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松阪の町をめぐります。天台真盛宗のお寺「来迎寺(らいごうじ)」を訪ねます。永正年間松ヶ島城下で創建と伝えます。蒲生氏郷松坂城築城の折り、この地を拝領し移っています。「鐘楼門」は文政4年(1821)落成。享保元年の松坂の大火で全山消失。豪商三井家などの尽力により8700両の費用をかけて再興されたという。「本堂」は、享保16年(1731)再建。この堂は複合仏堂で、前後に並ぶ外陣と内陣を取り合いで繋いでいます。内陣には阿弥陀・観音・勢至の三尊来迎像を配
東海道、亀山宿。枡形跡のカーブのすぐ先には…↓↓↓↑↑↑天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)延寿山地蔵院遍照寺。立派な楼門を潜ろうとしているのは、人神人(ひとしんど)君の弟子。↓↓↓暗くて見辛いが、この楼門の上には釣鐘が。↓↓↓本尊は、阿弥陀如来立像。そして、こちらの本堂は、旧亀山城二ノ丸御殿の書院が移築された物だそうだ。楼門を潜ると、本堂まではこの下り坂。↓↓↓↑↑↑我々は、ここから遙拝。そして、門前で人神人(ひとしんど)君の坐禅も。↓↓↓我々は、更に
盛安寺は、滋賀県大津市にある天台真盛宗の寺院。山号は瑞應山。本尊は阿弥陀如来。井上靖の小説『星と祭』で知られる重要文化財の十一面観世音菩薩立像がある。詳しい創建年代は不明であるが、寺伝によると当寺は高穴穂宮の跡地に建てられているという。その後廃れたが、越前国の朝倉貞景の家臣である杉若盛安によって文明18年(1486年)に再興されたといい、再興後、杉若盛安は当寺に入寺したとする。なお、寺名は杉若盛安からとられたものであるとしている。その後、何度か焼失したが、その度復興された。
6月28日(土)西教寺さんへ参拝してきました6月21日~9月21日まで、風鈴参道を通り抜けられるようになっています金の風鈴を見つけましたいつもニコニコえがおがいちばん書いてある内容も受付で聞かれますよ購入した
西徳寺は、滋賀県大津市大江にある天台真盛宗の寺院です。慶長7年(1602年)に宗珍大法師が創建したと言われています。その後、二度の火災で焼失し、明治44年(1911年)に本堂が再建され、同時期に山門が膳所城から移築されました。◆クスノキ◆大津市指定保存樹推定樹齢200年
5月10日(土)びわ湖百八霊場で西教寺さんへ行ってきました満願の届けを提出するためもう一度参拝することになるのですが・・・朝は晴れていたのに少し曇ってきて傘を取りに戻ってもらいました傘を取りに戻ったのになぜか降らなくて傘が邪魔になるということが多いですわたしだけこの後、護猿(まもりざる)のおみくじを購入しました西教寺さんは日本遺産
【6月22日】滋賀県高島市にある天台真盛宗来迎寺さんへ。びわ湖百八霊場第22番。
【6月22日】滋賀県高島市にある天台真盛宗玉泉寺さんへ。びわ湖百八霊場第21番。
【6月22日】滋賀県高島市にある天台真盛宗大清寺さんへ。びわ湖百八霊場第20番。
大津市坂本西教寺の末寺で天台真盛宗の寺。創建については明らかではありませんが、戦国時代末期に豊臣秀吉が長浜城を築城した際、小谷城から移して鬼門を守らせたといいます。本堂には、阿弥陀三尊像が安置され、その左手には大坂城落城の時に持ち出された、秀吉の木像が安置されています。観音堂の十一面観音坐像は、寄木造に彩色を施した高さ約60cmの木造で、運慶作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています。また淀殿(1567-1615)から、次妹おはつの夫京極高次に宛てた自筆の消息(書簡)も保管されています。
◆山門◆薬医門形式で細部まで精緻な技が施された均斉のとれた山門です。大正15年(1926)当山第29世木村哲忍上人(西教寺第29世眞空上人)にて再建されました。山門の横にある鐘楼は、明治41年(1908)当山第26世台谷哲隆上人にて再建されました。旧梵鐘は,第二次世界大戦時に供出されて、昭和23年(1948)に再鋳されました。梵鐘の内部には旧梵鐘の銘があります。◆本堂◆二
伊勢別街道(参宮道)は、高野尾町に入りました。大戦末期、↓下図・高野尾小学校からICにかけて、海軍の簡易秘密飛行場が建設されたという。「第3鈴鹿航空隊」とも呼ばれたそうですが、戦後の開拓によりそれをうかがわせるものは全く残っていません。しばらく歩くと「地蔵」さまが祀られていました。高野尾町は、静かな町並みが続きます。中二階?のある建物がいくつか目につきます。そしてこんな家も…。蔵のある家も…
JR新旭駅の南約1.7kmにある、天台真盛宗の寺院です。平安時代、最澄の開基と伝えられ、もとは熊野山の堂立山にありましたが、のちに延暦寺の飛地境内の一区であった現在地に移され、大変栄えたといいます。戦国時代、織田信長の兵火により全焼しましたが、織田信澄(のぶずみ)の帰依によって護持され、信澄は大溝城下に別院を建立しました。現在の本堂は大正時代に再建されたものです。本堂に安置されている本尊の大日如来坐像は、国の重要文化財に指定されています。平安時代の作で、像高74.5m、檜材一木造で全身に漆箔が
びわ湖百八霊場・近江湖西27名刹第20番の大清寺は、1508年天台真盛宗第三世真恵上人が安曇川の豪族・万木高光の帰依を受けて開創されている。現在の山号・高光山はそれに由来する。その後、1572年頃廃城となった横山城後背地の現在地に移ってきた。万木氏(ゆるぎし)は近江源氏佐々木氏の支流になるらしい。高島市安曇川町の西万木遺跡は万木氏の居館跡と推定されている。大清寺所蔵の<千手観音二十八部衆像(画)>は鎌倉時代の作で、非常に珍しい千手観音坐像と二十八部衆の画像で、重要文化財に指定され
令和7年3月2日(日)今回は、ひな祭りの時期でもあるため、大津市坂本にある西教寺に行くことにした。この時期、西教寺では『ひな人形』を展示し一般公開しているためである。「ひな人形展」2025年2月8日(土)〜3月9日(日)08:15頃自宅を出発する。車で行く。国道1号線と湖西道路を利用する。08:50頃西教寺に到着する。拝観受付は09:00からにて、しばし山門前で待つこととした。09:00受付所で拝観料を納め山内に入る。〈西教寺〉総門。後ろの山は比叡山である。緩や
●天台宗天台宗延暦寺総本山滋賀県大津市坂本本町4220天台寺門宗園城寺(三井寺)総本山滋賀県大津市園城寺町246天台真盛宗西教寺総本山滋賀県大津市坂本5-13-1本山修験宗聖護院総本山京都市左京区聖護院中町15金峰山修験本宗金峰山寺総本山奈良県吉野郡吉野町吉野山2498羽黒山修験本宗荒沢寺本山山形県鶴岡市羽黒町手向字手向2和宗四天王寺総本山大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18粉河観音宗粉河寺総本山和歌
12月7日、伊賀市の西蓮寺さんへ紅葉を観に行ってきました西蓮寺さんは二十五菩薩練り供養が行われるお寺です2024年『◆二十五菩薩練り供養◆西蓮寺(動画あり)』4月14日に伊賀市の西蓮寺にて二十五菩薩練り供養が行われました5年前の二十五菩薩練り供養はコチラ『◆二十五菩薩練り供養◆医王山無量寿院西蓮寺』昨日…ameblo.jp2019年『◆二十五菩薩練り供養◆医王山無量寿院西蓮寺』昨日は雨がパラパラ降るなか伊賀市長田の西蓮寺さんに行ってきました西蓮寺さんと
【11月4日】滋賀県守山市にある天台真盛宗東光寺さんへ。びわ湖百八霊場巡り。びわ湖百八霊場第六番。
お借りしていた「都男追憶」と「京都音楽史」を返す目的もあり、午前はいつもの神社へ。一本橋のところにある稲荷神社。稲荷なのにタヌキが祀られている。前回、来た時にタヌキを撮り忘れていたのでわざわざ撮りに来ました。少し前まで葉が一つもなかったのに、あっという間に茂ってしまった。この先に知恩院がある。様々な場所に色々な思い出が......神社で用事を済ませた後は滋賀の穴太(あのお)駅へ。盛安寺の仏像を拝むのが目的です。三上山が見える。通称、近江富士。ここが盛安寺。壁は穴太衆
4月14日に伊賀市の西蓮寺にて二十五菩薩練り供養が行われました5年前の二十五菩薩練り供養はコチラ『◆二十五菩薩練り供養◆医王山無量寿院西蓮寺』昨日は雨がパラパラ降るなか伊賀市長田の西蓮寺さんに行ってきました西蓮寺さんというと伊賀忍者回廊のお寺の一つで紅葉の綺麗なお寺。一年半前の西蓮寺さんhttps:…ameblo.jp秋の西蓮寺さん『【西蓮寺】伊賀市長田』
令和4年12月18日(日)今日は朝から車で滋賀県大津市坂本にある西教寺に行くことにした。8時35分頃に到着する。拝観受付が9時からにて、しばし駐車場で待機する。西教寺は天台真盛宗総本山で本尊は阿弥陀如来坐像である。大きな阿弥陀さまである。本堂も大きく、本坊・書院・客殿などが建ち並び、総門から勅使門までの参道に塔頭が両側に建ち並ぶ、末寺400余りを有する大寺院である。聖徳太子が恩師である高句麗の僧のために創建されたと伝えられている。鎌倉時代に真盛上人が入寺されるに至り、不断念仏の道
寺院について天台真盛宗創建奈良時代開基道元法親王1753年大阪府大阪市北区長柄東1丁目3-12市街地にあり札所新西国三十三箇所第3番パンフレット重要文化財銅鐘本堂本尊阿弥陀如来観音堂本尊子安聖観世音菩薩新西国三十三箇所第3番
天台真盛宗総本山西教寺の公式サイトに掲載されている宝珠という宗報があります。宝珠滋賀県大津市の《天台真盛宗総本山西教寺》は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生の事業として提唱さ…saikyoji.orgこの宗報の平成31年1月1
21.10/17sun.9:45-10:5012:00-15:50JR石山駅からシャトルバスで岩間寺、10月は「ぼけ封じ祈願会」行きはノンストップ帰りは、石山寺門前ほか駅には下車可京阪石山寺駅から石山坂本線坂本比叡山口駅下車西へ伝教大師御誕生地生源寺を過ぎ右折して北へ袋古墳群三基から少し左に曲がりながら上り坂突き当たり西教寺前交差点を左折天台真盛宗総本山西教寺の総門坂本城主の明智光秀が城門を移築塔中を左右に西へ閉ざされた勅使門を右折教学総合センター門を潜
天台真盛宗総本山西教寺滋賀県大津市大津市坂本5-13-1寺伝では、聖徳太子(574-622)が創建し、のちに天智天皇(626-671)から西教寺の勅願(ちょくがん)を賜わり、平安時代に延暦寺中興の祖良源(りょうげん)(913-985)が、続いて横川の源信(げんしん)(942-1017)が庵を結んで修行道場としたと伝えられています。その後、長らく荒廃していましたが、室町時代末期に延暦寺で20年間もの修行を積んだ真盛(1443-93)が入寺して再興しました。戦国時代、織田信長(
「ご朱印」平成21年に参拝した東海白寿観音霊場:「九品寺」平成21年分(2009年)14枚目:(通算386枚目)参拝日:平成21年(2009年)4月9日東海白寿観音霊場13番札所「袖合山九品寺(くほんじ)」宗派:天台真盛宗本尊:阿弥陀如来住所:三重県伊賀市守田町11942009年にご朱印を頂いた東海白寿観音霊場の元記事はこちらをご参照ください。https://ameblo.jp/kensuzu214/entry-12478436902.html?frm=th
真盛上人が興した天台真盛宗戒光山西教寺の東京別院の天台真盛宗天羅山養善院眞盛寺は寛永8年(1631年)に真観上人によって湯島天神前創設された。その後移転を繰返し大正11年にこの地へ移転※普段檀家の方しか境内には入れませんが今回はたまたま檀家の方とご一緒させて頂きました山門延宝元年(1637年)に越後屋を日本橋に創業して以来三井家の菩提寺になっています元三大師堂文政3年(1820年)築[本所より移設]小屋手水舎墓所への門境内社本堂安永5年(1776年)築[本所より移築]ご本
御朱印西教寺「不断念仏」西教寺天台真盛宗総本山天台宗の延暦寺、三井寺が密教色が強いのに対して、真言真盛宗は浄土宗に近いように思いました。西教寺三羽雀御紋参拝時の記事です。『明智光秀の菩提寺西教寺☆ミニビワイチ(南湖を一周)』1月14日のミニビワイチ(南湖を一周)の続きです。前回の記事です。『びわ湖大橋から湖西へ☆ミニビワイチ(南湖を一周)』ミニビワイチ(南湖を一周)の…ameblo.jp『明智一族の墓西教寺☆
1月14日のミニビワイチ(南湖を一周)の続きです。前回の記事です。『びわ湖大橋から湖西へ☆ミニビワイチ(南湖を一周)』ミニビワイチ(南湖を一周)の続きです。前回の記事では寒咲ハナナ咲く守山なぎさ公園を散歩しました。『寒咲ハナナ咲く守山なぎさ公園☆ミニビワイチ(南湖を…ameblo.jp坂本の大宮川駐車場から徒歩10分ほどで西教寺の総門に到着しました。西教寺総門。今年の大河ドラマの幟が立っています。西教寺は明智光秀の菩提寺です。この総門は坂本城の城門を移
近鉄名古屋線津新駅から東へ1.5km程のお寺に来ました寺院名;龍宝山西来寺宗派;天台真盛宗御本尊;阿弥陀如来所在地;三重県津市乙部6-14TEL;059-226-6860西来寺は、延徳2年(1490)真盛上人が津観音で説教した折安濃津の民がお堂を建て、上人を開山としてお寺を開創されましたその後慶長6年(1601)現在地に移り徳川家康の側室・於奈津の方から600両の寄進を受け伽藍の整備がされ後の時代に於奈津の像が祀