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今回も色々振り返ってみました。体調について第6エイドからゴールまでの足の痛みは初めての経験でした。理由はゴールまで不明でしたが、ゴール後更衣をしてわかりました。左右の足のかかとに靴擦れ(左は血豆)になっていました。過去の参加では1回もなかったので油断をしていました。途中、第4エイド、第5エイドで足の確認をしておけば処置もでき、もう少しペースダウンを防ぐことができたのかあと思いました。靴について今回はホカのクリフトン9を1か月ほど前に通販で購入しました。購入前にこの靴の、ワイドと普通をスポ
14年前のちょうど今時分。年末のネットオークションにたいへん興味深い「明治名所石版画」が出品されました。オークション締切日に入札合戦となり、どうにか入手したのが、この「大阪名所」でした。たしか12枚組みがバラバラに出品されていて、大バトルの末に4枚だけしか落札できませんでした。一枚ずつバラバラの出品でしたので、忙しい入札となりました。なかでも、どうしても手に入れたかったのが「新町廓」。なぜなら「明治名所石版画」を蒐集するキッカケとなったのが「名古屋旭廓」であり、当時、「太夫道中」にたいへん
国立国際美術館は中之島の筑前橋北詰に位置しています。地理院地図で見ると博物館記号が3つ集まっていますね。北隣が大阪中之島美術館(最近できた市の美術館)で、西隣が大阪市立科学館です。大阪中之島美術館は都構想で大阪府に移管される対象になっていましたので、名称に「大阪市」を入れなかったのだと思います。こちらが国立国際美術館。鉄骨のオブジェみたいに見えますが、これが美術館の出入口なんです。建物は完全地下型になっていて、地下1階が館のロビー的な位置づけ。そして地下2階と地下3階が展示室になっていま
此花図書館に行って来たついでに旧鴻池本店を見てきました。図書館の北側には長細い正蓮寺川公園があります。ここは正蓮寺川の跡地。公園の下には阪神高速2号淀川左岸線のトンネルが通っています。2025年の大阪・関西万博の開催時には会場アクセス道路になると聞いています。公園の北東角からは鴉宮(からすのみや。いくつかの建物が国の登録有形文化財)と伝法川跡の碑が見えます。安治川が開削されるまで、伝法川の河口付近が大阪の海運の中心地でした。伝法川は鴉宮の裏側(東側)を通っていたようです。この石
道修町は「どしょうまち」と読みます。ここにはたくさんの製薬会社、薬品会社が事務所を構えています。なかには医薬品に関する展示施設を備えたビルもあり、そのような施設群は「道修町ミュージアムストリート」という名前で呼ばれています。今回とりあげる武田道修町ビルにもミュージアムのひとつ「杏雨書屋」が設置されています。「杏雨書屋」は武田科学振興財団(武田薬品工業からの寄付をもとに設立された財団)の図書施設で、東洋医薬学書の一大文庫となっています。訪問した日は1階展示室で「流行り病を乗り越え
今回取り上げるのは大阪公立大学(大阪市立大学)杉本キャンパスの学舎です。以下、大学名は市大と記します。市大の杉本キャンパスは大阪商科大学杉本町学舎として1930年代に整備されたものです。ここには創設当初に建築された学舎がいまも残されていて、それらには昭和初期のモダニズム建築の特徴がよくあらわれています。学生サポートセンターの北西角にモダニズム建築群の案内がありますので、ここで予習してからキャンパスを見学しましょう。こちらは一号館。国登録有形文化財です。市大のシンボル的な建物で
今回も北御堂のお話です。▲こちらは中之島フェスティバルタワー13階から見た北御堂。大きな屋根に特徴があります。今回とりあげるのは北御堂のマスコットキャラクター。名前はキタミゾウ。お寺のウェブサイトによるとお浄土で生まれた子どものゾウさん。お昼寝と遊ぶことが好きで、それ以上に仏さまのお話を聞くのが大好き。大阪のにぎやかな雰囲気に誘われて北御堂に住むようになり「キタミゾウ」と名前をつけてもらい、本願寺津村別院(通称:北御堂)のマスコットキャラクターとなりました。ですって。かわいいですね
船場には浄土真宗の大きなお寺が二つあります。上の地図の赤い丸で示したお寺が北御堂、青い丸が南御堂です。二つのお寺の門前をつなぐ道は御堂筋と名付けられ、いまでは大阪のメインストリートとなっています。地下鉄御堂筋線に乗っていると本町駅の手前で「浄土真宗西本願寺北御堂、東本願寺南御堂」という広告放送が流れます。北御堂は西本願寺(浄土真宗本願寺派)の別院で、南御堂は東本願寺(真宗大谷派)の別院なんですね。二つのお寺のうち、今回は北御堂にやってきました。正式な名称は浄土真宗本願寺派本願寺津
新井ビルは堺筋の今橋1丁目交差点から少し北上したところにあります。国登録有形文化財だそうです。この辺りは金融街で、このビルも銀行建築です。1922年に旧報徳銀行大阪支店として建てられ、1934年からは新井証券本店として利用されました。1922年竣工ということは、昨年でちょうど100周年だったのですね。地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造。設計は河合浩蔵です。1階の左右に入口があり、左が洋菓子店、右が貸事務所の入口となっています。写真はありませんが、洋菓子店に入りますと2階まで吹
新世界にある映画館です。場所は通天閣から東へ数十メートル歩いたところ。よく見たら凄い名前です。世界のどこかに同名の映画館があるかも。地上は新世界国際劇場、地下は国際地下劇場になっていて、地下は成人映画専門のようです。1930年に南陽演舞場として建てられたレトロビルです。設計は増田清。三木楽器本店ビル、大阪市立精華小学校も増田清の作品です。ここの名物は昔ながらの手描き看板でして、NHKのニュースでも紹介されたことがあります。そのニュース番組では「この建物は阿川佐和子さんのお祖父さん
大阪市長公館として1959年に建てられた建築物です。市長執務室、応接室のほか迎賓館としての機能も備えていました。基礎自治体(市区町村)が迎賓館を持っていたなんてすごいじゃないですか!大阪市長公館は2007年に大阪市公館に名称変更され、橋下徹市長の時代に閉館されました。いまは市が民間業者に貸与して、「ザ・ガーデンオリエンタル・大阪」というレストラン・ブライダル施設となっています。昔は門がいつも閉ざされていて「もったいないから、結婚式場にしたらええんちゃうか」と冗談を言ってた
千本松大橋(めがね橋)は大阪では最初の“らせん橋”で長さ323.5m高さ36mらせん高架部分の長さは452.4mです。総延長は1228.3mアプローチ部分の両側が2段のらせん形状になっていますのでめがね橋とも呼ばれています。橋には車道のほかに歩道も設けられているので歩いて渡ることができます(約20分)船だと2分のクルーズで到着します(笑)大正区の南恩加島側の千本松渡船場からやってきた船が15分間隔で出発して西成区の南津守側の千本松渡船場に着後すぐにとんぼ返りする運航形態に
梅田の地下街「ホワイティうめだ」の換気塔です。1963年竣工。設計は村野藤吾です。阪急百貨店、阪神百貨店、曽根崎警察署に囲まれた三角地帯に立っています。地下街にはたくさんのお店が並んでいますが、阪神百貨店東側の地下通路の東側にはお店がありません(上の写真、右側)。ここは換気塔のスペースなのだと思います。では、換気塔を地上から見てみましょう。▲曽根崎警察署前から見たところ。▲こちらは阪神百貨店側から見たところです。換気と聞くと、内部の空気を外に排出しているのかと思っ
1930年代に建てられた銭湯です。屋号に「温泉」という文字が含まれていますが、天然温泉ではありません。これは大阪では普通のこと(笑)。2020年に廃業しましたが建物は残っています。最寄り駅はJR寺田町駅。国道25号(奈良街道)を平野方面へ進むと源ケ橋交差点があります。源ケ橋はかつてここにあった橋の名前です。猫間川に架かっていた奈良街道の橋。交差点からアーケード商店街を西に進み、わかりにくい路地に入っていくと…ありました!屋根には鯱、そして自由の女神も立っています。大阪市
これまで大阪の名建築というテーマでレトロビルを紹介してきましたが、今回ご紹介する大阪城天守閣も名建築のひとつといえます。ということで大阪城公園へ行ってきました。大阪城公園は昭和天皇即位の御大礼記念事業として大坂城跡を公園として整備したものです。公園が計画されたときに市民から寄付金を集めて天守閣が建設されたのだそうです。現在の復興天守は1931年竣工。昨年(2021年)に復興90周年を迎えました。鉄骨鉄筋コンクリート造りの5層8階建て。昭和の建物なんですが国登録有形文化財となっ
今回ご紹介する建物は大阪城公園の中にあります。場所は天守閣のすぐそば。現在の大阪城天守閣は1931年に竣工した復興天守です。昨年(2021年)、復興90周年を迎えました。今回取り上げるのはミライザ大阪城という建物。復興天守と同じく1931年に旧陸軍の第四師団司令部庁舎として建てられました。大阪城天守閣に対し、こちらは西洋の城郭のようですね。実際、ヨーロッパの城を参考に設計されたそうです。地上3階、地下1階、鉄筋コンクリート造の建物です。上部、特に四隅の装飾に特徴がありますね。
淀屋橋交差点の南西に位置する地域は住友村と呼ばれています。住友村には住友グループのビルがたくさん立ちならんでいまして、その代表格が三井住友銀行大阪本店ビルです。▼こちらが三井住友銀行大阪本店ビル正式には住友ビルディングという名称だそうですが、隣の住友ビル(正式には新住友ビルディング)と間違わないようにするためか、普段は三井住友銀行大阪本店ビルと呼ばれています。昔、住友銀行だったころはここが本店でした。ちなみに三井住友銀行の本店は東京の丸の内にあり、このビルは大阪本店営業部として使わ
JR大阪駅は南北2つの駅ビルに挟まれています。そしてその間をつなぐ大屋根が駅の象徴となっています。北側(上の写真で右側)がノースゲートビルディング、南側がサウスゲートビルディングといいます。ノースゲートビルディングは2011年に開業しました。ビル中央部分は吹き抜けになっていて、2階はアトリウム広場という空間になっています。サウスゲートビルディングは1983年にアクティ大阪という名前で開業しました。正式な名称はいまでも「大阪ターミナルビル」だと思います。その後、南側を増築して今の姿
御堂筋から淡路町を東へ少し行ったところにある3階建ての家具屋さんです。竣工は1924年で、設計は住友営繕で活躍した小川安一郎。今橋ビルヂングのような洋風建築に見えますが、実はこれ、町家建築なんです。隣の広い駐車場から建物を見てみますと、確かに町家建築です。そこに洋風のファザードを配しているというわけですね。庇が太いワイヤーで吊るされているのもユニークです。大阪市中央区淡路町三丁目5-6(訪問日2022/4/15)--------------------【各テーマの目
三菱UFJ銀行大阪ビルの裏に船場を代表する近代建築が残っています。ビルの名前は芝川ビル。国登録有形文化財です。地上4階、地下1階、竣工は1927年だそうです。マヤ、インカの装飾をまとっているのが面白いですね。現在はテナントビルとして使われています。屋上テラスはレンタルスペースになっていて、いつか行ってみたいと思っています。大阪市中央区伏見町三丁目3-3(訪問日2022/3/29)--------------------【各テーマの目次はこちら】■バス乗り継
天神橋南詰の西側に立っている6階建てのビルです。フレンチレストラン「ルポンドシエル」のビルなんですが、大林組の旧本店として知られています。竣工は1926年。土佐堀通を挟んだ向かいに大阪大林ビル(現在の北浜NEXUBUILD)ができるまで、本社ビルとして使われました。3階には大林組歴史館があり、誰でも見学ができます。▼くわしくはこちら。大林組歴史館www.obayashi.co.jp天神橋と葭屋橋のたもとから土佐堀川に下りる階段があり、ビル裏側の川べりを歩くこと
堺筋と高麗橋の交差点角に立っているビルです。竣工は1927年。設計は安井武雄です。安井武雄の作品といえば大阪瓦斯ビルヂング(ガスビル)、大阪倶楽部、日本橋野村ビル旧館などが挙げられます。もともとは6階建てで、あとから増築して7階建てになっています。交差点に面した角が丸くなっているのと、各階に庇(よく見たら瓦!)が配置されている点がガスビルとの共通点といえます。正面入口の両サイドには三日月をあしらった装飾がしてありますね。堺筋を挟んだ正面は三井住友銀行大阪中央支店。昔の三井
1925年に建てられたビルで、登録有形文化財に指定されています。場所は今橋の西の端、住友ビル2号館の向かいに位置しています。もとは大阪市中央消防署今橋出張所。いまはイタリアンレストランになっています。店名はイタリア語で「消防士」という意味だそうです。消防署だったころは1階が車庫で、2階より上が事務所などに使われていたんでしょうね。窓を囲むアーチやバルコニーがおしゃれです。大阪市中央区今橋四丁目5-19(訪問日2022/2/2)--------------------【
南海高野線(通称、汐見橋線)の汐見橋駅です。新なにわ筋と千日前通が交差する汐見橋交差点の南西角に位置しています。1900年の高野鉄道(南海高野線の前身)大阪延伸のときにできたターミナルです。いまも高野線の正式な起点となっています。開業当時は道頓堀という駅名だったそうです。駅舎の隣は阪神なんば線の桜川駅。こちらは地下駅になっていて、階段、エスカレーター、エレベーターなどで下りると改札口です。乗り換えしやすい構造になっているのに、なぜか両社の路線図には乗り換え案内が載っていません。
NIFREL=ニフレルの後半です1.いろにふれる2.わざにふれる3.およぎにふれると前記事でお届けしました目玉のひとつは・・・『ホワイトタイガー』寅年の今年出会えて縁起が良さそうです☆彡展示6.みずべにふれるエリア頭上の檻の中を行ったり来たりしていました(@_@)離れて見上げないと気づかないですね(>_<)名前は『アクア』オスです東武動物公園からニフレルに来たそうです4.『WONDERMOMENTSワンダーモーメンツ』球体のプロジェク
南海高野線(通称、汐見橋線)の木津川駅です。ここは「都会の中の秘境駅」と呼ばれています。令和2年度大阪府統計年鑑によると、木津川駅の1日当たり平均乗車人員は72、降車人員は69となっていて、人家の少ない山間部などの小駅とあまり変わらない利用者数なんです。私が駅を訪問したときも、列車を乗り降りしたのは私だけでした。大阪市内の駅とは思えません。駅の周りには住宅があるものの、住宅があるのは駅の裏側で、駅舎は木津川に面しています。利用しにくい立地ではありますが、それだけで乗降客が少なくなる
今回は南海高野線(通称、汐見橋線)の西天下茶屋駅です。地理院地図には高野線ではなく汐見橋線と表記されてますね。1915年に開業した駅だそうです。改札は上りと下りで分離されていて、改札に入ったら反対方向のホームへは行けません。それなのに注意を促す表記は見当たりません。最近は切符を買わずにICカードを使う人が多いので間違う可能性大です。駅舎(上の写真は岸里玉出方面)はとても古いもので、駅が設置された当時のものかもしれませんね。駅舎の中はこんな感じ。無人駅です。レトロな駅舎と自動
近鉄、地下鉄の日本橋駅から堺筋を500メートルほど南下したところに高島屋東別館があります。最近、日本橋駅からここまでの間は中華街みたいになってますね。「いかにも百貨店」という建築物ですが、中は高島屋の店舗ではなく、事務所やホテルなどが入っています。今年(2021年)、重要文化財に指定されました。大丸が心斎橋店の名建築を壊したのを国が見て「こらあかん!高島屋も危ない!!」と思って文化財に指定したのかもしれません。このビルは松坂屋大阪店として建てられました。設計は鈴木禎次。愛知県内、
大阪市建設局の下水汚泥処理場です。地理院地図を見ると三角点があり、高さ37.6メートルとなっています。舞洲は人口の埋め立て地、地面が海抜30メートル以上あるわけはなく、三角点が建物の屋上にあるためにこの高さになっているのでしょう。この建物も環境施設組合舞洲工場と同じく、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーによるデザインです。2004年に建てられたましたが、フンデルトヴァッサーは2000年に亡くなっており、この建物の完成を見ていません。正面玄関ホールは自由に見学できるように
清掃工場(廃棄物の焼却工場)です。建物の竣工は2001年。舞洲のシンボルといえるこの建物は、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(オーストリア)がデザインしたものです。「技術、エコロジー、芸術の調和」をコンセプトに自然を大切にする考え方が取り入れられているそうです。なお、フンデルトヴァッサーは工場の完成を見ずに2000年に亡くなっています。工場ができた当時は大阪市環境局の建物でした。建物の塔屋(?)に澪標マークが立っているのはその名残でしょうか。現在は大阪市、八尾市、松原市、