長崎市向町祀神は少彦名命です。淡島神社の境内には慈母観音菩薩の像が鎮座しています。座っている幼子は少彦名命でしょうか?少彦名命(スクナヒコナ)一寸法師の様に小さいと伝わります。大国主に協力して出雲王朝の国造りを成された神です。少彦名命が姿を消され時は大国主は大いに嘆きます。野波神社:佐賀県佐賀市三瀬村豊磐門戸命・櫛磐門戸命屋根が朽ちて御神体が雨にうたれていました。御神体が腐食してしまう!と見るに見かねて勝手に修繕しまし
7月勉強会の概要その③です。資料には「斯馬国を考える」という生野先生の考察内容が詳細に書かれているのですが、実際の勉強会では時間切れで先生の口頭による説明は聞けませんでした生野先生の了解をいただいたので、なんとか資料の後半部分の概要を紹介しようと何度も読み込みをしているのですが、手強い生野先生はご自身の考察内容を紹介される場合、文献史料や考古学の発見など詳細な傍証を大量に使って説明されます。「解釈ではなく解明を!」という先生の研究スタイルそのものような資料の濃密さです・・・ネ
P.50.(二)筑紫平野五島は糸島へ行つた三日後、今度はバスを乗り継いで南区の南外れ、須玖小学校前のバス停で降りた。ここの東側にある春日市の岡本地区の奴国岡本遺跡を見てまわつてから、近くの奴国歴史公園に入って行つた。五島が思つていた通り、ヤチヂ様から声がかかってきた。やはり五島の気持ちは、ヤチヂ様には完全に見透かされていることが判つた。『私を待つていたのでしょう。この辺りはあまり菜の花は残つていませんね。
P.38.ヤチヂ様は神殿に向つて座りましたが、その時、違和感を感じて、向きを少し左寄りに変えて、神合わせを始めました。手を合わせる方向が少しずれていたのでした。神様の居場所が、卑弥呼には判らず、ヤチヂ様にはすぐに判つたのでした。ヤチヂ様が神託を話し始めました。『金印は奴国と共にあり。綿津見之大神が守つている。奴国が消えた今、金印の力も消えたことと同じ、新しい金印を待て、新しい漢の後国から海を渡って船でやつて来るであろう
P.34.(三)鳶の目、その二『一息ついたら、次に行きますよ!さあ、今度は、三十五年後の紀元二百二十六年の春の二国の様子です。』今回は鳶は油山展望台から、山を越えて、南へ、脊振山の東側を通つて、佐賀平野に向かつた。遠くに有明海が春霞の中に、かすかに見えて来たころ、真下に大きな村が現れた。巨大な環濠が二重に並んで掘られていて、多くの竪穴住居や、高床式倉庫群と要所要所に高見櫓が建てられていて、その内外で多くの人々が野良
P.33.五島は一組の男女に目を遣つた。仲良く二人で潜ったり、泳いだり、じゃれ合つたりし、又、舟に上がって休んだりしていた。まだ二人共若かつた。『ホラ!あれがクカミとヒミですよ。見えますか?五島殿!まだクカミは十八才、ヒミはなんと十三才ですよ。ここだけ、ちょつと十年程、時代をずらしてみました。皆、若い頃は美しいですね。』二人が楽しく逢瀬を楽しんでいた場所は、あの金印の出土場所の真下の海岸だつた。志賀島の上を飛
P.31.『まずは、私が生まれ育つた糸島半島の方を回りますよ。』スーツと体が風に乗つて左の西方向へ飛んでいつた。この感覚はいつも夢で感じていたのと同じだつた。不思議に安定感があつた。右下に飯盛山が見えて来た。その山の手前、東斜面の山麓に南北に長く竪穴住居群が五十軒ぐらい見えて、墓地と思われる大きな石が三十ケ所ぐらい置いてあるのが見えた。ここは確か、奴国と伊都国との間に位置し、かなり苦労した部族達がいたに違いないと五島
P.28.最終目的地を難波(なにわ)の地と定め、クカミ兄にも一緒に新しい国を造ろうと誘いましたが、クカミは協力は約束すると言うだけでした。イワレ達はチルによつて「日の神」から決めてもらつた吉日を出発日としました。イワレは、鬼奴国王に許しを得て、自分の配下の奴国兵と鬼奴国をはじめ、まわりの国々からも参加者を募りました。この東征には狗奴国王ヒクミと国民の八割約千八百人ほどと鬼奴国民五百と奴国民千四百人、姐奴国、不呼国、鬼国等か
P.27.投馬国のクコチ王は命からがら有明海の対岸の巴利国(※109)に船で逃げのびたのでした。この後、クコチ王は二度と投馬国に戻ることは有りませんでした。この投馬国との戦いの十日間は、奴国にとつて大変な災難をもたらすこととなつたのでした。奴国は南北に長く延び過ぎていました。道路とか水路を整備していたことが逆に心の油断に繋がつたのでした。クカミもイワレもカノウザキ王も、倭国連合の一員ということで、何かあれば、一大率である
P.26.ヒクミ王は矢を受け取ると、腰に差していた銅製の小刀を引き抜き、その小刀の先で鏃を削ってみた。しかし、削れるどころか、逆に小刀の先が壊れてしまつた。「イワレ義兄上殿、この武器を我々にぜひ分けてはくれませんか?今は北の投馬国(※107)と争いが絶えず、この武器が手に入ると、心強く戦えるのですが。」ヒクミ王が頼んだ。投馬国の王クコチ(※タ)が鬼奴国のヨロズを見初(みそ)めて、鬼奴国王に嫁にと望みましたが、断わられて、
P.25.第三章倭国大乱(一)奴国滅亡孤独な老人の生活は単純なものであつた。全てに面倒くさくなるもので、何でも簡略化してしまう。食料品や必需品等の買い出しは毎日出かけるのが億刧(おつくう)で、年金支給日か、その翌日で一度に大量に買い入れて、食品は大多数のものを冷凍して保管してしまう。一日の生活も同様なもので、風呂などは、三日に一度しか入らない。本当は毎日入りたいと思つていても安アパートでは、風呂
P.22.イワレは鬼奴国の王の娘を妻としていました。この鬼奴国という国は、ずつと昔、中国徐州を出航した除市(※85)の率いる耳族(※86)の一部が、この地に住みついて造つたもので、この部族の他の者達は、全国に散つて住みつき、遠く東には、富士山の麓まで行った一団もおりました。除市(徐福)この国の王には、息子が無く、娘ばかりでしたので、長女のチルを嫁としたイワレのことがとても気に入り、カノウザキ王にイワレを養子にした
P.21.(四)阿曇族と和珥族の海人達クカミは阿曇族と親しくて、鉄器を始め、奴国で出来る色々な製品や食糧を与えて便宜を計つてきました。阿曇族は海産物を始め、遠方からの宝石の原石や蔚山の鉄鉱石等を奴国にもたらしました。この二つの部族の結びつきはとても深く、信仰する神が綿津見之神ということもあり、とても長い間、交友関係を続けていたのです。阿曇族の勢力範囲は、西は糸島半島の途中までで、別の海人族である和珥族と敵対し、東は山口から
P.20.気が付くと駐車していた自分の車の中にいた。久しぶりにヤチヂ様の声が聴こえて来た。『五島殿が思つた通りです。今の商品はほとんどが奴国で造つたものです。この頃の奴国は、それは大変な技術大国でした。銅戈、銅鏃(※80)、銅鏡、銅鐸(※81)、銅矛、銅鋤先(※82)等の銅製品を造る為の工房群、ガラス製品や勾玉(※83)を造ることや、衣類等の生産も、組織的労働集団を組んでいました。古代の銅製武器この頃か
P.12.『ヒミはフク姉の真似をして芥屋大門で祭事を行いましたが、本当の神託を受けることが出来ず、全て、曲津神(※58)、つまり偽神の神託しか出て来ませんでした。変てこなお告げばかりで、それを聞いた諸部族の長達は疑心暗鬼に陥り、そのこと等から諸部族間で小競り合いがあり、争いごとが絶え間なく起こり、今にも大戦争が起こりそうになつていたのでした。神のお告げウシ王は、各部族に伝令を送り、部族会議を開くことを伝えました
P.9.(四)偽の神祭の姫『起きましたか?始めますよ!奴国の王タイフは、志賀海神社の戦いから七日後にこの世を去りました。長男のカノウザキが跡を継ぎ、死去した父王の墓を造るように、三男のイワレに命じました。場所は奴国の筑紫平野の中南部にある小高い丘と決めて、そこに造らせました。二男のクカミは志賀島から那の津方面の北部の警護に当たらせました。カノウザキ新王は、フク姉に極秘に会い、金印の隠し場所を教えていました。金
P.8.『クカミはフク姉とヒミと私達女性を連れて、西に向かい山を下りました。すぐ浜辺で待機していた阿曇族の舟へ乗り込みました。その頃、カノウザキは神殿で金印を袋に入れ、懐にしまうと、やはり西へ向かいました。途中でウシが後を追つて来ていることに気が付きました。とつさに岩陰に身を潜めて、ウシをやり過ごすと、南へ逃げました。カノウザキは逃げる途中で、このあたりで一番大きな松の木の北側の根元に金印を袋から取り出し、別の持つて
P.3.『偽神達が生宮には柄杓と嘘を教えましたが、本当は鉈の型出しです。私の出生の神界で言うと四番目、天地大元界の人祖(※25)達の首を斬つた鉈なのです。この話をすると長くなるので、今は止めておきますが、少しずつ神業の過程で明かされて行くでしょう。いずれにしても、私をはじめ、人祖達はあの北斗八星の鉈を、何処に居ても、いつもみせられて、又、斬るぞ!と脅かされているようで、充分な神としての働きが出来ないのです。』鉈「
鬼は外…福は内…と節分を想いながら、「鬼」って誰だ?そういえば、「桃太郎」って何者だ?そんなことを考えると、日本の歴史の謎が解けるかも・・・さて、桃太郎の舞台を考えると、どうしても「岡山県」です。きびだんごの「吉備」の国。そう、吉備の国に日本の歴史の謎を解くヒントがあるように思えるのです。では、つづり屋の想像をどうぞ・・・吉備の国の「鬼」は、もともと吉備地方にいた豪族です。吉備の国を支配していた吉備一族。そこに、「桃太郎」がやってきます。「大和政権」で
今日わ♪柱への道のり毎月十数社を参拝する神社オタクです。10年以上続けています。奉納金やお賽銭の総額はゆうに三桁に達します。パチンコに負けるよりも遥かに安いです♪どういう意味かと申しますと、、、独身時代にバク才が無いにも関わらず、「パチンコ依存症」を患った時がありました。神社オタクなったお陰で、パチンコを止める事ができました♪パチンコ中毒ラオウは私のジャイアンです。何度も返り討ちにされます。幾度も昇天しま
今日わ!神功皇后の隠された真実を明かします♪倭国の主国であった奴国は福岡県那珂川市の旧岩戸村・安徳村を起点としました。海抜が下がると、平地である春日市や福岡市南区老司・柏原と領地を拡大して行きます。奴国は30近くの小国の宗主権をもって、大陸との交易窓口を務めました。後に漢から倭の宗主国に認められ金印を授かります。漢の倭の奴の国王=漢の臣下である倭国の宗主国である奴国の王の意です。那珂川市には、現人(あらひと)という名称が存在します。この世に人間の姿で降臨した神を現人神(荒人神)と呼ば
こんにちは、スタルペスです。今回も、福岡県春日市の古墳・遺跡の紹介です。まず伺ったのは「赤井手遺跡(あかいでいせき)」です。※赤井手遺跡・赤井手古墳の入口赤井手遺跡は旧石器時代から古墳時代まで人々の生活の営みをしていた痕跡のある複合施設です。日本列島の旧石器時代は約16,000年前に終わり縄文時代を迎えることになりますが、古墳時代までとすると14,000年以上もの間の人々の生活の営みが続けられた場所だったところです。※赤井出古墳と
こんにちは、スタルペスです。なぜか新年度になり一段と慌ただしくしていて、ブログの投稿もずいぶんとできていませんでした。ブログ投稿がご無沙汰するとネタがどんどん古くなってしまいます。今回は、昨年11月訪問した福岡県春日市の古墳を紹介させて頂きます。ご存じの通り古代この地は古代、奴国の王都として国内でも最も栄えた土地です。西暦57年、中国の光武帝は「漢委奴国王」と刻まれた金印を、奴国の王に与えます。そのころ、ここ奴国は、人口が2万世帯余りもある倭国を代表する「クニ」だった
【初心者向け】マインドフルネス瞑想クラス@学びのカフェ天神👆お申込みはコチラ3月18日(金)14:00〜15:20福岡市中央区渡辺通4-9-20渡辺地所福岡駅前ビル9F(天神ロフト横)参加費:1,000円【はじめての🔰マインドフルネス瞑想】体験会@岡本公民館3月20日10:45~11:45参加費:500円春日市岡本3丁目65番地奴国の丘歴史資料館よこパーキングあります...................いつもヨガクラスをさせてもらってい