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マヤの聖地パレンケのピラミッド神殿に昇ると眼下に美しい太陽の神殿が臨める。マヤの祖先が重要視していた「空と大地」との関係性を想像してみた。InLak'ech!;YouaremeandIamyou.
どもどもお久しぶりです今回は先ほど、完成した動画を三作にのっけていきたいとおもいますタイトルにある通り、今回はファミコン版太陽の神殿になります前編がこちら中編がこちら後編はこちらです20数年ぶりにエンディングにたどり着きました今回は動画オンリーになりましたが、次は何をやろうかな、と考えていますではでは
この施設、「地球の真ん中」塔とは対照的に、旅行前には全くノーマークでした。それどころか、存在さえも知らなかった。「太陽の神殿美術館(MuseoTemplodelSol)」の名を聞いたのは、空港の出迎えをしてくれたタクシーの運ちゃんから。車中にてキトでおススメの観光地はどこか聞いた中に、ここが挙がったのでした。宿に入ってグーグルマップで調べると、前回の記事にてご紹介した「世界の真ん中」塔のすぐ近くにあります。そこで、そこに行った足(車ですが)で訪れてみることにしました。「本物
今日は、リマからクスコに行きます。朝早いのに、朝食を準備してくれました。食べきれないので、非常食として持って行きます。リマ空港に到着。ホテルから空港までは、朝7時前なのに、ものすごい渋滞でした。今日は、南米の航空会社スカイエアラインに乗るので、プライオリティパスのラウンジに行きます。これから行くクスコは、標高3000メートル以上あるので、アルコールはやめておきます。ネパールで買っておいた高山病の薬を飲みます。搭乗を待っていると、遠くの方で女性が大声でわめきちらしています。よくあること
皆さんこんにちは今回も6月に太陽を撮影した画像を再確認したところとても気になる未知の物体が現れました。早速、画像の一部をカットして拡大しながら紹介したいと思います。⤴️こちら先に上記載した画像です。→矢印部分に薄く現れた浮遊物体です。コントラスト等を調整しながら見えやすくしてみました。巨大な建造物⁉︎のようです。???明らかに人工物ででですね。何かの神殿?お城?都市?銀河の楽園なのか?こうなると頭が痛くて想像すら追いつきません。謎過ぎます。『太陽の神殿』
まだまだPCの能力が低かった時代は、いわゆるアドベンチャーゲーム(=ADV)の操作はコマンド入力式でした。画面のグラフィックの中に本棚が表示されており、それを調べたい場合、例えば「調べる本棚」場合によっては「シラベルホンダナ」などと入力するのが普通で、ゲームによってはそのコマンドが「LOOKBOOKSHELF」などと、英和辞典を片手に入力しないといけませんでした。また他の作品では「調べる」の部分を「見る」と入力しないといけなかったり、「本棚」ではなくその本棚の下に付いている引
今日は何の日1988年8月3日発売ファミリーコンピュータソフト太陽の神殿ViewthispostonInstagramApostsharedbyhiro(@hirohiro_aaa)hiro@hirohiro_aaa今日は何の日1988年8月3日発売ファミリーコンピュータソフト太陽の神殿#今日は何の日#1988年8月3日発売#ファミコン#ソフト#太陽の神殿@retoro_modehttps://t.co/XhlGFcnboS2021年08月03日07:00
皆さんこんばんは。昨年の9月、日経サイエンスが太平洋に消えた(沈んだ)巨大島=ムー大陸の特集を組みました。記事中ではことさらムー大陸を強調しているわけではありませんが、確かに太古の昔に太平洋上には陸地があったということを、最新の科学的調査で明らかにしています。実はその痕跡を、今でもGoogleEarth上で見つける事が出来ます。今から5年前に、私が発見した仁徳天皇陵の470倍もある、海底に眠ったままの「太陽神殿」は、中でも顕著なムー大陸の遺跡です。そのしゃもじ型の台地は、日本人の遠い
この物語を書き始めて4年の月日が流れて行ったのですね、今日は武漢ウイルスと戦う武道館、そろそろ結果が出そうですね。すぅさん最愛さん。それに百々子さん、顔笑って~(◠‿◠)みんなの回答を見る
ケルトの女神であり、ザ・ワンと地球を繋ぐ神の使者でもあるメーヴ女王が、聖なる泉に向かって放り上げた紅のトーガは、まるで天女の羽衣のようにゆっくりと舞いながら降りてくる。ロミと妖精たちは聖なる泉の中で、冬至の水の冷たさに固まってしまったように、両手を握り合わせて無心のうちに、明け行く黎明の空を見上げているばかりだった。ワイナピチュの中腹、月の神殿の北東に向かって湧き出(いづ)る、聖なる泉の冷たい水の中で、ロミ、マリア、ファンションの三人は、一糸まとわぬ無防備な姿のままで、ア
太陽の神殿の上空に拡がる満天の星空も、流れて消えゆく銀河の星々を写し採ることも叶わぬまま、いつの間にか水色の薄い闇へと変わり、アンデスの山々の向こうから朝の光が届こうとしていた。インカ人(びと)の鳴らすプトゥトゥ(ほら貝)の音が鳴り響くと、アイルランドの妖精フィニアンは、あまりに大きなその音に驚き慌てながらもレンズを刳(く)り込んだ集光の瓢箪を構えた。神殿を囲む石壁の第一の窓、冬至の窓から差しこむインカの新年の光が瓢箪のレンズを通して、万里生がインティワタナの前に広げてい
そして翌日、ロミと妖精たちはまだ暗いうちに宿泊施設を出た。一年でいちばん太陽が遠い朝、高地にあるマチュピチュは凍り付くほどに寒い朝だったが、トーマスから贈られた神の使者のトーガに包まれて、ロミたち三人は凍えることは無い。小型宇宙船に乗り込んだ三人を見送り、フィニアンと万里生そしてフレッドは防寒ポンチョを着てマチュピチュの門を潜った。小型宇宙船フェアリーシップの操縦席には真梨花が座っていた。ザ・ワンの人工頭脳ユマは彼女の肉体を借りて操船している。舟はザ・ワンの反重力装
ロミと妖精たちを乗せた小型宇宙船フェアリーシップは次第に高度を下げて行き、マチュピチュの上空にゆっくりと近づいて行く。6月24日クスコで開かれる太陽の祭り、インティライミまではまだ4日の猶予があるものの、マチュピチュにもその賑わいの時は近づいていた。明日6月21日の朝、太陽の神殿で催される冬至の採火まであと12時間ほどに迫っていた。インカの正式行事としては、クスコのコリカンチャ神殿で行われるモソク・ウィルカ・ニナ・ハピテ(新しい火を付けるとき)が有名だが、マチュピチ
フェアリーシップ・ユマがインカの上空をゆっくりと飛行している間に、東の空は青い光の黎明からオレンジ色の朝焼けに変わり、やがてこの惑星の母なる太陽が昇ろうとしていた。ロミと妖精たちがインカ風サンドウイッチを食べた後、束の間の休息にあった船内だったが、操縦席前方のモニター画面の上にある、人工頭脳ユマの報知ランプが明滅し始めた。「あら、ユマが、どうしたのかしら、万里生(マリオ)見て」ロミに言われるまでもなく、万里生は操縦席に戻りトリマー・ヘルメットを被った。「モニター画
紅白歌合戦に出演する菊地最愛さんの写真をファンションのイメージとして、お借りしました。♡そして、マチュ・ピチュの三日目の夜、太陽の神殿に再び訪れたロミと妖精たち。今宵も月は紅く輝き、石畳に跪(ひざまず)くユパンキの祈りと共に、この遺跡に残されていた哀しきインカ人(びと)の魂たちが、神殿の暗室から月下の庭に姿を現した。嘗(かつ)て500年もの昔、この聖域を守っていた太陽神と月の女神の神官たち、スペインから来た征服者コンキスタドールの手によって神を奪われ、忍従と虐待の内に命
フェアリーシップ・ユマに向かって投じられた両刃の剣は、空気を切り裂くように音を立てて回転し、そのまま真っ直ぐユマの頭部を目がけて飛んだ。その刹那、地に伏していたユパンキがその鋭い剣先に向かって飛び上がった。紅い月の光に照らされ、インカの英雄の姿が空中に浮かび上がると、剣を投げた若い戦士は目を見開き驚愕の叫びをあげた。「父上!」剣に切り裂かれたユパンキの身体は、紅に染まる小型宇宙船フェアリーシップ・ユマの直前、広場の石畳に撃ち落された。突然現れた父王マンコ・イ
インカ帝国皇帝アタワルパが、ザ・ワンの力を借りて建設しようとしたピラミッドの遺跡があるサクサイワマンの北東10マイルほどのところに、タンボマチャイの聖なる泉の遺跡がある。その遺跡を超えて急峻な断崖絶壁をウルバンバ川の渓谷に向かって下降した密林に、ロミと妖精たちが休息をとったペンションがあり、そのペンションから200メートルほど上部の開けた湿地帯にかけられたシールドの中に、フェアリーシップは停まっていた。全ての準備が整うと、フィニアンはペンションのオーナーに金貨5枚を支払い、ロ
峻険な山々に囲まれたウルバンバ渓谷に、太陽の光が眩しく差し込む午後になって、ロミは深い眠りから目を覚ました。胸に手をやると、あまり大きくない、むしろ控えめといっていい、自分の乳房を寝床にして眠っているはずの、おやゆび姫のマリアはそこにいなかった。そして左の腕に、抱いて添い寝していたはずのファンションの姿も、ベッドの上にはいなかった。ロミは胸の下着をつけると、BABYMETALのビッグTシャツを頭から被り、洗面所へ向かい、朝の支度を整えるとベランダから庭に下りた。露天
インカの古都クスコの郊外、サクサイワマンの遺跡は標高およそ3700メートルの高地にある。夜明け前はかなり冷える、トーガに守られているロミと妖精たちとは違い、アイルランドのいたずら妖精フィニアンには少し寒かった。西に沈みゆく紅い月の浮かぶ遺跡の広場、ユパンキと父との別れの愁嘆場にいたロミたちの後ろで、フィニアンは思わずくしゃみをしてしまった。ロミは、抱き起こしたユパンキの肩を抱いたまま振り返った。「あらフィニアン、いたのね」「もちろんいました、ずっとここで皆さんを見守ってい
黄金の髪に白い頬、宇宙少女マリアが両手を掲げ、青い瞳の前に捧げ持つ、ドラゴンボウルから発する光の渦は、愛の妖精ファンションの歌声と祈りのエンパシーに集まる精霊たちの聖なる力を得て、それは天空へと昇り、インカの古都クスコの遺跡群の遥か高みに拡がった。そして、ピラミッドの遺跡からそれぞれ4マイルの距離にある、円形競技場や聖なる泉の遺跡に眠る、神に出会えなかったインカの哀しき魂たちは、虹色の光の渦に目を覚まし、鬼火となって甦り、ロミと妖精たちが繰り広げる愛と癒しのエンパシーの
ドラゴンボウルを捧げ持つマリアは青い瞳を見開き、球体の中心に渦巻く虹色の光を見た。「ロミ、始めにクスコのピラミッドへ行きましょう」ロミはマリアの言葉に頷いて、フィニアンに自分たちを船内へ移動するように頼んだ。すると頭上にトネリコの杖が現れてクルリと円を描くと、光の粒子に包まれたロミと妖精、そしてユパンキは、足もとで支えてくれていたフェアリー・シップの船室に入った。「ユパンキさん、ピラミッドへの道を万里生(まりお)に教えて」「ロミ様、ピラミッドの遺跡はクスコの手前
ロミと妖精たちは、マチュ・ピチュの頂にある太陽の神殿から、フィニアンが操る見えない馬車に乗り、紅い月の下にあるワイナ・ピチュの山頂を超え、北辺断崖の中腹にある月の神殿の前に降り立った。東の空から昇り始めていたはずの冬至の光を放つ太陽は見えなくなり、そこに再び闇が訪れ、ロミと妖精たちと、インカの英雄ユパンキが立っている断崖に浮かぶ岩だなの庭は、紅い月の薄明が映し出す、影を持たない幻想的な世界となっていた。ロミは紅い薄明の中で、周囲の山々と足もとに広がる断崖の渓谷を見渡し、さらに
マチュピチュの太陽の神殿に立つロミは、神殿を囲む庭園の芝生の上で、膝を落としてロミを見上げているインカの人々に向かって、ゆっくりと両手を広げ、黄金色に輝く心眼から愛と癒しのエンパシーを発し、思念の翼をゆっくりと羽ばたかせ、そこに集まったインカ人(びと)の頭上に送った、愛と癒しのエンパシーに包まれた人々は、両手を握り合わせて目を閉じた。人々の視線を閉じると、ロミは後方のインティワタナに合体しているフェアリーシップを見た。――万里生(まりお)、船は大丈夫?――何も問題は無い
マチュピチュの山上にあるインティワタナ”太陽を繋ぐ石”に繋がれたフェアリーシップの船室から、フィニアンと精霊たちがつくってくれた見えない馬車に乗ってロミと妖精たちは太陽の神殿の上に降りた。暦はまだ四月の秋のクスコ地方、夏から秋へと変わったばかりのはずだが、アンデスの高地太陽の神殿に立つロミを取り囲むインカの人々は、ロミたち3人を女神のように仰ぎ見ている、彼らの姿に邪(よこしま)な思いは見えず、薄明から徐々に明けゆくマチュピチュの初冬を思わせる冷気の中で、黄金色、純白、そし
インカの遺跡マチュピチュの聖なる山の頂きに、花崗岩を削り取って作られた太陽を繋ぐ石インティワタナと、ザ・ワンの小型宇宙船フェアリーシップの未知の空間セイントホールがぴたりと重なり合い、それはひとつになった。すると暗黒の帳(とばり)が天空から降りて、山の頂きを包み込み、まるで時間が止まってしまったように、ロミと妖精たちとマチュピチュ山上のすべての動きが静止した。アイルランドのガンコナー妖精の長(おさ)でもあるフィニアンは、束の間意識を失っていた自分の弱さに、やれやれと思いながら
今朝、ふと・・・金星に存在していた頃を思い出しました。その時代に私には双子の弟がいました。國を治める太陽の神殿の王。心優しい私自慢の金の王。しかし、優れた統率力と判断力、指導力で亡くなった父王の後の國を治めていたのです。太陽の神殿は都市の中央にありましたが、私は都市から離れて見渡せる高い山の上にある月の神殿に暮らしていたのです。私の役割は神官。宇宙の動きや金星の動きを読みながら、高次元の存在と共にこの國のエネルギー的調和と安定を担っていたのです。弟は「もっと統治に参加
黒住教本部神殿「大教殿」の正面。倉敷アイビースクエアを代表作とする浦部鎮太郎の設計。現在は、「太陽の神殿(ひのみあらか)」の名称を使用していない?本部神殿「大教殿」を側面から眺める。正面の千木が内削ぎ、側面の千木が外削ぎであることに注目。教祖神奥津城(おくつき)。大本教の改築前の奥津城との類似性を感じるが、大本のそれは、明治天皇の桃山陵との類似性を指摘されて改築させられた。日拝所からの展望。ここより、朝日を拝む(呑む?)。栄西禅師生誕地を訪れた時間は快晴だったが、だんだんと曇っ
2013年3月のペルー旅行過去日記です。いきなり大粒の雨が降ってきました。急いでみんな合羽を着ます。遺跡内は危険なので、傘は禁止なのですが、まだまだ日本人は傘をさしています。早朝に、ワイナ・ピチュ峰に登ってきた日本人男性が休憩していました。ここは1日400人しか登れないので、みんな朝5時のバスの乗って、こられたそうです。とても、急な山登りなので、体力のない人はとても無理だと言われていました。彼らもとてもきつかったってうん、最初から諦めていたけど、こんな若い人が大変だって言っているの
2013年3月のペルー旅行過去日記です。『マチュピチュはアンデスの山中、標高2,400mの断崖に突如として姿をあらわす都市遺跡である。ケチャ語で『年老いた峰』という意味を持つこの地は、15世紀半ばのインカ帝国時代に築かれ1911年、偶然に発見されるまで、深い密林に覆われていた。そのため神殿、大広場、段々畑、墓地、水路や通路が巡らされた住居跡などがそのままの状態で残されている。この隔絶された地に、なぜあえて都市を築いたのだろうか。皇帝の別荘だったとする説やコカ栽培所とする説、宗教施設説など、諸
引き続き、初代イース(PC88版)初代イースはアクションRPGでありながら、アクションとしては極めてシンプルで、敵キャラに対して体当たりを仕掛ければそれが攻撃となります。多くのアクションRPGのように、剣を振るというような動作は必要ありません。これは、必ずしもイースが初というわけではなく、同じファルコム製のソーサリアンなどでもおなじようなシステムが採用されていました。これは、当時のPCは基本的にキーボードくらいしか標準装備がなかったため、キーボードでもプレイしやすいように……という