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天目山密蔵院@刈谷市本尊は弘法大師・弥勒菩薩三河三弘法のひとつ三河新四国霊場の第三番札所弘法大師が弘仁13年(822年)、富士権現参詣帰途で訪問の伝承鐘楼門手水舎本堂大師堂稲荷大神踊るメイかわいい
新府城から、涙の森を経て、躑躅が崎の館を通りすごし…。勝頼一行は大善寺(甲州市勝沼)にその日の夜着到した。落ちる者多く、もはや二百人足らずになっていたとも。大善寺!「ここはよ、国宝ぞ!檜皮葺の屋根は圧巻、そして内陣の仏像群は…」興奮して説明せんとする私を遮って、「分かった、分かったてっことよ、さ、いこいこ!」と相方(ったくもう!)如何でしょう、この檜皮葺。過去の天気良き日のをご覧あれ。話を勝頼一行にもどす。この大善寺には武田家一族の理慶尼が居た。理慶尼は、覚悟を決
杉山清貴&オメガトライブのライブに行くため甲府に行って来ました途中、天目山に。ここは、祖父が生まれたところ。母も生まれた場所でもあります。でも母は4歳までしか居なかったのであまり記憶はないと。勝頼が自刃した景徳院は、母の遊び場でもあったとか。私も子供の頃、天目山の祖父の生家に行ったことがあり、曖昧な記憶でしたがどうにか近くまでは行けました天目に行ってきたと母に話すとそこで、旅館をやっていた親戚の人に母は名前を付けてもらったと話してました。その旅館は、昔の映画に出たらしい
無駄な時間などありませんみなさん、おはようございます13年前の東日本大震災亡くなられた方々に哀悼の誠を捧げますアリガトウ「3月11日」の國史です「天目山の戦い」天正10年(1582年)武田勝頼が織田信長に敗北し武田家は滅亡しました長篠の戦いで武田勝頼は織田信長に大敗した後武田家の家臣は続々と離反します織田軍は嫡男・織田信忠を総大将として総勢18,000の部隊で攻めて来ます勝頼は居城を出て先祖の墓のある天目山(てんもくざん)へ
今日は天皇誕生日でお休みですが、お天気がパッとしません。バイクに乗ってカキを食べに行こうかとも思いましたが、こないだの日曜日の雨中走行がトラウマになっていますので、今日はハイキングに行くことにしました。先週の天狗山、先々週の深山公園の岩ボコボコがあまりにも楽しかったので、今回も岩ボコを求めて岡山まで出向きました。岡山の児島半島は、昔「児島」という島だったらしいとのこと。ですので砂岩と思われる角の取れた丸い巨岩が鷲羽山あたりから玉野市を経て岡山市南区阿津あたりまで散見されて、どこ行っても楽し
こちらも10年以上前に訪れた場所で山梨甲州市大和町にある景徳院さんです。この時のカメラはIXY400というコンパクトデジカメで写真の写りもコンパクトデジタルカメラらしい写りかたなので最近の私の記事を読みなれている方にはなにか写真表現に違和感があるかもしれませんがご容赦下さいね。武田勝頼公一族が織田徳川連合軍の攻撃を受け激戦の末に家臣と共に悲惨な最後を遂げ新羅三郎義満
天目山栖雲寺(甲州市)の摩利支天堂に行ってきました。(2023.9)栖雲寺は武田勝頼が最期を迎えたとされる天目山にある静かなお寺です。自然の石を生かした石庭が有名です。TOP│天目山栖雲寺ホームページ(tenmokusan.or.jp)無料の休憩所からは石庭と富士山を望むことができます。(が、富士山の真ん前に電波塔が・・・。あー、もったいない。)石庭の中を通り抜けていくと、摩利支天堂があります。石庭には、磨崖仏や石仏が点在しています。お堂は小さな物で、中
山梨県甲斐大和駅から大菩薩峠に向かう途中にある天目山栖雲寺(http://tenmokusan.or.jp/index.html)では毎月最終日曜日の朝に定例座禅会が行われています。富士を真向かいにした巨石が並ぶ石庭での座禅は自然との一体化と無の境地を味わう絶好の場所です。どなたでも参加可能です。《初心者歓迎》とのことですので、ご興味あるかたは是非一緒に参加しましょう。【定例座禅会詳細】幻住坐禅・禅体験│天目山栖雲寺ホームページ武田勝頼が最期に目指
明智秀満(67)「信長公記」『群集栄花を誇り、常は簾中深く、仮にも人にまみゆる事なく、いつきかしづき寵愛せられし上﨟達、幾程もなく引き替へて、勝頼の御前、同そば上﨟高畠のおあひ、勝頼の伯母大方、信玄末子のむすめ、信虎、京上﨟のむすめ、此の外、一門親類の上﨟の付き付等、弐百余人の其の中に、馬乗り廿騎には過ぐべからず。歴々の上﨟、子供、踏みもならわぬ山道を、かちはだしにて、足は紅に染みて、落人の哀れさ、中々目も当てられぬ次第なり。』かつては御簾の中で優雅に暮らして
明智秀満(66)吾妻郡岩櫃城には潜龍院跡といわれる遺跡がある。勝頼が逃げ伸びてきたときのために造られた御殿であったという。その後、祢津潜竜斎昌月という人物がもらい受け寺院にした。「兄者、本当に父上は信長相手にここで籠城するつもりなのですかね。」と建築途中の御殿を見上げて真田信繁が言うと、「分からんなあ。1年や2年は持つであろうが、父上の事だ、単純に籠城するとは思えない。現に誼を通ずるため、信長には馬を送ったらしい。」と真田信幸は言う。「そもそも上臈衆を抱えた勝頼
どうする家康第26回は、武田家滅亡。高天神城を包囲した徳川軍敵将は自分の命を差し出す代わりに、兵士を助ける条件に降伏を決める。敵将からの降伏書状を焼き捨て、家康は皆殺しを通達。徳川家康は、高天神城を囲むように幾つもの砦を築き包囲。武田勝頼からの援軍が来ず、全員討死し落城した。高天神城を救えなかった武田勝頼は求心力を失う。織田軍は、信濃から侵攻開始。*木曽義昌の寝返りが痛かった*高遠城の仁科は奮戦するも討死*岩村城の秋山は奮戦するも騙され刑死徳川軍は、駿河から侵攻開始。*
そんなわけでようやく今回のメイン、酉谷山(とりだにやま)にたどり着きました。朝4時過ぎに鴨沢を出発して22km、8時間以上かかった。メチャ疲れたし、肩痛いし、飲料も心許なくなってきた………さあそれでは❗️この為に1本だけ持って来ました‼️酉谷山で銀河高原ビールです〜メチャメチャ疲れた顔してますな。雲取山では元気いっぱいだったのにエネルギー切れを起こさないよう、またコンビニ弁当を食べるはー。景色はまあまあですが、もうあまり観ていないここでまだ3分の2。あと11km以上残って
今日も暑いですな。早くクーラーの効いてるところへ避難しないと。そんなわけで来月の大キレットへ向けて練習。本当は乾徳山や二子山で岩場の練習をしたかったけど、天気予報悪いし、体力も大事かな………ということで、富士山と迷った末、こちらにしました。長沢背稜縦走〜雲取山〜酉谷山〜天目山です〜東京都の地図の左端部分奥多摩のさらに奥、長沢背稜は東京都のまさに端っこ、埼玉との境界線を成す尾根長沢背稜-Wikipediaja.m.wikipedia.orgこの辺りの山は複数の呼び名があったり
5月21日。登山に行ってきました。日曜日に、奥多摩に行きました。東京都と、埼玉県の境をなす長沢背稜の山天目山(三ツドッケ)に登ります東日原駐車場(1日500円)火事があったようで、多くの緊急車両が停車する中、山歩き、スターティン(^o^)/朝のうちは曇りで、小雨も降る杉林の急登を、大汗を書きながら登りやっとの思いで、ヨコスズ尾根へ蒸し暑さ、半端なかった(-_-;)一杯水避
2023年5月13日(土)、都県境の天目山(てんもくさん)から蕎麦粒山(そばつぶやま)、そして川苔山(かわのりやま)と歩いてきました。下の写真は、奥多摩・御前山山頂から見た天目山と蕎麦粒山です。5時22分、駐車協力金500円を支払い、日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)臨時駐車場を出発しました。この日の天気予報は、関東全域で雨になるとのことでしたが、この時刻はまだ朝の陽光に照らされた山肌と青空が見えました。まずは都県境稜線上にある天目山を目指します。埼玉県
2023年4月16日(日)雨上がりの日曜日、多くのハイカーが電車に乗り込む。高齢者は平日山に行けばいいと思うが、日曜日の方が電車の乗り継ぎがスムーズで、ついそちらを優先してしまう。東日原行きのバスはほぼ満席。大半が川乗橋で降りて川苔山に向かう。東日原で降りたのは数人だけ。東日原バス停さっそく歩き出すがヤマレコが道を間違えていると言い出す。YAMAPで確認すると間違っていない。ヤマレコを無視して先に進むと、結局合流となる。比較的緩やかな山道をたんたんと登る。色鮮やかなヤマツ
3月29日(水)は、榛名山に登ってきました。登った山は、天目山(1303m)、二ツ岳(1343m)です。樹木の冬芽観察が目的でしたが、もしかしたら早咲きのスミレが見られるかもしれないと思いました。しかし、実際に行ってみると、とても寒く野草の花を観察するのは時期尚早だということがすぐに理解できました。榛名湖でも標高が1100m近くありますから。まず、オオカメノキの冬芽を見ようと榛名湖畔から天目山をピストンしました。展望地から。掃部ヶ岳、烏帽子ヶ岳、榛名富士
「天目山の戦い」武田勝頼の残された子は猿飛佐助かみなさん、おはようございますまたあの日がやってきました東日本大震災から12年です亡くなられた方々に哀悼の誠を捧げますさあ、今日「3月11日」の國史を学びましょう「天目山の戦い」天正10年(1582年)武田勝頼が織田信長に敗北し武田家は滅亡しました長篠の戦いで武田勝頼は織田信長に大敗した後武田家の家臣は続々と離反します織田軍は嫡男・織田信忠を総大将として総勢18,000の部隊で攻めて来ます
久々の投稿山に登れなくなり、山登りの時の写真を整理中にどうしても思い出せない山あり天目山…登ったのかなぁ
ビキニハイカー3年後越しの奥多摩のお山に再挑戦する!!東京の皆様ご無沙汰しております3年前の9月台風の翌日に奥多摩のお山を訪れましたが日原方面につづく道は台風の影響で通行止めになっていて目的地の天目山(三ツドッケ)に向かうことができませんでした道路も通れるようになったので再び、天目山(三ツドッケ)を目指すことにいたしました愛猫🐈の調子も一進一退なので見守っていくしかありません寒くなってきたのでお布団に潜り込んで顔だけ出している
☆初めての方にサイキックカウンセラーのきょうべえです。イベント企画「シフトの種」代表でもあります。サイキックカウンセラー・イベンターとしてこれまでの経験やこれから体験したことなどからみなさまの生き方に参考になるようなお話を書いていこうと思います。カウセリングやイベントのお申込やお問い合わせは後のほうにありますので、最後まで読んでね🎵秋晴れの先日、ご住職のInstagram見て、紅葉🍁を楽しみに行ってきました。天目山。蕎麦発祥の地天目山栖雲寺さんです。お蕎麦が境内に撒かれてい
日曜に行った奥多摩の三ドッケ(天目山)山頂岩の上に乗ってぐるっと撮影^o^天気は良かったのですけど...霞ガカッテます^o^後半にウッスラ富士山見えますか〜😊
今年も富士山登拝の季節がやってきたので、練習したい!と思い…この連休は、山師匠にお願いして、奥多摩にある天目山を一緒に登って頂きました!一年ぶりの登山🥾前の晩遅かったので、1時間半だけ寝て始発に乗り奥多摩へGO🚃山の天候は絶妙に涼しく、道の様子も歩きやすく、今日は、なんて登山環境が良過ぎるのか!これは素晴らしい✨とウキウキ登山だったのは登りのみでした😂気分良く山頂に到着。景色もあまり無い地味な山頂でしたが、やっぱり山頂で食べるおにぎりは美味しいです😂この達成感が無ければ、登れませ
帯状疱疹、軽い春の目眩ワクチン接種後ということで、少しゆっくりしていました。帯状疱疹少し楽になってきました。でも目眩は残ってます。時間薬ですね。そんな中、お散歩のお誘いをいただき、春を見つけに歩いてきました。ポカポカ陽気です。貝殻山周辺のミモザは例年より遅めとの事。陽に照らされて、綺麗な黄色が映えます。まだまだ蕾も多く、これから楽しみですね。ツツジはまだまだ硬い蕾でした。軽~いお散歩友人と、ノンビリお花や樹を見ながら歩いてきました😙少し詳しいレポはこちら春
2月20日(日)岡山市南区にある児島半島の低山5座をグルーっと周回してきた話(その①)簡単UPなんですが3分割しますm(__)m登り始めのご機嫌な様子からコフィー隊長とコロン副隊長と隊員1号は母ちゃんで(*^-^*)まずは剣山(けんざん)目指して行くよー!と予報には無かった雪が舞い始めましたいいね~いいねぇ~雪舞うぐらいが安心して山の中を歩けます噂通りのまぁまぁ険しい道で山頂までの道は這ってよじ登る感じで“剣山”というだけの事は
『シブいと言われた山選び@天目山(三ツドッケ)1/10前編』今日(1月10日)は、奥多摩のお山に行ってきたのん天目山(てんもくざん/1576m)、別名三ツドッケというお山なの。会の方に話したら、シブいね~って言われたわ…ameblo.jpあたしがどうやってお山を決めていくか書いてあるので、良かったら読んでみてねガイドブックは1冊も持っていないあたし…インちゃんに勧められたけど、ずっと買ってなかった。昨日、インちゃんが言うには奥多摩のガイドブックに書いてあるところは、ほとんど歩い
今日(1月10日)は、奥多摩のお山に行ってきたのん天目山(てんもくざん/1576m)、別名三ツドッケというお山なの。会の方に話したら、シブいね~って言われたわムービーを作ったので、見てね~メンバーは、吉さんと渕さんの3人。ホントは、インちゃんが一緒の予定だったけど、急遽不参加となったインちゃんの希望でゆっくりペースの計画を立てたら、帰りのバスが16:17になったの。でも、避難小屋を予定より30分早めに通過したので、ちょっと急いだら14:50のバスに乗れち
2021/11/28(日)奥多摩の天目山(1576m)に行ってきました。11月になってから奥多摩通いを続け、、「どうせなら毎週行ってみるか!」というよく解らないノリになり、今月5回目奥多摩です。苦笑なぜか日原(にっぱら)からの山々に行ったこと無くて、天目山とその隣の蕎麦粒山に行きたいと考えてました。ただ、蕎麦粒山に行くとすると、そこからの下山ルートの川乗橋が工事のため通行止め。。(青)鳩ノ巣駅の方に下山するとなると、時期的に日没が不安。。(ピンク)...
映画信虎を、公開初日に観に行って来ました。物語は、信虎の晩年を描いています。甲斐を、信玄から追放され駿河で過ごしているのかと思っていたけど…京で、室町幕府に使えていました。へぇ〜そうだったんだ、知らなかった。信虎は、信玄の西上作戦で徳川軍を破り織田軍と戦うかと思った矢先、野田城から反転し甲斐へ引き返す行動に…何があったんだ…なぜ進軍して来ないんだ…今の武田軍の勢いは。織田でも止められない筈なのに…元亀4年4月12日、信濃駒場にて病没。ここまでは、皆さんは歴史で知っていると思
こんにちは。先週の今頃は山梨県の城跡をレポート中でしたかね…と言う事で、話は前回の要害山城跡からの続きになります。要害山城跡から1時間くらいだったですかね〜で、到着したのは、武田家滅亡の地、甲州市の天目山にある景徳院です。景徳院山門付近の様子。近くの公営無料駐車場の脇を流れる日川があります。今では上流にダムがあったりして水量もたいした事はありませんが、昔はかなりの水量も流れもあったそうです。その日川で、勝頼の北条夫人の侍女たち16人が、この川に飛び込んで殉死したそうです。少し上で