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京マチ子(きょう・まちこ)本名矢野元子画像右側の女性大正十三年(1924年)三月二十五日大阪府大阪市生まれ。令和元年(2019年)五月十二日死去。九十五歳。京マチ子様は、日本映画を支えてこられた大スタアの中の大スタアです。大映において、溝口健二監督や衣笠貞之助や伊藤大輔監督や成瀬巳喜男監督の名画においてヒロインを勤められました。伊藤大輔監督作品では、『春琴物語』『いとはん物語』『地獄花』『女と海賊』において悲しみの女主人公を熱演されました。『いとはん物
長谷川一夫(はせがわ・かずお)本名長谷川一夫別芸名林長丸林長二郎明治四十一年(1908年)二月二十七日生まれ。昭和五十九年(1984年)四月六日死去。七十六歳。林長二郎こと長谷川一夫は、日本芸能史に煌めく美男花形大スタアです。無声活動大写真時代から日本芸能界の美男大スタアとして活躍しました。リブログ先の記事で感想を書きました、『雪之丞変化』は、断片総集篇のみ現存していますが、大傑作です。衣笠貞之助(きぬ
京マチ子(きょう・まちこ)本名矢野元子画像右側の女性大正十三年(1924年)三月二十五日大阪府大阪市生まれ。令和元年(2019年)五月十二日死去。九十五歳。京マチ子様は、日本映画を支えてこられた大スタアの中の大スタアです。大映において、溝口健二監督や衣笠貞之助や伊藤大輔監督や成瀬巳喜男監督の名画においてヒロインを勤められました。伊藤大輔監督作品では、『いとはん物語』『地獄花』『女と海賊』において悲しみの女主人公を熱演されました。『いとはん物語』はおたふ
長谷川一夫(はせがわ・かずお)本名長谷川一夫別芸名林長丸林長二郎明治四十一年(1908年)二月二十七日生まれ。昭和五十九年(1984年)四月六日死去。七十六歳。林長二郎・長谷川一夫は、日本芸能史に煌めく美男花形大スタアです。無声活動大写真時代から日本芸能界の美男大スタアとして活躍されました。リブログ先の記事で感想を書きました、『雪之丞変化』は、断片総集篇のみ現存していますが、大傑作です。衣笠貞之助(きぬ
五十女こけ様の記事『落花に唇を寄せて京マチ子』をリブログさせて頂きます。1959年の大映映画『女と海賊』における京マチ子の名演について探求されています。『女と海賊』映画トーキー白黒90分1959年4月1日公開製作大映京都脚色伊藤大輔八尋不二主演長谷川一夫原作・監督伊藤大輔この映画は京都文化博物館で鑑賞し衝撃を受けました。海賊御崎庄五郎は、襲撃し拉致した女性を乾分に渡していましたが、彼自身は女
京マチ子(きょう・まちこ)本名矢野元子。大正十三年(1924年)三月二十五日大阪府生まれ。昭和十一年(1936年)松竹少女歌劇団に入団。昭和二十四年(1949年)大映に入社。同社の映画スタアとして大活躍し、戦後日本映画界を牽引。昭和二十九年(1954年)六月二十七日公開『春琴物語』において主人公春琴役を勤める。『春琴物語伊藤大輔百十九歳誕生日』https://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-1231873767
京マチ子(きょう・まちこ)画像右側の女性大正十三年(1924年)三月二十五日大阪府大阪市生まれ。本名矢野元子京マチ子様は、日本映画を支えてこられた大スタアの中の大スタアです。大映において、溝口健二監督や衣笠貞之助や伊藤大輔監督や成瀬巳喜男監督の名画においてヒロインを勤められました。伊藤大輔監督作品では、『いとはん物語』『地獄花』『女と海賊』において悲しみの女主人公を熱演されています。『いとはん物語』はおたふくのような容貌で無垢で清らかな心の持ち主を演
長谷川一夫(はせがわ・かずお)本名長谷川一夫別芸名中村一夫嵐佳寿夫林長丸林長二郎歌舞伎役者・映画俳優・映画スタア・テレビ俳優・テレビスタア・演出家。明治四十一年(1908年)二月二十七日京都府紀伊郡堀内村字六地蔵に誕生。昭和五十九年(1984年)四月六日東京都港区東京慈恵会医科大学付属病院において死去。満年齢七十六歳。長谷川一夫丈は、日本芸能史の大スタアです。歌舞伎で鍛え上げられた芸を、映画の
野村芳亭(のむら・ほうてい)本名野村粂蔵(のむら・くめぞう)別名義三代目野村芳国明治十三年(1880年)十一月十三日京都府京都市生まれ。父二代目野村芳国は京都寺町三条で劇場用の背景や看板を描いていた。白井松次郎・大谷竹次郎兄弟とは昵懇で、粂蔵の作劇や製作方法は松竹の活動大写真で躍進を見せたようである。明治三十年(1897年)稲畑勝太郎がフランスから興行権を買ったシネマトグラフの映写機を運び、映写技師フランソワ・コンスタン・
牧野省三(まきの・しょうぞう)別名義マキノ省三マキノ青司マキノ荘造映画監督・脚本家・映画製作者明治十一年(1878年)九月二十二日京都府生まれ。父は漢方医の藤野齊齊、母は娘義太夫の竹本弥奈吉(牧野彌奈)である。幼少の頃より芝居に親しんでいた省三は母彌奈の姉弟子の竹本綱尾より義太夫を学び、中村延笑から芝居の道を教わった。明治三十四年(1901年)千本座を買収し、同年九月一日に開場する。明治四十一年(1908年)千
伊藤大輔先生が大正時代に書かれた数多くの無声映画脚本作品は、フィルム・シナリオ共に失われてしまったものが多いのです。残念ながら現代では残存する関連資料を基に想像するより術が無いのですが、その資料も散逸し失われてしまっているというべき状況です。『映畫読本伊藤大輔』に収録されている『所謂『時代映画』私見』は、大正十三年(1924年)一月に『帝キネ』に発表した文章で貴重な伊藤大輔大正年間映画活動を記した一文です。『女と海賊』脚本を書いた大輔先生の時代映画へのこ