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刀伊入寇藤原隆家の闘い(角川文庫)[葉室麟]楽天市場寛仁三年・1019年に、女真族が対馬・壱岐を経て九州を襲った「刀伊(とい)の入冦」という国家的大事件を題材にした小説である。カバー裏には「血湧き肉躍る戦記ロマン!」とビックリ・マーク付きで紹介されている。藤原隆家は、その際に総大将として刀伊を撃退した貴族で、歴史上の有名人との関係でいえば藤原道長や道綱の甥(道隆の四男)にあたる。ちなみに「光る君へ」では竜星涼が演じていた。いや~、いい味出してた
「それは駄目だ!戦いもせずに領土を差し出すわけにはいかない!」太祖の時から北進政策が消えそうになっていた時期だった。高麗朝廷は契丹族の投人を巡り、和睦策と対抗策に意見が分かれ、激論がなされた。契丹は高麗が戦う気勢を見せるや総攻撃の命を下した。押し寄せてきた契丹軍は、安戎鎮(アンユンジン)で突然、前進を止めた。険しい山の稜線に築かれた安戎鎮は、高麗の軍隊一ヶ月守っていた。契丹軍80万人はこの安戎鎮を越えなければ一歩もて契丹軍は蟻の大群のように城壁によじ登り、攻撃を開始
🗺️中国の少数民族(世界史の窓)中国の少数民族世界史の窓appendix用語とヒントwww.y-history.net少数民族は、「共同の生活地域、共通の言語、共同の経済生活、共有する文化を基盤とした共通の心理要素民族意識」を基準に中華人民共和国政府が認定する。現在までに漢民族以外に55の民族が認定されており、5つの自治区(一般の省と同じ)、30の自治州・120の自治県などが設置されて自治が認められている。(中国の主な少数民族より)華流時代劇においても数々の少数民族出身俳優が活躍し
🌊海から来た恐怖!「刀伊の入寇」ってどんな事件?🤔「刀伊」って誰?「刀伊(とい)」は民族名じゃなく、日本人が「正体不明の海賊」につけた呼び名。実際は女真族(じょしんぞく)と呼ばれる人々でした。📍生息地:今の中国東北部〜ロシア沿海州⚓生活:漁・狩猟・交易、そしてときどき略奪!💀特徴:船で移動、人をさらって奴隷にすることもつまり「刀伊」とは、当時の日本から見た“恐怖の海の民”だったのです。🚢どう攻めてきたの?1019年春、なんと50隻以上の大船団が日本に襲来!🏝
今日は雨模様の朝。蒸し暑いけど、昼は猛暑にはならないようです。関東地方は昨日夕方に雷雨がありました。しかし、練馬も北参道も、短時間の雷雨・降水。街の気温が大きく下がるまでには降りませんでした。残念!水曜日のブログは思いつくままに書きます。日本列島の南が低気圧帯になっています。ここが過去3年間の(今日の)気圧配置とは大きく異なっています(この一番下の「去年の今日のブログ」に天気図あります)。東側の低気圧はまもなく台風になるとか。猛暑の気圧配置が崩れると良いですが・・・。自公政
皆さん、いかがお過ごしですか。いつも、私のブログに寄って頂き、有り難うございます!もう6月になりましたね。今年も半分が、今月で終わってしまいます。年始に計画された予定は思い通り進んでおりますか。ここらで、振り返って確かめるのも良いのではないでしょうか?さて、今月はランダムにご紹介しようと思っています。その中でも近年出版した物を中心にしたいと思います。まず本日は、今も制作が続いております、「菊池一族風雲記」です。我ながら偉大なる題材をテーマにしたと思っております。一生かかっても、
コロナ禍以降顕著なトランプ大統領推しと女真族との関係を推測した。🔴推されている人々○トランプ大統領・2017年の就任以降、旧統一と安倍元首相が積極的にアプローチ。民主党政権でも継続。・“Q”ブームでトランプ氏(人間)の神格化が進んだのは、朝鮮系の発想だから?○フリン将軍・元オバマ政権の高官で、ロシア疑惑を追及された。NSAは主にシギントを担当し、エドワード・スノーデン氏が告発した監視システムに関連する。・女真族が建国した後金が改名したのが清。第3代皇帝が順治帝(フリ
「中國五千年の歴史」は嘘です。この捏造が許されるのなら、1万6千年前から約3千年前まで、少なくとも北海道から沖縄本島にかけて縄文人が住んでいた日本は「日本国1万6千年の歴史」と言えます。正しくは「中國76年(1949年10月1日建国)の歴史」か、または中国をシナ(秦)と呼んでも良いのなら「シナ二千五百年の歴史」、あるいは地名としての「シナ大陸5000年の歴史」です。但し、現在支配している中国共産党が「過去に異民族の支配を受けたシナ大陸」を容認した場合には「中國五千年の歴史」も、強ち間違いと
慶長二年一月六日(1597/2/22)「なんと!それで明け渡したのでございますか?」「明け渡したのではない。そもそも誰の領土でもなかったであろうが」大陸から戻ってきた純正に対して直茂が問いかけた。新年早々小言は勘弁してくれといわんばかりの純正であったが、三十年来純正を側で支えてきた戦略会議衆の筆頭である。無視は、できない。「なればこそにございます。ああ、|斯様《かよう》な儀ならばウラジオストクでヌルハチと相見えた際に、朝鮮の国境までわが国の領土としておくべきでした」昨年末、
関幸彦さんの『刀伊の入寇』を読みました(中公新書)中世武士論が専門の関氏があえて平安時代の戦いを書き中世武士の発生に踏み込んだ書大河ドラマ『光る君へ』でも藤原隆家は登場しまひろ(紫式部)が松浦の浜で刀伊軍に襲われる場面もでましたそして最終回のエンディングでは知り合いの若者が武者となり東国へ走り去っていくのに出会い「嵐が来る(武士の時代になる)」とつぶやきましたそんな時代を読める本です刀伊とは高麗の「東夷toi」を「刀伊」とあてたもので女真族のこ
皆さん、いかがお過ごしですか。いつも、私のブログに寄って頂き、有り難うございます!もう12月になりましたね。一年、早いものです。私自身も、病気で入院するなど、いろいろなこともありましたが、過ぎ去ればあっという間でした。あとは、残された日々を、少しでも充実させたいと思います。さて、この12月は、私の思い入れの強い作品を紹介したいと思います。まずは、その中でも、最も強い「菊池一族風雲記」を紹介させてもらいます。先日も、NHKの大河ドラマ「光る君へ」で、刀伊の入寇を取り上げていました
隆家の汚名返上の一矢と周明の役割|千世(ちせ)まるで次の鎌倉時代を思わせる戦闘シーンと、都での優雅な生活とはかけ離れた展開に私は思わす胸が高鳴り、息を飲んで目が離せませんでした。確実に武士の世到来の足音が聞こえるようでもありました。確認のため言っておきますが、この「刀伊の入寇」と呼ばれる事件は、後世の鎌倉時代に2度も侵攻された「元寇」より255年も前の出来事であり、その教訓とされた事件となりまし…note.com
令和6年の大河ドラマ“光る君へ”の終盤、「刀伊の入寇」が描かれました。もう少し詳しく、こちらで紹介しているので、気になるアナタは御覧下さい!↓↓↓↓↓https://youtu.be/Ut-5IGyJ-50?si=qe5nx7S5oDZJy4Rj-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be※チャンネル登録も、どうぞ。安心して下さい。登録も、視聴も、無
さて、今夜の光る君へ、です。まひろと周明は再会しました。20年振りでした。周明は、妻はいないです、と言いました。薬師の仕事をして来ましたと。太宰府の政庁に案内されたまひろです。隆家のもてなしを受けました。道長に頼まれているからと大変なもてなしでした。面白い踊り、珍しいお茶、食事などで歓迎されたまひろでした。民が来ました。賊が到来して、女子供が連れて行かれ、作物も取られましたと訴えに来ました。隆家たちは、戦う気です。おとなしい道隆の息子の隆家はこんなに逞しかったのですね。博多警
刀伊(大陸の女真族)はまず、対馬・壱岐を襲いました。『小右記(しょうゆうき)』などによると、計184人の住民が殺害され、585人が捕虜となったとあります。そして刀伊はついに外敵の侵入を防ぐための日本側の防衛施設、警固所(福岡市)を落とすために博多へ上陸してきました。しかし、大宰府の藤原隆家の指揮のもと、九州の豪族らが見事、刀伊を追い払います。ふたたび刀伊が船越津(ふなこしのつ=糸島市)へ上陸したものの、逆に捕虜となる者も現れたといいます。大宰府軍はなおも
先日のNHK-Eテレの番組、「知恵泉」で、平安時代の貴族、藤原隆家を紹介していた番組の中で、隆家が外国との戦いに立ち向かった話がありました。平安時代にも寛仁3年1019年。異国との間に激戦が繰り広げられたんですね。刀伊の入寇。というんですね。(一応、言葉だけは覚えていました。学校で習いましたね。)奴隷を取りにきたんですね。中国東北部に居住する女真族。刀伊=女真族。ということですね。労働力を求めて海を渡ってきたともいわ
日本で戦国時代がおわり、鎖国にはいって5年ほど過ぎた寛永21年(1644年)、越前の三国浦にある新保村の海鮮問屋である竹内藤右衛門は、息子の藤蔵以下58人の水夫を率いて船出します。出航した三艘の船は、荷物を積んで蝦夷地の松前を目指して漕ぎ出ましたが、途中ひどい暴風雨にあい、2週間ほども漂流したあげく、見知らぬ土地に漂着してしまいます。彼らが遭難したのは、朝鮮と沿海州との境にある、図們江河口か、そのやや北の地点。彼らは、途中兇徒の襲撃にあいながらも、3年の歳月をかけて日本に帰り着き、その体験が
タタールはタルタリアといわれるものではないかと考えています言葉が似ているのでタルタリアは恐らくシベリアからモンゴルあたりに分布しており、満州族、朝鮮、女真族なども含まれるのではないかと思われますつまり、朝鮮も満州も同じ民族で、日本は朝鮮のために満州国を建国したということになります当時の日本は朝鮮が支配しているので説明が付きますスタンとつくのは同じ民族ですねコタンというのも語源は同じようです
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/97422.html#:~:text=%E6%96%87%E5%8C%96%E5%BA%81%E3%81%AF%E3%80%81%E9%83%BD%E5%80%89%E4%BF%8A%E4%B8%80,%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82消費者庁、徳島移転も゙立ち消え。文化庁の京都移転も゙、
満州族と言えば女真族ですねこれはモンゴルから朝鮮を含める民族ですということは日本が満州族を建国させると言うことは朝鮮族に日本を使って朝鮮のための国を作ったことになります尤も、明治クーデターによる政府は朝鮮主体なので、それを考えれば説明が付きますこれによって中華民国は台湾に追いやられることになる道筋ができますそもそも1945年当時は中華民国が中国でしたということは安全保障理事会の常任理事国は台湾であるはずですね何故クーデターを起こした今の中国がその座に居座るのでしょうか?そしてそ
さらに伝説の義経を追う。『蝦夷志』は、日本最初の本格的な蝦夷地の地誌で新井白石(1657〜1725)が1720(享保5)年に作成したものだ。白石はこの書に、アイヌ人が義経をまつり、これをオキクルミと呼んで神として崇めていると書いている。彼はこの書にもうひとつ重要なことを書き残している。蝦夷地の西部の地名に弁慶岬というのがある。一説によると、義経はここから北海を越えて去った。彼はどこへ去ったのか。伝説の義経が、蝦夷地から大陸にわたるルートは3つの説があるという。まず、日本海側の
元寇の前にも、、あったのか、、9割の日本人が知らない実は元寇よりもやばかった日本最大の危機|刀伊の入寇【ゆっくり&ずんだもん解説】鎌倉時代に起きた元寇、モンゴル帝国よりも強大な元による日本の侵攻は、日本が外国に侵略されるかどうかの瀬戸際だった。そんな元寇レベルの日本の危機が、実は平安時代に起きていた。その危機の名は刀伊の入寇(といのにゅうこう)。刀伊とは女真族のこと。女真族とは、後の歴史での清国や満州の支配をする満州民族のかつての呼び名だ。...youtu.be
「fuasn78ブログ」で、またまた知らない歴史があることが分かった。関幸彦著の「刀伊の入寇」(中公新書)2021年という著作があるとのこと。しかし、表題の意味が分からない。「刀伊」って何?「入寇」ってなんだ?本書の紹介記事によると「藤原道長が栄華の絶頂にあった一〇一九年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率
ドラマ『龍の涙』。朝鮮太祖:李成桂(イ・ソンゲ)は李氏朝鮮最初の国王朝鮮太祖:李成桂(イ・ソンゲ)は李氏朝鮮最初の国王高麗を倒し、李氏朝鮮最初の王になった李成桂(イ・ソンゲ)。高麗時代は伝説的な活躍をみせた将軍でした。チョン・モンジュやチョン・ドジョンといった思想家やイ・バンウォンら息子たちとともに革命を起こします。やがて高麗王朝を倒し朝鮮王朝の最初の王とkorea.sseikatsu.net李成桂誕生の秘密・伝説や様々な学説を紹介李成桂誕生の秘密・伝説や様々な学説を紹介李氏
最近、ニュースを見ていると、共産思想を掲げた富裕層たちの衰退をヒシヒシと感じています。共産主義者によって考えられた政策は、理想は高いが社会に沿わないものが多く、社会の分断と治安悪化を招いているものばかりです。江戸時代、第5代将軍・徳川綱吉によって制定された『生類憐れみの令』では、「生類を憐れむ」ことを趣旨とした動物・嬰児・傷病人保護を目的とした諸法令の事をいい、保護する対象は、捨て子や病人、高齢者、そして動物で、対象とされた動物は、犬、猫、鳥、魚、貝、虫などにまで及んでいます。そし
たわごとですこの前、実家ではなく生家に帰省いたしまして新聞を見て感じたことです。いわゆる地方紙ってページが22面程度になっています。更に地方紙のほとんどは中国新聞だったけな?18面程度になって消滅寸前、虫の息状態です。伴って起きる変化は、広告を記事に見せかける意見広告、スポーツ新聞まがいの記事、活字印刷ポイントを狭くして広告代を稼ぐ、行政記事に頼って煽る。見比べたら面白いですよ。全国紙に限らず地方紙もオンパレードですね。中国新聞?市政で煽り記事書いたら市長から反撃受けて、対応に慌てて市職
「刀伊の入寇」(女真族の海賊が、平安時代、壱岐対馬を襲い九州に侵攻した事件)知らなかった。沖方丁は、「うぶかたとう」と読むことも初めて知りました。杉浦友紀の司会進行がいい。
「なに、胡土児(コトジ)が帝位だと?」海(かい)陵(りょう)王(おう)は析(せき)律(りつ)の言葉が意外だという表情をし、その後笑い声をあげた。「胡土児は養子とはいえ忠烈王(兀朮(ウジュ))の息子、帝位を主張してもおかしくはないのでは」「笑わせるな丞相、おぬしには言ったはずだ。俺は血を糺(ただ)すと。胡土児は叔父上が死ぬとあっさりと軍を抜け国を捨てた男。金(きん)国(こく)の民草以下の存在だ。帝位など片腹痛いわ」「陛下、ではなぜ胡土児の首に、そこまでこだわるのです」析(せき)律(
「天空サマン」京都の新風館で2日だけ上映された満州族、古代女真族呼ばれた清朝を建国した民族の滅びゆく伝統文化の記録映画。サマン(薩満)=シャーマン清朝が滅び、文化大革命を経て、満州民族が言葉を奪わ、消え去ろうとしているその古い文化は、シャーマンを中心に営まれる。中国の歴史を見てみると、、、1616年清朝(後金国)初代皇帝は、満州五部を統一したヌルハチ1840年イギリスとのアヘン戦争、1857年英仏連合との第二次アヘン戦争1874年日本軍の台湾出兵1884年清仏