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12月20日、大谷田団地内でハンドメイドやグルメ、音楽を楽しむ冬のマルシェ八潮市からほど近い、足立区大谷田団地に位置するコミュニティラウンジ「BOOKMARK(読む団地JVerde大谷田)」にて、12月20日(土)、「冬のてのひらMARCHE」が開催されます。12月の月いち企画として行われる今回は、“手づくりを贈ろう”をテーマに、クリスマスシーズンにぴったりの温かなマルシェが企画されています。手づくりの贈りものが集結足立区大谷田のBOOKMARKで「冬のてのひらMARCHE」開催
おはようございます♪AMOSです今朝4時頃目が覚めてしまいそのまま布団でスマホ📱をいじり寝られず🤣シャワー🚿を浴びて24時間営業のドラッグストアに体重計の電池を買いに行きました🚶凄く涼しくて気持ちの良い朝少し遠いドラッグストアなので良いお散歩になりました先週の根津の朝市にはたくさんのお客様にお越し頂きありがとうございました「何かが起こる?」と言われた7月5日だったので、先月よりは外国人のお客様も少なかった印象でした次回の根津の朝市は10月4日(土)です写真は足
みなさまごきげんよう。東京都足立区にあります大谷田団地に行ってきましたのでそれです。下調べの段階で商店街があるのは知ってましたがまぁいいだろと夜行きました。結論から言うと行くなら夜の方がまだいいかなって感じです。いやどうだろ、昼は昼でいいのかも。案内図。道が真ん中を通っててその両サイドに建物がある団地です。団地の入り口側に商店街があります。商店街って言うほどではありませんのでこれが昼行っても夜行ってもどっちでもいい理由です。ライトの感じと建物が夜行く方がいいかなと思ったり。見
おはようございますAMOSです今日😅黄色いお相撲さんのがマグネットです可愛いでしょ?駅に貼ってありました明日は大相撲九州場所初日!推し力士同士の対戦が多数で困ってしまいます北の富士さんのお元気な姿見られるのが楽しみですドンミスィッ❣️へばっ
大谷田団地には各棟にエレベーターが2基設置されていた。マンションで大怪我や急病人が発生したときに救急患者を担架やストレッチャーに乗せて運ぶことができるように(場合によっては棺桶を乗せられるよう)奥行きのあるサイズのエレベーターとなっていた。そのため自転車を乗せることも可能で、各階のエレベーターホールに自転車を置いている住人も多かった。このエレベーターは夜遅くには防犯対策のため各階止まりとなる。夜遅く疲れて帰ってきたときエレベーターが2基とも上階に行っていることも
今では何処の職場でも1人1パソは当たり前でパソコンがないと仕事にならない状況になっている。当時はメールではなくファックスであり、文書は手書きかワープロが主流であった。ノートパソコンといえば、個人所有のものを数人が持ち込んでいた程度であった。職場にはランプランが1台あったが順番待ち状態でなかなか仕事が進まずに困ったものだ。平成3年秋の半ドン土曜日に同僚がノートパソコンを購したいというので、一緒に秋葉原に向かった。最新の液晶カラー画面のパソコンが80万円で売り出
世界に比べて日本人は勤勉な国民性で勤務時間が長く働き過ぎであったことから、勤務時間を諸外国に近づけるため完全週休二日制の導入に向けて取り組まれていた。今でこそ多くの会社で週休二日制が導入されており、導入された当時は「花金」なる言葉も生まれ、休日前の金曜日の夜はサラリーマンが大挙して飲みに出歩いたものです。平成3年当時はその移行期で我が社は4週6休制の勤務であった。第2第4土曜日は休みとなり他の土曜日は勤務日で、いわゆる「半ドン」(午前中勤務のみ)である。東京での
フーテンの寅こと車寅次郎が主人公の50年にわたる下町人情映画「男はつらいよ」。日本人にとって夏休みと正月の映画といえば「男はつらいよ」でした。渥美清が演じる車寅次郎のふるさとは葛飾柴又。映画では柴又帝釈天や門前のとらやなどが毎回登場します。大谷田団地の最寄り駅であるJR亀有駅から1駅のJR金町駅へ行き、京成金町線に乗り換え1駅で柴又駅に到着ということで、映画の舞台となった葛飾区柴又は大変近かったので何度か訪問している。帝釈天参道の門前町はいつも観光客に溢れ、ゆ
北海道には梅雨がないので道産子にとって梅雨の季節というのはどういうものなのかわかっていなかった。北海道でも蝦夷梅雨という梅雨らしき時期はあるが本州の本家の梅雨とは比べようがないものだ。平成3年の東京では5月の末には梅雨入りしたので梅雨明けが早いと思われたが実際の梅雨明けは7月23日となった。6月には気温30度を超える日もあり、蒸し暑いジメジメとした日が長く続き、不快指数もぐんぐんアップ。これが梅雨かとウンザリしたものだ。梅雨の季節は梅雨前線の影響で一日中
平成3年当時は普通のレストランや大衆食堂などはぼっち飯をすることができたが、ファストフード店や同じレストランでもファミレスには何故か一人で入店することができなかった。大谷田団地と都道307号(王子金町江戸川線)を挟んだ目と鼻の先にマクドナルド環七大谷田店、北綾瀬方面に400mほど行った環七沿いにすかいらーく大谷田店、亀有方面には肉の万世亀有店があったが、結局これらのお店は訪れることがなかった。仕事帰りに立ち寄ったのは亀有駅周辺の商店街にあった中華料理店やラー
当時は東京の水道水はまずくて飲めたものではないとよく言われていたものだ。1970年代後半から異臭がするとか濁っているという水道水に関する苦情が1000万件を超えていたという。平成3年当時は利根川水系の高度浄水処理が導入されたことにより以前に比べて水道水も美味しくなり苦情もほとんどなくなっていたというが、実際に団地の水道水を飲んでみると、まずかった。やっぱりまずかった。北海道の水道水と天と地の差であった。当時の大谷田団地の給水方法がどうなっていたのかは不明であるが
上京してから夏頃までは仕事が忙しく残業が続いていたので晩メシはほとんど店屋物であった。会社の近くに蕎麦屋と居酒屋がありこの2店から交互に出前を取って食べていたが、代わり映えしないメニューに飽き飽きしていた。そんな日が続いていたので同僚が「一日の楽しみはランチだけだ」と叫んでいたことに納得したものだ。お昼は休み時間をあまり気にせず地下鉄に乗って銀座、有楽町、日比谷界隈を中心に赤坂などにも足を伸ばして食べに行った。一人ランチすることも多かった。東京では数人で行動
平成3年に住んでいた大谷田団地9階の部屋は2DKの間取りであった。7畳ぐらいのダイニングキッチンに4.5畳スペースの洋室が縦につながっており、この2部屋は襖を取り外して一体で使用することが可能で冬以外は襖は取っ払っていた。ほかに6畳の和室に風呂とトイレに洗面台、洗濯機も室内に置く場所があり、一人身には十分の広さがあった。北海道の建物は寒さ対策のため窓は二重サッシが基本となっており東京のように1枚のみでは寒さ対策や防犯、防音の面で心許なかったが、防音に関しては9階だ
東京の訪れる街々で見るものすべてが珍しくお上りさん状態で感激しまくっていた。赤坂の街では19時頃になるとお店に出勤するため着飾った女の人が溢れてきた。すれ違う際に聞こえてくる会話の言葉から多くは韓国人や中国人のようだった。居酒屋の従業員としても外国人が働いており流暢な日本語を使い注文を取っていた。当時は北海道はじめ地方では外国人をみる機会はほとんどなかった時代で、さすがは東京と思ったものだ。赤坂の街の通りには田町通り、みすじ通り、一ツ木通りと名前がついており、赤
亀有駅の北口に「ナイトプラザ」というスナックがあった。マスターはロマンスグレーの渋く素敵な初老の方であったが若い頃は芸能の世界で活躍していたらしく往時が偲ばれるブロマイドや写真が店内に飾られていた。このお店には同郷である北海道(足寄町)出身のおばちゃんが働いているということで同じ団地に住む同僚に紹介してもらった。しかもおばちゃんも大谷田団地の住人であった。ある日友人と二人で訪れときに突然の出来事が起きた。ボックス席に座ると同時に謎の物体がカウンター方向から飛
平成3年に大谷田団地の9階に住んでいた。土日の夕方、天気の良い日はベランダに出て遠くまで見渡せる東京の街を眺めていた。巷でよくいわれるように4階5階以上の高いところにはムシは飛んで来られないようで大谷田団地9階での生活において「蚊」に悩まされることはなかった。窓を開けたまま寝ていても蚊を気にする必要はなかったのだが階下から聞こえてきたのはセミの鳴き声。東京のセミは夜も鳴くことにビックリした。本格的な夏を迎える頃のあの東京の蒸し暑さの中ではさすがにクーラーを使わ
亀有駅から大谷田団地までのお気に入り帰宅ルートは、「亀有北口中通り商店街」から「八か村落し親水緑道」を進むコース。亀有駅北口を出てバス乗り場をこち亀のモデルになったといわれる派出所とは逆の左に進み、せんべろで有名な亀有の関所もつ焼き「江戸っ子」の角を右折し中通り商店街を直進、環七南通りに突き当たったらすぐ左の「八か村落し親水緑道」を通って団地まで帰った。帰宅時間がまだ早いときなどは亀有駅の北口や南口に広がる商店街をぶらぶらしたり、食事をしたほか関所に捕ま
<当時の大谷田団地>東京生活になれてきた頃、朝のピークを避けても通勤できることがわかり自転車を購入した。大谷田団地からの乗合タクシーはピーク時を過ぎると回転が悪くなり不便となるので自転車で駅まで向かうことにしたのだ。自転車は休日には近隣の商店街や観光地の探訪など幅広い活用を考えていた。朝のピークを避けるため時間に余裕ができたことから、亀有駅のほか北綾瀬駅を利用することも多くなった。乗車料金を考えればたった一駅ではあるがJRと地下鉄の乗り継ぎ料金と
大谷田団地1号棟前の駐車場に毎朝長蛇の列が発生する。最寄り駅であるJR亀有駅行きの乗合タクシーの乗り場があるのだ。大谷田団地の最寄り駅はJR亀有駅か千代田線北綾瀬駅。距離的に近いのは北綾瀬駅なのだが今でこそ千代田線の始発駅として乗り継ぎなしで都心へ向かうことができる北綾瀬駅であるが平成3年当時は本数も少なく綾瀬駅で乗り換える必要があり通勤に利用するには不便であった。一方のJR亀有駅までは約1.4kmで路線バスや自転車を利用する人、20分かけて歩く人も多か
今から30年前の平成3年。北海道から転勤により花の都大東京で生活することとなった。当時はバブル景気のまっただ中で(数年後にはバブル景気は平成3年2月までだったことが判明したが・・・)23区内の車1台の駐車場代が月10万円といわれるほど土地の価格が急騰していた時代。安月給の身分としては自分が負担できる低廉な家賃のアパートが見つかるのか不安であったが、幸いにも会社が足立区の大谷田1丁目団地の1号棟9階の部屋を確保してくれていた。大谷田団地は東京都道3
こんにちは、咲ラ・ナチュールの高橋ですブログご訪問、ありがとうございます新型コロナが猛威を奮い、日々増えていく感染者数に不安と恐怖を感じる毎日ですね💦基本に戻って、しっかり手洗いや消毒をして気をつけて過ごしたいですね。そんな中ではありますが、先週末に大谷田団地のイベントにお声かけ頂き、クリスマスリースのアレンジ講習会をさせて頂きました。もちろん人数や座席の制限、マスク着用、消毒、健康チェックなど、感染が起こらないよう担当者の方たちが、念入りに細心の注意を払っていただいた中での開催です👍