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「神戸ニニンガ日誌」(第3,312号)○『愛と命の淵に』という本がある。瀬戸内寂聴と永田洋子の往復書簡である。永田は、連合赤軍事件で死刑判決となり、2011年に獄死した。○寂聴さんは日本赤軍最高幹部の重信房子とも文通していた。そこには大谷恭子という弁護士が関係していた。大谷さんは永田洋子の弁護人で、高裁での証人を探していた。多くの女性革命家のことを書いている寂聴さんであれば「本質を理解してくれる」と思った。○その依頼は「突撃」だった。1984年、京都の寂庵を訪ねた。寂聴さんはそ
『情況』秋号に,重信房子が書いた大谷恭子さんへの追悼文が載ったので読んでみた。短い文章ではあったが,私がこれまで読んだ追悼文の中では一番よく大谷さんの生き方や弁護士活動の全体像をとらえていて,非常によくまとまった追悼文であった。まあ,重信さんは大谷さんに最も世話になった一人であろうから,大谷さんのことをよく理解していて当然であるが,意外だったのは,重信さんがいつもの無駄に難解で生硬な文章ではなく,とてもわかりやすい文章で書いてくれたことである。だから大谷さんの事績を広く知ってもらうには,最
前回紹介した大谷恭子さんへの追悼文(「大谷恭子弁護士の死と、同時代を生き、闘った者への彼女の思い」)の中で太田昌国さんは,大谷さんが「カルメン・マキさんのコンサートに救われた」と話していたというエピソードを書いていた。これを読んで私は「そうだ!カルメン・マキがいる」と思い,それから暇を見てカルメン・マキの歌を聴いている。なかでも,大谷さんにピッタリの曲だなと思ったのは,「それはスポットライトでなはい」。元々は浅川マキが自ら訳詞を書いて歌ったものが日本でのオリジナルだが,寺山修司が世に送り出した
太田昌国のコラム:大谷恭子弁護士の死と、同時代を生き、闘った者への彼女の思いwww.labornetjp.org評論家の太田昌国さんが大谷恭子さんの追悼文を書いてくれたので,上にリンクを貼っておきます。是非,読んでいただきたい。刑務所改革や受刑者の待遇改善のために尽力していた大谷さんの知られざる側面が紹介されていて,ここにも「弾圧され,孤立した人の側」に立つ大谷さんの姿が明らかにされている。前にも書いたが,大谷さんの活動を振り返ると,社会の矛盾がどこにしわ寄せているかがわかる。
昨日11月9日は瀬戸内寂聴の命日だったが(覚え方…11×9=99歳),寂聴さんが亡くなった翌年の2022年に弁護士・大谷恭子さんは,ネット季刊雑誌『現代の理論』に「瀬戸内寂聴先生と共に」と題する追悼文を寄せている。大谷さんが亡くなった今,これを読み直してみると,大谷さん自身へのレクイエムにも読めてしまう。それは私の中で瀬戸内寂聴と大谷恭子がオーバーラップして見えるからだ。追悼文の副題には「指弾され,孤立する人の傍に居つづけること」とある。まさにこの立場は大谷さんが寂聴さんから受け継ぎ,
『ラディカルであること~大谷恭子さんから受け継ぐ精神のバトン~』前回記事の続きのようで恐縮だが,弁護士・大谷恭子さんは,世界で変革の嵐が吹き荒れた1960年代後半から70年代初頭にかけての時代を振り返って,下のように述べ…ameblo.jp前回記事で弁護士・大谷恭子さんの「ラディカルさ」について書いたが,衆院選のことや伊勢崎賢治さんのことなども書いてしまい,ちょっと散漫で分かりにくくなってしまったと思うので,今日はもう少しわかりやすく,簡潔に大谷恭子像をまとめてみたい。それから,先日は
前回記事の続きのようで恐縮だが,弁護士・大谷恭子さんは,世界で変革の嵐が吹き荒れた1960年代後半から70年代初頭にかけての時代を振り返って,下のように述べている。日本赤軍の元リーダー・重信房子も大谷さんも,その嵐の中にいた。ラディカル(根源的)であることに大きな意味のあった時代であった。重信はこの時代を,直線的に生きた。そして,これは一人重信だけではなかった。・・・(ジャスミンを銃口に:重信房子歌集p.118)私たちにとって示唆的なのは,右とか左とか,保守とか革新とかではなく
中日新聞が先日亡くなった大谷恭子弁護士の特集記事を組んでくれた。よかったら読んでみてほしい。全共闘世代74歳,まだ若い。残念,貴重な存在だった。まだまだこれからも私たちを守ってほしかった。大谷さんの訃報を聞いて,まず私の頭に浮かんだのは「守ってくれる」というイメージだった。弱い立場に置かれた人たちを力強く「守ってくれる」頼もしい存在,そんなイメージを大谷さんには持っていた。例えば,永山則夫の最後の面会人になった市原みちえさんが忘れられないという次の大谷さんの言葉は,そのことをよく表
国連総会が「子どもの権利条約」を採択した1989年11月20日。その11月20日がもうすぐやってくる。それにちなんで中川さんのこの本を久しぶりに紐解いてみた。裁判になった重要課題が多々扱われており、今後、そのいくつかを取り上げたいのだが、今日は「『長崎・障害児就学訴訟』のなかで学んだこと」を取り上げい。この訴訟についての概要は省略するが、障害のある子どもの就学先決定をめぐって憲法・教育基本法(2006年の改正前)を正面にすえての本格的教育裁判になった訴訟であり、5人の弁護団が結成さ
11日の土曜日。連合山形と山形県教職員組合協議会が主催された市民フォーラムに行きました。講師は若草プロジェクト代表の大谷恭子さん。生きづらさを抱えた若年女性たちが置かれた現状について、お話しくださいました。孤立し、SNSに頼り、犯罪に巻き込まれてしまう可能性の高い少女たちをいかに守っていけるか。家庭、教育、地域の在り方について、非常に考えさせられました。政治(国としての姿勢)からの変化が必要であるのは間違いないのですが、今すぐできる事としては、家庭は勿論、地域で子ども