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ゴールデンウイーク、中頓別のカフェ「ヤマフク」さんや旧松田商店で行われている催しものに顔を出してみようと。都会に向かう車の波と反対に、宗谷に向かう。侘助さんやトシカさんは混んでいて、食事の予約ができなかったので、昼を楽しむことにしたのだった。寿公園は、相変わらず、とても丁寧にお手入れが行き届いていて、お客さんの少なさが本当にもったいない・・。遊具も古き良きものがしっかり維持されていて、小さい子どもの遊園地デビューにふさわしい穴場だと思う。動かない機関車の横を、元気よく走る機関車。天北線は
前回、頓別仮乗降場をご紹介しましたので、その派生記事として北頓別(きたとんべつ)仮乗降場を取り上げさせて頂きます。頓別の記事でも述べましたが、天北線は頓別川に沿って走る区間に「○頓別」という駅が複数あります。音威子府駅で宗谷本線から分かれ、上音威子府駅までは天塩川水系の音威子府川の流域ですが、山を越えて中川郡から枝幸郡に入ると頓別川に沿ってオホーツク沿岸の町、浜頓別へと下って行きます。浜頓別駅は天北線の一大拠点の駅で、当駅折返しの列車もあり、興浜北線との接続駅で、また急行「天北」も停車する
今回はいつになく(いつもてすが)字ばっかりの投稿に……すみません。現在の路線図を見ると、旭川から一路北へと稚内まで伸びる長大な盲腸線状態となっている宗谷本線。厳密には旭川から2駅目の新旭川駅で石北本線が分岐しており、途中駅での接続路線が皆無なわけではありません。この宗谷本線が全通するまで、音威子府駅〜浜頓別駅〜南稚内駅の区間が現在の天塩中川駅、幌延駅回りより先に開通したため宗谷本線の一部をなしていたこともありましたが、幌延駅回りが開通すると天北線として独立した路線名が与えられました。天
浜頓別の朝。天北線も遠く・・1987
昭和元年廃線の天北線に残る橋梁。これ以上接近できず。でも満喫しました。
飛行場がない飛行場前(ひこうじょうまえ)仮乗降場…。北海道の仮乗降場としてはかなり有名なところでした。この仮乗降場は、仮乗降場多産地帯であった天北線のなかでも、山軽駅〜浅茅野駅に安別仮乗降場とともに2連続の仮乗降場として一際目立っていました。天北線は宗谷本線の音威子府駅から東に分かれてオホーツク海岸に沿って北上し、南稚内駅で再び宗谷本線に合流する長大な路線で、JR化後も廃線間際まで急行列車も運転されていました。元々は宗谷本線の一部として開通し、遅れて日本海側の幌延駅を経由する現在のルート
特急サロベツ2号・宗谷本線朝日に照らされるキハ261。利尻富士バックを狙いましたが雲に包まれてしまったので車両メインで撮ります。普通列車・宗谷本線日の出が早くなり朝の時間帯も光線が丁度良いです。宗谷ラッセル・宗谷本線雪解けが進みラッセル車は回送状態でした。宗谷ラッセル・宗谷本線利尻富士を期待して南下しますが雲に包まれたままでしたので芦川駅跡地を構図に入れて撮ります。線路が不自然にカーブしている場所がかつての芦川駅です。なお、この後に車両不具合が発生し一時走行できなくなり特急列
旧天北線、鉄道廃止イコール「地域の衰退」なのか最北の特定地方交通線、浜頓別―南稚内間の今旧天北線、鉄道廃止イコール「地域の衰退」なのか国鉄天北線は1922年に音威子府―稚内(現在の南稚内)間が全通した。日露戦争の結果、1905年に日本領となった南樺太への連絡鉄道として建設が急がれ、稚内まで到達した初めての鉄道となっている。しかし太平洋戦争…toyokeizai.net
こんにちは。ようやく、やっと、遂に3日目です(笑)即ち、折り返しの日です←えぇ・・・この日は、廃駅・廃線メインで回ります。猿払から出発しようとしたら、日の出を迎えたのでしばし撮影しました。このグラデーションが堪りません・・・中央上には月が顔を覗かせています大地の向こうから陽が昇ってきました600㎜で思い切り抜いてみました薄く雲がかかっているのも趣がありますね1枚目の時と比べ、夜の色から朝の色に変わってきてますね今日も1日頑張るぞい!!!という
平成元年廃線の天北線を走っていた車両。前回訪問したときはお色直し中。お手入れありがとうございます。
ヤフーニュースに東洋経済オンラインの記事が以下のように掲載されていた。最北の廃線「天北線」、代替バスすら消える現実ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。遠隔地との交流が途絶え、経済的なダメージを受けてしまうとの考えからだ。しかし現実には、地域が衰退し鉄道の…toyokeizai.netここは2020(令和2)年の1月、12月に音威子府・稚内間を往復した。ブログにも2月、12月に書いていた。気になる記事で読まずにいられなかった。
最北の廃線「天北線」、代替バスすら消える現実かつて長大路線、音威子府―浜頓別間をたどる最北の廃線「天北線」、代替バスすら消える現実ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。遠隔地との交流が途絶え、経済的なダメージを受けてしまうとの考えからだ。しかし現実には、地域が衰退し鉄道の…toyokeizai.net
平成元年廃線の天北線跡に残る橋梁。短いですがしっかり残っています。見つけたときと、近くに向かっている時が至福の時です。
JRバス深名線で名寄に着いて一泊、翌日は宗谷本線で音威子府を目指します。雨は雪に変わり、うっすらと線路に積もり始めました。折返し10時の旭川行き快速は一両だけ。9:56発特急「宗谷」札幌発稚内行きが定刻に入ってきました。昨年夏に乗ったときは、指定満席でしたが、この日は50%強の乗客。雪が降り続く中、音威子府に着きます。ここで下車。学生時代、今から45年前に天北線から宗谷線に乗り換えて以来です。ふるさと納税で音威子府を応援しており、ずっと来たいと思っていました。跨線橋入口のカーテン
昨年12月の半ば、年越しに備えて帰宅すると、車庫が埋まっていた。なんとか除雪を済ませたのが2時間後。安川商店でチーズなどを購入して、なんとなく年末に備えた。・・と、値札シールが「賞味期限xxx円」となっていて、思わずクスっとなった。除雪で疲れ切ったあとのほっこりタイムだった。クリスマスも中頓別で過ごそうと、1週間後、再度帰宅。・・・・なんだ!?これは!?埋もれている・・・・。なんとかシャッターを開けるまでに40分。泣きたくなる・・・・。雪と格闘すること2時間半。どうにか除雪を終
天北線急行天北のある風景急行天北のテールエンド天北線の途中駅と終着駅の稚内駅での風景になります。昭和60年8月
あー、あー、マイクのテスト中。あー、今回は語るよ。すげー長く、熱く語るよ。面倒くせえと思った人は、回れ右してブラウザ閉じるべし。日曜日。今日はまたまた何もない休日なので、土曜日にできなかったお仏壇の掃除と、サイカブトのマット交換をした。お昼には嫁ちゃんお得意のシーフードかた焼きそば(塩分1.6g、コスト200円、野菜もいっぱい取れる)をいただき、おなかいっぱい。午後は娘は自分の机周りの片づけに2Fへ上がり、チビは元々しまじろうのチャレンジをするためだけに買い
天北宗谷岬線・宗谷バス2023年10月に運行体系が大幅に変わる路線バスです。中頓別〜音威子府間はデマンドタクシーへの転換が予定されており、運行体系変更後は天北線の代替バス路線は音威子府から稚内に直通で行けることはなくなります。ピンネシリ岳と絡めて撮影できるのもあと1年足らずとなりました。普通列車・宗谷本線キハ40の運用も冬季対応でキハ54に替わる為、11月で終了となると思われます。来年春はキハ40の運用が残るかはわかりませんができればもう少し見たいところです。特急サロベツ2号・宗谷
昭和60年8月の夏休み札幌発稚内行の急行天北14系座席車と14系寝台車との混結編成になります。天北乗車中の一コマですが、何処かの途中駅になります。音威子府から天北線に入った所ですが、浜頓別駅あたりでしょうか?
音威子府駅に到着し、駅そば常盤軒の店構えを見て物思いにふけり、道の駅おといねっぷの天北龍で最後の音威子府そばを食べました音威子府そばを食べ終えて店を出たのが11:15頃で、次に乗る列車の発車時刻が13:12。まだ約2時間あります( ̄□ ̄;)!!ですので、ちょろっと音威子府駅や道の駅周辺を散策してみました写真奥に見える建物が、道の駅おといねっぷ。ちょうど目の前の道路で、R40とR275が合流分岐していく重要拠点となっています。R275は、起点は札幌市で終点はオホーツク
厳寒の解結作業・・天北線・浜頓別1987
JR北海道「HOKKAIDOLOVE!6日間周遊パス」利用であちこち行きます本日は二日目です------------------------------------------------ちょっと番外編です今回は基本..食べ物屋さんに絡めて投稿してますが..せっかく音威子府に来て「天北線資料室」を省くわけにはいきませんね(^^;)この資料室は音威子府駅の中にあります入場は無料です昔..音威子府から稚内を結んでいた天北線の資料室ですって..3分の1は企画列車「風っこそうや」の展
音威子府を発車の宗谷本線下りキハ54かぶりつき♪右へ別れた天北線は、自然に還ってしまったろうなぁ。。1985
この村にあるライダーハウスで1泊お世話になったことがあります。今でも毎年、ありがたくも年賀状が届いたりもします。日本最北端の村ですが、昭和30年くらいまでは宗谷村まあ宗谷岬がある地が、正真正銘の日本最北端だったそうな・・・天北線鬼志別駅が村の中心部だったのかな・・・
北緯45度通過表示があるといいますね・・・JR発足して2年で天北線が廃止され、その途中に中頓別駅もありましたね。川で砂金をとっているおじさん❔ですかな・・・
お蕎麦で有名なところですね。冬のブリザードがきついというのをよく聞きます(ここに限ったことではないですが)宗谷本線の音威子府駅は旭川駅と稚内駅とのほぼ中間に位置してますね。特急宗谷号、特急サロベツ号も停車する交通の要衝ですね。
(前回記事の続き)(日本最北端の地・宗谷岬)★過去記事↓↓↓道南トロッコ鉄道(旧JR江差線の廃線路を走る)【夏の北海道①】道南いさりび鉄道/津軽海峡沿いを走るキハ40首都圏色【夏の北海道②】函館本線鈍行列車の旅・大沼国定公園【夏の北海道③】函館本線砂原支線廻りの鈍行列車【夏の北海道④】森から長万部へ。噴火湾を望む函館本線鈍行列車の旅【夏の北海道⑤】札幌発・旭川行き923D/朝一本だけの札幌発キハ40鈍行列車【夏の北海道⑥】函館本線(滝川→旭川)/宗谷
(前回記事の続き)(JR宗谷本線から眺める北海道第二の大河・天塩川)★過去記事↓↓↓道南トロッコ鉄道(旧JR江差線の廃線路を走る)【夏の北海道①】道南いさりび鉄道/津軽海峡沿いを走るキハ40首都圏色【夏の北海道②】函館本線鈍行列車の旅・大沼国定公園【夏の北海道③】函館本線砂原支線廻りの鈍行列車【夏の北海道④】森から長万部へ。噴火湾を望む函館本線鈍行列車の旅【夏の北海道⑤】札幌発・旭川行き923D/朝一本だけの札幌発キハ40鈍行列車【夏の北海道⑥】函館本線
平成元年廃線の天北線跡に残る橋台。見つけたときの喜びは何物にも代え難いのです。だから探索はやめられない。
平成元年廃線の天北線「飛行場前駅」跡。3年ぶりの訪問。同じように残っていて安堵。数百キロ走ってでも行きたい、残してほしい場所。nostalgiaNo33は鴻之舞鉱山です。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com