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天竜川の支流、遠山川沿いには湯立神楽を中心とした霜月祭りという神事が伝えられています。昔は旧暦11月に、現在は12月の夜に各集落の神社で行われる祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。そんな祭りが伝えられる神社のひとつ、小道木(こどうき)と川合集落が祀る熊野神社へ立ち寄りました。詳しい地図で見る国道152号線沿いに熊野神社の看板が出ており、坂を下った川沿いに境内がある。熊野神社の手前から。左が152号線。境内入口。鳥居は白木で、社標も木の板の表面を削って文字
「なるみ」とか「あゆち」とか「ちかま」まったりと万葉ぽい響きがうつくしゅうて、ええなあと思う。漢字は当て字で発音が合えば何でもいいんでしょうね。鳴海でも成海でも奈留美でも。言霊、たいせつにしたいです。鳴海駅の隣駅が本星崎で星宮社に一番近くの駅です。母の実家が鳴海エリアにあり有松(アリマツ)に近く旧家でもなく名家でもない農家で農作業の合間に絞りの内職もしていました。子どもの頃は鳴海駅前の商店街に買い物に行ったこともあり道が狭くて歩きにくかった街並
星はなんでもしっている伊奈突智老翁(イナツチノオキナ)とは何者かねちっこく追ってます、ねちねち。乎止與命が、故郷(信濃国)を旅立つときに同行したのが自らの信仰の神と推測するとどんな神かといいますと天白神かと思うのです。天白神は伊勢から三河へ上陸しさらに天竜川を上って信濃へ伝わったといわれ諏訪湖から伊那地方を通り、遠州灘に注ぐ天竜川沿いにはかつては天白社が多くあったとの今井野菊女史の説があり信濃国・伊那から天白信仰を連れて来たのが乎止與命かもしれま
諏訪大社へ無事行って参りましたと氏神社へ報告に行きましたら社殿屋根てっぺんから睥睨する鳩さんが2羽。見上げると良かったようだなとのお声を頂いた気持ちになり、ほっとしました。連日、天気予報をチェックしていたのですが傘マークがずっとついていて諏訪地方の気温がヒトケタで小さな雪マークもありこりゃまいったなあーこんな時こそ氏神さまにおすがりし、雨降りませんようにとお願い圧かける勢いで迫ったおかげなのか晴れとはなりませんでしたが雨降りませんでした(うふ
宮簀媛の追っかけを継続しながらこそっと天白神を並行して追いかけたい野望がくすぶっていますんです。天白信仰の研究図書館で借りました。昭和62年出版ですが、中のページは手垢まみれでなくボロボロでもなくたぶん借りる人少なかったんでしょうかね(なんか失礼だわ)難解な研究書というより夏休みの課題研究的な気取らなさで諸説がコンパクトにわかりやすくまとめられていて参考になりました。が天白神の正体は結局不明という結論ですかね。7,8世紀、伊勢の麻績
石神社(愛知県)から歩いて5分弱堤防に行く階段を上ると天白(テンパク)川です。どうってこともないローカルなニ級河川。伊勢湾に注いでいます。朝降った雨のせいなのか、水量が多かったです。ジョギングしている人を数人見かけました。ぐぃっと近づくと1㎞くらい上流に見える橋が天白橋。ごく普通の生活用の橋で交通量も多く「天白橋」のバス停があると思います。川岸まで階段で下りていくと、深い水の流れが怖いくらい引き込まれそうで怖いぞ。たいていは
やーっと夏が過ぎ、秋らしくなったかと思ったらいきなり晩秋の気配です。季節の流れが早い、早すぎる。いい感じに落ち着く雰囲気、和風庭園。おやっ?アオサギ(?)ではありませんか。左側の松の木近く。右側の大きな鳥はオブジェ。外で読書したくなる気候なんて一年のうちに何日もないくらいの貴重な時間。池の近く、藤棚の下のベンチが空いていたので水面を感じながら、図書館で借りた本を読んで1時間くらい過ごしました。これは昔むかしのお話であります。縄紋時代のこと
2020年11月14日土曜日豊田市の天白神社にお参りの後、相方さんが「時間あるんで、もうひとつ瀬織津姫様お参りに行こう!」と言うので、私「いいよ。何処?」相方さん「東栄町の槻神社。」私「( ̄▽ ̄;)!!遠ぉー」とうちゃこ。ここは山の神々の杜です。ひんやりした空気に乗って、木漏れ日の間から、キラキラした精霊達に迎えられました。とても気持ちいい空間です。気が貰えますよ。(¯﹀¯)V祭神は瀬織津姫伊邪那岐命建御名方神の三柱。興味深いですね。ワクワクしますね。視力を失う予定の私
おいおい、まだ続くんか~、とお思いの方もいらっしゃるかと存じますが、ここからが本番??です。まずは、貴船神社の話になりますが、貴船神社のご祭神は水神の<たかおかみのかみ>ですが、<くらおかみのかみ>とも同一神です。貴船明神は丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻に貴船山から降臨したと言われています。ですから<丑の刻参り>は非常に呪詛が強く、恐れられているのです。くらおかみのかみは、分かり易くいえば、たかおかみのかみの荒魂神です。神さまには和魂と荒魂の神さまがいらっしゃるのです。奥宮には、玉依
昨日観た夢の中の猫と蛇の関係性には目星がついている。その共通項は【蚕】である。昔、日本では養蚕が盛んで農家では現金収入が得られる副業として養蚕していた家があり、それゆえ蚕神の信仰があった。蚕神信仰としては東北地方のおしら様、筑波山の金色姫伝説等が有名だ。おしら様といえば2018年に訪れた岩手県の遠野地方でも古くから信仰されてきた土着神である。2018年遠野の旅(伝承園・カッパ淵・たかむろ水光園)昔の農家では屋根裏に蚕小屋を作って養蚕が行われていたが、ネズミによって蚕の卵や幼虫、さなぎ等が
諏訪から日本を裏返す!これですよ、コレ!!古事記・日本書紀に我らが学ぶ処では天照大神や伊勢神宮、出雲大社がメインでここにまつわる神々が主役になる。そんな国作り神話も興味深いんだけどね、、正史が書かれるずっと前から日本人はいて神様の助けを借りて生活していた。天孫降臨以後、そんな古代信仰は淘汰され東北や九州の遺跡や祭りには多くその名残を窺うことができる。。。って、ちょっと待ったー!!諏訪には守矢神長官が今だ現存してるぞ!78代=2000年近い口伝の一統だ~諏訪を調べりゃ本
●須賀神社☆天白神、スサノオ、ウカノミタマ☆あらゆる神様の恩恵②【関東地方・パワースポット】初めての方へ/メニュー・セッション/お客様の声/問合せ・申込/プロフィール須賀神社記事続きです。2019.04.27参拝の時の写真でのブログです。ここでね、すごい風が吹いたの。神様からのサインやお知らせはわかりやすい@須賀大神(須佐之男命)と稲荷大神(宇迦能御魂神)。とても街に馴染んでいて、君の名はで有名になった景色も、参道の先に見えます。
外国から何を言われようとも黄金の龍は日本ですから。日本全体が黄金の龍なんです龍の形をしているのです。(竹内)龍体島ですからね(秋山)↓きょうこさんのblogをお借りしましたどうもありがとう❣️
昨日は、広島の白神社の本祭でした。その日は一日、白山比売命に関する本だけ読んで過そうと図書館でお借りした「白の民俗学」前田速夫を手に取り開いたページに白神社シラカミシャ広島市内にある旧郷社。往古一帯は海で、航行の難所だったので、船人が安全を祈って岩上に祠を建て白幣を標示した。この白紙にちなんで白紙明神と呼ばれるようになったが、その後、加賀から白山神を勧請、祭神を菊理媛とした。と書かれていました。因みに昨日私は、何故かゆであずきを食べましたが、そういえば、柳田國
私が、帰依している市杵島姫命が、天白神、白山比売命、菊理姫命、そしてオシラ神とも御同神との事で、オシラ神もついても勉強しています。柳田國男先生の「遠野物語」「遠野物語拾遺」は勿論ですが、佐々木喜善著「遠野のザシキワラシとオシラサマ」、喜田貞吉著「オシラ神に関する二三の臆説」そして菊池展明著「エミシの国の女神」これらは、名著だと思いますので、その中から少しずつ紹介していきたいと思います。私は、自分が本当に好きな本しか購入しないので、好きな本に囲まれて生活できることが嬉しい。著者に
今の土淵村には大同という家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞という。この人の養母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじないにて蛇を殺し、木に止れる鳥を落としなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦になれり。或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘に
同じ人六角牛に入りて白き鹿に逢えり。白鹿は神なりという言い伝えあれば、もし傷つけて殺すこと能わずば、必ず祟あるべしと思案せしが、名誉の猟人なれば世間の嘲りをいとい、思い切りてこれを撃つに、手応えはあれども鹿少しも動かず。この時もいたく胸騒ぎして、平生魔除けとして危急の時のために用意したる黄金の丸を取り出し、これを蓬を巻きつけて打ち放したれど、鹿はなお動かず。あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。数十年の間山中に暮せる者が、石と鹿とを見誤るべくもあ
今日も柳田国男先生の「遠野物語」からオシラ様のお話を紹介します。オクナイサマを祭れば幸多し。土淵村大字柏崎の長者阿部氏、村にては田圃の家という。この家にて或る年田植の人手足らず、明日は空も怪しきに、わずかばかりの田を植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと何方よりともなく丈低き小僧一人来たりて、おのれも手伝い申さんというに任せて働かせて置きしに、午飯時に飯を食わせんとて尋ねたれど見えず。やがて再び帰りきて終日、代を掻きよく働きてくれしかば、その日に植えはてたり。どこの人
「「エミシの国の女神」の中で、菊池展明氏は、天白神、瀬織津姫命、オシラ様は御同神と書いておられますので、今、柳田国男先生の「遠野物語」を読み直しています。オシラ様が瀬織津姫命、つまり市杵島姫命のことなら、今日も「遠野物語」からオシラ様の事を紹介したいと思います。部落には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマという神を祀る。その家をば大同という。この神の像は桑の木を削りて顔を描き、四角なる布の真ん中に穴を明け、これを上より通して衣裳とす。正月の十五日には小字中の人々この家に集ま
市杵島姫命と天宇受賣命は御同神と書きました。私は、最初この事は認めたくないと思っていました。何故なら、古事記の天の岩屋戸での天宇受賣命の書かれようがかなり酷い気がするから…しかし、やはり御同神と認めざるを得ない。天宇受賣命は神楽の祖神。市杵島姫命は、芸能の女神。御神徳も一致します。絶世の大美女仙であり、芸能、神楽の女神でもある市杵島姫命が奇麗な衣装を着て踊りを披露され、大神仙方を魅了された事もあったのかもしれません。しかし、私は、市杵島姫命と天照大
諏訪信仰を探る第2弾。まずは信濃全体について、弥生後期から~古墳の発生期を分類する。古墳や副葬品の理解は、専門的で難しいなぁ。弥生後期の信濃は北信→箱清水式文化。(長野市箱清水遺跡)千曲川流域の水稲農耕南信→中島式文化。(飯田市の中島遺跡)諏訪湖から発する天竜川の伊那谷段丘上に陸耕的。って、、・・・段段畑とか、焼畑ってことかな。諏訪は南と北のまん中。長野のヘソだ。で、諏訪に限
先週行きました、伊雑宮の裏神紋が六芒星である、という話があるのですね。http://mintun.exblog.jp/20264491/伊雑宮、伊勢神宮、鞍馬山、貴船神社、籠神社、真名井神社は一直線に結ばれるそうですが、鞍馬寺の境内にも六芒星がありましたし、籠神社にも六芒星のお守りや絵馬があるそうです。(こちらのサイトに詳しく説明があります)http://www.m-creates.co.jp/ryukoku/ryu_origin.html龍の起源を辿ってみても、六芒星の起源を辿っ
霜月祭と星の信仰飯田市南信濃の和田や八重河内の霜月祭では、面をつけた「水の王」「火の王」などが、「六方」という独特のステップを踏みながら釡の四方を巡ります。このように大地を踏み締める所作は、一般的に「反閇」と呼ばれる陰陽道の呪法のひとつで、霜月祭ばかりでなく新野の雪祭りや愛知の花祭などにも見られます。六方を踏む水の王星を踏む神々反閇の起源は禹歩という道教の呪術で、北斗信仰と密接な関わりがあります。たとえば禹歩の一種である「返閉局法」では、占いの結果吉方や吉時がな
∞◇†真生る皇が生きて来た道†◆∞|KOKOROhttp://s.ameblo.jp/akane-tan/entry-12073735502.html。。。つづき天白神。。。愛鷹浅間神社金山神社沼津入りしてからずっとどの場に呼ばれても感じていました名前や姿は様々なれど南方三女神、その御方の波動を。伊豆はすでに火水出流伊豆と光還り生っている。謝罪と愛と感謝の光を繋がせていただいて魂友さん御夫妻お手製の昼食をありがたくいただきましたにゃまたまた予見してい