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第57代陽成天皇神樂岡東陵即位西暦876年退位西暦884年皇位年数8年御陵印所在地後一條天皇陵から徒歩1分の距離で、真如堂山門は目の前。
第68代後一條天皇菩提樹院陵即位西暦1016年退位西暦1036年皇位年数20年御陵印所在地平安神宮でお馴染み『岡崎エリア』のすぐ北側で、周辺には、黒谷さん(金戒光明寺)、真如堂、そして陽成天皇陵がある。
第94代後二條天皇北白河陵即位西暦1301年退位西暦1308年皇位年数7年鎌倉時代の天皇陛下やけど、幕府中心尚且つ院政真っ只中なんで、よく解らん御陵印所在地それにしても、京都大学農学部の東側にあるこの御陵。竹村玉翠園と吉田チキンの向かいにあるのに、余りにこぢんまりし過ぎてて、今までその存在すら気付いてなかった
第39代弘文天皇長等山前陵即位西暦672年退位西暦672年皇位年数0年(約7か月)天智天皇の第一皇子だが、即位したかは定かではなく、大友皇子と表記されることが多い。壬申の乱で後の天武天皇に敗れ、皇位期間約7か月で自害された。御陵印所在地皇子山という地名の由来になってるけど、御陵は大津市役所の裏手で、参拝口がちょっと判り難い
ネタが切れた時の不定期企画『天皇陵巡り』第38代天智天皇山科陵即位西暦661年退位西暦672年皇位年数11年天智天皇より、即位前の名「中大兄皇子」の方が有名かも。西暦645年に中臣鎌足らと一緒に、蘇我入鹿を暗殺するクーデター=大化の改新を起こした人。御陵印所在地天智天皇陵がある事にちなんで、この辺りの地名や駅名は『御陵(みささぎ)』になってる。あと、皇位年代を見たらわかるんやけど、第50代桓武天皇が平安京遷都をするより遥か100年以上昔
12月初旬、いるるは京都市に鎮座する一条天皇皇后定子鳥戸野陵に行ってきました。石標参道宮内庁説明書き看板一条天皇の皇后さまが眠っています外観緑が多く小高い丘に鎮座されていました。ここからは京都市街地が見渡せます。京都タワーも見ることが出来ました。やはり宮内庁が管轄しているからなのか整備や清掃が行き届いていて参拝しやすかったです^^いるるメール鑑定受付中タロット・オラクルカードで占いますご依頼はHPのお問い合
昨日は、少し肌寒いくらいのよく晴れた一日だった・・・。みゆきと午前中に、上桂御霊神社まで走り、帰りに最近気に入ってるラーメン屋「東東(とんとん)」で↑ラーメンを食って帰ってきた。で、今日は今から近鉄で葛に行き妙好人「大和清九郎」さんのお墓参りをし、そのアト天皇陵遠足(とおあし)観察ランを走る予定である・・・。今回は、斉明天皇陵を含む4つの天皇陵を巡り、近鉄飛鳥駅で近鉄で帰ってくるプランである・・・。では、行って参ります。皆の衆も、よい週末をお過ごし下され・・・ゴ
4月17日(月)イベントその①法界寺「三木合戦絵解き」三木から河内長野に移動イベントその②観心寺御本尊御開帳残りの人生、色んな目標を立ててます。・神宮巡り・残存天守12城巡り・天皇陵巡り残すは、遠い所ばかりコロナが無ければもっとスムーズの訪問できたのに今は頓挫しています。・神宮巡りは、遠く九州と北海道・残存天守巡りは、四国と青森・天皇陵巡りは、山口県観心寺の境内にある天皇陵第97代天皇「後村上天皇陵」は、唯一、拝観料の
23日天皇誕生日の日の話醍醐寺で「五大力尊仁王会」という有名なイベントがありまして、それにかこつけて「冬の旅特別拝観」の「理性院」拝観に行ってきました。地下鉄小野駅で降りる。醍醐寺なら醍醐駅なんだけど・・・得意の寄り道こっち方面にくるならこれが見たかった小野小町と深草少将の百夜通い伝説で少将が来た日をカウントするため「カヤの実」で数えていたのですが、99夜で終わってしまい(少将力尽き死んだ)、99個のカヤをそこらに埋めた?捨てた?らしい・・それが芽をだして今じゃ巨木に
広沢池から大覚寺に向かって歩きました案外距離ある・・・やっと参道さらに5分くらい歩いて・・・やっと入り口~入ります入ってすぐ、お籠と、障壁画は狩野永徳宸殿へ~あ、これは狩野山楽「牡丹図」もちろん複製なんだけど、先の台風で吹っ飛んで修復が~とか言ってる報道をみたので、治ったのですね。宸殿の前には「右近の橘」と「左近の梅」京都御所なんかは「左近の桜」だけど、その前の時代の古いところは「梅」なのです。蔀戸勅使門
北朝初代光厳天皇山國陵即位西暦1332年退位西暦1334年皇位年数2年第102代後花園天皇後山國陵即位西暦1428年退位西暦1464年皇位年数36年右京区京北の桜の名所で名高い『常照皇寺』に祀られている。この苔むした階段を登った先に御陵がある。御陵印所在地因みに常照皇寺と言えば、某〇次郎さんが『鉈を持った爺さんに追いかけられた』事件で有名(笑)
第85代仲恭天皇九條陵即位西暦1221年退位西暦1221年皇位年数0年(僅か78日)詳細が気になる人はwikipedia先生を読んでください。参道からの見晴らしは非常によろしい御陵印所在地参道の途中には、日本三大怨霊(=菅原道真、平将門、崇徳天皇)に数えられる、崇徳天皇皇后聖子の月輪南陵がある。因みに、崇徳天皇は讃岐国へ流刑になって、その陵墓は香川県坂出にある。その流刑になった経緯が怨霊の元凶って話。そして、その仇と
第79代六條天皇清閑寺陵即位西暦1165年退位西暦1168年皇位年数3年第80代高倉天皇後清閑寺陵即位西暦1168年退位西暦1180年皇位年数12年中央に写ってるのが高倉天皇陵で、その奥に六條天皇陵がある。御陵の盛土が大雨か台風の影響で一部崩れたようで、補修工事中。御陵印所在地
月輪陵後月輪陵此処も、深草北陵と同じように、複数の帝が祀られている。鎌倉時代後半と江戸時代の帝で、国の実権を幕府が握っていた時代。第87代四條天皇即位西暦1232年退位西暦1242年皇位年数10年第108代後水尾天皇即位西暦1611年退位西暦1629年皇位年数18年第109代明正天皇即位西暦1629年退位西暦1643年皇位年数14年第110代後光明天皇即位西暦1643年退位西暦1654年皇位年数11年
第86代後堀河天皇観音寺陵即位西暦1221年退位西暦1232年皇位年数11年御陵印所在地後堀河天皇陵は、孝明天皇陵への参道の途中にある。
帰ってきた天皇陵巡りシリーズネタ切れした時の味方やけど、ほぼ需要が無い第121代孝明天皇後月輪東山陵即位西暦1846年退位西暦1867年皇位年数21年桓武天皇が794年に平安遷都してから1000年余り続いた『京の都、最後の天皇』御陵印所在地
こんにちは。最近のマイブームが「天皇陵巡り」です。これを始めたきっかけはいくつかあります。・以前「天智天皇陵」へ行った時、何とも言えない荘厳な雰囲気を感じたこと・最近歴史に興味を持ち始めた・あまりにも日本のことを知らないなと実感・子どもにいろいろ聞かれた時答えられるようになりたいこの辺です。あとは何よりもロマンがあるのではないかと。そして、自分はこれまで何もなしえてない、何かひとつくらいは成し遂げたいという思いもありました。まあ
久しぶりの『天皇陵巡り』つまり、ネタが無いのでありまするついでに、天皇陵巡りのストック記事も、現時点ではコレが最後第122代明治天皇伏見桃山陵即位西暦1867年退位西暦1912年皇位年数45年昭憲皇太后伏見桃山東陵伏見桃山陵墓地桃山御陵と言えば、地獄の石段高校生の頃、体育の授業で『はい、今日の持久走は桃山御陵まで~』って言われると、この石段ダッシュもセットのメニューやった学校と御陵の往復が約10km、トドメにこの石段
第76代近衛天皇安樂壽院南陵即位西暦1142年退位西暦1155年皇位年数13年御陵印所在地
第74代鳥羽天皇安樂壽院陵即位西暦1107年退位西暦1123年皇位年数16年因みにこの一帯には鳥羽離宮があったとされる。白河天皇陵、鳥羽天皇陵、近衛天皇陵なんかが、その跡らしい。ところでこの黒猫は、御陵を護っているのか至る所に『猫にエサをやらないでください』って立て看板があったけど御陵印所在地
もうすぐ連休ですね(棒読み)お天気が心配ですね(棒読み)昨日、いつも非常識な納期をブっ込んでくるお客様から『連休中の営業日はどうなってますか』と問合せがあった。『2日と6日も休みます』と答えたら『それ以外の日は営業されてるんですね』アホか、んな訳あるかいまぁ実状は、2日と3日以外は出勤ほぼ確定やから、強ち間違いでもないでも、電話はガチ無視な以下、ネタの無いときのお馴染みパターンです第72代白河天皇成菩薩院陵即位西暦1073年退位西暦1087年皇
醍醐天皇陵から徒歩3分の距離にある。第61代朱雀天皇醍醐陵即位西暦930年退位西暦946年皇位年数16年御陵印所在地
ネタ切れの強い味方、でもあまり需要の無い天皇陵巡り第60代醍醐天皇後山科陵即位西暦897年退位西暦930年皇位年数33年御陵印所在地高校生の時、授業をサボって古道公園でタバコ吸ってたら、巡回中の警察官に見つかって、エレェ怒られたっけなぁ・・・褒められた話ぢゃないけど、怒られただけで済んだ大らかな時代って事にしといてください
別名深草十二帝陵南朝10帝+北朝2帝=12人の帝が祀られてるから、深草十二帝陵。鎌倉、室町、安土桃山と、幕府が実権を握っていた時代で、朝廷が冷遇されてたから、天皇陵が纏められちゃってるんかな、知らんけど第89代後深草天皇即位西暦1246年退位西暦1260年皇位年数14年第92代伏見天皇即位西暦1287年退位西暦1298年皇位年数11年第93代後伏見天皇即位西暦1298年退位西暦1301年皇位年数3年北朝第4代後光
北朝第2代光明天皇大光明寺陵即位西暦1336年退位西暦1348年皇位年数12年北朝第3代崇光天皇即位西暦1348年退位西暦1351年皇位年数3年西暦1337年から1392年までの南北朝時代は、南朝と北朝、其々に帝が、つまり同時に二人の天皇が居た時代。南朝(吉野)と北朝(京都)のどちらが正統なのかの議論はさておき、明治時代に『南朝が正統』と決定され、北朝は天皇家第〇〇代にカウントはされない事になった。その関係か、御陵印は無し。でも当然、管
第54代仁明天皇深草陵即位西暦833年退位西暦850年皇位年数17年御陵印所在地
絶賛、下書き記事を量産中の『天皇陵巡り』京都市内の御陵って、細々した住宅街にあったりする事が多いそんな時は、ハンターちゃんが大活躍小回り利くし、駐輪スペースも最小で済む。更に、御陵が狭いエリアに密集してたりもするから、新聞配達感覚で動けるカブ系に勝る乗り物は無い大光明寺陵醍醐天皇陵自宅→醍醐天皇陵→朱雀天皇陵→桓武天皇陵→明治天皇陵→桃山陵墓監区事務所→大光明寺陵→近衛天皇陵→鳥羽天皇陵→白河天皇陵→深草十二帝陵→仁明天皇陵→仲恭天皇陵→自宅こんだけ周
第50代桓武天皇柏原陵即位西暦781年退位西暦806年皇位年数25年西暦794年、都を平安京に遷都したのが、この桓武天皇。つまりその後1000年続く『京の都で最初』の天皇。御陵印所在地
北摂お散歩、最後の仕上げは、地元の眼福ポイントで一服『見ろ、人がゴミのようだ』byムスカ大佐なんて事は言わへんよ、愛する地元なんでそんな訳で、久しぶりに二輪車に乗ったけど(真冬の間はハンターちゃんすら乗らなかった)、やっぱり楽しい乗物やわ天皇陵巡りもスタートさせたから、今年はもうちょっと二輪車での年間走行距離も増えたらエエなぁ。プランとしては、京都市内はハンターちゃんで、それ以外はS1000の出番かな