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西村眞悟の時事通信平成30年1月31日(水)本年、平成三十年が、京都における「五箇条の御誓文」と「国威宣布の宸翰」の発布、そして同日の江戸における徳川幕府軍と新政府軍との江戸無血開城合意、の為された慶応四年戊辰(1868年)三月十四日、元号改まって明治元年から百五十年。それ故、世は盛んに、明治維新から百五十年、という。そこで、本年が、明治百五十年であることの意義とは何かを改めて指摘したい。それは、単なる、「歴史の回顧」としての明治百五十年ではなく、現在の歴史段階と我が
西村眞悟の時事通信平成29年10月25日(水)慶応四年・西暦一八六八年から平成三十年・西暦二〇一八年まで百五十年だ。即ち、明治維新から百五十年が経過した。そこで、この百五十年間を長いとか短いとか回顧するだけではなく、太古と明治維新と現在との連続性、つまり、戦前と戦後の連続性を確認するための節目としての明治維新百五十年をとらえることが、今、必要と考える。つまり、作家の司馬遼太郎氏流の、「この国」には、昭和とも現在の平成とも全く違う「明治という国家」があったと捉えるのでは
慶応四年・西暦一八六八年から平成三十年・西暦二〇一八年まで百五十年だ。即ち、明治維新から百五十年が経過した。そこで、この百五十年間を長いとか短いとか回顧するだけではなく、太古と明治維新と現在との連続性、つまり、戦前と戦後の連続性を確認するための節目としての明治維新百五十年をとらえることが、今、必要と考える。つまり、作家の司馬遼太郎氏流の、「この国」には、昭和とも現在の平成とも全く違う「明治という国家」があったと捉えるのではなく、我が国は、神代から、断絶の無い一つの連続し
西村眞悟の時事通信平成29年7月16日(日)七月十五日午後一時三十分より、大阪護国神社において、十一月三日の「明治の日」制定の必要性について話をさせていただいた。その話を準備するに際し、気になったのは、七月二十日の「海の日」の変遷の経緯であった。明治八年七月二十日、若き明治天皇は東北と北海道巡幸から最新の英国製洋式汽船「明治丸」に座乗されて、東京湾に帰着された。よって、その日を記念して七月二十日は「海の日」という祝日に定められた。しかし、戦後は「海の日」は祝日から外さ
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─七月十五日午後一時三十分より、大阪護国神社において、十一月三日の「明治の日」制定の必要性について話をさせていただいた。その話を準備するに際し、気になったのは、七月二十日の「海の日」の変遷の経緯であった。明治八年七月二十日、若き明治天皇は東北と北海道巡幸から最新の英国製洋式汽船「明治丸」に座乗されて、東京湾に帰着された。よって、その日を記念して七月二十日は「海の日」という祝日に定められた。しかし、戦後は「海の日」は祝日から外されてい