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北九州門司区の清年神社に向かう。神社は山の斜面の住宅地を抜けた先にある。車では行けないので、近隣に駐車して路地を歩く。少々道に迷ったので、住民に場所を聞いて辿り着いた。まずは参拝する。拝殿の後ろに奉納砲弾がある。24㎝砲弾。台石に奉納の由来書きが記されている。「明治廿七八年戰役ニ於テ我軍ノ為ニ破壊サレタル威海衛堡塁團ニ設ケアリシ廿四珊知米突海岸砲使用スル砲弾〇〇紀念ノ為メ当地取寄」奉納されたのは、威海衛の砲台に配備された24㎝加農の砲
今日は大阪市城東区に位置する諏訪神社に向かう。最寄りはJR放出駅。“はなてん”と読む難解地名だが、関西に住んでいた頃はハナテン中古車センターのCMでお馴染みだった。駅から歩いて10分程度で諏訪神社に到着する。説明書き。参道を進む。右手に昭和39年4月建之の「日露戦役凱旋紀念碑」が建っている。題字の揮毫者は不明。下部に出征軍人の芳名が刻まれている。===================[日露戦争の説明→→]===================
昨日に引き続き、福岡県飯塚市内住の大山祇神社に滞在している。社号碑に「村社」とあるが、戦前、この地域は明治22年の町村制施行により大分村(だいぶむら)となった。戦後の昭和30年、村は筑穂町と穂波村(のち穂波町)に分割され消滅。大山祇神社のある内住は筑穂町となったが、平成18年、飯塚市と合併した。********************************魚形水雷は青島陥落記念碑の後ろに転がっている。魚形水雷===================以下、魚形
今日は福岡県飯塚市内住(ないじゅう)の大山祇神社に訪れる。社号碑に「村社」とあるが、戦前、この地域は明治22年の町村制施行により大分村(だいぶむら)となった。戦後の昭和30年、村は筑穂町と穂波村(のち穂波町)に分割され消滅。大山祇神社のある内住は筑穂町となったが、平成18年、飯塚市と合併した。*************************大山祇神社には、「日露戦役記念碑」「青島陥落紀念砲弾」「魚形水雷」があるが、「魚形水雷」は次回取り上げる。一の鳥居を潜ると「日露戦
今日は北九州市小倉南区朽網(くさみ)の貴船神社を訪問する。鳥居前左手に「奉納砲弾」がある。日露戦役捕獲弾明治三十九年九月獻納二面に出征軍人の芳名が刻まれている。==============鳥居前右手には「戦捷紀念碑」が建っている。従軍軍人建之。明治二十七八年之役は日清戦争のこと。下部に従軍者と思われる芳名が刻まれている。========================【日清戦争・日露戦争の説明→→→】====================
水巻町と隣接する北九州市八幡西区には鷹見神社が数多く存在しており、それぞれ地名を冠に付けて区別しているが、今日は水巻町の遠賀川に面した場所に位置する猪熊鷹見神社を訪れる。鳥居をくぐった左手に砲弾を乗せた戦捷記念碑が建っている。本物の砲弾なのか模造品なのかよく分からない...と言うかよく確認してない。題字の左横に角印が2つ刻印されているが、誰を表しているのか不明。明治四十三年一月建之。年代から察するに、日露戦争の戦勝記念碑として建立されたと思われるが、台石には明治10
大分県別府市にある吉弘神社は、戦国の武将吉弘統幸(よしひろむねゆき)を祀る神社である。戦国大名大友氏に仕えた吉弘統幸は多くの合戦で武功を挙げたが、1600年、石垣原合戦で敗死した。忠義を貫いた豊後最強の武将を祀るため、1632年ごろに神殿(石祠)が、1854年に拝殿が造営された。神社裏手には統幸の墓がある。現在の拝殿は平成期に造営。なお、吉弘神社は石垣原合戦が行われた場所に建っており、この一帯は大正の頃から石垣原公園として整備された。大正14年の「最新案内別府温泉20版
中間市上底井野(かみそこいの)地区の御座瀬山に建つ忠魂碑を訪れる。この地は旧上底井野村があった地域である。江戸時代の福岡藩主黒田長政の時代に底井野に遊猟場が設けられ、2代藩主忠之の代には御座瀬山に別荘が建てられた。これが底井野の御茶屋といわれるもので、3代藩主光之時代には、藩主や家老などが月見や花見、舟遊びなどを楽しんだといわれる。なお、行政区分としては、明治22年の町村制施行で底井野村となり、昭和7年には中間町に編入、昭和33年に中間市が誕生して今に至る。御座瀬山は標高10m
馬島(うましま)は北九州市小倉北区に属する有人島である。周囲5.4kmと小さい島だが、小倉港~馬島~藍島を結ぶ市営渡船が就航しており、馬島へは本土から25分ほどの乗船で渡ることができる。小倉駅の北側に渡船乗り場がある。馬島の300m北東には六連島がある。こちらは山口県下関市に属する島だが、馬島は「小六連島」とも呼ばれている。六連島の海岸から馬島を見ているが、目と鼻の先にあることが分かる。*******************************集落北方に島唯一の
中津城址の公園地内にある中津大神宮の境内に奉納砲弾が祀られている。奉納砲弾は拝殿の手前に置かれている。正面に「日露紀念」、他面に経緯や砲弾の重量等、下部に従軍者の芳名が刻まれている。正面右面裏面左面明治三十七八年戦役ノ際旅順要塞攻囲軍に参加セシ砲兵軍人相議リ二百三高地ニ於テ収集セル発射弾丸ヲ獻納シ以テ戰捷ノ紀念トス重量五十六貫(21㎏)長サ二尺七寸(81㎝)直径九寸三分(28㎝)**********************
芦屋町北東の狩尾岬にある狩尾神社には、日露戦争関連の石造物が建っている。========================【日露戦争の説明→→→】========================浜辺に建つ鳥居二の鳥居石段を上がると参道の先に本殿があったはずだが、現存していない。「日露戦役紀念明治四十一年五月」と彫られた台石がある。おそらくこの上に砲弾が置かれていたのだろう。****************************旅順白玉山表忠塔模型と
宗像大社辺津宮の南側に位置する「宗像護国神社」は、昭和38年に鎮祭され、日清・日露戦役から大東亜戦争に服した英霊が祀られている。拝殿由来書き日露戦争の殉国者芳名「敵弾」と刻まれた台石の上に砲弾が祀られている。砲弾は日露戦争の戦利品。宗像郡海軍人紀念。出征者芳名と経緯が刻まれている。========================【日露戦争の説明→→→】========================
柱島群島周遊の船旅は2023年3月に行きましたが、黒島→柱島と渡って、最後に端島(はしま)に上陸しました。柱島群島の紹介とアクセス、柱島の遺構記事は2つ前の記事をご覧下さい。『山口県の戦争遺跡199~三島神社に残る砲弾と機雷(岩国市黒島)』柱島群島は、岩国市中心部から南東の沖に浮かぶ有人島3島、無人島9島、合計12島で構成された島々です。本土からは22~26㎞ほど離れていますが、有人島の人口は、…ameblo.jp******************************岩国市
柱島群島は、岩国市中心部から南東の沖に浮かぶ有人島3島、無人島9島、合計12島で構成された島々です。本土からは22~26㎞ほど離れていますが、有人島の人口は、柱島(はしらじま)91人、黒島(くろしま)13人、端島(はしま)15人、合計119人(令和7年4月1日現在の住民基本台帳による)となっています。地図で場所を示します。柳井市の琴石山山頂から望む。柱島群島の紹介は岩国市の紹介記事にて。・岩国市HP「柱島群島みどころマップ」・岩国市文化振興課「いわくに文化訪財探訪」
今日は柳井市市街地の東側に鎮座する代田(しろた)八幡宮を訪れます。来ました(・∀・)一ノ鳥居の扁額。鳥居の由緒書き。嘉永18年(1639)建立で、県内で4番目に古いものだそうです。ニノ鳥居をくぐります。こちらの扁額は石製です。小さい亀さん(^^)亀趺としては超小型ですね。目的の奉納砲弾の台石は注連柱(しめばしら)の左手にあります。コレです。この上には奉納砲弾が立っていましたが、現在では残っていません。よって台座部分だけ残っていると言うわけですが、
今日は山口市大内長野にある長野八幡宮を訪れます。ちなみに、こちらの八幡宮に砲弾が置かれているのに気づいたのは最近のことでした。山口市民なのに近場を見逃しているとはね(^^;やってきました(・∀・)由来です。鳥居の横に大きな石碑が置かれています。「長野児童遊園地〇〇誕生記念」と彫られているようですが、〇〇が判読できません。ただ、境内は広くて庭園のようになっており遊具も置かれていますので、古くから児童遊園地として親しまれたのでしょう。秘密のトンネルがこしらえてあ
今日は周南市須々万(すすま)の飛龍八幡宮を訪れます。黒丸のところね。到着。飛龍と言うだけあってたくさんの龍が住んでいます。参拝。奉納砲弾の台石、、、と思しき物は拝殿両側の矢印の所にあります。左の台石には円柱で、「御即位紀念」とあります。対して右側は六角柱で、表面には奉献の文字。側面と裏面は、、、。六十一〇記念高階きくの大正三年十月〇部分は掠れて見難いのですが、もし“歳”なら、きくのさんの61歳記念に奉納した“何か”と言うこと
今日は光市/田布施町から離れて、周南市東部の二所(にしょ)神社を訪問します。下松~柳井ラインは市や町が入り組んでいて非常に分かり難いです。地図で見ると周南市が下松市に覆いかぶさっている感じですね。なお黒丸が二所神社のある場所となりますが、特別天然記念物のナベヅルの渡来で有名な八代地区にあります。鳥居前に到着。亀趺に挨拶してから入ります。参道を進みます。由緒書き。まずは参拝。境内は広いです。上の写真を撮影した所に奉納砲弾が祀られています。見難いです
昨日に引き続き田布施町の奉納砲弾を見に行きます。昨日の多賀神社から南下すること車で20分、八幡八幡宮に到着です。長い参道を歩いて鳥居をくぐります。参拝。拝殿の両側に奉納砲弾が祀られています。ではまずは右側から。ん?なんか既視感...(・_・;)昨日見た多賀神社の奉納砲弾とまったく同じです。岩本さん、再び(・∀・)国家隆〇大正四年三月二十一日山口県熊毛郡田布施村大字大波野字岩永岩本〇蔵奉納された年月日も多賀神社の物と同じです。しか
今日は田布施町北部の多賀神社を訪れます。こちらから上がって行きます。到着。矢印の所に奉納砲弾がありますが、まずは参拝します。お百度参りの木札があります。奉納砲弾です。アバウトな計測で、直径22㎝、長さ80㎝です。台石に文字が刻まれています。国家隆〇大正四年三月二十一日山口県熊毛郡田布施村大字大波野字岩永岩本〇蔵大正4年は1915年。今から108年前に岩本さんが奉納した砲弾のようです。奉納砲弾の紹介は以上です。夛?な
今日は、徳山駅南口のすぐ近くに鎮座する倉姫稲荷神社を参拝します。さっそくですが到着。正面奥が徳山駅南口(新幹線口)です。奉納砲弾や戦役記念碑探しで稲荷神社を訪れるのは初めてです。扁額には、最正位倉姫点玉とあります。稲荷神社なので狛犬ではなく狐です。社殿に参拝。なお神社の由来は説明書きが無いので不明です。奉納砲弾は社殿の左手にあります。ヨリで。採寸していませんが、これまで見てきた中では一番小さいです。よく見ると文字が書いてあるので拡大してみます
今日は周南市北部の二所山田(にしょやまだ)神社を訪問します。周南市は平成15年(2003)に、徳山市、新南陽市、都濃郡鹿野町、熊毛郡熊毛町の4市町が合併して誕生しましたが、二所山田神社は旧鹿野町に建っており、周南市街地からは車で40分ほどかかります。それでは参道から入っていきます。神社の由来です。参道右手に忠魂碑が立っています。大正7年(1918)3月10日建焉と彫られていますが、元々は鹿野小学校の校庭に建てられ、のちにココに移設されたようです。題字の揮毫は、
今日は粭島(すくもじま)にある貴船神社の奉納砲弾を紹介します。粭島は徳山湾の入口に浮かぶ周囲2㎞の有人島で、大島半島とは昭和42年(1967)に架橋された小瀬戸橋で繋がっています。とおの山から徳山湾を一望。矢印が粭島です。大島半島南部の八合山から見るとこんな感じ。粭島の右手の山の上にレンガ積みの煙突が立っていますので、ちょっと拡大して見てみます。旧日本金属徳山精錬所が大正5年(1916年)に建てた煙突です。全長は72mあるそうですが、上部は破損して亀裂が入っています
空襲の痕跡:綿神社、長全寺、当時の世相を伝える物:上飯田六所宮、日比津町の乃木希典像、比良六所社、庄内公園、下中八幡宮、神明社、七所社、浄信寺今日も自転車で巡りました。気温33℃だけど、暑さのピークは過ぎたなって感じです。今日の感想熊野社にも明治100年記念があったけど、それが何なのかがとっても気になります。石灯篭の横に絵が彫られているのはよく見るけど、星とか錨が彫ってあるあるのは初めて見ました。
下中八幡宮(押木田町1丁目1)八紘一宇碑があります。御大典記念鳥居七所社(岩塚町上小路7)奉納砲弾です。
今日は下関駅の北西部、響灘を望む金比羅山中腹に鎮座する金毘羅宮を訪れます。場所はこちら。下関駅から車で10分もかからず到着します。「こんぴら」の漢字表記ですが、「金毘羅宮」は境内に置かれている神額にこの漢字が使われていますので「金毘羅」としましたが、周辺の住所は「金比羅町」となります。またすぐそばには「金比羅公園」がありますが、ココは元々明治期に築城された「金比羅山堡塁」があった場所となります。ちなみに堡塁の名前も史料によっては金毘羅の表記も見られますので、とどのつまりどちらの漢字
長門→下関→長門→下関と行ったり来たりしていますが、今日は下関市南東部の清末(きよすえ)地区にある清末八幡宮を訪れます。清末について最近書いたなぁと思ったら、内日(うつい)から清末に抜ける峠道にある兵士見送り場に関しての記事でした。興味ある方はこちらをご覧下さい。『山口県の戦争遺跡107~兵士見送り場(下関市内日)』今日紹介する兵士見送り場は、内陸部の内日(うつい)地区から高地(たかじ)峠を越えて沿岸部の清末(きよすえ)地区に繋がる峠道にあります。この道は古来より山陽の小…amebl
再び仙崎に戻って八阪神社を訪れます。引揚港紹介の時に使った地図にて場所を確認します。やさか神社と言えば京都の八坂神社が有名ですが、そう言えば以前京都に住んでいた時、八坂神社の近くに場外馬券場があったのでよく神頼みに行っていたのを思い出します。そんな話、どうでもいいって?(笑)ところで仙崎のやさか神社の「さか」の字は、現地の説明看板では「阪」を使っていますが、長門市の観光案内では「坂」で紹介しています。近隣のバス停も「八坂神社前」です。そもそも本殿に掲げられている神額と鳥居のソレ
今日は日露戦役記念砲弾が置かれた周防国衙跡を訪れます。645年の大化の改新後、我が国は中央集権国家を成立させるため、中国から継受した律令による制度や機構を整えましたが、地方においてもそれまでの豪族による支配(国造制)から律令制下における地方行政組織の区郡里制を導入しました。この制度では全国を国、郡、里の三段階の行政区画に編成し、国には朝廷から国司を派遣、郡には現地の有力豪族を郡司に任命、里には同じく現地の村落の有力者を里長に任じました。国(令制国)は60余りに区分されましたが、その国にお
昨日紹介した防府市護国神社からすぐ近くにある老松(おいまつ)神社に、奉納砲弾が置かれています。それでは参道を進んで行きます。境内には目を引く大きさのクスノキがあります。説明書きによると、樹齢二千有余年と伝えられているそうです。神社の由来です。参拝します。奉納砲弾は拝殿の右側に祀られています。砲弾をヨリで。文字が刻まれています。奉納明治三十三年十一月従七位勲六等〇〇〇〇(人名)台石にも同じことが彫られています。奉納砲弾の多くは戦役で