ブログ記事606件
葉上照澄大阿闍梨の息吹⑨無住からの復興が進む常住寺を訪ねる葉上照澄大阿闍梨引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」客殿最後にご紹介頂いたのは客殿として使われている2階建ての建物です。「1階の祭壇には、徳川家の将軍や葉上師をはじめ、歴代住職の位牌が祀られています。お寺は祈りが大切なので、建物を復興するだけでなく、荒廃していた中から取り出した位牌をこうしてきちんと祀ることも大事な復興の一つとして行ってきました。」つづいて、2階に上がります。「お寺らしくないと思われるか
葉上照澄大阿闍梨の息吹⑧無住からの復興が進む常住寺を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」「そうして様々な人たちの手によって作り上げられ、そこに携わった方々の想いを集める特別な空間ができたかな、と思っています。」「復興に取り組み始めた当初、元町内会長の方と近隣に在住の方、隣の敷地を管理する方の3人には特に尽力していただき、その方々を想って3本の桜を植樹しました。また、毎年3月6日の行事に協力してくださっていた造り酒屋のご主人が亡くなられた際には、特に檀家さんというわけで
葉上照澄大阿闍梨の息吹⑦無住からの復興が進む常住寺を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」近づくと、一体一体の表情や造りが違い、温かみも感じられます。「このお堂がある場所は、かつて観音堂・お稲荷さん・山王社があったため、観音、狐、猿の像を祀っています。釈迦・薬師・阿弥陀の三体仏を含めて、合計で3006体の仏像が安置されています。今日、皆さんは本堂と合わせてこのお寺で5000体以上の仏像にお会いしたことになりますね。」「3000体の仏像が並んでいるだけの場所ではないですよ
葉上照澄大阿闍梨の息吹⑥無住からの復興が進む常住寺を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」永宗幸信師三千佛堂「こちらが本堂移築百年記念事業として建立された『三千佛堂』です。さっそく中へどうぞ。」三方の壁面に仏様が立ち並び、入った瞬間から圧巻の空間です。「三千の仏様の前ですべての名前が含まれたお経を唱えながら祈りを繰り返す、『三千仏礼拝行』という行があります。元々は1日3000回を1週間繰り返すという行でしたが、現在は3日に分けて行われます。実際に3000体の仏
葉上照澄大阿闍梨の息吹⑤無住からの復興が進む常住寺を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」「仏教用語で「会通(えつう)」という言葉があります。ある解釈が人に通じるかどうか、整合性があるかということです。切り倒されてしまう木にはストーリーが宿っています。それが人に伝わり、通じているから別の形となって新たなつながりを生んでいくのです。私が皆さんにお伝えしたいのは、学んだことや出会い、つながりを、その先にどうつなげていくかを考えて実践していくことが大切ということです。学生の
葉上照澄大阿闍梨の息吹②無住からの復興が進む常住寺を訪ねる葉上照澄大阿闍梨引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」永宗師がまず取り組んだのが、葉上師の功績を称える顕彰碑の建立です。「建立について比叡山の葉上照澄大阿閣梨顕彰碑大僧正・阿闇梨の方々にも協力を仰ぎました。私一人の思い付きや一人の力でお寺を復興していけるわけではありません。より多くの人の想いを集め、力を合わせたいと考えたからです。裏側にご協力いただいた皆様のお名前を残しています。」「顕彰碑の表面に刻む文章について
葉上照澄大阿闍梨の息吹①無住からの復興が進む常住寺を訪ねる葉上照澄大阿闍梨引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」江戸時代に岡山藩主池田家の祈祷寺として、岡山城内に創建。その後、和気町などに場を移し、1919(大正8)年に現在の地に移築された金剛山常住寺。一時期、無住状態となり荒廃してしまったお寺を復興させるべく、多くの方々が携わるプロジェクトが進行しています。天台宗岡山教区宗務所長であり、代表役員代務者として常住寺の復興に尽力されている永宗幸信師にお話を伺いました。「元々
大津市坂本にある比叡山天台宗律院さんへ!5年ぶりの参拝!マイカーです!天台宗>特集ページ>門前シリーズ7「律院」と「阿闍梨餅」京阪坂本駅から日吉大社の表参道をケーブル坂本駅の方へ向かうと右手にあります。無料の駐車場があります。律院穴太衆積(あのうしゅうずみ)の石垣元々は比叡山横川の総里坊であった松禅院があった場所で、明治以降、荒廃していたこの地に昭和24年、戦後初の千日回峰行者、叡南祖賢(えなみそけん)師が再興しました
令和八年一月十一日、後七日御修法の中日昨年に引き続き、後七日御修法お見舞いが出来た事に感謝🙏真言宗根来寺座主中村元信大阿闍梨(導師)お見舞い朝の様子加持祈祷を終えられて今年も東寺の素晴らしい国宝や重要文化財を見せて頂き有難うござました!この後、初めて参拝したお寺のお話が続きます家族の通院サポートで投稿時間があいてしまいましたが少しずつ映像投稿予定です
「ここに来るまで・・・何度・・・観た?」とんでもない年明けとなりましたね~~何度も見ているのに鼓動が・・・脈拍が・・・・ああああありがとう、結弦君!ありがとう!!!Whatawonderfulnewyearday!!Theprogrammewasscenesomanytimes,butyetitwassoexcitingandthrillingYuzu,thankyou,Cheers,Yuzu!!「
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十七比叡山と最澄と十二年籠山④千日回峰行者もこの伝統にのっとり、十二年間、一山の結界から一歩たりとも出ない「十二年籠山」を続けるのである。環境といえば、「おのずから住めば持成のこの山は、実なるかな依身より依所」という最澄の歌があるが、「依身より依所」とは、心のあり方も大切であるが、修行する環境が人間にとって最も大切であるという意味である。「解脱の味は独り飲まず、安楽の果は独り証せず」(『願文』)「悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十六比叡山と最澄と十二年籠山③ところで、比叡山には「論湿寒貧」という言葉がある。厳格な学問と修行。琵琶湖の水によって湿度が高く、かつ厳しい寒さの気候条件。そして極度に清貧を守るという日常生活。比叡山での修行の環境を表わす言葉であるが、この言葉にも最澄の精神が受け継がれているといってもいいだろう。最澄が五十三歳の時に書きしるした『山家学生式』に、「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心有るの人を名づけて、国宝と為す」という有名な一文があり、更に、「叡山に住せしめ、一
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十四比叡山と最澄と十二年籠山千日回峰行を語るためには、まず比叡山という「お山」がどんな山であり、天台宗の教えがどんな教えであるかを知る必要があろう。比叡山は京都の東北、琵琶湖の西に位置し京都と滋賀の県境を南北に連なる山脈の総称であり、主峰には八四八メートルの大比叡ヶ岳、次峰には四明ヶ岳、それに釈迦ヶ岳、三石岳、水井山と連なっている。風光明媚な山で、古来より都の鬼門を守る鎮守国家の霊山と知られ、「世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡のみ山をぞいふ」と和歌にも歌わ
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十三千日回峰行とは、どんな行なのか④六年目の百日(八百日)は、比叡山を巡拝するほかに、京都修学院にある赤山禅院にお参りする。住復約二十数キロの行程が加わるから、これを「赤山苦行」という。九百日は、「京都大廻り」といい、比叡山を巡拝した後、京都に下り、京都市内の神社仏閣を巡拝して宿泊。翌日は京都を同様に一巡して山に帰り、比叡山を巡拝して自坊にもどる。これを百日間繰り返すことになる。この間の行程は一日九十五キロ(飯室回峰の場合)にも及び、特に京都市内では信者にお加持も
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十二千日回峰行とは、どんな行なのか③この千日回峰は、百日を一期として七年間で修することになっている。最初の百日は「百日回峰行」と呼ばれ、素足に草鞋をはいて山上山下のお堂や霊跡を巡拝する。回峰行者の象徴である蓮華密は被ることを許されず、手にもって歩く。二年目、三年目はそれぞれ百日間歩く。四年目の四百日五百日は一年で二百日連続して行なう。五百日が終わると「白帶行者」と呼ばれるようになる。五年目の六百日と七百日も続けて行を行なう。七百日を満行すると、「堂入り」という千日
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十一千日回峰行とは、どんな行なのか②さて、千日回峰行であるが、この行は百日回峰を満行した者のうちから、厳しい先達会議を経て許される行である。比叡山三塔十六谷の峰や谷を巡って、堂塔や墓所、野仏や石像、比叡山中の一木一草に至るまで礼拝して歩く修行で、この行はまた「行不退」「捨身苦行」といわれており、病気や怪我、そして、どんなに激しい嵐の日や雪の日でも一日として行を休むことは許されない。もし行を中断しなければならないことがあれば、首つり用の死出紐か自害用の短刀で、自らの命
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十千日回峰行とは、どんな行なのか①昔から比叡山には三大地獄があるといわれている。「回峰地獄」「掃除地獄」「看経地獄」で、地獄とは苦しい修行の連続というほどの意味である。また、「峰の白鷺、谷のすず虫」という言葉もある。白鷺は回峰行者であり、すず虫は横川の修行僧をさす。白い浄衣を身にまとい、峰道を飛ぶように歩く行者の姿はまさに白鷺であり、修行の鈴の音はするが姿を見せない横川の僧をすず虫にたとえた。すず虫にたとえられた横川の修行僧の状態を「看経地獄」といい、これに浄土
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十九修行することを無上の喜びとする行者⑤小林隆彰二度の千日回峰行と十二年籠山明けとともに酒井阿闍梨は、伝教大師最澄東国巡化の道を歩いて皇居に参内した。続いて回峰行のルーツといわれる中国・五台山を巡礼。更に山陽・山陰の慈覚大師円仁の道を歩き、更にバチカンを行者姿で訪れ、ローマ教皇と固く手を結んだ。そして今も国の内外を問わず、求めに応じて「利他」一筋の道を歩み続けている。『酒井雄哉大阿闍梨の世界三十八』酒井雄哉大阿闍梨の世界三十八修行することを無上の喜びとする行
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十八修行することを無上の喜びとする行者④小林隆彰死を覚悟の堂入りが、もし失敗したらということもあったが、この人間ならと私は信じ切っていたのである。堂内の一挙手一投足が全ていのち懸けであることを、テレビの画面は正直に視聴者に見せた。あの感動は今も新しくよみがえるのである。十二年籠山が終わったら、中国山西省の五台山巡りを酒井阿闍梨に、というのが今の私の念願である。『酒井雄哉大阿闍梨の世界三十七』酒井雄哉大阿闍梨の世界三十七修行することを無上の喜びとする行者③小
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十七修行することを無上の喜びとする行者③小林隆彰三年籠山を満じて飯室谷の箱崎文応老師の許へ送ったのは、不世出の大行者の面倒を見切れるのは、酒井しかないと考えたからである。三十六回も断食行をし、九十歳まで滝行を欠かさぬ目の不自由な老僧の手を引いて午前二時、共に氷の滝行をする苦労は常人の及ぶ所ではない。回峰七百日を満じて九日間、断食、断水、不眠、不駅の堂入りの時、NHKの和崎信哉さんが、堂内に隠しカメラを入れたいと希望された。誰にも相談せず、教化部の山田能裕さんに応
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十六修行することを無上の喜びとする行者②小林隆彰忠雄さんが比叡山へ登る回数が増えて来たある日、私は所用で忠雄さんの亡妻の母、中登千代さんの家へ行った。旋盤をまわしていた彼が、「先生、僕、坊さんになりたいけどなあ」と一言小さな声で漏らしたが、中年で僧侶になるのはむずかしいので返事をしなかった。しかし、結局、忠雄さんは私が戒師になって出家してしまった。仏縁というべきか。三年籠山に入った時、明治以来絶えていた常行三昧をやりたいと希望して九十日間、法華堂に籠もっ
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十五修行することを無上の喜びとする行者①小林隆彰酒井忠雄(酒井雄哉師)さんが、比叡山へ私を訪ねて来たその日、ギャンブルに狂った中年男子が、両親と奥さんに連れられてやって来た。「なんとか足を洗いたいのです。助けて下さい」と懇願する。それならというので二人を預かることにした。どちらも真剣なので、三千仏礼拝の行をさせることにした。五体を地に投げて三千遍、一度礼拝するたびに、大豆一個を数えて三千回、楽な修行ではないが、二人とも一週間をやり遂げた。ギャンブル氏は血書で「二
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十四みんなが、歳のこと心配してくれているんだ。歳をとればそれだけ体力が落ちて、回峰行もきつくなるだろう、と心配してくれるんだけど、でも自分じゃ、これでも若いつもりでいるんだよ。叡山学院にいっていた時は、若い人と一緒だったから、気が若いのかもしれんね。でも、鏡で顔を見ると、やっぱり歳なんだよね、これが。『酒井雄哉大阿闍梨の世界三十三』酒井雄哉大阿闍梨の世界三十三飯室谷というのは、慈覚大師の命名だそうで、昔は栄えた谷だけど、やっぱし盛衰はあるもんや。箱崎老師が始めて
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十三飯室谷というのは、慈覚大師の命名だそうで、昔は栄えた谷だけど、やっぱし盛衰はあるもんや。箱崎老師が始めてこの谷にきた時は飯室には住む人もおらんし、ひどい荒れ寺だったそうや。戦時中のことやから、寺の手入れをしようと思うても、まず毎日の食糧を確保せないかんから、田を作ることから始めた。「飯室やから、米を作らなしようがない」と言ってね。でも、今は立派な護摩堂もできて、隔世の感がするね。『酒井雄哉大阿闍梨の世界三十二』酒井雄哉大阿闍梨の世界三十二子供の時からそうらし
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十二子供の時からそうらしいんだけど、何か大きなことが始まると、すぐに寝る癖があるんだ。人に会うのが億劫になって、何も考えずに寝てしまう。周りが、「千日回峰だ」「堂入りだ」「赤山苦行だ」「十万枚護摩供だ」と騒いでも、本人は案外ケロッとしているんだ。何も考えずに寝てしまって、パアッと起きあがって、すぐに行に入ってしまう。人間が変わっているんだろうね。『酒井雄哉大阿闍梨の世界三十一』酒井雄哉大阿闍梨の世界三十一毎日歩いていると、動物とおんなじになるのかなあ。石ころも
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十一毎日歩いていると、動物とおんなじになるのかなあ。石ころも道の窪みも雑草が生えている場所も、全部体がおぼえているんだよ。だから、熊笹の中の道を歩いたって、足跡はちゃんとおなじ所を踏んでるんだよ。真っ暗闇だって心配いらないわけよ。『酒井雄哉大阿闍梨の世界三十』酒井雄哉大阿闍梨の世界三十箱崎老師は、昔の人だから、やはり厳しかったね。常々、「行者は歩いている時、いつどこで死ぬかわからない。酒井よ、今お前が歩いている…ameblo.jp『酒井雄哉大阿闍梨の世界
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十箱崎老師は、昔の人だから、やはり厳しかったね。常々、「行者は歩いている時、いつどこで死ぬかわからない。酒井よ、今お前が歩いている道、それが行者の墓場だぞ」って言われていた。だから、回峰中はいつも十万円のお金を持って歩いているんだ。死んだら、これで死体の始末をしてくれっていうことだね。「行き道はいずこの里の土まんじゅう」老師が、自分のために詠んでくれた歌なの。『酒井雄哉大阿闍梨の世界二十九』酒井雄哉大阿闍梨の世界二十九回峰行っていうのは、積み重ねやね。人間だ
酒井雄哉大阿闍梨の世界二十九回峰行っていうのは、積み重ねやね。人間だっておんなじやろ。その時その時を精いっぱい生きれば、その人の人生にとって、マイナスになることは何もない。どんなささいなことでも後になれば役立つことがある。人間は積み重ねや。人生は積み重ねや。まず一歩を踏みださなきゃ、千日回峰もできなかったわけよ。『酒井雄哉大阿闍梨の世界二十八』酒井雄哉大阿闍梨の世界二十八回峰行は、旅とおんなじやね。回峰行っていうのは人生の旅とおんなじで、同じところをグルグル廻っている。人の人生もおんな
酒井雄哉大阿闍梨の世界二十八回峰行は、旅とおんなじやね。回峰行っていうのは人生の旅とおんなじで、同じところをグルグル廻っている。人の人生もおんなじやろうけど、回峰行の行者道には、谷もあれば山もある。雪や雨の日もあれば、さわやかな日もある。台風の日に鉄砲水が出て、谷に落とされたこともある。でも、それやからいいんや。変化があってね。『酒井雄哉大阿闍梨の世界二十七』酒井雄哉大阿闍梨の世界二十七箱崎老師の小僧をしながら、千日回峰をやっていたから、やっぱり、いろいろなこと教わったね。老師が風呂に
酒井雄哉大阿闍梨の世界二十七箱崎老師の小僧をしながら、千日回峰をやっていたから、やっぱり、いろいろなこと教わったね。老師が風呂に入っていて、薪をくべながら話を聞いていると、「大廻りの時はこが大変だったよ」とか「こういうことをすると腹痛を起こすからやめろ」とか、細かく言ってくれる。あれだけの行をやった人だから、これは絶対の言葉だったね。『酒井雄哉大阿闍梨の世界二十六』酒井雄哉大阿闍梨の世界二十六回峰行っていうのは、行者一人だけでやれるものじゃないのよね。回峰行が始まる前に、行者道の草や