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大相撲夏場所の番付が発表されました。番付編成に関していうと、審判部は「ちゃんとしている」と思います。思いますし、正しいことなんだけど、「遊びがない」って思うことも。それは今度の番付の話ではなく昨年の話。春場所110年ぶりに新入幕で優勝した尊富士それが翌場所の番付が前頭6枚目!!ええ??と違和感ありました!もっとあげていいだろと。実際ケガのため全休したわけですが、もしケガなかったら、新入幕から連続優勝になったかも。この上位とすぐ当たらない位置だと。その違和感の正体
大正6年発行「太刀山」(龍野周一郎著)より一部現代語訳10(終).引退の真相(「渠と鉄砲の因縁」を改題)横綱土俵入り(太刀持ち黒瀬川、露払い敷嶋)太刀山と鉄砲とはいかなる因縁があったか、渠(きょ:三人称の代名詞:本書では太刀山を指す)が生まれたのは恰(あたか)も西南戦争の砲撃轟轟(ごうごう)たる時で、徴兵検査には砲兵に合格したが抽選で免れ、また西郷候、板垣伯は国防方針に関して議一致し軍備拡張地租増徴を断行して、軍備の充実を謀り、これがため日露戦役に於て我が国は世界無比の大勝を
大正6年発行「太刀山」(龍野周一郎著)より一部現代語訳8.常勝将軍第9回優勝額肖像(大正5年5月場所:横綱)・栃木山に負けた場所(左手指を怪我している)太刀山は23歳の中年を以て斯界(しかい:この社会:角界)に入りながらも、古今稀なる偉大の力士となって、国技館上9枚の優勝額を掲げらるるに至ったのは、真に驚嘆に値する。余は渠(きょ:三人称の代名詞:本書では太刀山を指す)が額面のなお一二回多く掲げらるべき機会のあったのに拘わらず、余りに太刀山の額面のみ多きを嫉(ねた)んでの所為
空白の110年間はなぜ生まれたか大相撲における個人優勝表彰は、旧両国国技館開館に合わせて優勝掲額が贈呈された明治42年(1909年)6月が公式の起源とされる。とはいえ当初は東西制による団体表彰の方が公式で、個人優勝者の方はあまり厳密な制度を整えていなかった。そのためか、当時は引分、預りも多く、不戦勝はなく相手都合で休場になるなど、公平に優勝者を決めがたい状況が長く続いた。また相星の場合は番付上位者が優勝とされたため、下位力士はなかなか優勝には手が届かなかった。それでも、日数が少ない
昨年、国立映画アーカイブより「昔の競技」というフィルムはじめ大正期のスポーツ映像が広く公開された。これは大正時代に文部省の制作で陸上競技や蹴鞠といったものの大会の様子やルールを記録したもので、中でも大正11年4月の霞ヶ関離宮において行われた、摂政皇太子裕仁親王の誕辰祝賀余興の台覧相撲は当時の大相撲を映像で知る貴重なものだ。特筆されるのは横綱大錦の土俵入りや、大錦と横綱栃木山の取組が収録されていること。大錦はこれが現在確認される唯一の映像と思われ、栃木山の取組の映像も他には見ることができ
別に「怪」というほどの話でもないのだが・・・小錦今のように外国人力士が多くはなかく、むしろ珍しい時代で、同じハワイ出身の高見山が同郷からスカウトして来たということもあり、入門時から話題になっていた。新弟子としては規格外の体格も注目されていたが、高砂部屋ゆかりのしこ名「小錦」と命名されたと聞いたときは「あの巨漢に『小』錦はないんじゃないか」と思った。しかし、後に史上最重量力士となると、しこ名とのギャップがかえって面白かった。同時代の幕内には「大錦」がいたのも、また面白かった。牧伸二が「
2敗で並走する北の湖と隆の里は。まず隆の里は、3敗巨砲が挑む。右相四つ、胸を合わせたい隆の里と、前褌取って頭をつけたい巨砲。まずは両者牽制しあってすぐには組まず。そこで巨砲がさっと二本差し。隆の里回り込みつつ右をこじ入れるが、巨砲再び巻き返す。ならばと極め上げて外掛けを放つが、残した巨砲が両差しで前へ。苦しい隆の里、叩いて回り込み、右おっつけから覗かせる。しかし巨砲、手首をつかんで争い、またもや両差しに入って寄り。右巻替えならず土俵際に詰まった隆の里、窮余の首投げで押しつぶす。足が伸び切ったが
トップの2敗2人を1差で8人が追う混戦で終盤戦に入る。(前半)岩波、頭から低く当たったが、十両琴千歳が右へ動いて上手出し投げを決めた。岩波、幕尻で7敗目、後がなくなった。7人いる3敗同士。下位のベテラン直接対決。大錦はやや左に動いて上手狙い。これを果たすと、ぶちかました勢いで構わず出てくる荒勢を、左回りに動いて上手投げを決めた。右、左と差して寄る黒瀬川。飛騨ノ花も左上手を引きつけて踏ん張り、右四つに持ち込む。さらに黒瀬川が右差しで出て行くところ、のけぞりながら上手投げ。両者同
十両の青葉城いきなり叩いて呼び込みかけたが回り込み、突き押しで岩波を追い詰めてとったりで粘るのを押し出した。十両琴千歳、激しい突っ張りから左差して寄りと猛攻を仕掛けたが、土俵際飛騨ノ花が掬って堪え、さらに反対から突き落とした。好調大錦、立ち合いでいい角度で当たって左前ミツ。引きつけて一気の寄りで黒瀬川を電車道に運んだ。好調同士。荒勢の突進を土俵際素早く回り込んだ鷲羽山が間一髪叩き込んだかと思いきや、右足が蛇の目を掃いていた。3敗に後退。黒姫山がぶちかましから突っ
○大関引退大関増位山が体力の限界を理由に引退。連敗を喫し2勝2敗となっていたが、カド番でもなく、むしろ先場所初の二桁勝利をあげて、これからという大関7場所目。32歳、数年の内に実父の三保ヶ関からの継承が既定路線だったとはいえ、突然の決断だった。親子で涙の会見。貴ノ花とは共通項が多く、アスリートとしても嘱望される運動神経を持ちながら、「家業」を継いで角界入り。軽量ながら幕内上位で活躍する業師として輪湖の時代を支えてきたが、30歳過ぎて狂い咲き、親子二代大関が誕生。先代としては、横綱の夢
全勝千代の富士は、3敗の横綱若乃花と。喧嘩四つだけに、右肩と左肩の当たり合う。千代の富士は右で押し込んで、横綱相手でも差し手にこだわらず、右上手前ミツに切り替える。軽量の関脇が両上手、懐の深い横綱が両下手を引き合う。普通なら横綱有利だが、しっかり相手に顎を押し付けて浅い上手を惹きつけているので、窮屈そうなのは横綱。土俵中央で膠着。機を見て仕掛けたのは千代の富士。右で外掛けを飛ばしてそのまま一気に寄り倒した。輪島に続いて横綱を食い、12連勝。1敗北の湖は、右四つの青葉山にあえて左上手狙い。し
この秋場所。新潟のホープとして期待したのは新十両の王輝。中学時代は、今の大関・貴景勝こと佐藤貴信選手と中学横綱を争った逸材。13日目には勝ち越しを決めていると思いきや何と勝ち星なしの13連敗。今場所を糧に幕下から捲土重来。うれしい話題は、寺沢の幕下優勝。来場所は、幕下10枚目以上に上がる。佐渡の怪童。来場所も優勝だ。豊山は、今場所休場。ケガを治してください。今の豊山は3人目。初代は、学士力士の草分けで大関まで昇進。引退後は、時津風親方として、相撲協会の理事長も勤めました。
昨日の琴勇輝戦で敗れて土俵下に飛び降りた際に右膝を傷め、苦しそうな表情で車椅子に乗せられて花道を引き上げた友風やはり、私が想像したとおりに右膝の脱臼とその周囲の靭帯損傷と診断されて、昨日全身麻酔で脱臼した骨を入れる手術を受けたようだ診断によると、何と全治未定師匠の尾車親方は、治療にはさらなる手術が必要で、土俵に復帰するまでは最低でも1年はかかるとの見通しを述べた現在の友風の番付は西前頭三枚目で、今場所を含めて丸1年6場所連続で休場すれば、一番下の序ノ口まで番付が下がる友風は日本体育大学
わスカイツリーのお膝元墨田区でマグロが美味しい一八福寿司若女将美鈴です大相撲九月場所も始まりましたね本日は9月10日に65歳で退職を迎えた元大錦、山科親方をご紹介昭和48年秋場所新入幕で横綱を倒す偉業を成し遂げた伝説の人その年、新入幕で三賞総取りした記録は未だに破られていません横綱琴櫻大錦戦横綱琴櫻から金星を奪い三賞独占しましたまさにレジェンド!すごいお相撲さんなんです!親方になっても長い期間執行部に入り尽力を尽くして相撲協会を支えてきた方一八寿司とは、山科親方が現役の時代