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金子山の北側に建つ武者像金子元宅を表したものではないと思うが、敵を迎え撃つ姿なら、方向が真逆のような気がする。金子城の攻防戦の激戦地で、名前がのこっているのは、ここ北谷口、滝宮口そして小千谷口。思うに第一はここ北谷口、ここが崩れて左右に展開した小早川隆景軍が城を目指して殺到したと、思われる元宅は大柄な人物だったようで、今で云うなら、力士サイズ私調べでは玉鷲、189センチ175キロきっと母親が大柄だったと思っている父親はイケメンだが華奢で小柄なイメージ彼は盟主石川氏の片腕で権力を握っ
奥の山が金子山金子城があり、天正の陣で弟の元春が守った所手前の電柱傍の社と石柱ここが地名に残る「西の土居」の始まり社日宮(しゃにちぐう)と石碑、幟を立てる石柱があるこの地点が始まりで土居垣が西へと続く「東の土居」という名の土居垣もあったが、地名には残らなかったそれだけ西の土居が要であり、激戦地であった西をみはるかすこの道路上だったと思われる見える道路の端から左折すると、激戦地「北谷口」そこに建つ武者像平成15年に建立建てたのは「トンカカさん踊り保存会」天正の陣は秀吉に
仏光山阿弥陀寺通称北之坊から階段下を見晴るかすかなりの高台にある以前はもう少し先の右側にあったそうな立派な山門天正の陣の後に創建されたとか、つまり440年前昔々は南之坊一つだったのが、紆余曲折の末、二つになった飯尾駿河守義雄がこの地に難を逃れてきて金子氏及び飯尾氏の菩提を弔うために創建してと、される、文章がある山門の中の鐘時を知らせていたのだろう振り返って改めて見る本瓦余談だが、敷地で偶然「長曾我部」という墓を目にする。まだ新しい方で、一代限りのお墓である。長曾我部と云え
先日のこと。母親が花火大会を観たい!というので、夕方から我が家へ。お盆までもあれやこれやと忙しかったので、私の体力気力が大丈夫かな?と、ギリギリまで迷いましたが💦この花火大会は、天正の陣でお亡くなりになった方々の慰霊のために始まったそうです。今年、事業の関係で天正の陣の事を調べる機会があり、亡くなった方が祀られている場所へも手を合わせに行きました。これまで知らなかった事、忘れ去られている事。祀られている場所の近くを通る時は、心の中で手を合わせるようになりました。母親は、我が家に泊ま
前の河原でウナギをゲット久々イリコの餌では誘き寄せられずカエルを入れたらオッケーカニが良いそうださて、郷土史への興味古文書の会で何故郷土史に興味を持ち出したのかと質問されもともと歴史に興味があり地元の歴史は地元の人しかよく知らず分かり難いので始まりと云えば高校の時の校長先生の講話内容は殆ど忘れたが印象のみ鮮明に次に大学時代静岡でお茶の農業実習の折老舗の農家の書棚の一冊の本田沼意次の事績を綴り賄賂政治と揶揄されたことに反論ああ、これが地元の郷土史の視点かとそ
新居浜市の東部にある馬渕天満宮国道11号バイパスから見える金子山の南面中腹急な石段鳥居前まで89段周りはキレイに伐採されていた馬淵天神神社という名前が何処かに鳥居と拝殿石段22段馬淵自治会がお世話されている様で管理神社は滝の宮公園の南の滝神社拝殿に松が覆いかぶさっているなと思ったら、倒木、瓦が割れていた本殿馬渕天満宮とある飯尾家の家神として祭祀されていたが、その後馬淵の人々の手で守り伝えられている、らしい拝殿から本殿まで15段本殿の上に家紋が本殿の左側に鎮
先日、久しぶりに新居浜市の滝の宮公園に行きました。おっ!久しぶりだなこのブログの1番最初の記事が滝の宮公園でした。https://ameblo.jp/hide4368/entry-11999101563.html『開始します』2年ぶりにブログを再開しました。自分の知ってる、知った日本史を感じたまま書いていきます。今日は快晴で仕事が休み。自分の住んでいる史跡を手始めに訪れました。自分…ameblo.jp滝の宮公園は桜が満開。花見で沢山の人が訪れていました。駐車場も満杯だったねかつて
初めてのシイタケ栽培一個目隣は何やらカビてキノコが生えてるお隣さんから頂いた白菜と大根で今夜は鍋にしようさて、金子元宅は生きていた天正の陣で華々しく散った総大将が実は生きていた十数年前から、南予に金子氏の子孫がいるとは聞いてたがまさか金子元宅の子孫とは思わなかった可能性はあったのに盲点であったまさかあれ程、華々しく描かれてた総大将が生きていたとは信じられなかった一説では土佐まで落ち延び長宗我部元親とも対面してたとか元親は既に秀吉に臣従してるので今更かの反逆児が
金子備後守と天正の陣、という講演新居浜市の歴史を編纂する一環おもしろかった講演の課題は①毛利がなぜ元宅を標的としたか②毛利がなぜ一族関係にあった河野通直を湯築城から退去させたか背景を説明すると…(後は略)今回の講演は、三重大学の副学長「金子家文書」という一級史料からひもとく長曽我部元親はもともと戦をする気がなく和平交渉で土佐伊予の二国で残る讃岐と阿波は秀吉に帰属すると決まっていたが、もともと秀吉が毛利にそのうち伊予をやる、と空手形を発行してたわけで今更、伊予
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。戦は終わり、元春は経言(つねのぶ、後の広家)と共に炎上した高尾城(たかおじょう)跡から戦場を眺めていた。小早川(こばやかわ)軍は金子元宅(かねこもといえ)ら伊予の軍勢に勝ったんだよね経言「父上、隆景(たかかげ)叔父上らの軍勢は河野氏(こうのし)をも降伏させましたが、我らは行かなくてよいのですか?」元春「わしは河野討伐には要はない。」経言「元宅(もといえ)殿との一騎討ちのみ…でし
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「お前は吉川元春!!」伊予国の野々市ヶ原から逃れた金子元宅(かねこもといえ)らの前に元春が太刀を持って現れたのだ。秀吉(ひでよし)さんの四国攻めで毛利(もうり)家は伊予を攻めたんだよ元春「元宅、久しいの!いつぞやの決着をつけにきた。」元宅「決着…知られていたのか…元春、隠居したのではないのか?」元春「お主と戦うのだけは話は別、この決着だけに来た。」元宅は笑みを浮かべ、元宅
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。元春と経言(つねのぶ、後の広家)は忍びの弥助(やすけ)と伊予国の氷見で合流した。元春「弥助、金子元宅(かねこもといえ)は今、どこにいるのだ?」弥助「手勢を率いて高尾城(たかおじょう)にいます。その数、600余。」経言「600⁉︎小早川(こばやかわ)軍は20,000近くの兵数ぞ。これではひとたまりもあるまい。」元春「経言、戦は兵の数だけにあらず。かつての厳島合戦では、我ら毛利(
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正13年(1585年)6月27日、羽柴秀吉(はしばひでよし)の四国攻めの一軍、毛利(もうり)軍の小早川隆景(こばやかわたかかげ)軍は伊予国今治浦に上陸した。秀吉さんは伊予の他に讃岐は宇喜多(うきた)軍、阿波は弟の秀長(ひでなが)さんに攻めさせたんだ小早川軍の上陸を阻もうと長宗我部(ちょうそがべ)の兵が襲撃してきた。「うぉぉ〜!!」「向かって参れ!討ち取ってくれるわ!!」小早
山門越しの本堂新四国第74番霊場小松山満正寺阿弥陀堂新居浜市の沢津にある駐車場なし本堂向かって左側に由緒書きが兎に角、歴史あるお寺天正の陣の折、一度消失本堂向かって右側には三霊様を祀る江戸時代西条藩に対しての農民一揆年貢が倍増されたことに対して加茂川に集結千数百人整然とした陣容と統率は後の語り草になっている首謀者三名は斬首、年貢は元通りその隣には小林一茶の句碑が長閑かさや雨後の縄はり庭雀このお寺には妻の母方の祖母の墓が旦那は北海道出身で教師をしていた縁故を頼り
大根の花頭立が早い、時なし大根だが明日は急いで、干し大根を作ろうさて、金子元宅もといえと云えば天正の陣で華々しく討死、ではなく生き延びていた、という新説秀吉対長宗我部元親、四国征伐三軍の小早川隆景を迎え撃った東予の実質的な総大将、金子元宅赤木蔵人が討ち取ったと云うが感状を賜り、馬一頭と刀これでは少なすぎる❗別の有力者を打ち取った者は加増されたと云うのにまた小早川家に伝わる感状の控えに上記のものがない、と金子元宅の子孫が伝えている落ち延びた金子元宅は高知土佐の元
所在地愛媛県新居浜市中萩町黒岩城主越智信濃守時期天正年間訪城紀行今回は黒岩城主の墓が祀られている西条市の墓所へ行く。沿革越智信濃守は「天正の陣」1585で西泉の東谷で討ち死にしたと言われているが、西条市飯岡堀の内のグリーンハイツの中にある〈41-E3)墓には没年は天正五年〈1557〉3月20日となっているので天正の陣より八年前に没していることになる。すると天正の陣に参戦したのは越智信濃守通員の
所在地愛媛県四国中央市土居町上野字天神山城主加地三郎左衛門、上野五郎左衛門義広時期応仁二年(1468)~天正十三年(1585)訪城紀行城跡は天神山、標高613mの山頂にあり、200㎡ぐらいの平坦地で郭や土塁もあるらしい。四国電力の鉄塔の整備管理道があり、山の北側から3基の鉄塔を越えると城跡に着くらしい。最後の鉄塔は109号の主郭があるらしい。が私はまだ訪れていない。城主を祀っている「正円寺」と城主の加地修理之進盛高の墓のある見寿院は平成29年に訪れ
こちらが滝の宮公園の池の鴨結構、集まっている丸っこくて風呂のアヒルの玩具の様滝の宮公園は新居浜駅西の突き当り以前は直線道路がなかった今は新しい遊具もお披露目されコロナ禍でも人手はそこそこ、ある小さな動物舎もありキジや烏骨鶏、モルモットなど飼育されている金子氏の居館のあった辺りか入り口には記念碑が立ち西の土居(垣根)の地名が今も残る東の土居もあったが地名としては残らなかった激戦具合の違いによるのか長男の元宅は宇摩新居郡の中心として西条の高尾城に陣取りここ、金子
初めて訪れる、新居浜の滝神社有名な⁉️滝の宮公園の南の方金子山には戦国末期、金子城がある東川の土手沿いからいきなり参道人知れず佇む感じ参道左に御神木の楠樹冠も繁茂し、緑が目に映える横の青竹も、いかにもと云った感じ本殿創設は和銅元年708年推古朝聖徳太子の没後86年に当たる瀬戸内の大三島より大山祗神と雷神を勧請し奉斎する裏山、金子山を神体山として信仰左側に社があり右側の社には、スサノオノミコトが奉られていた過去二度ほど焼失している藤原純友の乱の時と天正の陣の折
フジ本郷店の横を走る国道11号バイパスを西に、🚥の次を右折線路を渡って左側住宅街の中に、その碑はあった三崎神社旧跡昭和36年1月に建立された私の誕生年月と同じで60年前の物近藤氏が創建した三崎神社天正の陣で闘死した祖先を祀った創建年は明記されていないが明治41年に滝神社に合祀された滝神社は近くの金子氏所縁の神社金子城の跡地、滝宮公園近く石碑の裏の碑文を記す近藤氏祖神三崎神社之遺蹟近藤氏は藤原氏より出、代々阿波勝浦の新居見山城主たりしが、室町時代(土居町の)畑野城薦
新居浜の郷土史家の書いたもの大東亜戦争末期台湾・沖縄防衛戦での作戦会議に話題に上がった金子元宅もといえ討ち死に覚悟で多勢に立ち向かった武将として三人の名前を挙げている湊川の合戦の楠木正成大阪夏の陣の真田幸村そして、金子元宅陸軍工兵第11大隊郷土史より借用豊臣対長宗我部第一軍は阿波徳島へ、三万第二軍は讃岐高松へ、二万三千第三軍は伊予の東へ、三万迎えて本陣を徳島の白地(池田)に総勢四万本陣に八千を置きほぼ二方面に展開する新居・宇摩の軍勢は僅かの援軍と郷土兵、
あちこちからの借り物ですが縄張り図や地形図を見つけるとつい嬉しくなって地元神郷公民館だよりに掲載記事を見つけて、以下借用平成27年7月号城主藤田氏の始祖は藤原鎌足後々の孫(まご・そん?)友李が藤田姓を名乗る。後醍醐天皇に仕えた南朝の忠臣でした元徳3年1331伊予守に任ぜられて、伊予新居郡に正慶2年1333庄内に居を構え郷山に砦を築く文和元年1352砦を城に郷村・庄内村を本拠に、上泉川村・下泉川・船木村・角野村・上野村の七ヶ村を領有9代目芳雄10代目俊忠
新居浜駅から東に進むと城下橋がある🍀この橋です勿論、岡崎城の城の下だから町名にもその名を留めています中腹に、鉾前(ほこさき)神社がありその神社の横に四国征討由来の碑が高校の柔道部の練習でランニングと石段の登り降りでしばしば、この神社を訪ねていた柔道一直線を意識しながら鉄下駄であの日、この碑文を読んだことがこの郷土史探求の出発点❗だったと思う郷山(ごうやま)の山城標高84メートル郭と掘、石垣の遺構あり四つの曲輪城主藤田氏築城南北朝時代(1336~1392)
裏山で鳥の巣を発見留守だが、今年は何故か鳥を頻繁に見かける扨、春日の局天正7年1579年に誕生本能寺の変の時は4歳天正13年1585年の天正の陣(秀吉の四国征伐)の時は7歳それから、10歳の頃には京都近郊にいたようなので土佐の長曽我部を頼ったとしたらこの2年余の期間新居郡の金子城城主金子元宅の娘かねは、16歳の時、土佐へ落ち延びるその後、於福が土佐入りし同じ境遇の者として親交が深かったのではないだろうか⁉️と愚考する7歳から見た16歳はほぼ、姉というより
大きな戦(いくさ)と言えば応仁の乱現代・近代・近世へと続く戦国の幕開け幕府権力の失墜、乱世の始まり将軍の跡目争いに端を発し中央の権力争い山名宗全対細川勝元この細川さんが四国に大きく関わってくる細川さんの領地が機内や四国に広がっている土佐、讃岐、丹波、摂津、伊予の守護織田信長が実質政権を担うまで京都には三好政権があったと言う三好さんの名目上司が細川さん🍀この三好さんが郷土に深く関わり豊臣勢と金子氏らの戦いとなる天正の陣続く
金子城を落ち延びたかね姫真鍋一族の郎党と腰元を連れ地元の若者を先導に萩生を抜け、父の居る西条方面へ落ち延びたと思われる幼少の頃、姫に命を助けられた猪が成長して、敵を撹乱し、助けたという逸話が残っているその折、守谷家の一族が助けたという記述が残っているその時亡くなった者を慰霊して祠がたてられたと、探しているが、未だ、見つからない衣笠山という別称が残るかね姫が逃げる際、衣が木に掛かっていたと位置的には、西河川の北馬渕天満宮辺りかと思うが縁起を見てもちょ
2018年になりました。みんな〜、明けまして…おっと、えいたろうはお父さんが亡くなって喪中なんだ。でも…昨年末に買った本、別子太平記!新居浜市の歴史に関する本だね。目次の最初の「天正の陣」を読みました……おもしろい!!いきなり大文字にして〜、ビックリしたぁ〜本に思いっきり引き込まれましたね。「天正の陣」で出てくる金子元宅(かねこもといえ)、義を重んじる立派な武将に描かれていましたね〜。金子元宅の居城、金子城跡本としては序盤ですが金子元宅や天正の陣を描いた本を読んだのは初めて
いつも当ブログをご覧になって頂き誠にありがとうございます。何ヶ月か前にこんな本を書店で見つけました。⬇️別子太平記…別子といえば銅山だね。新居浜市の別子銅山に関する本なんですね。目次を見ると…えいたろうの歴史好きをくすぐる内容っぽいね。なんと!目次の最初!天正の陣!自分がいずれはこのブログで描きたいと思っている「天正の陣」のことが描かれているようです。「天正の陣」は羽柴秀吉の四国攻めの一つの戦だね。えいたろうは以前から「天正の陣」を調べているんだよ。この本…欲しい、欲しいっー
2017年10月18日、新居浜市では太鼓台祭りの最終日ですが…自分はお隣の西条市に向かって車を走らせました。この日は曇り空で雨が降ったり止んだり〜。で、どこ行くの〜?ある神社を目指していましたが雨が強くなってきて…今回はその神社に行くのは諦めました…。この神社はある方にゆかりのある神社なんだ。えいたろうが最近ネットで調べて存在を知って行こうと思ったんだよね。気を取直して、雨でも簡単に行けるところを目指します。そして着いたのは伊予西条駅の南口ロータリー。そして目的地はこれ!城跡?