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阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖天台座主への道第二五七世天台座主森川宏映・第二五六世半田孝淳・第二五五世渡邊恵進各探題大僧正天台座主への道―経歴法階とは―■天台座主と探題永禄6(1563)年に来日したルイス・フロイスの著作である『日本史』に、「日本で新たな宗教を布教するには比叡山延暦寺の許可が無ければ不可能である」と書かれている。このように、かつて延暦寺は日本の宗教界において最も強い権力を保持していた。また、フロイスが「教皇」とたとえた天台座主は、その天台教団の統轄者としての立場に
カエル姫です。前回の続き一夜明けた14日日吉大社参道は静かな朝です。満開の枝垂れ桜偶然にも滋賀院門跡方向からやってくる一団に遭遇前列4人は雅楽奏者、後の籠には…日吉大社に参拝される延暦寺の天台座主が乗っておられます。滋賀院門跡に前夜から宿泊されていたのかしら?山王祭で最も重要な例祭のために来られた天台座主古くより所縁のある日吉大社と比叡山延暦寺明治以降廃絶した神仏習合を今に伝える神社と寺院の融合儀式が執り行われます。座主をお迎えする参道の人
本日もお読みいただきありがとうございます。昨年秋に訪れたばかりの廬山寺。今回「京の冬の旅」で元三大師堂が公開されているということで行ってきました。昨年秋の廬山寺の記事👇『桔梗がきれいでした「廬山寺」』本日もお読みいただきありがとうございます。🌰「饂飩店よこやま」さんで美味しいおうどんを食べたあとは歩いてすぐの廬山寺へ昨年2月の節分以来の訪問です楽しかっ…ameblo.jp今回玄関は光格天皇が仙洞御所から移築したものだそうです。今回はガイドさん(学生さん?)が、各部屋の説
教団都市で約2ヶ月神憑りの手掛かりを貧民窟の協力者の家にお世話になり調査を続けてまいりました。そこで、見ました伝説の神がかりを!!生命を救われた形ですが、これほどの術者をアンナは見たことがありません。アンナが泰山府君祭を極めても届くか疑問です。これほどの能力を人の身に許されたことは全く信じられません。上にはあると痛感した調査任務です。残りの期間頑張ります。ではでは~アデュ。。。
◇【外伝】第二五三世天台座主山田恵諦探題大僧正陰に日向に、酒井阿闍梨を見守る一人に、「山田恵諦師」がいた。酒井阿闍梨曰く「厳しい先生だった。」叡山学院時代、山田師の授業を受けている。第二五三世天台座主・探題大僧正、明治に生れ、大正・昭和・平成に生き、今の比叡山延暦寺を語る上で欠かせない僧である。「法華三部経を暗記」「漢文法華経をソラで唱える」「東洋の聖者」とローマ教皇にいわさしめ、「空飛ぶ座主」といわれた人物である。(ローマカトリックヨハネ・パウロ二世と山田恵諦師)大まかな略歴は、
コロナ前から気になっていた書写山圓教寺(えんぎょうじ)に8月24日に訪問。#姫路市の#書写山#圓教寺(#花山法皇命名)で奥秘仏#如意輪観音(鎌倉時代、材は桜)を#摩尼殿(#後白河法皇命名、#武田五一設計の再建)で拝見(9/30迄)。先代長吏(現#天台座主)が博物館の勧めもあって2006年に厳封を解き「発見」🧐#地蔵盆の振舞で甘〜いスイカ、お菓子を頂戴🥰#西国三十三所pic.twitter.com/jWa1FXXQQd—Sally_Osaka(@osaka6
今日は大村夏越祭りの花火大会。長崎空港近くで花火を上げるので,長崎空港の最終便の飛行機が着陸した後に花火大会は始まるので,9時前後から花火が上がります。社会人からすれば翌日の仕事のことも考えながらの花火の鑑賞となります。さて今回は,昨日話題となった「天最真空パック」。なんやそれって思われそうですが,これって以前教えてもらった歴史のゴロ合わせなんです。すなわち天台宗が最澄,真言宗が空海ってなわけです。ちなみに天台宗は比叡山延暦寺,真言宗は高野山金剛峰寺ですね。最澄にしても
ご来読、有難うございます。日本橋行政書士あおき法務事務所、たぶん所長の青木です。台風が近づいてて心配の中、5時半に無理やり起きました東京駅まで30分くらい6時半には到着しましたが、連休初日で人だらけ7時前だぞ〜ガラガラ引いた女性だらけコロナ、どこ行った(笑)弾丸日帰りの旅で、比叡山へ本日は、年3回しか天台座主がお見えにならない日のうちの1日です✨6時半には東京駅に到着連休初日で人だらけ雲海を眺めながら、幕の内御膳を食べて京都へ9時くらいに京都駅に到着すると、さすがは観光地
【慈円】久寿二年~嘉禄元年(1155-1225)摂政関白・藤原忠通の子。仁安二年(1167)12歳の時に青蓮院にて天台座主(比叡山延暦寺貫主)明雲について受戒。治承二年(1178)法性寺座主、養和二年(1182)青蓮院門跡を継承。建久三年(1192)天台座主となり以後四度天台座主に。歴史書📖『愚管抄』の著者として知られると共に歌人としても有名。「小倉百人一首」当時、異端視されていた寺修念仏の法然(浄土宗開祖)の教義を批判する一方、弾圧には否定的で、法然と弟子の親鸞(浄土真宗開祖)
『鎌倉殿の13人』~後追いじゃない先走りコラム114次回第32回『災いの種』に向けて、慈円(じえん:山寺宏一)について次回の予告を見ると、頼家(金子大地)はお風呂では死なないようですね。あと、やはり善児(梶原善)が始末するような予感が・・・。(善児:梶原善:やはりこの人が・・・)今回のコラムは、次回登場する慈円について。以前にもどこかで少し書いたような記憶がありますが、次回への予習ということで。(慈円:山寺宏一)慈円は、九条兼実(かねざね:藤原兼実と
三井寺辨慶力餅さんで熱い美味しいほうじ茶と絶品の辨慶力餅を頂きながら心ゆくまでのんびりと寛いでいると、茶店の目の前に文化財収蔵庫がありました。喉の乾きも空腹も癒えて疲れがすっかり取れた私と夫は、文化財収蔵庫に入ってみる事にしました。ここに入った事は「良かった」などという簡単な言葉では言い尽くせないくらい、入って本当に「良かった」です。昨年トーハクで「最澄と天台宗のすべて」を観て感動しましたが、そこでも拝見出来なかった宝物の数々を、拝見する事が出来まし
毘沙門堂と山科疎水をご案内しました。枝垂れ桜の毘沙門桜🌸も満開です門跡寺院でも菊紋と葵の紋が、両方ついているのは寛永寺など、合わせて3ヶ所しかないとかそしてそして…サプライズニュースがありました絶対秘仏の毘沙門天(最澄手彫り)が330年振りに今年10月2週間程度『一般公開』される…そうですネットにもこの情報はまだ見当たりません内定ですか?とお尋ねしたところ天台座主様のご健康次第ということでした秘仏が納められている厨子の鍵扉の開閉は天台座主しか出来ないまさに330
《新古今和歌集・巻第三・夏歌》242五十首歌奉りし時前大僧正慈円五月闇(さつきやみ)みじかき夜半(よは)のうたた寝に花橘の袖に涼しき☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆五十首の歌を差し上げた時前大僧正慈円五月闇の短い夜のうたた寝をしていると、花橘の香が、袖のあたりに涼しく漂ってくることだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎
本日…折角斑鳩寺へ行ったのに…般若心経の経本を忘れて唱えられなかった💦未だに暗記が出来ないポンコツです。斑鳩寺講堂にて薬師如来様・釈迦如来様・如意輪観世音菩薩様にご挨拶。御真言を唱えしました。賓頭盧様にご挨拶と左足首にこれからも痛みが出ないようにお願いしました。聖徳殿聖徳太子様にご挨拶と日頃の感謝をお伝えしました。不動堂・弥勒堂ご真言を唱えご挨拶と日頃の感謝を伝えました地蔵菩薩様ご真言を唱えご挨拶と日頃の感謝を伝えました。
大津市坂本にある延暦寺慈眼堂慈眼大師・天海大僧正の廟所です織田信長の比叡山焼き討ち後、延暦寺の復興に尽力し徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍に仕え日光東照宮、輪王寺や上野の東叡山寛永寺などを創建しています日光の輪王寺・大猷院や上野寛永寺にも廟所があります慈眼堂の門前から見える琵琶湖です中は拝観することはできませんでしたが、境内には、慈眼大師・天海大僧正の供養塔がありましたほかにも、江戸時代以降の歴代天台座主(天台宗の総本山・比叡山延暦寺の貫主であり、天台宗
「魔王」というのは「悪魔の親玉」という意味ですが、「悪魔」というのは釈迦の修行を邪魔するために表れて欲望を起こさせようとした者です。つまり日本語の「魔王」というのは「仏教の敵」という意味で、仏教勢力が旧秩序の中心と目されていたこの時代においては「仏教の破壊者=旧秩序を破壊し、新秩序の創造する者=世界を改革する人間」という意味になるのです。信長はこうした意味で、「第六天魔王」と自らの乗っていたのです。具体的には、信長が比叡山の焼き討ちをしたので、比叡山の天台座主をはじめとする高僧たちが甲斐の
室町幕府第6代将軍、足利義教、万人恐怖と言われますが、足利義教の人生を辿っていきます。足利義教は1394年6月13日、足利義満の子として生まれました。幼名は春寅。兄には1394年将軍となった足利義持、足利尊満、宝幢若公がいました。同年には異母兄弟の鶴若丸(足利義嗣)が生まれていますが、足利義嗣の誕生日は不明であり、足利義教が何番目の男子かは明確になっていません。足利義満の足利義嗣への可愛がり様は異常でしたから、足利義教は余り相手にしていなかったようです。足利義満にとって、政治の駒に使え
わぁっっっもう11月が終わろうとしていますね。びっくり12月1日(あさって)NHK「ぐるっと関西おひるまえ」にお邪魔させて頂く予定です。どうぞ、よろしくお願いいたしますとにかくバタバタしていた今年の秋。ゆっくり紅葉狩りにもいけませんでしたが21日の日、まだまだよそおう比叡山延暦寺へ行きました。筑前琵琶橘流日本橘会第19回名曲鑑賞会の司会をさせて頂きました事務局もされている、師範の法鏡
ええ天気でした。休日に快晴だと、どうしても何処かに出掛けたくなるもの...。ただ、今日ばかりは...遷化された座主さんに哀悼の意を表する為、何処か適当な天台寺院で阿弥陀経をお唱えさせて貰おうと思い立ちました。(どっか、室内でじっくり勤行出来るお寺さんは無いやろうか...。)私が住む船橋市は、真言宗豊山派の土地柄。市の中心部に天台寺院はありませんので結局電車旅(笑)。隣の市川には、御本尊が阿弥陀如来の泉養寺さんがあるのですが、じっくり勤行と言う訳にも行きません。どうするべきか...
今日ばかりは、天台門徒として記事を書かせて貰いましょう。去る11月22日、天台宗第257世座主・森川宏映猊下が延暦寺の真蔵院にて遷化されました。96歳でした。発表された死因によると、老衰と言う事ですから大往生だったと言えるかも知れません。しかし...門徒としては寂しい限りです。本年正月にもテレビ番組【比叡の光】で元気なお姿をお見せ頂いておりましたので、まさかと思いました。通夜は昨日25日、午後7時から滋賀院門跡で執り行われた様です。密葬は本日正午から同じく滋賀院門跡で執り行われま
去る11月22日月曜日、第257世天台座主、森川宏映大僧正が御遷化されたとのこと。御年97歳、老衰ということですが、謹んで御冥福をお祈り申し上げます。さて、もう2年間、武漢肺炎のお陰で比叡山登叡が出来ず、ホームページやTwitter、或いは毎月届く比叡山時報等でお山の状況などを知るばかりですが、ホームページ上で申し込んで購入しておいた来年度の比叡山延暦寺カレンダー、今日はこれの準備をしておきます。3年ほど前から、毎年購入していますね。令和4年カレンダーは、不動明王尽くし
森川宏映様96歳で11月22日朝お亡くなりになりましたコロナ禍でも今年はとても大事な行事があり精一杯務めるお姿をテレビ中継で拝見し感じ入りましたご冥福をお祈りいたします滋賀県大津市の自坊真蔵院でお亡くなりになったと新聞にありました延暦寺を隠居した方が住まう所のようです門前の様子しかわかりませんがこの地で心穏やかにお亡くなりになったことでしょう(写真は大津市のホームページより)ありがとうございました
私と縁の深い比叡山延暦寺。そのトップ・第257代天台座主の森川氏が亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。
今日のお天気は朝から曇り空、後には雪が降る気温は最高2度近くまで最低気温は零度ぐらい雷も鳴っている夢レポートです昨晩は1時頃お布団に入って天井を見上げて気力を溜め込んで目を閉じて周りの気配を鎮まるのを待ちました暫く微睡んでからお多福さんを見ようとしてたのですが簡単に寝落ちしました途中眼が覚めることもなく普通の夢ですが覚えてませんお約束の目の前の本の出番です再び題名奇想天外だから史実副題天神伝承を読み解く著者高島幸次発行大阪大学出版会法性坊尊意が道眞の仏
「麒麟がくる第33回比叡山に棲む魔物」の話を、今日も、熱くします。光秀はなんか外交で威勢よく活躍してるように見えるけど。実はいま、いろんなところで「板挟みになってる」、その不安と焦燥がどんどん顔に現れてきてる、ってのを、観客(視聴者)はもっと敏感に感じてやってもいいのになあ、って思うんですよ。ドラマとしてはめっちゃ面白いじゃん!大河のファンが、合戦シーンが無いと文句を言うような奴ばっかだとすれば、それは、寂しいなあ。摂津みたいな分かりやすい悪役は「むしろ救い」なんだよね。光秀はこれから、
こんにちは以前の記事でご登場いただいたこの方【元三大師】様上の写真は【佛法寺】さんのもの上の写真は上野の【東叡山寛永寺開山堂(両大師)】のもの本当のお姿は画像は、深大寺ホームページよりお借りしました元三大師(がんざんだいし)(912~985年)は平安時代初期の天台宗の僧、本名は良源火災で荒廃した比叡山延暦寺を復興しその後の繁栄を導いたことから比叡山の中興の祖と呼ばれました966年第18代天台座主に就任元三大師は正月三日に亡くなったことからそう呼ばれ
三井寺にある【黄不動尊】とALMAは個人的には、ご縁が深いと確信しております。もともとお不動さんを信仰しているALMAですが、ここ三井寺(園城寺)の秘仏である、絹本黄不動尊の実物にもお目に掛かかりましたし、三井寺にあるその模写や、曼殊院の黄不動さんの実物にもお目に掛かっています。曼殊院の黄不動尊は三井寺の黄不動尊の模写ですが、こちらも国宝の秘仏です。(この時のことは2017.11/14~17付けブログで書いています。)そして、絹本黄不動尊の御前立である黄不動尊(金色不動明王立像)に、5年ぶ
山王祭3日目。朝10時、西本宮例祭が始まります。日吉大社の神職と比叡山の高僧たちが参列しています。天台座主猊下もいらっしゃいます。明治以後、神仏習合の神事は全国的にも珍しく最澄が日吉大神を天台宗の護法神としたことに由来します。自然豊かな境内では雅楽が流れ、特にパイプオルガンのルーツと言われる笙の音がとてもスピリチュアルです。厳かな空気の中、宮司は祝詞を奏上し、桂御幣をお供えします。また、天台座主猊下や比叡山の高僧たちによる五色の奉幣や般若心経の読経が行われます。
★3年前の思い出・京都で寺カフェめぐりたいな!<無茶庵>午後日記は想像による京都のお寺のカフェめぐり。当たり前だがもちろん禁煙です。ぼくは京都だと知恩院が菩提寺の1つなのでウグイス張り(音がする)の廊下を通って茶室でお茶を頂いた。好きなお寺はたくさんあるけれど、カフェが出来るお寺は限られている。僕は東山(洛東)が多いので青蓮院かな。魔王宮といわれた中川宮の住んでいたお寺。江戸時代は天台座主として僧侶の頂点、明治時代は神宮祭主として神主の頂点。孫娘は昭和天皇の妻として皇
琵琶湖に行っている間、寿長生の郷梅林の時と同じくテレビを見ていて分かったのですが、滞在中に比叡山の大護摩大法要があることを知りました。ちょうどこの時期に琵琶湖に来たのも何かのご縁。昨年5月に比叡山を訪れたこともあり、この大護摩大法要に行ってみることになりました。この日出発が遅くなってしまい、比叡山の横川中堂の駐車場に着いたのは、午後の1時過ぎになってしまいました。そこから大護摩の会場までは無料のシャトルバスで行くのですが、時間が1時10分との事でギリギリ間に合いました。横川駐車場に着