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伊達政宗歴史館福島県の大名。幕府から銀1000貫の借金をしていた。あらら。大坂家の由来。奥羽越列藩同盟の祖。東北は古代より蔑まされてきた。そのような中で東北の地位を上げ上げしてきたのが伊達政宗。その精神で現代の自由と民主主義の社会で頑張りましょう。まず、東京の言いなりになっていてはいけない。もはや東京には幕府はなく、公家が入って、大都市優先の経済社会になって
上田秀人竜は動かず奥羽越列藩同盟顛末上万里波濤編(講談社文庫)竜は動かず奥羽越列藩同盟顛末上万里波濤編(講談社文庫)Amazon(アマゾン)10+257▲
伊達家の重臣片倉氏の居城白石城仙台藩の南の要衝であったお城は丘陵の上にあり坂道を登って行くとお城が見えてきます大手二之門片方が石垣の上に載せた形式となっています天守からの眺め奥羽越列藩同盟のきっかけとなった会議
おはようございます。落武者は、奥羽越列藩同盟の中でも比較的温暖な領国に住んでいますが、たまには雪も降ります^^;2月に1〜2回、そして3月の彼岸頃にドカンと降って終了が例年のパターン。今年の最初のまとまった雪は、一昨日の2/6に降りました。10センチ程度の雪では、近所の皆さんも驚かず、普段通りの日常落武者も庭の雪かきをちゃっちゃと済ませ、領内状況確認に巡回(散歩)wwwまだ雪も止んではいませんでしたが、帽子と長靴、ネックウォーマー&手袋の出立でいざ出陣☃️この川沿いの両岸を
会津藩及び、奥羽越列藩同盟の立場からみたい。
*11月19日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回は近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは幕末の庄内藩。本日は、庄内藩燃ゆのおはなしです。あんみつ「しらたま先生、慶応四年(1868)五月三日、長岡藩の河井継之助が参加表明したことにより北越6藩も合流、《奥羽越列藩同盟》が結成されました。六月には上野戦争から逃れてきた輪王寺宮公現法親王が会津に入り盟主として戴きます。もはや戦争は不可避。ここに至るまで庄
*11月12日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回は近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは幕末の庄内藩。本日は、奥羽越列藩同盟のおはなしです。あんみつ「しらたま先生、慶応四年(1868)四月十一日に江戸城が明け渡し。徳川慶喜は水戸に立ち退きましたが、水戸では天狗党を見捨てた慶喜への反感が強く、居心地の悪い思いをしていました。かつて無残に処刑した武田耕雲斎の孫・金次郎が報復のため乗り込むと息巻いていたの
すっかり秋になった山形。午前中から庭仕事をしてますた。庭仕事と言っても、「ハイパーアリの巣コロリ」の交換。先週置いたばかりのやつも空っぽになってますた。新しいのを設置して、「アリの巣壊滅作戦」を続行します。かあちゃんが「お昼だよぉ~」って呼ぶのでお家の中へ。「味噌煮込みうどん」が出来ていますた。先週まで🥵って言ってたのに、冬のメニューになりますた(笑)「えび天」が入ってまへんね。買うのを忘れたらしいだす。では、いただきましょう。フーフー、ハフハフ、ズルズル😋
5月に訪れた福島県白河市。今回は白河小峰城のご紹介です。JR白河駅から至近距離だし駅前の駐車場は無料。そして、こんなに美しい石垣を無料で目にする事が出来るなんて・・😍上の画像は清水御門です。門を潜るとまたまた素晴らしい石垣が!😍「整然」という表現が相応しい積石です。あれっ?この感じ何処かで見たような??あっ!思い出した!!金沢城と同じ安山岩みたいな・・・・調べたらほぼ正解でした。😄(金沢城のリンクを貼っておきます)小峰城の石垣は‟白河石”と呼ばれる
歴史としては(戦争やら政争やらの)勝者が記述したものが「本当」らしく残されていくのが常でしょうから、そういうつもりで見ていかねばならんとは思うところでして、幕末維新の動乱の果てに生まれた明治政府による史観もまた、でありますね。時を経てだんだんと記憶が薄らいでもこようかという明治15年(1882年)、改めて維新の勲功を詳らかにせんと政府では関係者に対し、おのおの自らの成したところを書面で提出せよといったお触れを出す…というあたりから物語が始まるのが、吉森大祐『東京彰義伝』なのでありました。
今日はリニューアル後の白石城に来ました!白石城=片倉小十郎の城。そしてこの白石の地は、幕末の奥羽越列藩同盟が発足したところ。昨年に一度来たのですが、その時は地震で壊れた箇所の工事中で天守閣には入れなかったんですね。またオープンして良かったです〜本日お天気は晴れているのですが、時おり小雪が舞います。寒いです!!「片倉小十郎景綱」のでっかい碑が建ってる。カッコイイですね〜〜天守閣は中に入れますが、まあ、普通に戦うための櫓みたいなもんです。こじんまりとしてます。
<2022年7月1日>仙台市内の名所を巡る「るーぷる仙台」で訪れた「瑞鳳殿」。伊達政宗の霊屋から、後ろを振り向くと、修学旅行生たちがちょっと疲れ気味の雰囲気で休憩していました。さらにその下の「涅槃門」の前では、同じく修学旅行生たちが神妙な顔でガイドの話を聞いています。修学旅行生たちの前を通り過ぎて奥へ行くと、立派な「弔魂碑」がありました。「弔魂碑」の「魂」の字が違いますが、この字は初めて。戊辰戦争で亡くなった方の碑でした。仙台藩は「奥羽越列藩同盟」の中心的
おはようございます、落武者です。以前、落武者のご先祖様が、奥羽越列藩同盟でもあった長岡藩出身で、北越戦争の際に逃れてこの落武者領国にたどり着いた話は書きました。落武者母方の祖母の母親=曾祖母ですね。それこそ、”長持ち”に隠れて峠越えをした身分ある姫様だったと祖母は話しておりました。その話を聞いたのは、落武者が大学の頃で、もっと詳しく退避経路などを聞いておけばよかったのですが、当時はねえ・・・おにゃの子と遊びに行く事ばかり考えていたおバカでしたら^^;いずれ機会があれば祖母の実家
〈澤野大樹氏インタビュー世界のいちばん長い日(前編)からの続きです〉――7月8日に消えた彼について、彼はすでに2年前には死亡していて中曽根康弘元総理の自民党合同葬で葬られたと。だから今回亡くなったのはゴムでありクローンであると。そのように言っているSNS界隈の自称インフルエンサーが多くいますが?そのようなことを言いふらしている人たちがたくさんいますよね。そのような情報の出どころは統一側なのでしょうね。そのような人は同時に「スナイパー説」も言っていますよね。しかしそ
3月、新政府は東北地方鎮圧の組織となる奥羽鎮撫総督府を仙台に派遣した。総督九条道孝(公家)、下参謀の大山綱良(薩摩)、同世良修蔵(長州)らは横柄な態度で東北の諸藩に会津討伐を命じる。だが東北の諸藩は、朝廷を5年間守り孝明天皇の信任も得ていた会津藩に同情し、会津が逆賊とされる理由がないとして会津救援の和平工作を進める。しかし奥羽鎮撫総督府は東北諸藩の嘆願を全く受け入れず、あくまでも会津討伐を命じるのみであった。東北諸藩は薩長主導の新政府に不信感を抱く。特に長州はついさっきまで朝敵とされていた
8月になりました。暑い日が続いていますが、体調など崩されていませんか?私は暑さに負けてだいぶ体調が悪いです(汗)先月の話になってしまいますが、以前ご紹介した新潟直送計画さんから、インスタグラムのキャンペーンに当選したということで嬉しい品物が届きました。新潟茶豆1kg(500g×2袋)大日やたえいのう産地直送送料無料【えだまめえだ豆エダマメおつまみおやつ新鮮お取り寄せ】楽天市場3,100円幼い頃から新潟の枝豆を食べて育ってきた娘が大喜びで、半分以上は娘が1人で食
そんな大したことないネタなんですけど、奥羽越列藩同盟関連の史跡。北越戊辰戦争で、列藩同盟の軍議の場所となった加茂に立ち寄ってきました。まあ、わたしの故郷でもあるので。(本当に大したことない田舎である)最近、戊辰戦争関連の本をちょっと読んだのですけど、加茂は青海神社の元で自由に商業をやっていた町なので、むしろ勤王の雰囲気が濃かったらしい。まず何よりも先に、青海神社にお参りしなければ。もう何十回と行っている、お馴染みの神社なのですけども。ここのおみくじは木の
これジャンル外だよなーと思いつつも書きたくなる、歴史をめぐるトリップ。今日もまた戊辰戦争関係にて。仙台の輪王寺に行きました。お散歩中に、偶然見つけたのです。実はここ、飯盛山で自刃した会津白虎隊士中二番隊のうち唯一の生き残り、飯沼貞吉(貞雄)さんのお墓があるのです。輪王寺は住宅街の中にいきなり現れます。なかなか良い雰囲気!下からは今日撮った写真なのですが、あいにくの雨だったので、ちょっと写真がドンヨリしてます。本堂の奥にお庭があります。お庭だけ観覧有料。三重
今日はかねてから行きたかった、宮城県白石市にある白石城を観光。ココは今年3月の地震でダメージを受けてしまって現在は修復中・・・でも今日のお目当ては、城址内にある「歴史探訪ミュージアム」の3D映像ドラマです。これがなかなか豪華キャスト(渡辺謙さんと西郷輝彦さんが出演してる!)で、しっかり作ってあるドラマなので、絶対見ようと思って行きました。白石城・・・何かというと、伊達政宗の忠臣・片倉小十郎のお城です!そして・・・奥羽越列藩同盟結成の地です!(こちらは、歴史的にあまり
昨日あげたブログの『加茂軍議』という本で、雲井龍雄のことも書いてありまして。「討薩ノ檄」っていう、ゲキレツな文章書いた人です。全文載ってましたが、なかなか過激な内容です。この雲井龍雄を主人公にした藤沢周平さんの小説が『雲奔る』です。早速読んでみました。ちなみに雲奔るでは、討薩ノ檄を起草したのは見附本陣と書いてあるのですが、稲川昭雄さんは地元の土地勘から、これは作者の間違いで、実際は加茂であろうと訂正されています。(まあそれはどうでも良いのだが)雲井龍雄は米沢藩士で
最初に申し上げておくと、これはかなりマイナーな内容になりそうな気がする…加茂軍議。河井継之助の話を読んでいると多分出てきます。戊辰の北越戦争で一旦西軍に長岡城を奪われた後、奥羽越列藩同盟の面々がここ加茂に集まり、初の(そして最後の)軍議を行った土地です。筆者は、稲川明雄さん。長岡の郷土史家っていうのかな?もうお亡くなりになったけど、河井継之助記念館の館長をしていらした方です。この本、河井継之助記念館で購入しました。実はここ加茂は、わたしの生まれ故郷だっ
友人は以前のブログのことから話し始めました。不祥事、不正、改ざん、不正延々と続く問題にまことに怒っていたと。。言葉も、乱暴ですし、、この不正の、繰り返しで日本は、「没落が早くなる」のだと思います。半藤一利氏が亡くなりさまざまな書籍のブームは、今もなお続いていると聞きました。半藤一利氏の言葉に日露戦争の誇りだけを背負って、実際の戦闘を知らない軍人たちがでかい声を出していた満州事変のころと、今は非常によく似ています。と強く危惧していました。ノンフェクション作家の保阪正
こんにちは。昨日は紅白でマツケンサンバが見られて最高でした。そして無事、ゆく年くる年をリアタイにて見ることができました。これで心残りはありません。新年明けましておめでとうございます。2022年初の投稿です。今年の元旦は思い立って会津の鶴ヶ城に行きました!日帰りです。新潟から高速使って1時間半くらい。今日は雪があるから、2時間程度。わりと雪はありましたけど、雪はまあいつものことですから…途中、吹雪いているところもありましたが、到着したら晴れでした〜こいつは新春から
大佛次郎の「天皇の世紀」12巻通読。文春文庫。再読である。「天皇の世紀」は11年まえに文春文庫からひと月に一冊ずつ出た。浩瀚なノンフィクションである。最初の2巻は続けてよんだ。が、あとの巻を継続してよむのに数年要した。今回は、3ヶ月で12巻だから前半と後半の記憶があまり薄れずに済んだ。「天皇の世紀」はフィクションではない。それでも主役は明治天皇のはず、だった。朝日新聞に連載を始める直前の筆者挨拶で大佛さんは、「これまで犯しがたかった明治天皇の人柄についてもお伝えしたい」と述べ
・・・・・・・っということで、三春(福島県)という町はなぜかゆとりが感じられます。本文でも書きましたが、ピッカピッカの新築の市庁舎が建っていて、福祉が行き届いているように見受けられます。300〜500mの標高で、丘陵地帯。冬は積雪が少なく、夏は過ごしやすいそうです。特に耕作面積が広いとは見受けられません。磐越東線が郡山ー三春ーいわきに通っていますので、太平洋と繋ぐ街道で栄えたとしか思えません。これといった産業もありません。観光は三春城と桜くらいです。
1868年は、慶応4年から明治元年へと元号が変わった年です。慶応4年の9月に明治と変わりました。約260年間続いた徳川幕府の江戸時代、ひいては、武士の時代が終わり、近代日本、明治時代に代わった年です。それからちょうど150年経った年が、2018年平成30年です。1868年は、干支(えと)で言うと、戊辰(ぼしん)の年にあたります。、戊辰から150周年の2018年は、各地で様々な催し物が開かれました。その一つに、「戊辰戦争150年」という企画展覧会が、新潟県立歴史博物館、
只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。今回第9弾は、「白石城」(宮城県白石市)の「櫓門」をお届けします。「白石城本丸大手二ノ御門」(木造復興)木造復興「本丸大手二ノ御門」(門の位置が右に寄る)白石の地は、「後三年の役」以降から藤原家が治め、続いて「白石家」が居館を建てていました。「豊臣秀吉」が全国統一を果たして「奥羽仕置き」による領地再編成を行った時に、「伊達政宗」から「会津若松城」と「白石
日本テレビ年末時代劇スペシャル第二弾『白虎隊』主題歌の『愛しき日々』ですTaishiofficialChannelTaishiYouTubeOfficialChannelTaishi(たぃし)BLUEROSEのVocalとして活動。バンドでの全作詞作曲編曲を手がけながら、ソロ歌手としての活動や、舞台音楽の担当、他アーティストへの楽曲提供など、多方面での音楽活動を展開中。お仕事の依頼やリクエスト問い合わせなどはメールかDMでお願いします。www.y
明治元年(皇紀2528・西暦1868)の「5月3日」は、世にいう奥羽越列藩同盟が結成された日になります。これは戊辰戦争の際、東北・北越諸藩が結成した反政府軍事同盟です。初めは東北諸藩のみの奥羽同盟でしたが、後に北越6藩が加盟して成立します。しかしその紐帯は強固ではなく、脱退する藩が相次ぎ瓦解。ほどなく平定されました。日本の新しい世紀と時代への歩み。その歩みの道程はいかに過酷で、また苦難に満ちたものであったのかを物語る出来事のひとつです。当時、アメリカをはじめとする欧米諸国はこの動向
今日は坂下門外の変で被害者となった人物、磐城平藩第五代藩主・安藤信正について触れてみたい。前回の【青天を衝け】第十話で、ちょろっとだけ登場した。演じていたのは岩瀬亮さん。中々知性的な風貌の俳優さんだ。40歳だと言う。実際に襲撃された時の安藤の年齢が42歳だから、年齢的にはベストマッチと言えるだろう。この肖像画を見た感じでも...銀行とかの支店長に居そうな...理知的な人物像を想像させられる。大老井伊直弼によって引きたれられ、老中に昇進した。小大名の出世コースとしては、絵に描いたよ