ブログ記事240件
•慶長19年(1614年)豊臣家が建立した京都東山の大仏殿(方広寺)の梵鐘(ぼんしょう)の銘文がきっかけになり、大阪冬の陣が勃発し(徳永側は19万5千、豊富側9万7千)、戦いが3ヶ月続きました。「国家安康」→「家」「康」が「安」で分断され、秀頼が家康を呪っている。「君臣豊楽」→豊臣が君主で楽しいとは何事だ。という、言いがかりから始まりました。
この週末は、大阪・奈良に旅行に行ってきました。初日は、大阪城。今まで出張で横は通ってましたが、現地は初めてです。谷町四丁目駅から徒歩です。天気も良くて暑かったです。8階の展望台から大阪城ホール。見晴らしは最高です。豊臣時代の石垣も見てきました。お堀から歩いて天守閣まで、遠いですが、見るとこたくさん。8階の展望台まで順番に見てきました。
飛び飛びになってごめんなさい(__;)京都巡礼の続きです😅方広寺へは豊国神社の境内から入ります方広寺には立派な山門があると思っててウロチョロして探しますが、無い!方広寺って山門無いんだぁ~と初めて知る😂西国巡礼なんて出来ないと思ってた関東の人間なんで、何にも知らないアホな私😮💨方広寺は京の冬の旅非公開文化財特別公開の場所で仏像が拝観出来るので愉しみにしておりました本堂現在の本堂は妙法院の脇寺の客殿を明治時代初期に移築されたものです天台宗寺院の方広寺は、豊臣秀吉が奈良の東大寺
華光寺『華光寺秀吉公奉祀の毘沙門天さまの他にも見どころいっぱい』福勝寺『福勝寺『ひょうたん寺』秀吉さまのひょうたん奉納から』インスタを見てたら何回も福勝寺の名前が目に止まり行ってみようかな〜という気持ちになってきました…ameblo.jpの続き前回の投稿で次回は豊国神社と書いていましたがごめんなさいその前に方広寺を先に書きたいと思います🖊️方広寺本堂こちらも写真撮影は出来ないのでまたまた私の言葉で本堂内は通常、非公開です。まず大黒さまのおられるお部屋へ秀
目が疲れたときどうしてる?▼本日限定!ブログスタンプ山の緑が目に良いらしいのでボーッと遠くを見ます…「ひとみの日」日付けは「ひと(1)み(3)」(瞳)と読む語呂合わせから瞳をいつまでも美しく保つ事が目的だそうです。「戊辰戦争開戦の日」1868年(慶応4年)(旧暦)「戊辰戦争」が始まりました。京都の鳥羽・伏見で新政府軍(薩摩藩・長州藩)と旧幕府勢力・奥羽列藩同盟の戦闘が起きました。「箱根駅伝(復路)」1/2箱根駅伝(往路107.5km)で、本日は復路5区間(109.6km
今日はお仕事がんばりました。8時〜18時の9時間勤務…病み上がりでこれだけがんばれたんだから、明日は5時間ぐらいSHOWが続いても大丈夫…朝から3時間、仕事してから新幹線に乗って大阪へ向います。新大阪へ着いて、タクシー乗り場へ急行すれば、お食事にもなんとか間に合います。お天気もまずまずみたいだし、ありがたいね。今日は友人2人が参加してるので、色々と教えてもらっちゃお!準備万端、あとは早く起きて、顔を化粧で整えるだけです。風邪で肌荒れだけど冬だから汗でくずれることはない
にほんブログ村ふーむ。。。無くなってみて、初めて効果を実感することって、、、あるんやねw実はこの前、リンスが切れててさ、でもリンスぐらいせんでもええか!とやり過ごしたら、バスタオルで髪の毛拭く時、全然滑らかな感じがせえへん・・・・・wああ~そうか!今まではリンスのおかげで、髪の毛がツヤツヤSleekやったんか・・・と実感しまいたのw保持するようにしたいものは失う前にキッチリ保持しないとねw阿国様の美しさといいwてことでツイッターコピペす
2013年5月記2013年4月28日あもんは大阪城付近にある難波宮を訪れた今日はここから上町台地と呼ばれる小さな山を越えて天王寺まで歩き旅をする予定だ細川ガラシャが終焉を迎えた地、玉造という町を抜け眞田幸村が大阪冬の陣で陣を構えた三光神社を旅をしたそこからどんどろ坂と呼ばれる坂を登り千日前通りまで出ようと歩いていると市民公園の奥に何やら石造りの古い門があったあもんのアンテナはその場所に向き、自然と足が動いたそこには『真田山陸軍墓地』と書かれていた真田山陸軍墓地とは日本最古
猿飛佐助闇の軍団2004年10月23日公開甲賀きっての精鋭部隊・闇の軍団。その知られざる忍者修行の実態、そして徳川・豊臣の天下争いの中でたくましく、したたかに生き抜いてゆく忍びの人間たちを描いたアクション時代劇。あらすじ時は慶長二十年(1614年)。これまで豊臣政権の象徴とされてきた大阪城は、徳川家康が出した「大阪冬の陣」の講和条件によって、すでに外堀までが埋め立てられ、さらに工事は豊臣秀頼との和議を無視して内堀へと進んでいた。家康が次に何をするかは、豊富側武将たちには誰でも予想でき
天嶺まお@2/17clubasia@desdes_maoあまみねです🌱背が高めです@desdes__info#まおに惚れてしまお⇝1/13EBiS3032024年5月からTwitterを利用しています8フォロー中693フォロワー大阪冬の陣ありがとうございました❤︎ALT---------------------------------------------まお姫💚こんばんは🌙綺麗で
目が疲れたときどうしてる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう眼を閉じて瞑想にふける…くらいですね😌眼鏡、コンタクトレンズの業界が制定したようで、日付けは「ひと(1)み(3)」から…👀今日の出来事としては…1614年(慶長19年)…大阪冬の陣にて真田丸の戦い「真田幸村」で有名ですが本来は「真田信繁」であって生前の資料には「幸村」が使われてはいません。真田信繁が亡くなって60年後の1672年(寛文12年)の軍記物「難波戦記」に「眞田左衛門尉海野幸村」との名乗りが
秋からのイベントが師走に入っても続いています山とみどりのフェスティバル、災害に強い森つくりフォーラム森の学校、森の自然塾、ビジターセンター観察会、等々八ヶ岳の高原はすでに冬どっぷりだろうか彼の地の生き物たち、皆元気に走り回り、飛び回っていますかにほんブログ村
あまり会わない友人(11)この時期に思う大阪冬の陣、元禄バブル『峠の群像』同じ町内の友人といっても彼は10歳近く若い。定年退職し65歳まで働くことになる。以前の部下が上司になり給与も減額されている。嘆かわしい。されどフルタイムで働くことも無くなった。時間があったので駅前で落ち合い昼飲みした。先人として私から彼にアドバイスしたのはご子息も社会へ船出し、最大の責任が無くなった。経済的にも楽になった。時間もある。もう目標がない。あるのかもしれないが情熱がない。そんな風な虚無状態を彼は私に
松麻呂さん(君)はカッコいい!柔らかでゆっくりした口調、でも落ち着いた雰囲気をも漂わす。松麻呂さん個人の会には初めてだったのでWIKIを開いてみた。2018年神田松鯉に入門。2022年8月に二ツ目に昇進。この9月に33歳になったばっかりである。5〜6年でここまでの講談師(読み手)になれるのかとちょっとビックリしている。この夏は連続物で有名な大ネタ『畦倉重四郎』などをも持ちネタにしたようである。一席目…『祐天吉松〜吉松(きちまつ)堅気に帰る事』本日は神田派でもあまり
このドラマが見てくてディズニープラスに課金をした。昔のSHOGUN将軍をなんとなく見た記憶があるが、あまり面白くなった記憶しかない。今回のSHOGUN将軍は、まず圧倒的な映像にはただただ驚かされる。ただ、このドラマは関ヶ原前夜までの話で、モデルになっている武将がいるが、あくまでも物語であって、史実とは全く違うので、先週感で見てしまうと全くよくわからんドラマ。なので、別物としてみるべきドラマなんだけど、そのほかの細かい描写は日本の映画でもないくらいよく演出されている。それに、浅井家三姉妹と光
大阪府幹部職員が爆弾証言「私の同僚は橋下徹府知事に追い込まれて自殺した!」(フライデー)|現代ビジネス|講談社(1/4)大阪府幹部職員が爆弾証言「私の同僚は橋下徹府知事に追い込まれて自殺した!」(フライデー)@gendai_biz大阪冬の陣が11月下旬に迫っている。テーマはただ一つ。「大阪を丸ごと、橋下徹という人間に任せてよいのか」。断片的に伝えられてきた気に入らない者は排除する性格。それを間近で見てきた側近たちが、〝告発〟に踏み切った---。gendai.media
幸村を討てAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}幸村を討て(単行本)[今村翔吾]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}こういう小説を何と呼ぶのでしょうか。歴史ミステリーか、歴史ノンフィクションとでも言うのでしょうか。あの、大阪夏の陣と冬に陣で、豊富側として獅子奮迅の働きをしたとされる真田幸村。その幸村が遠く離れた徳川側の兄である信之と企てた驚くべきシナリオが本書のキモです。誰もが知る結
ぶらぶら散歩🚶🚶♀️大坂夏の陣・最大の激戦地茶臼山の史跡とみどころ紹介|戦国ヒストリー大阪市・天王寺区には大坂夏の陣で最大の激戦地となった茶臼山(ちゃうすやま)があります。今は公園として地元の人から愛されるスポットでもありますが、山頂には史跡もあり当時の雰囲気を残しています。今回はそんな茶臼山の史跡を紹介します!sengoku-his.com天王寺・茶臼山に登ろう!「茶臼山」ってどこにあるの?大阪市天王寺区のJR・大阪メトロ天王寺駅のすぐ西にある天王寺公園内です。天王寺公園内を「てん
関西の旅「野球と歴史とお友達」2日目の忘備録になります。この日は、宿泊した「河内松原駅」から出発。大阪の歴史建造物を見学に行こうと電車に乗りました。あまり関西に詳しくないので、色々と調べながらの移動です。本来は大阪城を見学した後、オリックスのファーム球場である「杉本商事SS」で2軍の試合を観る予定でした。河内松原駅から近鉄電車に乗り「天王寺駅」で乗り換えたとき、何気なくぶらり歩いておりました。あべのハルカスも立派です。東京にある渋谷ヒカリエ(DeNAの本社が入っているビル
前回の続きです(=゚ω゚)ノ住吉大社⛩を後にして、北上して大阪市内の低山を巡ります。。。15分ほどクルマ移動して・・・🚶住宅街の中に、帝塚山19m到着♪案内板(古墳内には入れません)南側から東側のすき間からZOOM🔍さよなら、帝塚山バイバイまた15分ほど北上して・・・(松虫通住宅街🅿でメチャ迷いました💦)北側の公園を通り抜けて、南側の登り口に周回して・・・🚶お寺の門をくぐれば・・・聖天山14m登頂♪
豊臣秀頼は、徳川家康から難題を持ち掛けられた。実母の淀殿を江戸城に人質に送るか、大坂城を出て大和郡山に行くか、いずれかの選択を迫られた。いずれの要求も受け入れがたい。そうとわかっていて、家康は要求した。秀頼はどちらも従うことはできないと回答した。「大阪冬の陣」が始まった。【ふるさと納税】【訳あり】人気の海鮮返礼品B級銀鮭切り身(打ち身、不揃い、色飛び)約2.8kg【配送不可地域:離島】【1214526】楽天市場${EVENT_LABE
本日、蒔苗小明さん&小果さん姉妹が大阪冬の陣に出場しました👊‼️凄い緊張の中小明選手一回戦敗退でしたが、中盤までとても良く踏ん張っていました!お相手は小学4年女子の優勝者でした。小果選手も一回戦のお相手は今回小学1年生優勝者でしが、頑張って立ち向かいました‼️2人は次の目標に向かって歩き出しました‼️なぜか、睦月も居ますが次も頑張りましょう♪次は、3月の京都大会ですね
大阪冬の陣で大阪城が砲撃されたシーンで茶々さまが千姫を庇うシーンは何度見ても胸熱🥹#どうする家康総集編#どうする家康#茶々様#茶々さま#千姫どうする家康扇子(金扇馬標)楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}どうする家康御朱印帳楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
どうする家康第46・47回をダイジェストで。豊臣と徳川の戦は避けられない状態になっていた。碁石の白は豊臣の大坂城、黒は大坂城を囲う徳川。中央は豊臣秀頼駿府城では、江戸から来た林羅山と金地院崇伝が方広寺梵鐘について意見を述べた。豊臣の使者として片桐且元が駿府城へ。大坂城から退去・大和、伊勢辺に国替え他の大名と同じく、江戸に参勤茶々を人質として江戸に出す*強烈な条件を提示されたないずれかの条件を受け入れるように条件提示にビビる且元大坂城に戻った且元は、家康からの条件提示を伝
☆大阪冬の陣・夏の陣☆天王寺公園あべのハルカスが見下ろす天王寺公園の茶臼山新世界の通天閣・・・大阪冬の陣では家康が夏の陣では真田信繁(幸村)が茶臼山に陣取り・・・乱世最後の戦いが繰り広げられた・・・かつての難波京(なにわきょう)の辺りで。。。☆大阪・京都巡り今年のはじめ、大阪・京都を巡って来ましたが、難波・道頓堀の辺りから、新世界、天王寺公園を抜けて、あべのハルカスにも行きました。新世界と天王寺公園は隣り合わせで、新世
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜感想が1週遅れちゃったなってことで第46話の感想ぉ!ついに豊臣との戦を決意した家康。豊臣の名を残すことを考えたのに、豊臣方はあくまで政権奪回にこだわったね秀頼に戦をする気はあったのか?どう見ても茶々の操り人形のように見えます。豊臣方に集まったのは、ほぼ関ヶ原の戦いで負けて浪人になったものばかり。この浪人衆が後に豊臣方を苦しめることになるのです…浪人衆は徳川を倒すことのみで、その先は考えてたのかいな?秀頼の正室であり、家康の孫、千
はあ~~あと一回になってしまったそれが寂しい・悲しい~さてと、やっぱり、超独断と偏見内容無視のブログですまずは大大大好きタイトル動画から下から、時計回りに茶々・信長・武田信玄?家康かな?秀吉かないや、今まで出てきた武将の塊かな?それが亡霊のようになり砕けるそして、大河ドラマの文字いつもだけれど、秀逸すぎるわ!そして、今回のタイトルその通りだわあと一回だから載せておこう潤くんの名前!
第47回「乱世の亡霊」始まりました(*^-^)[http://www.heart-wing.com]
皆さん、今日も一日お疲れ様でーす(*´︶`*)ノ今週は本当に色々ありすぎて疲れましたが、おかげさまで、あっという間に一週間が過ぎて週末がやってきました。╰(*´︶`*)╯今日は溜まっていた番組を一気見。「どうする家康」、「セクシー田中さん」、そして「葬送のフリーレン」╰(*´︶`*)╯どうする家康は、いよいよ大阪冬の陣。家康も歳とったな~。オープニングで家康が「ぺんすう」(墨が要らない鉛筆)で何かを黒塗りしていたシーンは、冬の陣後の和睦の条件のひとつである大阪城の堀埋めの事らしい。芸
歴史小説家の司馬遼太郎は、大阪の陣に興味が深いらしく、『城塞』及び、『戦雲の夢』を執筆している。『戦雲の夢』は、司馬遼太郎の四作目の長編作品で、長宗我部盛親の生涯を描いている。長宗我部盛親は、関ケ原の戦いの後、騙されて、土佐を奪われた、愚かな、主君であったが、大阪の陣で、大活躍し、歴史上に、その名を轟かせたのである。真田幸村、後藤又兵衛、長宗我部盛親、毛利勝永、明石全登の大阪城五人衆を筆頭に、豊臣家の浪人募集に応じた者達は、関ヶ原の戦いの後に、御家取り潰し等に遭ったため、徳川家への