ブログ記事122件
1987年公開のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』は、元帰還兵・奥崎謙三を追った作品です。「神軍平等兵」を名乗り、昭和天皇の戦争責任を過激に追及していく奥崎の行動を記録しています。●死の直前まで「馬鹿野郎」と周囲に奥崎は何ものも恐れず、自身の信念に従って突き進みます。訪問先の元軍人の家族の前でも暴力に及ぶ場面があり、見ている側は終始はらはらさせられます。しかも相手は老いて体の不自由な高齢者で、60代の奥崎が向き合う姿は、いわば老人同士の衝突です。その痛々しさは、より強く胸に迫って
奥崎謙三(おくざき・けんぞう)大正九年(1920年)二月一日兵庫県に誕生。平成十七年(2005年)六月十六日死去。八十五歳。バッテリー商・平和運動家・政治家・神軍平等兵。昭和十六年(1941年)中支九江工兵隊に入隊、後に独立工兵第三十六連隊に転属となり、ニューギニア戦場に派遣され、その苛酷な戦闘地域で生き残り、昭和二十一年(1946年)に復員し、故郷兵庫でサン電池工業所を自営する。ニューギニアの戦場で餓死・戦死した戦友達の無念を悲しみ、戦争の最
奥崎謙三は大正九年(1920年)二月一日兵庫県明石市に誕生した。小学校卒業後、神戸・西宮・芦屋の商店で住み込みで労働をした。昭和十六年(1941年)三月二十一日岡山工兵隊、同年四月中支九江工兵隊に入隊し、十八年(1943年)一月独立工兵隊三十六連隊要員として転属を命じられ、ニューギニアの戦場に送られ、地獄の戦線を生き残った。原住民に「アメリカン・ソルジャー・カム・ガン」と胸を指して語り捕虜となった。昭和二十一年(1946年)日本帰国を命じ
可能な限りフィクションの部分を無くそうとしている多くのドキュメンタリー映画と対極にある非職業俳優(?)の行動を追った優れたドキュメンタリー映画。<ストーリー>1982年、兵庫県神戸市。妻・シズミと二人でバッテリー商を営む奥崎謙三は、ニューギニア戦の生き残りであり、69年に死んだ戦友の怨念をこめて“ヤマザキ、天皇を撃て!”と叫んで天皇にパチンコ玉4個を発射した男である。奥崎はニューギニアの地に自分の手で埋葬した故・島本一等兵の母を訪ね、彼女をニューギニアの
昭和十六年(1941年)十二月八日。昭和天皇が統帥していた大日本帝国軍隊はアメリカ合衆国ハワイオアフ島アメリカ軍基地を奇襲攻撃した。この年二十一歳の青年奥崎謙三は中支九江工兵隊に入隊し、後に独立工兵三十六連隊に転属となるが、ニューギニア戦線で生き抜き昭和二十一年(1946年)復員し生還した。謙三は戦争の最高責任者であった裕仁が責任を取らず、象徴天皇の地位にあることに深い悲しみを覚え、戦死した戦友の無念をこめて糾弾した。昭和四十四年一月二日東京のホテルに宿泊してい
もちろん吉村さんの作品はどんどん読みたいのだが、そのすべてを読むのは分量的にムリ。太平洋戦争や江戸時代のものに限って読むことにしている。さて店頭でであったこの文庫本のタイトルからはどんな内容だか推し量れない。裏表紙をみると、‘軍用機を爆破’云々と。ああ、(★)以前紹介したこの本と関係あるな、と。8つの短篇を収録していて、‘軍用機を爆破’についての表題作が全体の1/4ほどを占める。その小説‘逃亡’の舞台は完全に戦中だったが、‘月下美人’では取材時におけるその主人公氏と吉村さんとの相克、軋
令和七年(2025年)十月二十六日十七時十五分東京日仏学院において記録映画『ゆきゆきて、神軍』が上映されるらしい。奥崎謙三(おくざき・けんぞう)平和運動家・バッテリー商・神軍平等兵大正九年(1920年)二月一日兵庫県生まれ。亜細亜太平洋戦争・第二次世界大戦では、ニューギニア戦線に派遣され、独立工兵隊三十六連隊兵士として従軍し、過酷な戦場を生き抜き昭和二十一年(1946年)三月復員する。昭和四十四年(1969年)一月二日。皇居において奥崎謙三は戦死した戦友
「田中角栄を殺すために記す」という過激なメッセージが書かれている店のシャッターを、奥崎謙三が開けるところから、ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」は始まる。奥崎は結婚式で媒酌人を務め、スピーチで友人の犯罪歴を語り、また自分が人を殺して刑務所に入った事があることにも触れる。前科を持つ者同士の不思議な縁を奥崎はたんたんと語る。「花婿ならびに媒酌人、共に反体制活動をした前科者であるがゆえに実現した、類稀なる結婚式でございます」60代を迎えた奥崎は亡くなった戦友の墓参りをしているうちに、ニューギニ
「ゆきゆきて、神軍」1987年製作日本田中角栄と言えば、雪深い新潟の農家に生まれ、小学校卒の学歴から54歳で首相に登り詰め、「今太閤(現代版豊臣秀吉)」ともてはやされた。その裏で政治手法には批判が絶えず、不透明な資金源に対する「金脈疑念」もくすぶり続けた。その「田中角栄を殺すために記す」という過激なメッセージが書かれている店のシャッターを、奥崎謙三が開けるところから、1987年製作のドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」は始まる。奥崎は結婚式で媒酌人を務め、スピーチで友人の犯罪歴を語
映画館や美術館に行く時に大阪第三駅ビル地下二階で良く利用していた金券ショップや私が学生時代に愛読していたHな本のバックナンバーが売っていた古本屋が閉店しとるやんかーい!と途方にくれる沖田虎丸です!気を取り直し別の店で定価より240円くらい安い券を買い中之島美術館開催の上村松園展に行く!音声ガイドが木村多江さんで価格650円だったのでここはケチらず頼むが財布の中には1万円札一枚!『大きいのしか無いですが大丈夫でし
大昔、大学受験で数多くの大学に試験を受けに行ったのだが、元々頭が悪い上に、そもそも全く勉強しておらず受験料を無駄に使ったので、親にはいまだに申し訳なく思っている。という話の流れの中で、渋谷から少し足を伸ばすと、いつでも※絶好調な棒振りの方が在籍した坊さん系大学の受験日に、渋谷ユーロスペースで「※ゆきゆきて神軍」※原一男監督作品が上映されており、渋谷駅に着いた時点で大都会の喧騒に呑まれ息切れしていたため、迷わず映画館へ足を運んだのであった。絶好調デス中畑くん(こまこまTOM著)/古本倶楽部
「神戸ニニンガ日誌」(第3,332号)○映画「どうすればよかったか?」。私がみたドキュメンタリー映画ではあの「ゆきゆきて神軍」に次ぐ衝撃の作品だ。8歳上の姉が「統合失調症」になるが、親はそれを認めずに姉を家に閉じ込めてしまう。○冒頭①発症した理由を究明する事が目的ではない②どんな病気なのか説明する事も目的ではないと示される。○しかしだ、姉と両親を生で撮っている以上、理由が知りたくなり、どんな病気なのかが分かってしまう。病気になった理由ではなく、何故両親は隠すことにしたのか、という理
奥崎謙三(おくざき・けんぞう)大正九年(1920年)二月一日兵庫県に誕生。平成十七年(2005年)六月十六日死去。八十五歳。バッテリー商・平和運動家・政治家・神軍平等兵。昭和十六年(1941年)中支九江工兵隊に入隊、後に独立工兵第三十六連隊に転属となり、ニューギニア戦場に派遣され、その苛酷な戦闘地域で生き残り、昭和二十一年(1946年)に復員し、故郷兵庫でサン電池工業所を自営する。ニューギニアの戦場で餓死・戦死した戦友達の無念を悲しみ、戦争
昭和十六年(1941年)十二月八日。昭和天皇が統帥していた大日本帝国軍隊はアメリカ合衆国ハワイオアフ島アメリカ軍基地を奇襲攻撃した。この年二十一歳の青年奥崎謙三は中支九江工兵隊に入隊し、後に独立工兵三十六連隊に転属となったが、ニューギニア戦線で生き抜き昭和二十一年(1946年)復員し生還した。明治三十四年(1901年)四月二十九日裕仁は誕生した。迪宮裕仁は大正十五年(1926年)十二月二十五日天皇に即位した。昭和六十四年(1989年)一月七日八十七歳で死亡し昭
令和六年(2024年)九月十八日である。九十一回目の柳条湖事件の日である。昭和六年(1931年)九月十八日。大日本帝国関東軍は中華民国南満洲鉄道の線路を爆破した。関東軍の侵攻は進み滿洲全土を占領した。大日本帝国の陸・海・空軍を統帥していた存在は裕仁である。柳条湖事件の中心人物は板垣征四郎と石原莞爾である。(画像出典『戦争と人間』DVD)滿洲事変(九一八事変)を契機に大日本帝国の中華民国侵略は激化する。昭和十二年(1937年)七月
昭和二十年(1945年)八月六日午前八時十五分、アメリカ合衆国政府は軍に核兵器リトルボーイを投下した。広島では九万人から十六万六千人が亡くったと言われている。ハリー・S・トルーマン大統領の原子爆弾投下に悲憤の心を覚える。原子爆弾によって沢山の人々が命を奪われた。身体が焼け爛れ水を求めた人々。苦しみもがき肉が剥き出しになった人々。広島原爆投下の日の絵画や証言を見聞した。五十六万の人々が被爆したと言われている。原爆によって癌や重い病に罹り闘病されている方も多
初代吉田玉男本名上田末一人形浄瑠璃文楽の人形遣い大正八年(1919年)一月七日誕生。平成十八年(2006年)九月二十四日死去。八十七歳。戦争中皇軍兵士として従軍されました。戦後尊い遣いで浄瑠璃の心を客席の観客に教えて下さいました。平成十四年(2002年)四月十日国立文楽劇場公演『通し狂言菅原伝授手習鑑』において、吉田玉男の菅丞相こと菅原道真を鑑賞しました。昼夜通しの一日かかりの通しの上演でした。筆法伝授の段において
https://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-12834955549.html『奥崎謙三裕仁パチンコ玉狙撃事件五十五年』昭和四十四年(1969年)一月二日、皇居において奥崎謙三は裕仁にパチンコ玉を狙撃し、「山崎、ピストルで天皇を撃て!」と叫びました。謙三は、大正九年(19…ameblo.jp皆さまも、お大事に。
昭和四十四年(1969年)一月二日、皇居において奥崎謙三は裕仁にパチンコ玉を狙撃し、「山崎、ピストルで天皇を撃て!」と叫びました。謙三は、大正九年(1920年)二月一日に兵庫県に生まれました。昭和十六年(1941年)中支九江工兵隊に入隊、後に独立工兵第三十六連隊に転属となり、ニューギニア戦場に派遣され、その苛酷な戦闘地域で生き残り、昭和二十一年(1946年)に復員し、故郷兵庫でサン電池工業所を自営します。ニューギニアの戦場で餓死・戦死した戦友達の無念を悲
「神戸ニニンガ日誌」(第3,102号)○映画「ほかげ」。塚本晋也監督が敗戦直後の闇市を舞台にし、かろうじて生きる人たちの叫びを描く。主演は「ブギウギ」の趣里。朝のスズ子とは思えない闇の女。○女は酒のついでに春も売る。元締が居て、例に洩れず悪い奴。いつの間にか復員兵と孤児が居つく。孤児は拾った拳銃を持っている。○孤児はテキ屋の森山未來に「仕事」を頼まれる。テキ屋は孤児の拳銃を使って元上官に復讐を果たすのだ。「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三を思い出す。戦時には何をしても許されるのか。
昭和十六年(1941年)十二月八日。昭和天皇が統帥していた大日本帝国軍隊はアメリカ合衆国ハワイオアフ島アメリカ軍基地を奇襲攻撃しました。この年二十一歳の青年奥崎謙三は中支九江工兵隊に入隊し、後に独立工兵三十六連隊に転属となりますが、ニューギニア戦線で生き抜き昭和二十一年(1946年)復員し生還します。謙三は戦争の最高責任者であった裕仁が責任を取らず、象徴天皇の地位にあることに深い悲しみを覚え、戦死した戦友の無念をこめて糾弾しました。昭和四十四年一月二日東京のホ
勝者と敗者の違い:Geekなぺーじwww.geekpage.jp酸欠少女さユり『酸欠少女』MV(フルver)2ndアルバム『酸欠少女』のタイトル曲となる「酸欠少女」のMVが公開。監督:アフガンRAY振付:黒須育海照明:重村文哉制作:佐藤勇太春日善之2ndアルバム『酸欠少女』2022年8月10日発売。豪華全11曲を収録した、1stアルバム『ミカヅキの航海』以降の“酸欠少女”さユりの軌跡が詰ま...www.youtube.com八紘一宇正確に
酷暑と台風、最近は踏んだり蹴ったりの京都。そんな中で昨日観ていた「ゆきゆきて、神軍」。太平洋戦争のニューギニア戦線で生き残り、「神軍平等兵」と称して慰霊と天皇の戦争責任の追及を続けた奥崎謙三の破天荒な言動を追うドキュメンタリー。1987年作品、今村昌平企画、原一男監督。公開当時に観て、余りにもクレイジーな奥崎謙三の生き様、映画の破壊力に衝撃を受けた作品だった。その時は奥崎の印象が強烈すぎて内容を忘れてしまっていたが、後半で執拗に追求し続けた隊長による部下射殺事件。ジャングルを
1937年(昭和十二年)七月七日盧溝橋事件が起こりました。中華民国北京西南方向の盧溝橋において大日本帝国軍隊と中国国民革命軍の軍事衝突事件です。戦闘・和平交渉がありましたが、裕仁統帥軍隊は中国侵略・民虐殺を犯しました。盧溝橋事件は日中戦争の発端となりました。(画像出典『戦争と人間完結篇』)日中戦争で亡くなられた方々に哀悼の意を表します。日中戦争(日華事変)の発端となった盧溝橋事件八十六年の今日2023年(令和五年)七月七日福島第一原発放射能事
奥崎謙三(おくざき・けんぞう)平和運動家・バッテリー商・神軍平等兵大正九年(1920年)二月一日兵庫県生まれ。亜細亜太平洋戦争・第二次世界大戦では、ニューギニア戦線に派遣され、独立工兵隊三十六連隊兵士として従軍し、過酷な戦場を生き抜き昭和二十一年(1946年)三月復員する。昭和四十四年(1969年)一月二日。皇居において奥崎謙三は戦死した戦友の無念を思い、一般参賀に現れた裕仁に対して、「ヤマザキ、ピストルで天皇を撃て!」と語ってパチンコ玉を発射した。
原一男(はら・かずお)昭和二十年(1945年)六月八日生まれ。映画監督奥崎謙三(おくざき・けんぞう)大正九年(1920年)二月一日兵庫県に誕生。平成十七年(2005年)六月十六日死去。八十五歳。バッテリー商・平和運動家・政治家・神軍平等兵。昭和十六年(1941年)中支九江工兵隊に入隊、後に独立工兵第三十六連隊に転属となり、ニューギニア戦場に派遣され、その苛酷な戦闘地域で生き残り、昭和二十一年(1946年)に復員し、故郷兵庫でサン電池工業所を自