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天心聖教の起源の地が埼玉県加須市大越にあり、「聖地大越」と呼ばれている。この聖地大越が「市街化調整区域」の中にあると、最近になってはじめて知った。農業を営んでいた友人が市街化調整区域に住んでいるので、どんな区域かおおよそは知っていたが、これを機に改めて話を聞き、自分でも調べてみた。街づくりと深い関係があり、とても興味深かったので、今回は、宗教の話と離れるが「市街化調整区域」について書かせて頂きたいと思う。雑談としてお付き合いいただけれれば幸いである。市街化調整区域とは「市街化調整
今回は、旧約聖書に記されたイスラエルの歴史をもとに、邪教について書かせて頂きたいと思う。宇宙絶対の神様の御降臨を仰ぐ宗教でも、正邪どちらの道を歩むかは、人間側によって決まる。という事を、前回は初代様のお諭しをもとに書かせて頂いた。神様の御意志は変わらない。変わるのは人間のほうである。そのことを、旧約聖書は教えてくれている。本題に入る前に、まず旧約聖書の時代について触れてみたい。旧約聖書の時代の信仰モーセの出エジプトは、紀元前1300年頃と言われている。イスラエルの民の「信
今回は、「邪教」について書かせて頂きたいと思う。「邪教」とは、辞書によると「誤った教義を持ち、世に害毒を流す宗教」とある。ただ「邪教」は「宗教」とは言えず、正確には「宗教を名乗っていい加減な教えを説き、世に害毒を流す団体」と言うべきだが、宗教法人である以上、世間から宗教として認識されてしまうのは仕方ないことである。財産も命も失ってしまった斎藤主人初代様はかつて、大の宗教嫌いでいらっしゃったことは前にも書かせて頂いたとおりだが、その理由は、数々の邪教を身近に見てこられたからであ
最近、5日の「神の聖旨」の体験を通し「信用の大切さ」を学ばせて頂いたので、書かせていただきたいと思う。5日の「神の聖旨」とは、~~~~~~~~~~神は数多の人に現われて我れの師となり教え給う人の行いのうちにも神の教えが現る。人の言葉のうちにも神の声を聞くものなり。深山で座禅を組むより、複雑化した都会を道場として、多くの人と四ツに取組み、すべてのものを対象として自己を磨いて行けば、立派な人物が出来上るのである。~~~~~~~~~~という神様の御教えである。親切な若い職人さん我家
前回は、佐藤安孝氏の「神懸かり」について、神懸かりの人の言動は、人間の理性や道徳の範疇ではとらえきれないこと。神懸かりのふりは、神様に対する著しい妨害行為であり、大罪であること。真に神様に使われている人は、神様が絶対に私心を起こさせないこと。などを、「由来」や「初代様のお諭し」をもとに書かせていただいた。今回は、松村光庸(こうよう)という人の神懸かりについて、「由来」をもとに書かせていただきたいと思う。松村光庸氏と東京大空襲の予言前回の、湯河原における佐藤安孝氏の神懸かりから、
天心聖教の5日の神の聖旨に、「神は数多の人に現われて我れの師となり教え給う」と諭されている。信仰生活の中で、人の言葉や、周りに起こるさまざまな出来事から、「神様が教えてくださった」と思うことがある。しかし、初代様はそれだけでなく、神様の御姿を拝し、直接御告げをお受けになられる特別なお方である。まれに、信徒の中にも神様の御姿を拝したり、御声をお聞きした人もいるが、それは神様の御意志によってなされたことであって、信仰熱心だから御声が聞こえた、という訳ではない。今回書かせていただく、佐藤
前回は、「歴史をどう捉えるか」が一つのテーマだったが、今回は、「自分の過去をどう捉えるか」ということについて、天心聖教の教えをもとに、書かせていただきたいと思う。「過去は消えてなきものなり」とは?1日の「神の聖旨」に、~~~~~~~~~~今日一日感謝して生きること今日一日生かされて居る幸福を見出し、常に受けている幸福を悟れば、悟ると同時に喜びの人生が営まれる。過去は消えてなきものなり、今より神が支配する。過ぎ去った事を苦にせず先を楽しめ。~~~~~~~~~~と教えられている。
前回まで4回にわたり、士師から王の時代へ移り変わるイスラエルの歴史について書かせていただいた。このブログでは聖書から多くを引用させていただいているが、今回はその理由について書かせていただきたいと思う。天心聖教の神様は、かつてイエスを遣わされた神様太平洋戦争の末期に、初代様が埼玉県加須市大越の生家に疎開されていたとき、「我はかつてイエスを遣わした神である」との御神示が初代様に降された。したがって、天心聖教の神様は、かつてイエスを遣わされ、さらにその前の時代には、モーセを
「イスラエルの王政誕生」のテーマは前回で終える予定だったが、二代目の王ダビデについて書かないと片手落ちになると思ったので、今回ダビデ王就位までを書かせていただいて、このテーマを終わりたいと思う。一代目の王サウルは、神様の御導きによって敵国を破り、名実ともにイスラエルの王となったが、その後、2度にわたって神様の御命令に背いてしまう。サウル王の1度目の失敗1度目は、ペリシテ軍が攻めてきた時だった。ギルガルの地で踏みとどまっているサウル王に、祭司サムエルは7日間待つように命じた。しか
今回は、士師サムエルの時代の「イスラエル王制誕生」の経緯について書かせていただき、「イスラエルの王とは何か」を探ってみたいと思う。大祭司エリが亡くなって20年が経ち、イスラエルの指導者となったサムエルは民に語った。~~~~~~~~~~あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュタロトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる。(サムエル記一7:3)~~~~~~~~~
前回に続き、「士師の時代」のことを書かせていただきたいと思う。旧約聖書「士師記」の後も、士師の時代はつづく。そして、「サムエル記」に登場するサムエルが最後の士師となった。士師サムエルは、預言者でもあり、祭司でもあり、士師から王朝の時代へ移り変わるときに重要な役割を果たした。サムエルは幼児のときから、老年の大祭司エリのもとに預けられて成長した。よって大祭司エリは、サムエルの師であり、育ての親でもある。この「祭司」という役職は、レビ族の中でも、アロン(モーセとともに神に仕えた大祭司)の家
終活も少し落ちついたので、無理のない範囲でまた書かせていただきたいと思う。旧約聖書の「士師記(ししき)」には、モーセの後継者ヨシュアが亡くなってから、イスラエル王朝ができる少し前までの、約200年間の歴史が記されている。その時代は信仰が非常に堕落した時代で、戦争や内紛の記述が多く、興味を引かれることがあまりなかったので、今までほとんど触れたことがなかった。しかし、どんな歴史も「聖書の歴史」であることに変わりはないので、何回かに分けて「士師の時代から王朝ができるまで」を探究してみたい。
今回は、「幸福の出どころ」について、初代様の教えをもとに書かせていただきたいと思う。「自分だけの幸福」を求めても、求め得られない。その理由は、「自分だけの幸福」は、この世に存在しないからである。と、初代様は説かれている。自分だけの幸福はこの世に無い初代様は、その真理について、~~~~~~~~~~相手を負かしたり苦しめたりして、自分だけが幸福を得ようなどとは、お許しなさらないのが神様であります。それのみならず、たとえ相手を苦しめないまでも、自分だけが幸福になりますようにと祈っ
今回は、初代様のお諭しより、「世渡りのコツ」について書かせていただきたいと思う。世渡り上手の意味「世渡り上手」の意味を辞書で調べると、世間においてうまく立ち回り、有利な人間関係を築いたり、裕福な暮らしを実現したりするさまとある。けして悪い意味ではない。しかし、「あなたは世渡り上手ですね」と褒められても、あまりうれしくない。「世渡り上手」という言葉には、自分が得するように利口に立ち回るというニュアンスが含まれているからである。もちろん、「世渡りが下手ですね」も褒め
先日、NHKスペシャル「2030未来への分岐点」のシリーズ5回目で、「AI兵器戦争」の特集をしていた。SFの世界が今や現実となり、従来の戦争の概念を変えつつある。この番組をご覧になられた方の中には、「恐怖をあおっている」という印象を持たれた方もいらっしゃるようで、人それぞれいろいろな視点があるとは思うけれども、私は、「未来の平和のために、この現実を直視して欲しい」という願いを込めて制作された番組だと受け止めている。現代の科学兵器がどのようなものかを、我々も知る必要があると思う。なぜな
今回は、「誓願の祈りと交換条件」について、書かせていただきたいと思う。誓願の祈りと交換条件前回まで数回にわたり、神様との「契約」について書かせていただいたが、神様とのお約束は「契約」だけではない。信仰者が、行(ぎょう)、奉仕、善行などの「交換条件」を自ら課し、神様に実行をお誓いして祈願する場合がある。その場合は「契約」ではなく、「誓願」と言う。「誓願」という言葉は、キリスト教や仏教でも使われる言葉だが、たとえば旧約聖書から引用させていただくと、~~~~~~~~~~ヤコブはまた、誓願
前回まで2回にわたり、「無条件契約」と「条件付契約」というキリスト教の教えについて書かせていただた。今回もそのことに関係する内容で、「人類の遠い未来は定められているのか」ということをテーマに、初代様に下された御神示をもとに探求してみたいと思う。神様が初代様に御再臨あそばされたときの御神示昭和10年1月18日に、初代様の同業者の佐藤安孝氏を神がかりとなり、「汝らに財宝を授けつかわすが故、晴一の生まれた二月十一日には、必ず祭り事をせよ」との御神示が下された。この神様の御言葉は、キリス
今回は、「無条件契約」と「条件付契約」という、キリスト教の教えについて書かせていただきたいと思う。「無条件契約」、「条件付契約」とは、聖書に記された言葉ではなく、キリスト教神学によって後につくられた言葉だが、確かに聖書を読むと、神様との契約には、「条件付きの契約」と「無条件の契約」の2つあることが分かる。「無条件契約」とは、神様が無条件に、「わたしは~する」と仰せになられた契約、「条件付契約」とは、神様が人間に、「もしあなたが~するなら、わたしは~する」と仰せになられた契約、
前回は、天心聖教の初代教祖島田晴一先生が、お若い頃に斎藤主人から受けた「五銭のおつり」の教えをもとに、「信用」ということについて書かせていただいた。お金で信用を失うようなことは絶対にしてはいけない。人をごまかして不浄に集めたお金は、たちまち消え失せるばかりでなく、得れば得るほど、自分や子孫に悪因縁を残すことになる。ということを、初代様のお諭しをもとに申し上げた。今回も、神様が初代様に御再臨あそばされる前のお話だが、お金の話ではなく、「御再臨前の初代様の信仰とご修行」について書か
今回は、神様御再臨までの初代様が歩まれた人生について、「由来」をもとに書かせていただきたいと思う。明治29年2月11日に、神様の予言どおりに男の子が生まれ、神様は「晴一と名付けよ」と仰せになられて御帰天あそばされた。天心聖教の初代教祖島田晴一先生のご生誕である。13歳で小僧に入られた初代様その後、初代様は両親のもとで育てられ、明治42年2月、13歳のときに東京の斎藤商店という雑穀屋に小僧として勤めることになった。同村の人の娘亭主が雑穀屋を開業し、小僧にやってもらいたい、と何度も頼
前回まで2回にわたり、平吉師への御降臨について書かせていただいたので、今回は、初代様への御再臨について書かせていただきたいと思う。初代様への御降臨初代様への御再臨は、昭和10年1月18日の夕方のことだった。当時、雑穀界に身を置かれていた初代様は、11年間の貧乏生活の末に、自殺を考えるまでに至っていた。窮地に立たれた初代様が、神様に訴えられた場面が、天心聖教の「由来」に次のとおり記されている。~~~~~~~~~~自殺してしまおうと思った夜中の二時頃、布団の上に、むっくと座った私は、
前回は、初代様の兄、平吉師について書かせていただいた。前回の内容を要約すると、神様は、明治25年に、当時10歳の平吉少年に御降臨あそばされ、平吉少年をとおして数々の奇蹟を現された。そして明治29年2月11日、予言どおり初代様がお生まれになると同時に、神様は御帰天され、平吉師は普通の少年に戻った。その後平吉師は、神様と過ごされた日々のことを、誰にも語ることはなかった。ということを、前回に書かせていただいた。それから約40年が経った昭和10年1月18日に、神様は初代様に本格的に御再臨
今回は、初代様の兄、島田平吉師について書かせていただきたいと思う。昭和10年1月18日に、神様は初代様に御降臨あそばされたが、はじめに神様が御降臨されたのは、初代様の兄、島田平吉師で、天心聖教の由来はそこから始まる。平吉少年への御降臨明治25年、平吉師がまだ10歳の時、友だちとそのお供役の少年との3人で学校から帰る途中、白い長いひげの老人が、欅(けやき)の大木の頂上から少年達の前に恐ろしい顔をして飛び降りてきた。少年たちはキャーッと言って近くの家に逃げ込んだが、平吉少年だけは庭の便所
今回は、「懺悔と先祖供養」について書かせていただきたいと思う。「懺悔」とは、自分のしたことが悪いことだと気がついて、それを悔い、神様に告白してお詫び申し上げることである。そして「反省」とは、自らを省みて、自分の心と行いを改めることである。「懺悔」は、キリスト教においても大切なこととされているが、天心聖教の懺悔には、キリスト教にはない、「先祖の罪を神様に懺悔してお許し願う」という、「先祖供養」がある。キリスト教と天心聖教は、同じ宇宙絶対の神様が御降臨あそばされた宗教である。それなのになぜ
前回に続き、「男女同権」について書かせていだきたいと思う。前回は「ジェンダー・フリー」の思想について触れた。ジェンダー・フリーとは、従来の「男はこうあるべき」、「女はこうあるべき」といった固定観念を持たない考え方のことであり、「男らしい」、「女らしい」という表現も、好ましくないとしている。しかし、「女らしく生きたい」、「男らしい人が好き」という女性は多くいらっしゃるし、逆に男の立場でも同じことが言えるので、ジェンダー・フリーの考え方に賛同するかどうかは、男女を問わず人それぞれである。ただ
今回は、「男女同権」について、書かせていただきたいと思う。このテーマは、セクシャルマイノリティー(性的少数者)とも関係する難しいテーマだが、「性的差別」の問題と、「男女の役割分担」の問題とは、分けて考える必要がある。性的差別や偏見が良いか悪いか、ということなら、もちろん良くない。初代様は、「男女同権」について、~~~~~~~~~~男女同権とは、従来、日本の弊風たる男尊女卑を改め、男のわがままを戒めると同時に、女の屈従をなからしめ、男女同位の和楽の世界をいうものである。(初
今回は、イエスの伝道目的をテーマに書かせていただきたいと思う。前回申し上げたとおり、福音書には「イエスの伝道目的」についての明確な記述がないため、本当のところは分からない。分からないけれども、想像することはお許しいただけると思うので、福音書に記されたイエスのお言葉をもとに、拝察申し上げてみたいと思う。イエスの伝道対象者はじめに、イエスの伝道活動は、誰を対象に行われたのか?ということだが、そのことが分かる記述が福音書に記されている。~~~~~~~~~~~イエスはそこをたち、テ
今回と次回は、「イエスの伝道とその目的」について、聖書の記述をもとに書かせていただきたいと思う。ただ、福音書にはイエスの使命について明確に語られている記述がない。したがって、「イエスはこのような使命をおびて遣わされた」とはっきり言い切ることができないので、イエスの言葉をもとに拝察申し上げたいと思う。モーセの場合は、神様が使命を下された御言葉が「出エジプト記」に記されている。天心聖教の場合も、神様が初代様に使命を下された御言葉が、「天心聖教の由来」や「御諭し」に記されている。したがっ
前回は「マタイによる福音書」をもとに、「安息日」について書かせていただいた。今回は続きを書かせていただきたいと思う。イエスの弟子たちが、安息日に麦畑で麦の穂を積んで食べた。また、イエスは安息日に病人を癒やされた。そのことを、律法学者やファリサイ派の人々は、「それは仕事だ。律法違反だ」と主張した。しかし、イエスは旧約聖書の記述より、本質を説いて諭された。ということを前回書かせていただいた。イエスの時代のユダヤ教は、律法の解釈の違いからいくつかの派に分かれていた。主流派だった「ファリ
今回は「安息日」について書かせていただきたいと思う。「あんそくび」、「あんそくにち」、「あんそくじつ」、どの読み方も正しいそうだ。天心聖教には「安息日」というものはないが、興味深かったので調べてみた。十戒に記された安息日の定めユダヤ教、キリスト教、イスラム教には「安息日」があり、特にユダヤ教では厳格な規定がある。安息日は、神様がモーセに授けられた十戒の一つで、「金曜日の日没から、土曜日の日没まで、一切の仕事をしてはならない」という定めである。旧約聖書の「出エジプト記」に、安息日を定め