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昨日の帰り道、なんだか太陽が大きく撮れてしまった。奈良盆地と生駒山。この風景も嫌いじゃない。奈良市のご当地マンホールは鹿。
2023.12.29
昨日の葛城山の続きです。秋の空と雲も大満喫でした。奈良盆地は空がひろーい!心までのびのびします(^o^)#葛城山#奈良盆地#秋の空#秋の雲
こんな↓ふうに…マンジュシャゲがショゲカエルと……こんどはコスモスが満開です。いよいよ秋も佳境。あと3ヶ月かあ。「コスモスの迷ふ道にも出口あり」がんばろ。あと少し…。2023.10.9
360度の展望台に行ってみた。北は60キロの彼方に比叡山が。東60キロには大台ケ原。南は二上、葛城、金剛の山々と吉野山。明日香の方に大和三山。西は六甲播磨から淡路島。堺の海近くには大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、その手前に百舌鳥古墳群。無料の明神山駐車場に停めて、ゆっくり登って1時間弱。新興住宅地を抜けて、舗装されたハイキング道を上がる。犬を連れた人達も多い。すぐ近くの馬見丘陵公園でダリアの花を見て帰った。
私は仕事やプライベートで高田バイパスをよく使います。高田バイパスを東向に行くと、正面に畝傍山、そして三輪山が見えます。三輪山に連なる山々や若草山も見えます。西向きに走ると、二上山、葛城山、金剛山、信貴山、生駒山が見えますよく見ればとお~くに大峯山も見えますおそらく、桜井識子さん説の役行者さんの伝説がある山は神様がおられる~の伝説にほぼ当てはまる山々です奈良盆地をずっと守っていらっしゃる神々ですバイパスを通る時、遥拝し、心の中で感謝を伝えます。雨が上がった時など、雲や霧がかかり、それ
「閑話休題」(五五)一,本年一月に,奈良市の「富雄丸山古墳」(四世紀後半)から出土したと発表のあった,長さ二三七センチメートルという日本最大の鉄剣が,六月二七日に橿原考古学研究所で報道陣に初めて公開されたとの記事が朝日新聞に載った。今回は,片面のクリーニングが終わったことでの公開だったそうである。鉄剣は,左右にうねるように曲がる「蛇行剣」で,武器として使うには大きすぎるようである。そのため,祭事で使われたのではないか,というのが大方の見方のようである。この古墳につい
令和5年5月4日今年のゴールデンウィークはどこも人で混み合ってそうなので家でゴロゴロしようかとも思った。でも近場なら人混みを避け意外と穴場?かと思いお出かけ。まずは三郷駅で下車。以前から気になっていた奈良の三郷町にある4年前に訪れた龍田大社の本宮跡と降臨された場所へ行く。まずは現在地の龍田大社へ。もみじの手水に癒される。本殿参拝後、来た道を戻り住宅地を抜け龍田古道入り口に到着。ここからが気になっていたとこで山道を登る。久しぶりの山道。天気も良く虫たちも活発に活動している。入り
高台に田畑が、段々と広がるところです見通しが良ければ若草山も見えるかもです田んぼの掘り起こしはまだ、行われてなかったです夏の花火大会もここから見ることができます上から見る花火まんまると、あめ玉のようですホテル奈良さくらいの郷楽天トラベル~ゲストハウス和櫻クラシカルモダンが心地よい~【VacationSTAY提供】楽天トラベルホテルルートイン桜井駅前楽天トラベル
この前(お休みの日)、奈良盆地南端にある「船路(ふなじ)の里船宿寺」へ行きました。「船」「舟」の名がつけられたこの地は、縄文海進の頃、茅渟の海(大阪湾)と繋がって海だったといいます。でもね標高200メートルぐらいあるんですよ。海だったって話、ほんとかな?(笑)日本列島に縄文海進があったのは間違いありません。では、現在の内陸部のどこまでが海だったのだろう?そしてどこあたりまで舟運可能だったのだろう?疑問ばかりです。眼前の現実景色の中に見えない歴史を見たいと思います。ちらっとでも見せて
大鳥居主祭神「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」さまのお名前が書かれてます参道右手に↓手水舎斜め後ろの木からにわとりさんの元気な鳴き声が響いていますこちら重要文化財↑の楼門楼門の屋根の下「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の字は、明治・大正の元老として有名な山縣有朋(やまがたありとも)の筆(神宮さんの案内より)この奥にある御禁足地が御本地とされ、こちらは拝殿🙏(分かりにくくてすみません)左右の陽だまりに、鶏さんが集まってて可愛いのです💕烏骨鶏さ
今日は大ちゃんの精神科受診日大ちゃんここ数日は昼夜逆転治って朝ごはんも食べてますただ頭が変な感じするって…奈良は明け方雨がザーザーだったけど家を出る頃にはやんで電車を乗り継ぎ…大和八木に近付くと晴れ間が出て来て…この辺りでやっぱり奈良って盆地だな~なんてしみじみ感じる大和の山々に囲まれて本当にいつもこの辺りで心が震えます大和八木に着いたら…晴れた雲がくっきり半分何だか面白いけど…ふと陰陽☯だな~と…冬至に真ん中に立って中庸だな~と
本日は書籍紹介をいたします。今回取り上げるのはこちら、野崎清孝『村落社会の地域構造』海青社、1988年村、と言いますと今では都市との対比で、何かしらひなびた田舎というようなイメージがありますが、村落共同体はかつての日本社会を形作る基礎的構成単位のひとつだったと言えるでしょう。本書はそのような「村」という社会単位について、歴史地理学の観点から切り込んだ研究となります。著者の野崎氏は本書刊行当時、奈良大学の教授ですので、本書の研究対象も中心は奈良盆地になりますが、それにとどまら
毎度です2022年11月6日(日)の話猛烈にお天気がええですがな・・んなもん、じっとしとれませんがな・・で、行って来ましたここパノラマにしたら細かい所が見えんが絶景具合は分かりますかいな部分拡大奥は生駒山初めて行ったんだけど奈良にこんな場所があったのかと・・スマホで撮ってみました雰囲気は伝わるでしょうかちょっと風の音と周囲の音が入りますみかん?収穫してはったり・・実はここはグルグルマップで色々と探してみつけておいた場所
東京滞在も長くなり広島での用事も迫ってきたのでいったん離れることにしましたいつ見ても富士山は感動します連日の猛暑で雪も溶けていたようですが急に冷え込んできました今回は関西を経由します名古屋から亀山や天理を経由途中で奈良盆地を見渡せるこの場所で休憩したのですがなんという峠だったか・・この写真はカメラが3つついているiPhoneを借りたのですがすごく綺麗でびっくりしました
9月1日大和/矢田丘陵白石畑から松尾寺を経て矢田寺へ雨時々止む集落を抜けるとすぐに車道は尽き、人しか通れない細径になる。やがて道は丘の上の古刹、松尾寺の境内へ(写真中)。この寺には麓から車道が上ってきているが、そこを過ぎるとまた細径になる。木立の途切れた一画からは、奈良盆地を挟んで大峰方面の山並みが望めた(写真下)。雨は止むかと思うとまた強まり、それに呼応するように雷がとどろいた。
2022.05.11秘境感あふれる幽玄の地~天河神社~を参拝した後に、遣って来た場所は若草山山頂こちらも・・・私のワガママで連れて来てもらった場所ですドライブウェイを走り、山頂駐車場へと向かい、そこからは徒歩にて移動しますここは・・・標高342mに位置している別名『三笠山』丸い山が三段に重なっているため、この名が付いたそうです。勿論~ここには、鹿ちゃんが居るのですヨ奈良盆地を眺めつつ・・・鹿を愛でるのです雨は降ってはいませんが・・・雲が多めでも・・・時折、雲の隙間
前エントリーの道標の画像のところから、暗峠を後に北へ。曲がりなりにも“国道”であり“車道”だった道とは違い、完全に山道である。まあ、でも、歩き込まれたしっかりした道で、またほとんどの経路が信貴生駒スカイラインと並走しているので、安心感もある。途中にあった「パノラマ展望台」。縦走路は、ここのスカイラインの駐車場に上がっている。こちらは奈良盆地方面。一方、大阪平野方面…真ん中にあるのは送電鉄塔。ハレーションおこしてますな。うっすらですが、明石海峡大橋が見えています。駐車場には飲料の自
さあ今回のメイン遠征地である奈良までやって来ました。すでに先日の記事でもちょっと触れていましたが、目的は大和路線の201系。中央線で長年親しみのあった201系も今やここが最後の活躍の場、、ひっょとしたら自分にとっては現役201系に会えるラストチャンスかも知れませんそう思って悔いの残らぬよう奈良線らしい景色の中で201系を狙っていきたいと思います。さて、前日の夜に到着し宿泊していたのは奈良駅前のホテル。難波方ではなく、わざわざ201系の本数が少ないこちら側を
https://youtu.be/H9cmHLCXOTk酒場詩人・吉田類さんのTV番組「日本百低山」の〈奈良・山の辺の道&龍王山〉の回を観たアニキ(職場の大先輩)から、「同じコースを案内してほしい!」と興奮気味にメッセージが送られて来たのは寒い時季の事。希望コースの案内をたのまれたとはいえ、〈山の辺の道〉を9km歩いた後に龍王山の登山が始まる…初登山のアニキにこの距離・コースは……??心配&反省が頭の中をグルグルと巡りながら登る龍王山。足取りはゆっくりになりながらも、文句を言わずに黙々と
舞洲のネモフィラその壮大さには感動したほかのネモフィラを調べてみた奈良にもたくさんのネモフィラがあった県営馬見丘陵公園で見られる京都からはちょっと遠いが行ってみた2時間近くかかったかようやくたどり着いた舞洲と違って、駐車場、入園料とも無料収入がないので、ありがたい駐車場から園内へ月曜日なので施設は休業中園内地図は、入口の看板のみかなり広い最初にナガレ山古墳へ奈良盆地の眺めはまずまず続いて上池から菖蒲園、花
2022年4月16日千寿亭で三輪そうめんを頂いた後、近くにある「唐古・鍵遺跡史跡公園」にやってきました。今から約2,000年前の弥生時代、奈良盆地の中央に位置するこの地にあった、日本最大級の集落の遺跡です。約42万㎡(甲子園10個分)という大きな面積を誇り、弥生時代前期から後期まで約700年間もの長い間、途切れずに集落として存在し続けていたそうです。弥生時代研究にとって非常に重要な遺跡であることから、平成11年に遺跡の中心部分が国の史跡に指定されました。
SHOCOしょこのブログへご訪問ありがとうございます田畑の広がる奈良盆地を歩くわたしの目に鮮やかに咲く梅の花が飛び込むと大きな歓声を胸にしまい込み近づいていくのです会いにきてくれたのねえとたくさんの愛おしい声と笑顔2020.02.15奈良県手作りの堆肥を運んでおられた農家さんにご挨拶させていただきくどうぞどうぞいくらでも撮ってくださいねと温かいお言葉を返してくれるあ〜なんて
2月は、お初ちゃんの誕生日月です。先月、誕生日ランチをご馳走になった私、今月は私がご馳走しなければと、2人の共通の知人情報のお蕎麦屋さんで、細やかな誕生日ランチ会を、開催する運びとなりました。知人は、普通のお蕎麦屋さんの様な口ぶりだったんですが、とても雰囲気👍のお蕎麦屋さんで、
談山神社のバス停から、神社までは10分ほど。しかし平日ということもあってか、人っ子一人見当たらず…同じバスをおりたおばあさんもどこかへ消えたw神社の前には参道がありましたが、店も全て閉まってる…さびしい…そして寒い…寒すぎて自販機で缶コーヒーを買う。参道に面した大箱なホテルも休業中…熱海みたい。とりあえず神社入り口に到着。あたりに人はいませんが受付には人がいる!よかった!拝観料を払い、案内パンフレットなどをいただき、境内の階段を登る。すぐ脇に夫婦杉。なるほど、二股に分かれているか
1月20日大和/正暦寺から圓照寺を経て奈良市街へ戻る正暦寺から里へ下った。途中、これも歴史の重みを感じさせる尼寺があった。境内は非公開のため、山門から、綺麗に手入れされた砂利敷きだけ拝見した。そこを過ぎてしばらくすると大きく野が開けた。JR帯解駅が近くだったが、まだ陽も高いので、農道を辿って出発点に戻ることにした。左手に矢田丘陵、生駒山地が遠望され(写真中)、風が冷たかった。
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『『宇宙の凪』〜龍の落とし子(タツノオトシゴ)〜』❁*̩̩̥˚̩͙⚛*̩̩̥͙*̩̩̥˚❁*̩̩̥˚̩͙⚛*̩̩̥͙*̩̩̥˚❁*̩̩̥˚̩͙⚛*̩̩̥͙*̩̩̥˚❁このように「穂の国」三河から伊勢…ameblo.jpもうひとつ「神の扉」オープン=高次元世界の顕現=海底隆起です。しかも、隆起だから竜王なのでしょう(が、帰依してその守護に回ったそうです。このようにして土着の神は次々と仏教に取り込まれていったわけです。ちなみに、八大竜王はヤマタノオロチが浄化された