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はや師走となりました。これまで、何度もご訪問やコメントを頂いた方々には感謝申し上げます。この12月も、何卒よろしくお願いいたします。白一色の洋服は広いスカートとゆるやかな上着に分かれていた。質素でシンプルで、何のアクセサリーもつけていない。紹介されると、にこやかな柔和なまなざしになり、包み込むようにひとりびとりの顔を正面からさし覗くように見つめた。これは寂聴さんが初めて出逢ったパール・バックの印象だった。パール・
若き頃の司馬遼太郎国民的作家とは、司馬遼太郎のことである。まだ司馬遼太郎と面識がなく、寂聴さんが駆け出し小説家となった頃のこと。神田神保町の高山本店で、資料の本を買うようになったが、店主が口癖にいっていたことがあった。それは小説家の中で、断トツ本を買うのが司馬遼太郎だという。いつも一度に棚一杯を買い上げて待たせていたトラックで運んだそうだ。寂聴さん、その桁外れの買い方にとても敵わないと思ったそうだ。その後、司馬は超売れっ
瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」(第3巻)1970年(昭和45)頃、寂聴さんは大阪の人形浄瑠璃文楽の人形遣いたちの世界を舞台に、週刊誌の連載小説を書いていた。当時は東京に住んでいたが、しょっちゅう大阪に通っては、楽屋に入り浸っていたという。当時、女形を得意として人気が高かったのは、3代目吉田箕助そして立役として頭角を表していたのが初代吉田玉男※だった。※初代吉田玉男:1919年(大正8)1月7日ー2006年(平成18)9月24日大阪生まれ。15歳で吉
ある日、京都の寂庵を訪ねて来た老作家がいた。それは突然の訪問だったらしい。寂聴さんは、どうもてなしていいものか、すっかり上がってしまって、祇園の料亭の仕出やら舞妓もお茶屋から来てもらったらしい。若き日の宇野千代画:横尾忠則接待を受けるのはあの宇野千代。瀬戸内さん、これはやり過ぎよと吹き出したそうだ。この日、宇野に関する年譜や作品に登場する、男性の名前を書いた一枚の名簿を置いて聞いてみた。瀬戸内さんは、どういうご縁で先生の小説にど
寂聴さんが、まだ作家を目指していた頃の話。すでに文豪だった丹羽文雄は、文壇の長谷川一夫といわるほどの美男子だった。若き日の丹羽文雄(なかなかのイケメンだった)丹羽は、後進育成のため、自費で「文学者」という同人雑誌を発行していた。それを知った寂聴さんは、大胆にも「文学者」に入れてほしいと手紙を出した。(この人は本当に大胆だ)丹羽文雄画:横尾忠則期待してなかった返事の葉書がすぐ来て、毎週月曜日が面会日だから自宅
文藝春秋主催の恒例となっている「文士劇」がある。小林秀雄が「父帰る」に主演し、三島由紀夫が「弁天小僧」に、石原慎太郎が「坂本龍馬」になったりする。ただし、この芝居はあんまり上手いと面白くなく、下手なところがお愛嬌で、せりふを忘れて立ち往生したりすると大うけする。というわけである。舟橋聖一画:横尾忠則舟橋聖一は決まって立女形で、楽屋には名前を染め抜いた暖簾をかけ、座布団やら茶道具やら、鏡台や机も立派なものを持ち
寂聴さんが、東京女子大へ入学したばかりのことで、先輩に誘われて初めての能舞台を見た日の事※1940年(昭和15)のことで、日本が日独伊三国同盟条約に調印し、紀元2600年祝賀行事に浮かれていた。この日、能楽堂には女性客が多い中、一人際立つ男性がいた。すっきりと痩せぎすの背が伸び、白髪に近い髪が広い額を見せて後ろへかきあげられている。白絣の上布に、夏袴をきりりとつけて、惚れ惚れするような美男ぶりだった。島崎藤村画:横尾忠則
「奇縁まんだら」表紙「三谷晴美」といっても誰だか気付く人は少ないだろう。ところが「寂聴」といえば、すぐに瀬戸内寂聴※の名前が浮かぶ。※作家活動は瀬戸内晴美のペンネームが主だった。掲載するエピソードは、日本経済新聞に掲載されていた瀬戸内寂聴のエッセイを上刊した「奇縁まんだら」より抜粋したものです。「三谷晴美」は寂聴さんの戸籍上の名前で、三島由紀夫が名付親。まだ寂聴さんが作家デビューする前のことで、三島の「愛の渇き」を読み、あまりにも面白かった
先の11月に99歳で亡くなった著者が過去に出会った著名人(主に文壇関係)との交わりについて書いたエッセイ集。訃報に際してMX「5時に夢中」で中瀬ゆかり氏が、神奈川新聞で平野啓一郎氏が「こんな本あったよね」的に紹介しており、読んでみることにした。日経新聞での連載をまとめたもの。画は横尾忠則氏。三島由紀夫、谷崎潤一郎、川端康成とビッグネームがズラズラ並ぶが、「こんな人たちとこんな交流があった」ってなことが書いてあるだけといえばそれだけ。つまんないというほどでもないけど、さほど感じ入る箇所はなか
瀬戸内寂聴さんが亡くなった(99歳)小説は瀬戸内晴美としてデビューしたばかりの頃の「夏の終わり」と「美は乱調にあり」しか読んだことないが、物故した巨匠作家たちとの奇縁を綴った近年の「奇縁まんだら」等の随想やエッセイを楽しく読んでいました。山田詠美、平野啓一郎ら今日活躍している多くの作家に敬愛され親交も多いが、特に川端や三島を始め大正、昭和期に活躍した巨匠作家たちの生の姿を語り継げる作家、生き証人は寂聴さんしかいなかっただけに残念でなりません。寂聴さんは「死者の魂は、生き残された者がいかに、
さて、アーツカウンシル東京のTTF助成も、不採用でした。これダメなら、もう「人のために」は、やらない。・・・と決めていた。んだけど、つい先日、NHKで在日外国人の問題についての番組やってて、たまたま見てしまったりなんかして、その数日前にも、やはりNHKで、在日外国人の孤独死のドキュメンタリーに遭遇して、やっぱり、やれってことなんだろうな、って思う・・・『多言語対応-キケルで言語のバリアフリー-』元来、スタジオも私たちナレーターも、キケルの音声作って仕事ができればいいので、リ
みんなの夢AWARD、残れませんでした。でも、ファイナリストの企画と自分のと比べて、「そういうことか」ってわかったように思う。私の企画は、目に見える商品で、商売ができる。多言語収録には初期費用がかかるけど、そしてそれが欲しくて今回応募したのだけど、日本語のみなら、今すぐやれる。けど、ファイナリストの企画は、商売として稼ぐのが難しい、でも、絶対に必要とされている事業ばかり。だから私は、今回知り合った、そんな企画を持つ彼らを助けられるように、「稼ぐ商売」をしよう、と誓った。こ
年賀状を送らせていただいた方にもあらためて、2020年、よろしくお願いします。1月も半分が過ぎました。24分の1、あっという間ですね。年賀状音声、聞いていただき、ありがとうございました。スマホ機材によって、音が良くない場合があったようです。失礼しました。テストも兼ねていたので、ご了承ください。尚、今回読ませていただいた文章が、著作権の関係で、HIUでお世話になった方や、DMでやりとりがあった方に、個人的に送らせてもらいました。突然送られて、ご迷惑に感じられた方もいたかと思います
今年(2019)の4月、音声コードプロジェクトの試行錯誤が始まってから、すでに2年近くが経とうとしていた。もういつでも世に出せるつもりだったけど、きっかけが全くつかめない。特に、アプリ開発の方が全く動いてこない。お金も得られない。クラウドファンディングを考えたけど、お金を集められてるプロジェクトはどれも立派なホームページが準備されていて、今さら集める必要あるの?というほど、すでに立派。それでまずは、立派なホームページの準備からってことだけど、うちのスタジオのホームページもデモ用も、全
先日、大塚の串駒さんで、日本酒の蔵人を囲む会「佐久の花」の回に参加させてもらった。台風19号で、近くの用水路が溢れて浸水したけど、なんとか被害は免れたということで、本当によかった。千曲川の方は、あと少し、というところで、なんとか持ちこたえてくれたんだそうな。じゃんけん会で勝って、賞品をいただいた。だいぶ、運が上がってきたかな。佐久の花ダム熟成純米大吟醸金紋錦さてさて。お気づきの方もいらっしゃると思う。予選では『KAGRA』だったのが、シンガポールでは、『KiKEL
2019/10/12、堀江貴文さん主催のイベント『ホリエモン祭inシンガポール』というのがあって、その中の「ビジネスピッチ×メイクマネー」に参加した。応募条件は、企画書とプレゼン映像3分。文末に、予選に応募した時の映像をあげておくね。プレゼンを3分にまとめるのが難関だったけど、内容が整理できて、自分でも気づいてなかった本筋がしぼれて、これはありがたかった。感触では、企画内容より、プレゼン力。本番でも3分でプレゼンしないといけないので、それがちゃんとできるか、ということだったと思
5月以来のご無沙汰です。ずっと新企画でつめていて、グルグルのギチギチになってました~それを、10月12日、シンガポールで発表して、いよいよ本格始動です。企画の紹介はあらためまして、まずは30年ぶりに訪れたシンガポールについて。30年前、3ヶ月のイギリス語学研修へ、シンガポールエアで行って、帰りにヨーロッパをまわってパリ発にしたら、シンガポールに一泊する羽目に。ホテルを空港の紹介所で探してもらった時、オーチャード(街の名前です)以外の選択肢は無し。当時は確かMRTが開通したばか
令和、おめでとうございます。この、スペシャルな国に生まれた幸運に、感謝しています。退位と即位、前回は奇しくもオックスフォードにいて参加できなかったから、今回は2日間テレビで存分に堪能しました。あたりまえに享受してたらわからなかったことかもな〜と、あらためて思います。平成ラストは、浜松の実家に兄弟家族で集合し、ウナギを食べて呑んだくれ、全く渋滞無しの行き帰り。令和になって、残りの改元ウィーク、大断捨離大そうじ大会でもしようかと考えていたら、早速、伊豆の龍神さまに呼ばれたようで、5月
山川さん、いつも元気をありがとうございます!リブログ、させていただきました。いやあ、またずいぶん空いてしまった。ごめんなさい。またまた、おかしなことがてんこ盛りの日々でした。山川さんの、京都にも女神山にも行きたかった・・・でも、行かせてもらえなかった・・・だけど、ついに、ブレークポイントを超えられたみたい。笑っちゃうような、すんごいことが起こっちゃった!私が『ザ・シークレット』と出会ったのは2009年(奥付の発行年、なんと27版)。正直、大いに疑っていた。その同じくら
ずいぶんご無沙汰してしまい、ごめんなさい。1月下旬に『アウトオンアリム』のオーディオサンプルを録ってから、またまたどんどん動いて、おもしろいのでブログにと文章書きはじめると、思い切りストップがかかる。どんな具合かというと、PCに向き合ったとたん、吐き気をもよおしたり、それでも気のせいと思って書いていると、脳ミソがフリーズした感じになって、全く文章が浮かばない。なんでかさっぱりわからないけど、書くなってことだと解釈して良い子にしていると、また次の共時性が起こる。週に2~3コ派手に起こ
奇縁まんだら終り2,057円Amazon(2011年12月20日発行)瀬戸内寂聴さんは、このシリーズを、一年のつもりで日本経済新聞に連載をはじめ、すっかり評判がよく、次々と延長し、結果として136人の、全て物故者の方々の追悼文を書き上げました。書き終わった時に、ほっとして、とたんに全身の力が抜け身動きがとれなくなった。・・・何ともいえない達成感の快さが全身を駆けめぐる・・・と、書かれています。読み終わった私も、「やったぁ」という気持ちになりまし
奇縁まんだら続の二2,057円Amazon(2010年11月22日発行)今回も、田中角栄、美空ひばり、大宅壮一、久世光彦、野上弥栄子、神近市子、荒川修作・・・41人の方々との思い出話が続いています。ここまで来ると、数回しかお会いしてない、という方も出てきます。私が、とても驚き、懐かしく読んだのは江藤淳さんについての項。江藤淳さんの自殺の報が伝えられたのは、平成11年7月で、夫人が旅立たれてから7か月後、享年66歳だったのですが、その時の驚きがよみ
奇縁まんだら続2,057円Amazon(2009年5月15日発行)この号も28人の文筆家にまつわる思い出ばなしです。全くの日常としてのおつきあいが書かれていてそれでいて、興味がわいてきてその作家の作品を読みたくなる・・。草野心平、湯浅芳子、円地文子、久保田万太郎江國滋、黒岩重吾、中上健次、淡谷のり子・・・次々と交友の輪が広がって文壇史の、普段着版といったところです。続の次は「続のその二」ということですから読み続けていきたいです。きょう
先日、山川亜希子さんのお話会で初めてお会いした。というか、初めて知った。どういった方なのか、実はいまも、よくわかっていない。ただ、その場にいらして、存在として、とてつもなくありがたかった。ご本を求めれば近くに寄らせてもらえると思って、「悪について」という内容にも興味があったので、そちらを求めたら、売り切れということで、ついでに持ってきていたという感じの最後の2冊、『ご存じですか、自然エネルギーのホントのこと』というご本をいただいた。いかにも自費出版という初期のコミケでよく
最初に結婚したいと思った人は、若かったこともあって「自分にそんな重責を背負わさないで欲しい」と言われ、ひとまずあきらめたら、しばらくして友人と結婚していた。次に結婚したいと思った人は、F-ニッポンのレーサーで、つきあった当時、離婚調停中だったのだけど、気づいたら私が紹介した後輩と結婚していた。今度こそ、と思った人は、京都の青年実業家(当時30才くらい)だったのだけど、東京に進出するのをきっかけに同棲を始めたら、妻子持ちを告白され、大泣きしながら追い出した。「きっと私は、結婚でき
小学校3年生の時、夢を見たんだ。夢の中で、大人になっている私は、ガッチャマンの特撮ショーで白鳥のジュンとして、学校の体育館のステージで、アクションを披露していた。それはそれは、かっこよかった。そして「女優になる」と思い込んだ。以来、女優になると疑わなかった。高校の時、「まさきは夢があって、え~なあ」と言われた。美術科のクラスメートで、美術科にいるのに、夢が無い、なんてことがあるのか・・・と思った。私は腰掛けのニセモノだけど、他のみんなは、ちゃんと美術系の仕事をしようと考え
それは2月バレンタインデー直前の、寒い日だった。私は、大学受験のため、新幹線で神戸から東京に向かっていた。久しぶりのゆったりした時間だった。その日の昼過ぎまで、私は卒業制作の仕上げをしていた。最後のビニール張りが間に合わず、全てを親友に託して、学校をあとにした。私は、夙川学院という女子高の美術科だった。絵が好きで選んだわけではなく、勉強しなくていいということで選んだのだ。女優になるのに、勉強は必要ないと思っていたから、ムダな労力を払いたくなかった。高校受験のための勉強はしなかっ
まず、紘矢先生、亜希子先生、1/12ご講演、感動をありがとうございました!求めていたメッセージをいただきました。涙が出て、嗚咽が飛び出しそうで、抑えるのに苦労しました。なのに挨拶もせず、失礼しました。家を出る直前まで、その気満々だったのですが、いきなり左目の左側白目が内出血して、全面真っ赤になりました。たまになるのですが、充血ではなく出血で、痛みもあって、見た目悪魔みたいです。眼鏡(伊達サングラス)をかけざるを得なく、集中力も落ち、なぜか視力があがって、お二方のお顔もはっきり見られ
あけましておめでとうございます。箱根、日大もがんばりました。残念ながらシードに届かなかった(14位)けど、走る姿を見られるだけで先輩はうれしい。日本大学、ありがとう!さあ、今年も箱根が終わって、活動始め。声の年賀状を作りました。音声は1日には完成していたのですが、WEBでの見え具合の調整に手間取り、遅くなっちゃいました。背景は、「金魚の夢、ヒマワリのそら」部分(アクリル)。2011年、賞金狙いで描きました。(賞金はもらえてませんが)縦長のモニタでは金魚がいますが、PCの
山川先生のご本と出会いに、青葉台のブックファーストに行った。面置きのご本が目に入ったけど、それは違う気がして、検索マシンで探して、他にたくさん見つけた。一目で引かれた『精霊の囁き』。山川先生関連本は、面置きご本のある棚の一番下の段から、隣の棚の最上段にかけて、並んでいた。同じ作家のご本はそろえようよ、と思ったけど、まあ本屋の都合ならしょうがない。そこで、さらに気になるご本があった。『スピリチュアル旅へ』山川亜希子著。私は旅が好きなのだけど、旅行記は読まない。自分自身が体