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「神戸ニニンガ日誌」(第3,681号)○映画で「事実に基づいた物語」とクレジットされる場合がある。「事実」が「真実」や「実話」の時もある。「事実」は1個で、「真実」には複数の解釈があるらしい。○例えば「どうすればよかったか?」や「ゆきゆきて神軍」などのドキュメンタリー映画は事実と言えるのか。当然、同じ作品を観ても観客の受け取り方や感じ方は違う。あまつさえ「ゆきゆきて神軍」で監督の演出がゼロとは言い難い。○昨年1月の当欄で「どうすればよかったか?」を取り上げた。そして「その問いには、
日本活動大写真寿百本寿一本から寿五十本目日本活動大写真情写真寿十本製作公開順『折鶴お千』86分無声白黒昭和十年(1935年)一月十五日封切製作第一映画主演山田五十鈴(お千)監督溝口健二◎平成十二年(2000年)二月四日京都文化博物館お千の絶対愛を山田五十鈴が生きる。『浪華悲歌』(なにわえれじい)トーキー白黒現存版71分(オリジナル89分)昭和十一年(1936年)五月二十八日公開製作第一映画主演
公開当時に劇場で鑑賞し、奥崎謙三という帰還兵の戦争犯罪を突き詰める執念に驚嘆した覚えがあります。初めて観た時は20歳ソコソコだったと思います。ただ妙な違和感だけは残りました。それが”何”なのか?はいずれ理解する時が来ます。時は現代、YouTubeで今作が無料公開され蒸し返すように話題になっていました。作品は凄まじいです。こんな人間居るのか?という事と、出演して居られる元日本兵の方の歯がボロボロ、そこばかりに目が行ってしまいました。当
伝説のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』がYouTubeにて無料公開中最近、TUTAYAが潰れ近所のGEOも私が観たい作品が全く置いてない残念なご時世の中非常に有難い!まだ、観た事はない方は是非、ご覧頂きたいですし私も次の休みはWi-Fi環境バッチリのカフェで奥崎謙三先生の怒号をフルヴォリュームで観て店員に警察に呼ばれるプレイを敢行する所存!そんなの屁の河童であります(嘘)ぜひ、もう一つの迷作【神様の愛い奴】も公開希望です!!(
原一男監督の代表作と言えるドキュメンタリー映画。地獄のセールスマンみたいなビジュアルのこの男性が今作の主人公、奥崎謙三です。戦争中パプアニューギニアで上官を殴って食糧を調達しながら帰還した、腕力にモノを言わせるタイプ。この映画に登場するまでに懲役を3回食らっています(昭和天皇に一般参賀でパチンコ弾を射り、さらに皇族の合成写真でポルノチラシを作って銀座のビルの屋上からばら撒いた)。奥崎曰く、昭和天皇は戦争責任を取っていない、一言も国民に謝罪がないとのこと。それで自ら決起して、かつての上官
『昭和の歴史5日中全面戦争』著者藤原彰1988年11月1日第1版発行1994年8月20日新装版発行小学館ライブラリー1937年から1941年に大日本帝國が中華民国を侵略した戦争を「日中全面戦争」として確かめている。大日本帝國は中華民国を侵略し、中華民国市民を殺害した。帝國にとって無謀な戦争であり、戦いを続けることは危険であることは十分に予測されていた。だが、天皇・政府・軍部は戦争中止・停戦・休戦の機会を正視できず、戦局は拡大し、大戦争の泥沼に帝國は陥り自滅
1987年日本ドキュメンタリーネタバレあらすじ第二次大戦時の激戦地ニューギニアからの生き残り兵の奥崎謙三は、戦後10年間、私利私欲に生き、殺人者にまで落ちぶれたが、刑務所内で、独自の思想や信仰に目覚める天皇や資本主義を批判し、世界人類皆平等を掲げ過激な市民活動を行う日々で、必要ならば、暴力で正義を為す奥崎が60歳を過ぎた頃、自身の活動に興味を持った本作監督の原一男の提案により、敗戦直後のニューギニアのジャングルである兵士二名が、隊長の命令で、食糧難により隊員に殺
奥崎謙三1920年2月1日兵庫県生まれ。2005年6月16日死去。1969年1月2日皇居において、戦死した戦友の無念を思い、「ヤマザキ、ピストルで天皇を撃て!」と叫び、裕仁にパチンコ玉を発射する。1981年から1983年の記録映像を原一男が撮影する。『ゆきゆきて、神軍』である。原一男(はら・かずお)昭和二十年(1945年)六月八日生まれ。映画監督・俳優。東京綜合写真専門学校を経て、光明擁護学校介助員の勤務を為し、田原総一朗のドキュメンタリーに学ぶ。
日本映画生命二十六本目『冷飯とおさんとちゃん』映画トーキー177分カラー昭和四十年(1965年)四月十日封切製作東映京都主演中村錦之助(柴山大四郎参太重吉)監督田坂具隆◎鑑賞日時場所平成十八年(2006年)五月十八日京都文化博物館映像ホール◎情を田坂具隆が映し出す。中村錦之助が三役を鮮やかに生きる。「森光子には映画のキャリアがない」等と言う無根拠暴言を喚く人間は、この大傑作と出会っていなんだろうね。お気の毒だねえ。日本映画生命二十七本目
奥崎謙三(おくざき・けんぞう)大正九年(1920年)二月一日兵庫県に誕生。平成十七年(2005年)六月十六日死去。八十五歳。バッテリー商・平和運動家・政治家・神軍平等兵。昭和十六年(1941年)中支九江工兵隊に入隊、後に独立工兵第三十六連隊に転属となり、ニューギニア戦場に派遣され、その苛酷な戦闘地域で生き残り、昭和二十一年(1946年)に復員し、故郷兵庫でサン電池工業所を自営する。ニューギニアの戦場で餓死・戦死した戦友達の無念を悲しみ、戦争の最
原一男(はら・かずお)昭和二十年(1945年)六月八日生まれ。映画監督・俳優。東京綜合写真専門学校を経て、光明擁護学校介助員の勤務を為し、田原総一朗のドキュメンタリーに学ぶ。昭和四十七年(1972年)に、脳性麻痺者のコミューン青い芝のメンバーを尋ねた記録フィルム『さようならCP』を、第一回監督作品として発表する。『さようならCP』映画トーキー82分白黒昭和四十七年(1972年)製作・撮影昭和四十九年(1974年)四月十日上映製作会社疾走
初代吉田玉男本名上田末一人形浄瑠璃文楽の人形遣い大正八年(1919年)一月七日誕生。平成十八年(2006年)九月二十四日死去。八十七歳。戦争中皇軍兵士として従軍した。戦後尊い遣いで浄瑠璃の心を客席の観客に教えてくれた。平成十四年(2002年)四月十日国立文楽劇場公演『通し狂言菅原伝授手習鑑』において、吉田玉男の菅丞相こと菅原道真を鑑賞した。昼夜通しの一日かかりの通しの上演であった。筆法伝授の段において御簾が開き菅原道真が現れ
U-NEXTで1987年のドキュメント映画「ゆきゆきて神軍」を見た。戦争から帰って来た奥崎謙三は、終戦直後のドサクサで上官の命令により殺されてしまった同僚の無念を晴らすべく当時の関係者を訪ねて歩く。だが、もうなかったことにしたい関係者はなかなか真実を語ろうとはしない。納得できない奥崎はしつこく問い詰め、時には暴力も振るう。やがて語られる関係者の当時。飢えをしのぐために人肉を食べたという衝撃の告白。奥崎はいわゆる一人左翼。戦争責任は天皇にあると主張。家の壁や車にはその手の主張が書いてあり
1987年公開のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』は、元帰還兵・奥崎謙三を追った作品です。「神軍平等兵」を名乗り、昭和天皇の戦争責任を過激に追及していく奥崎の行動を記録しています。●死の直前まで「馬鹿野郎」と周囲に奥崎は何ものも恐れず、自身の信念に従って突き進みます。訪問先の元軍人の家族の前でも暴力に及ぶ場面があり、見ている側は終始はらはらさせられます。しかも相手は老いて体の不自由な高齢者で、60代の奥崎が向き合う姿は、いわば老人同士の衝突です。その痛々しさは、より強く胸に迫って
奥崎謙三は大正九年(1920年)二月一日兵庫県明石市に誕生した。小学校卒業後、神戸・西宮・芦屋の商店で住み込みで労働をした。昭和十六年(1941年)三月二十一日岡山工兵隊、同年四月中支九江工兵隊に入隊し、十八年(1943年)一月独立工兵隊三十六連隊要員として転属を命じられ、ニューギニアの戦場に送られ、地獄の戦線を生き残った。原住民に「アメリカン・ソルジャー・カム・ガン」と胸を指して語り捕虜となった。昭和二十一年(1946年)日本帰国を命じ
可能な限りフィクションの部分を無くそうとしている多くのドキュメンタリー映画と対極にある非職業俳優(?)の行動を追った優れたドキュメンタリー映画。<ストーリー>1982年、兵庫県神戸市。妻・シズミと二人でバッテリー商を営む奥崎謙三は、ニューギニア戦の生き残りであり、69年に死んだ戦友の怨念をこめて“ヤマザキ、天皇を撃て!”と叫んで天皇にパチンコ玉4個を発射した男である。奥崎はニューギニアの地に自分の手で埋葬した故・島本一等兵の母を訪ね、彼女をニューギニアの
昭和十六年(1941年)十二月八日。昭和天皇が統帥していた大日本帝国軍隊はアメリカ合衆国ハワイオアフ島アメリカ軍基地を奇襲攻撃した。この年二十一歳の青年奥崎謙三は中支九江工兵隊に入隊し、後に独立工兵三十六連隊に転属となるが、ニューギニア戦線で生き抜き昭和二十一年(1946年)復員し生還した。謙三は戦争の最高責任者であった裕仁が責任を取らず、象徴天皇の地位にあることに深い悲しみを覚え、戦死した戦友の無念をこめて糾弾した。昭和四十四年一月二日東京のホテルに宿泊してい
もちろん吉村さんの作品はどんどん読みたいのだが、そのすべてを読むのは分量的にムリ。太平洋戦争や江戸時代のものに限って読むことにしている。さて店頭でであったこの文庫本のタイトルからはどんな内容だか推し量れない。裏表紙をみると、‘軍用機を爆破’云々と。ああ、(★)以前紹介したこの本と関係あるな、と。8つの短篇を収録していて、‘軍用機を爆破’についての表題作が全体の1/4ほどを占める。その小説‘逃亡’の舞台は完全に戦中だったが、‘月下美人’では取材時におけるその主人公氏と吉村さんとの相克、軋
令和七年(2025年)十月二十六日十七時十五分東京日仏学院において記録映画『ゆきゆきて、神軍』が上映されるらしい。奥崎謙三(おくざき・けんぞう)平和運動家・バッテリー商・神軍平等兵大正九年(1920年)二月一日兵庫県生まれ。亜細亜太平洋戦争・第二次世界大戦では、ニューギニア戦線に派遣され、独立工兵隊三十六連隊兵士として従軍し、過酷な戦場を生き抜き昭和二十一年(1946年)三月復員する。昭和四十四年(1969年)一月二日。皇居において奥崎謙三は戦死した戦友
「田中角栄を殺すために記す」という過激なメッセージが書かれている店のシャッターを、奥崎謙三が開けるところから、ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」は始まる。奥崎は結婚式で媒酌人を務め、スピーチで友人の犯罪歴を語り、また自分が人を殺して刑務所に入った事があることにも触れる。前科を持つ者同士の不思議な縁を奥崎はたんたんと語る。「花婿ならびに媒酌人、共に反体制活動をした前科者であるがゆえに実現した、類稀なる結婚式でございます」60代を迎えた奥崎は亡くなった戦友の墓参りをしているうちに、ニューギニ
「ゆきゆきて、神軍」1987年製作日本田中角栄と言えば、雪深い新潟の農家に生まれ、小学校卒の学歴から54歳で首相に登り詰め、「今太閤(現代版豊臣秀吉)」ともてはやされた。その裏で政治手法には批判が絶えず、不透明な資金源に対する「金脈疑念」もくすぶり続けた。その「田中角栄を殺すために記す」という過激なメッセージが書かれている店のシャッターを、奥崎謙三が開けるところから、1987年製作のドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」は始まる。奥崎は結婚式で媒酌人を務め、スピーチで友人の犯罪歴を語
映画館や美術館に行く時に大阪第三駅ビル地下二階で良く利用していた金券ショップや私が学生時代に愛読していたHな本のバックナンバーが売っていた古本屋が閉店しとるやんかーい!と途方にくれる沖田虎丸です!気を取り直し別の店で定価より240円くらい安い券を買い中之島美術館開催の上村松園展に行く!音声ガイドが木村多江さんで価格650円だったのでここはケチらず頼むが財布の中には1万円札一枚!『大きいのしか無いですが大丈夫でし
大昔、大学受験で数多くの大学に試験を受けに行ったのだが、元々頭が悪い上に、そもそも全く勉強しておらず受験料を無駄に使ったので、親にはいまだに申し訳なく思っている。という話の流れの中で、渋谷から少し足を伸ばすと、いつでも※絶好調な棒振りの方が在籍した坊さん系大学の受験日に、渋谷ユーロスペースで「※ゆきゆきて神軍」※原一男監督作品が上映されており、渋谷駅に着いた時点で大都会の喧騒に呑まれ息切れしていたため、迷わず映画館へ足を運んだのであった。絶好調デス中畑くん(こまこまTOM著)/古本倶楽部
「神戸ニニンガ日誌」(第3,332号)○映画「どうすればよかったか?」。私がみたドキュメンタリー映画ではあの「ゆきゆきて神軍」に次ぐ衝撃の作品だ。8歳上の姉が「統合失調症」になるが、親はそれを認めずに姉を家に閉じ込めてしまう。○冒頭①発症した理由を究明する事が目的ではない②どんな病気なのか説明する事も目的ではないと示される。○しかしだ、姉と両親を生で撮っている以上、理由が知りたくなり、どんな病気なのかが分かってしまう。病気になった理由ではなく、何故両親は隠すことにしたのか、という理
奥崎謙三(おくざき・けんぞう)大正九年(1920年)二月一日兵庫県に誕生。平成十七年(2005年)六月十六日死去。八十五歳。バッテリー商・平和運動家・政治家・神軍平等兵。昭和十六年(1941年)中支九江工兵隊に入隊、後に独立工兵第三十六連隊に転属となり、ニューギニア戦場に派遣され、その苛酷な戦闘地域で生き残り、昭和二十一年(1946年)に復員し、故郷兵庫でサン電池工業所を自営する。ニューギニアの戦場で餓死・戦死した戦友達の無念を悲しみ、戦争
昭和十六年(1941年)十二月八日。昭和天皇が統帥していた大日本帝国軍隊はアメリカ合衆国ハワイオアフ島アメリカ軍基地を奇襲攻撃した。この年二十一歳の青年奥崎謙三は中支九江工兵隊に入隊し、後に独立工兵三十六連隊に転属となったが、ニューギニア戦線で生き抜き昭和二十一年(1946年)復員し生還した。明治三十四年(1901年)四月二十九日裕仁は誕生した。迪宮裕仁は大正十五年(1926年)十二月二十五日天皇に即位した。昭和六十四年(1989年)一月七日八十七歳で死亡し昭