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[美濃国牟義郡]大矢田神社(*画像はWikiより)(天若日子神話の舞台であると伝わる)【古事記神話】本文(~その93国譲り編9)長らく続いた天若日子の段も今回でようやく最後に。この長さはあまりに異常。何か「裏」があるな…と思わずにはいられません。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~◎過去記事一覧『【古事記神話】過去記事一覧』(古事記編纂者の太安万侶を祀る小杜神社)■序文1.2.3.4.天武天皇前編5.天武天皇中編6.天武天皇後編7.稗田阿禮への勅語8.元明天皇
七夕祭り🎋の季節ですねあちこちに笹や短冊が置かれていて、子供だけでなく大人も願い事を書くことができて楽しい行事です私は七夕の日は織姫と彦星が無事に会えることを祈りながら大好きな和菓子屋さんで上生菓子を買っていただきます七夕の伝説は奈良時代か平安時代に中国から伝わったと言われていますが、日本版の七夕物語があるのをご存知でしょうか鎌倉時代から江戸時代にかけて成立した「御伽草子(おとぎぞうし)」に「天稚彦草子(あめのわかひこそうし)」という物があります御伽草子
[丹波国船井郡]小雨若神社(天若日子を祀る)【古事記神話】本文(~その89国譲り編5)気が付けば2ヶ月ほど空いておりました。その間に「貫之集」や「俊頼髄脳」といった現代語訳も挟んではいましたが…。「葦原中国」の平定が続き、今回も天若日子が登場します。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~◎過去記事一覧『【古事記神話】過去記事一覧』(古事記編纂者の太安万侶を祀る小杜神社)■序文1.2.3.4.天武天皇前編5.天武天皇中編6.天武天皇後編7.稗田阿禮への勅語8.元明天
伯耆国一ノ宮は倭文神社ですが、なぜかこの神社、壹宮神社と称されています。祭神はともに下照姫となっているのが興味深いです。近くに唐王神社があり、祭神は須勢理毘売命で、この地では二人は母娘と言われています。須勢理毘売の娘でスセリツヒメ・・セオリツ・・無理がありますか・・
推古天皇の時代から続く売布神社宝塚歌劇の殿堂に向かう電車の中で、ふいに売布(めふ)神社にお参りしたくなり、電車を降りました。スマホの地図を頼りに山に向かってたけど、迷子になりました。殿方に道を伺いました。「この池の道や無くて、学校のほうに登ってね。すぐですよ。」「売布神社は、推古天皇天皇の時代からある由緒ある神社ですよ。売る布と書いてめふ。珍しい読みでしょう?」「はい。知らないと読めませんですね。」「売ると言う文字は、昔は、米の意味やそうですよ。布は、布地のこと。米と布で、めふ。
[丹波国]天稚神社天稚彦命(天若日子神)を祀る【古事記神話】本文(~その88国譲り編4)天菩比神の葦原中國への派遣は失敗に終わりました。第2弾として、天若日子が派遣されることとなります。長らくこの神の謎が解けずにいましたがわずかな一筋の光明が見えてきたかなといったところ。「出雲~大和」間でばかり考えていたのでなかなか見えなかったのです。一筋の光明は「美濃」にありました。また遠征せねばならんのですが…。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~◎過去記事一覧『【
先日の水曜日は「目黒学園カルチャースクール」の日✨関裕二先生の講座を受講してまいりました♬『女王と女帝』〜第2回神功皇后とトヨの物語〜神功皇后と2人の夫推古女帝まで継続した男王の時代縦ではなく横神功皇后の九州攻めと地政学アジスキタカヒコネの伝承神武天皇が祀った神の正体などなど♪個人的には、伊勢と出雲は色々な意味で対になっていることは承知していましたが、どちらに祀られているのも祟り神で、そこもやはり対になっているのだなぁと驚きを感じました。講座の内容の一部を関先生の講座
今日は『七夕』ですねということで七夕にちなんだ物語をご紹介いたします✨記紀神話に登場するアメノワカヒコ(天稚彦・天若日子)は七夕と深い関わりがあるようです⭐️『天稚彦草子』あめのわかひこそうし昔々あるところに長者がいました。長者には美しい3人の娘がいましたが、ある日のこと、長者の家に蛇がやってきて「お前の娘を嫁に欲しい。くれなければお前を食ってしまうぞ」と脅しました🐍長者は娘たちに事情を話したところ、長女と次女は嫌だと拒みましたが、心の優しい末娘だけは了承したのでした。長者は三姉
◆火吹く人たちの神~14現在進めている章は「伊福部氏」一色。どこを切り取っても「伊福部氏」。遂に谷川健一氏は、「わが伊福部氏…」などと書いておられます。これまでこの書を読んだ時はすべて見落としてましたが…腹抱えて笑てしもた(笑)(笑)(笑)先生はとうとう「伊福部氏」を自分のものにしはった(笑)(笑)(笑)過去記事一覧を作成しました!↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神』◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神谷川
ご訪問ありがとうございます。「日本書紀」の切れ目でもようがえを入れるつもりが、いれ損ねてしまい(;^_^Aちょっと飛んじゃってるのですが、この前の天穂日命が帰ってこなくなった後の続きです。そのため、タカミムスビは、更に神々と会って、誰を派遣するかを問うと、(神々は)答えて「天国玉アメノクニタマの子の天稚彦アメノワカヒコ、このものは立派な男です。このものを試しましょう。」と言った。タカミムスビは高天原のお偉いさんですが、とりあえずいろんな神々と相談します。独裁じゃないのが日本ぽいですねw
三宮の生田神社。三宮のめちゃめちゃ繁華街にあります。梅田と同じく、周辺の環境は、う~んと思ってしまいますが、神域に入った途端、全く空気が変わるので、びっくりします。生田神社は、また独特な御由緒をお持ちです。稚日女尊を活田の地に祀るとされたのが生田神社の始まり。稚日女尊は機織を得意とされたそうです。織物の神様といえば。。先日紹介した交野の天棚機比賣が浮かびます。織物の姫といえば。。織姫様。。織姫様といえば七夕。。。というわけで、、機織の神様を知りたくなります。祖神とされるのは天
『日本国記』「建角身・味鋤高彦」と「オオタタネコ」限りなく真実に近いアナザーストーリー【74A】ひじかたすいげつつづき「建角身・味鋤高彦」は〝神武東征”を助けた〝八咫烏”であったとよく言われる。しかし出雲の口伝では、第一次〝神武東征”はニギハヤヒの子孫である物部ウマシマジによってであり、熊野からヤマトまで戦いらしいものはなかったといわれる。その道案内をしたのは今の堺市の陶荒田神社を創建した「大田タネヒコ」であるという。そしてウマシマジらは磐余
『日本国記』「建葉槌・天稚照姫」と「建角身・味鋤高彦」限りなく真実に近いアナザーストーリー【73A】ひじかたすいげつつづき出雲の第八代大名持大国主ヤチホコの娘である「高照姫」は「ホアカリ」に嫁いだ。「高照姫」は「天道姫」とも呼ばれ、今の奈良県御所市の「葛城御歳神社」に祀られる。その御魂は出雲大社の裏の「大穴持御子神社」にも祀られている。その社の通称は「三年社みとせのやしろ」という。「高照姫」は「大国主ナムジ」の妻であった。「大国主ナムジ
『日本国記』「高照姫」と「下照姫」限りなく真実に近いアナザーストーリー【72A】ひじかたすいげつつづき出雲の第八代大名持大国主ヤチホコの娘である「高照姫」は「ホアカリ」に嫁いだ。「高照姫」は「天道姫」とも呼ばれ、今の奈良県御所市の「葛城御歳神社」に祀られる。その御魂は出雲大社の裏の「大穴持御子神社」にも祀られている。その社の通称は「三年社みとせのやしろ」という。「高照姫」は「大国主ナムジ」の妻であった。「大国主ナムジ」は倭の呼び方で、実際
『日本国記』「大国主ヤチホコ」と「大国主ナムジ」限りなく真実に近いアナザーストーリー【71A】ひじかたすいげつつづき出雲の第八代大名持大国主ヤチホコの娘である「高照姫」は「ホアカリ」に嫁いだ。「高照姫」は「天道姫」とも呼ばれ、今の奈良県御所市の「葛城御歳神社」に祀られる。その御魂は出雲大社の裏の「大穴持御子神社」にも祀られている。その社の通称は「三年社みとせのやしろ」という。「高照姫」は「大国主ナムジ」の妻であった。「大国主ナムジ」は倭
先週水曜日は「目黒学園カルチャースクール」の日✨関裕二先生の講座を受講してまいりました♬『ヤタガラスの正体』〜第3回アジスキタカヒコネと尾張と葛城とヤタガラスの話〜ヤタガラスの正体→結論から3つに分かれるカモかも3つの文書に登場するカモ三角縁神獣鏡のお話出雲神話の裏側を読み解くなぜ葛城でアジスキタカヒコネが祀られるのかなどなど♪個人的にはやはり最後の最後、ヤタガラスの正体そしてもう一つの可能性のお話にとても興味をそそられました。講座の内容の一部を関先生の講座の資料よ
今晩は!どうでもいいヨタ噺の時間ですよ。ご家庭や職場でチョットしたネタ噺をお届け!「天の邪鬼」という言葉があります。「天の邪鬼」という言葉を調べてみると「ワザと人とは逆の行動をする人の事」を意味し、簡単にいえば「ひねくれもの」。でも「天の邪鬼」とは、何でしょうか?爺ィも子供の頃、母親から「この天の邪鬼(アマンジャク)」と怒られたモノです。日本古来から伝わる「天の邪鬼」の人物は「天探女(アメノサグメ)」。主人の「天稚彦(アメノワカヒコ)」は天照大神によって葦原中国を平定するために地
次は大倉比売神社さま。この日は下照姫さまツアーですから。下照姫さま=大倉比売さまと言われているそうですね。鳥居くぐったとこで、どんぐりが落ちてきました。秋ですから、どんぐりも落ちてくるでしょう。でも、鳥居くぐってから、落ちてきたら、これはやっぱりよう来たねってサインです。(もう言いきりますだって、私、本当に運転苦手教習所の先生からも、誰かの助手席に乗っといたらって言われたくらい。そりゃ、30年くらい前の話だけどそれくらいの運転センスを持っている人です)そ
真木倉神社美濃国牟義郡岐阜県美濃市御手洗字森切561(社前道路向かいにP有り)■祭神御手洗姫命[合祀]味耜高彦根命天稚彦命下照姫命大国主命須勢理毘売命「長良川」支流、清流として知られる「板取川」南岸畔に鎮座する社。◎ご祭神の御手洗姫命とは天稚彦命の娘神。金のたらいに乗って当地へ降臨、社地は居住地であったという伝承も。◎天稚彦命は記紀には天孫降臨の2番目の神として地上へ遣わされます。ところが大国主命の娘の下照姫と結ばれ、8年間も復命せず。さらに自分が地上の王になろうとし
☆喪山古墳美濃国不破郡岐阜県不破郡垂井町垂井1966(P無し)(登拝口は冒頭写真の反対側、道路は広いものの住宅地であり停め置きは難しそう)天稚彦の伝承墓。非常に謎深い神であり、私自身もまったくその正体を掴みきれていません。記紀には天孫降臨の2番目の神として地上へ遣わされます。最初の天穂日命派遣が失敗に終わり次に派遣されています。ところが大国主命の娘の下照姫と結ばれ、8年間も復命しませんでした。さらに自分が地上の王になろうとして高天原を裏切ります。そこで高天原司令塔高皇産霊神
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリーアジスキタカヒコネの伯父たち(八王子)とその子供たち626C天若日子と建御雷ひじかたすいげつつづきアジスキタカヒコネの兄弟である天若日子(天稚彦)が建葉槌・建御雷(武甕槌)なら話が合う。実際に国譲りをさせに出雲に行ったのは天若日子であるが、下照姫と結婚し出雲に取り込まれたが、建葉槌・建御雷は建御名方タケミナカタとも戦い勝った。古事記では、建葉槌は建御雷であり、鹿島神宮の武甕槌で
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー武甕槌と経津主とはだれか?20Cひじかたすいげつつづき武甕槌と経津主は兄弟ということに。帝皇日嗣には書かれているという。大国主とタギリヒメの子は兄アジスキタカヒコネ(タケツノミ)と妹シタテルヒメであると。しかし、タケツノミは双子であったといわれる。アメノワカヒコと。アメノワカヒコはシタテルヒメと結ばれた、、、、。家系上はそうではなかったが、実の兄妹では?天
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー武御雷と経津主とはだれか?19Cひじかたすいげつつづき建御雷と布津主は兄弟ということに。帝皇日嗣には書かれているという。大国主とタギリヒメの子は兄アジスキタカヒコネ(タケツノミ)と妹シタテルヒメであると。しかし、タケツノミは双子であったといわれる。アメノワカヒコと。アメノワカヒコはシタテルヒメと結ばれた、、、、。家系上はそうではなかったが、実の兄妹では?
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー八咫烏アジスキタカヒコ根(建角見)の兄弟は下照姫と、、、18Cひじかたすいげつつづき帝皇日嗣には書かれているという。八咫烏=アジスキタカヒコネ=タケツノミであると。そうであれば、タケツノミが迦毛大御神のはず。なぜ御祖に?出雲に国譲りを迫ったのは建御雷と布津主。その前に派遣されたのは、アメノホヒとアメノワカヒコ。ホヒは3年、ワカヒコは8年帰らなかった。それは
ナムジ(大國主)完全版コミック1-4巻セット(カドカワコミックス・エース)Amazon(アマゾン)2,200〜17,656円安彦良和氏の大国主「ナムジ」hijikatasuigetsu安彦良和は言う。古事記はなぜ変なのか。変でないようにつじつまを合わせるのは簡単なはずと。誰もが分かる矛盾をあえてそのままにしたのは、編集したものがばかだったのではない。本当のことを曲げて書くことはできなかったからではないかと。そのため都合の悪い所を書か
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー八咫烏アジスキタカヒコ根(建角見)の父は誰か?17Cひじかたすいげつつづき帝皇日嗣には書かれているという。八咫烏=アジスキタカヒコネ=タケツノミであると。そうであれば、タケツノミが迦毛大御神のはず。なぜ御祖に?神の名には尊称や役職名などの別称が多い。<出雲>大名持オオナモチ王神門臣家と
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー八咫烏とは誰か?16C-3ひじかたすいげつつづき帝皇日嗣には書かれているという。八咫烏はタケツノミであると。そうであれば、タケツノミが賀茂大神のはず。なぜ御祖に?神の名には尊称や役職名などの別称が多い。古来天皇は神であった。世襲名役職役職名別名本名スメラミコト天
今、宝賀寿男氏著「鴨氏・服部氏―少彦名神の後裔諸族(古代氏族の研究18)」を読んでいるところです。久米に偏って歴史を学んでいる状態の私は、他氏についての研究は読んでも理解出来ないことが多いのですが、天石門別神-Wikipediaの「系譜」の項に、「『斎部宿禰本系帳』では紀国造・大伴連とは別族である忌部氏(安房忌部、阿波忌部)の祖神・天背男命の別名に明日名門命と天石門別命を掲げているが[3]、天石門別命の名は天背男命(天稚彦)の別名を指す場合と紀国造祖神の天手力男命を指す場合が
美濃国府跡他について前回に引き続いて紹介します。政庁跡の東には館衛建物が広がっていたとみられる。南宮御旅神社の南側にある白髭神社は府中派生にあったが、昭和39年3月に現在の地に移建された。南宮御旅神社の道路の東側にある一宇山安立寺も国府跡になっていてかなり広い地域が国府跡になっていたようです。ここから東に中山道を歩いていると見える喪山古墳にいきました。ここは高さ40mある山で円墳が2基あるとも山全体が前方後円墳ともいわれている。古事記、日本書紀にも記されている喪山伝説の天稚彦の墓と言われています
皆さんこんにちは、珠下なぎです。今日も来て下さって、ありがとうございます!初めての方は初めまして。心療内科医でゆるく作家活動をしております、珠下なぎと申します。現在、第60回講談社児童文学新人賞及び第26回児童文学ファンタジー大賞の最終候補となった、「遠の朝廷(みかど)にオニが舞う」をAmazonkindle版で発売中です。これは、壬申の乱の翌年の大宰府を舞台にした、歴史ファンタジー。古代の大宰府に疫病をもたらす鬼――疫鬼が侵入。病が広がる中、次第に歴史の闇が明らかになっていき