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⑤花月園公園ランチの後は、花月園へ公園より元の競輪場のほうが見たかったな競輪がある時はガラがあまりよろしくなくて行く気もしなかったから、競輪を閉めて壊される間に行きたかった写真ではわからないけれど、競輪場の名残りの丸い広場が広がっています⑥総持寺石原裕次郎のお墓へアントニオ猪木のお墓にも行きましたアントニオ猪木のお墓の隣に大西瀧治郎のお墓があり、アントニオ猪木のお墓に行きたいと言っていたともだちがこちらの墓のほうが興味があると言ってましたエリート路線をきたこのとも
大西瀧治郎生年月日1891年6月2日(火)日干支己未どんな人?海軍軍人、神風特別攻撃隊の創始者の一人同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.ロレンツォ・デ・メディチ1449年1月1日(水)やぎ座2.レオナルド・ダ・ヴィンチ1452年4月15日(土)おひつじ座3.レオ10世(ローマ教皇)1475年12月11日(月)いて座4.エンリケ1世(ポルトガル王)1512年1月31日(土)みずがめ座5.ジャンヌ・ダルブレ
【苦肉祭チャンネル】最後の特攻隊(2022/5/27)先日、拝聴した「苦肉祭チャンネル」の動画で、初めて聞いた太平洋戦争関係の人物を知りました。その方は、終戦の玉音放送が放送された「昭和20年8月15日」の翌日に割腹自殺された【大西瀧治郎】でした。その割腹自殺が尋常じゃないのですよ。別名「特攻の父」と呼ばれており、上記動画の15分頃から触れています。夫亡き後の奥様の行動にも頭が下がります。壮絶な最期を取り上げた記事と動画をご紹介します。大西御夫妻と、戦場に散った
こんにちわ。旦那の仕事で横浜へ行ってました。横浜では⬆眉毛!!つちやかおりさんがご観劇ちょっとお久しぶりにお会いできた気がする!!!見よ!この顔の大きさ体の大きさ可愛さだったりお洒落さだったり…世の若者たちよ。コレ見て思い知れ。この世に神様なんていないんじゃっ!!!ってくらいちっちゃくて可愛いの。私なんか眉なしだかんね。さぁ!!みんなで叫ぼう!!神様は不公平説!!٩(´・ω・`)و旦那は舞台本番はなく本番前にステージで国歌独唱
おはようごさいます昨日は舞台『流れる雲よ』横浜公演昼・夜公演共に超満員のお客様公演前に人生初『国歌独唱』初めての経験をさせていただきました横浜公演実行委員会の皆様本当に本当に本当にありがとうございました会場には歌手で俳優のつちやかおりちゃんいつも応援してくださる越野社長夫妻本当にありがとうございました帰りに武智大輔演じる宇佐美中将のモデル大西瀧治郎さんのお墓に2025『流れる雲よ』武智大輔は全て終わりましたと報告に…さて武智大輔次の作品に
8月16日が命日・忌日の有名人・著名人1225年(嘉禄元年7月11日)69歳没(病)北条政子さん源頼朝の正室1654年(承応3年7月4日)57歳?薨去(?)伏見宮貞清親王殿下江戸時代の皇族1675年(延宝3年6月25日)21歳薨去(?)八条宮長仁親王殿下江戸時代の皇族1705年満50歳没(?)ヤコブ・ベルヌーイさん数学者ベルヌーイの不等式1899年88歳没(?)ローベルト・ブンゼンさん化学者セシウム、ルビジウムを発見1929年64歳没(病)津田梅
(過去記事を上位再掲)昭和20年8月6日広島に原子力爆弾が投下されたことは皆様ご存知のことと思う。この同じ日、青森県の海軍三沢基地では、ある訓練が行われていた。「剣号作戦」の演習だ。剣号作戦とは、マリアナ諸島にある米軍の飛行場に、戦闘員を乗せた飛行機を夜陰に乗じて強行着陸させ、日本本土空襲に飛来する米軍のB29を焼き払うという作戦だ。当時21才の自分の叔父(海軍中尉一式陸攻パイロット)が、この演習に参加していた。演習後の会議では、目の前に高松宮様(昭和天皇の弟)や、大西瀧治郎中
半藤さんの本なので迷うことなく買っていただろうが、意外なところからもらい受けた一冊。‘あの戦争’とはあの戦争でいいんだよな、と思いながら目次を見るといきなり‘幕末史と日本人’。続いて‘日露戦争と日本人’、‘日露戦争後と日本人’と。おやおや、期待は裏切られるのか!?この時期の半藤さん得意の語りおろし作品。全部で11章にわたる30ページほどの‘○○と日本人’が並ぶ。冒頭の‘日露戦争と日本人’で‘太平洋戦争の真の敗因は、日露戦争の勝利にあった’という。官修戦史がつくられたが、日本に都合がよい
こんにちわ。今日も雨☔洗濯…したい。部屋干しの匂いも気にならない!!なんてCMは絶対嘘だっ!!基本的に絶対臭う!!!あとお酢を摂ると内臓脂肪減る!!ってのも絶対嘘だっ!!見ろよ!私を!!!お酢大好きなのに全く痩せねぇじゃねぇーかっ!!内臓脂肪だって絶対減ってねぇぞ!!というこで本題に入りますw昨日は旦那が横浜でお仕事だったため一緒に行ってきました。まずはお墓参りから。場所は横浜の鶴見区。旦那が出演させて頂く特攻隊ミュージカル流れる雲よ
大西瀧治郎さん大西瀧治郎(おおにしたきじろう)1891年6月2日生まれ、1945年8月16日、満54歳没。兵庫県氷上郡芦田村(現:丹波市青垣町)生まれの旧日本海軍軍人、海軍中将。神風特攻隊を創設。bluelightwarさんが2012/12/30に公開大日本帝国美があり醜があり勇気があり怯があった若者達の鎮魂歌大西瀧治郎遺稿・昭和20年八月十三日この戦争はね...国民が好きで始めたんじゃないんです!国家の戦争というのはね、国家の元首の戦いなんですよ。
先日ルソン島中部へ。カミカゼ巡りの続き、いずれも数年前に行った場所。パンパンガ州境のすぐ北隣の町、タルラック州バンバン。空振りの第二次大戦ミュージアムをあとにして、カミカゼ特攻隊の生みの親、大西中将平和記念碑へ。山中の民家の敷地内にある。数本の日本酒小瓶。最近日本人が参拝に来たのかな。参拝終わったタイミングで、民家の方が、懐中電灯を手に、手招き。旧日本軍の司令部があった、トンネル内部を案内してもらいました。長さは、250フィートとか。内部は数か所崩落し、危険。心付を少し渡して
軍事オタクゼロの軍事ネタ。超有名な写真なので、軍事オタクじゃない人でもこの写真、一度は目にしたことあると思います。たった80年前の今日、4月12日の写真で、知覧基地(鹿児島県南九州市知覧町)から特攻出撃する陸軍一式戦闘機「隼」三型甲(キ43-III)。日の丸や桜の枝を振って見送る知覧町立高等女学校なでしこ隊。大阪毎日新聞社による撮影。終戦後米軍への接収を恐れて本社に厳重に保管されていました。出撃するのは穴澤利夫少尉で、風防を開けて敬礼して
特攻(捨て身攻撃)を考案したとされる大日本帝国海軍の大西瀧治郎(おおにしたきじろう)中将は、終戦直後、割腹して自決を遂げた。「統率の外道」と呼ばれるその非人道的な作戦の考案者ゆえに悪魔的な指導者のイメージは強い。そんな中将は自決するに辺り、次のような遺書を残している(半藤一利著「戦士の遺書」より)ことを知った。✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵特攻隊の英霊に曰(もう)す善く戦ひたり深謝す最後の勝利を信じつゝ肉弾として散華(さんげ)せり然れ共其の信念は遂に達成し得ざ
神風特攻隊を創設させた黒幕は昭和天皇であることが濃厚です。教科書的には神風特攻隊を創設したのは海軍幹部の大西瀧治郎と城英一郎だとされています。城英一郎が大西瀧治郎に提言を行ったとされています。その城英一郎は海軍の侍従武官で、昭和天皇の側近でした。城英一郎が神風特攻隊の導入を提言した背後に昭和天皇の影が見えます。大西瀧治郎さんは神風特攻隊の導入についてはずっと拒否していたと伝えられています。その大西瀧治郎が神風特攻隊の導入に踏み切った背景にも昭和天皇の意向があっ
大本山總持寺にて、開山太祖「瑩山紹瑾禅師」の700回大遠忌でした禅の師「前田憲良大和尚」が焼香師をお務めになりましたここには石原裕次郎氏アントニオ猪木氏のお墓があるので皆でお墓参りただ僕が一番行きたかったのは神風特別攻撃隊の創始者のお一人大西瀧治郎氏のお墓参りでした終戦後に自決されて今はここ總持寺で奥様と共にいらっしゃいますここでは個人的な想いは書きませんが、知覧立志合宿を死ぬまでやると決めている以上は必ず一度は来たかったのでそれにしても總持寺は広大で百間廊下
久し振りにXの投稿の事など書いてみようかと思います。先日「あの花が咲く丘で〜」の主演を演じられた伊藤健太郎さんが今ある日本の平和は昔、特攻隊の人達が沢山いてくれた上で成り立っていると言うコメントをしたことに対して、特攻隊の死は現在日本の平和に何の寄与もしていない犬死にですと教えないといけないと言うボストをされた方がいらして、物議を醸しておりました。リブ欄を読めば読むほど色んな角度からの意見があるもので、なかなかこうでしょう、と言うような決めつけも出来ませんが、考えて見たいと思います。投稿者
【キーウ共同およびCNN】ロシア本土とウクライナ南部クリミア半島をつなぐクリミア橋が崩落した昨年10月の爆破について、ウクライナのマリャル国防次官が、ウクライナ軍による関与を明確に示唆しました。マリャル氏はSNSへの投稿で、ウクライナがロシアの兵站を破壊するため、クリミア橋に最初の攻撃を行ったと述べています。建築用資材に包まれた21トンの爆発物を大型トラックに運ばせ、クリミア橋を走行中に爆発させたといいます。爆発は二つの橋脚のほぼ中間地点で起き片側車線が崩落。作
ショップをあとにして総持寺に向かいました。ショップから車で10数分の場所にあり、以前から行きたいと思っていたのです。総持寺は曹洞宗の関東の総本山です。https://www.sojiji.jp/今回行きたいと思っていた理由はアントニオ猪木氏のお墓参りをしたかったのと、親父の葬式の時にうちは曹洞宗だったと知ったので。日本仏教の曹洞宗は道元という人が開祖で仏壇にはお釈迦様を祀るという事を仏壇等一式購入する時に仏壇屋さんに聞きました。(違っていたらすみません)お釈迦様は像だ
おはようごさいます今朝の東京⛅いいお天気です⛅梅雨の中休みですかね昨日はかみさんと電車で新宿へ仕事の打ち合わせ&呑み会久しぶりに二人で電車に乗りましたさぁいよいよ本番まで20日武智大輔代表作の1つ舞台『流れる雲よ2023』既にたくさんのご予約ありがとうございますチケットご予約好評に付きお早めのご予約宜しくお願い致します武智大輔この作品に連続出演して今年で17年目になります。武智大輔の代表作の1つです。今年は三越劇場での公演となりました。今年も又暑い熱い厚い夏にした
13日の夕方より熱がでて、一時は8度台まで上がりました。年に一度あるかないかというくらい、めずらしいことです。これは自分を休ませてあげなさいということかと素直に受け取り、一日おとなしく安静にしていました。自分でも面白い習性のようにおもうんですが、たびたび熱を計り、時刻とともに記録しています。14日はだいたい7度台でしたが、15日つまり昨日の朝起きてみると平熱になっていました。平熱になったら書こうときめていたテーマは、いかに愛のないたべものを食べないか、で
顔色悪いな源田さん。(★)以前紹介したこの本と同じ画家さんによるもので精緻さこそ変わらないが、こちらはだいぶ見た目の印象が悪い。読む前からこちらが持っている先入観のせいだろうか。とにかく生出さんの本なら読む。‘源田実の用兵作戦思想は対米英の実戦に適切であったか、源田の主張は言葉どおりうけ取ってまちがいないか’、‘源田は幾多の重要作戦において、どのように奇才を揮い、働いたか’の二点を、事実と照合して真相を確かめようと試みた書、だという。ハワイ作戦から台湾沖航空戦まで、源田が係わった戦闘す
一昨夜、ちと野暮用で、、ナイトキャップキャップの音楽だけで!百田尚樹氏のお話し聞き漏らした、、ので、、久々に、まったりと、、聴かせて戴き、、百田尚樹氏、ご指摘の一文も目を通した!前半は、過去の切腹の仕方の変遷、、ふぅ〜ん、、そうなんやって雑学の一片としてで!百田尚樹氏、らしく、、、最後に、、特攻の父と呼ばれた大西瀧治郎の壮絶な切腹の話気まぐれライブ「切腹の話」「虎ノ門ニュース」出演の朝、5時前、たまたま目が覚めたので、気まぐれライブ配信。なぜか「切腹」の話です
76年前の8月15日(水曜日)…正午に放送された天皇陛下(昭和天皇)の終戦の詔勅により、昭和6年(1931年)9月に始まった満州事変から、ほぼ14年間の長きにわたり続いた戦争は日本のポツダム宣言受諾をもって…“日本が負けた”“戦争が終わった”ことが日本国民に告げられた。※昭和二十年八月十五日大東亜戦争終結ニ関スル詔書だが、この日の夕刻、大分海軍航空隊の基地を飛び立った11機の特攻機があった。11機(23名が分乗)のうち3機が不時着、8機が突入…未帰還となっている。詳細は、突入8
神風特攻隊が敵艦に突入する際に打電する「我、敵艦に突入す」というモールス信号がある。このモールス信号を曲のアウトロに使いたいとずっと思っていた。で作ってみた。作ると今度は誰かにラップを乗せてもらいたくなる。試しにSNSで募集。募集したとはいえ実のところ俺が乗せたいと思っているラッパーは決まっていた。そのラッパーへ向けてSNSを使った遠回りなラブコール。最短距離でそのラッパーに届いたようで、即座に手を挙げてくれた。ラッパーのSANDMAN仕上がった曲がコレだ。些か偏
日本国民2000万人特攻攻撃に供出させろ!さすれば勝機はある!どう考えても狂っている主張鈴木貫太郎内閣の閣議でまくし立てていた男特攻攻撃の唱導者大西瀧治郎(海軍軍人)1945年8月16日未明陸軍大臣阿南惟幾と同じように割腹自裁この時それを見届けていたのが満州右翼の大物児玉誉士夫と若き日の田中角栄であったと
76年前の昭和19年(1944年)の今日、10月21日は、フィリピンのレイテ決戦で、日本海軍の神風特別攻撃が初めて敢行された日。この日、マバラカット西飛行場から関行男大尉の敷島隊9名、マバラカット東飛行場から上野敬一一飛曹の朝日隊5名、そしてセブ基地から久納中尉の大和隊3名が、特別攻撃に飛び立ちました。しかし、味方偵察隊から事前にもたらされた海域において、敵空母群を発見することができず、折からの悪天候もあって、敷島隊、朝日隊は全機マバラカットに引き返しました。
ちょうど、五年前の記事です。何年くらい前からですかね。この日は、国旗を掲げることにしています。25日まで通して掲げてもいいんじゃないか、とも思っています。あと、12月8日ですね。今年からは、9月6日も。まぁ、言いたいことは犬死にであったかどうかとかバカなこと言ってんなってことですね。犬死ににするかどうかは後を託された、今を生きるボクたちの心持ちで変わるわけです。断ち切っちゃったら、犬死って見方もできる。
ここでは、美濃部氏が、二人の司令官(大西中将と宇垣中将)からも感じられた、「指揮官の孤独さ」ということについて語られます。美濃部正氏講演<その9>「指揮官とは孤独なものなり」人間と人間で、指導する者・指導される者、管理する者・管理される者の関係において、指導する立場にある人、管理する立場にある人は、常に大なり小なり孤独であります。「指揮官とは孤独な者なり」という言葉がありますが、それは全責任が自分にあるからです。その責任を遂行する
今回は、フィリピン戦線で戦っていた時、部隊に「特攻命令」を出した大西中将との息詰まる場面が語られます。【美濃部正氏講演「戦争体験と人間指導」から<その6>フィリピンのレイテ島で戦闘を行なっていますと、大西中将から、名指しで呼び返されました。当時司令長官といえば中将であり、私は一飛行隊長の少佐でした。長官室に入りますと、長官が「美濃部君、君に相談がある。」長官が私に相談がある、とは何事だろうと思いましたが、「何事でございますか?」と質問しました