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今日発売の「週刊SPA!」12月25日号の〈会いに行ける裸のアイドル「ストリップ劇場」最前線〉と題した記事に、私の解説コメントが掲載されています。
手元にある、ストリップ業界新聞「芸報ジャーナル」平成3年1月25日号での新宿TSミュージックの広告。当時のTSの誇るアイドル・ストリッパーの青山未央嬢の写真が大きく掲載されている。少し小さめの写真が風見圭嬢と原田さやか嬢。〈今年こそ、ファンのためのわたしになります。〉との惹句が何やら意味深でもある。
手元にある「APICTORIALHISTORYOFSTRIPTEASE」には欧米のヌード・レヴュー、バーレスク、ストリップティーズの歴史がたくさんのステージ写真やパンフレットなどの資料と共にまとめられている。日本におけるレヴュー史&ストリップ史&バーレスク史&軽演劇史を研究し、それらのパンフ、チラシ、ポスターなどの資料を約一万点ほどコレクションしている僕としては、是非、こういうものの日本バージョンを出したいものだ。ご興味のある出版社、編集者の方いらっしゃいましたら、是非ご連絡下さい。
先月26日に慶應義塾大学文学部総合講座「メディアとしての身体」で行った講義「永井荷風の観た浅草芸能~ストリップ史を中心に」の学生たちの感想レスポンスを送って頂いたので、そのうちのいくつかを一部抜粋して紹介させて頂きたい。☆ストリップを観賞する女性が増えていることは知っていましたが、その歴史を見ると今はある意味で価値観が一周してきたように感じました。初期の芸としてのストリップの扱いに戻ったことで再び受け入れられる土壌があるように思いました。☆普段聞くことができないストリップについての貴重な
先月26日に慶應義塾大学文学部総合講座「メディアとしての身体」で行った講義「永井荷風の観た浅草芸能~ストリップ史を中心に」の学生たちの感想レスポンスを送って頂いたので、そのうちのいくつかを一部抜粋して紹介させて頂きたい。☆正直、ストリップという文化は昔のもので現在はやられていないと思っていましたが、今も浅草にずっと続くロック座があると知り、驚きました。また最近はプロジェクションマッピングも使われていると知り、私も同じ女性ですが見に行ってみたいと感じます。ポスターやチラシに面白いタイトルや面白
2018年6月23日(土)に大田市内のサンレディー大田にて、レトロ芝居小屋「一日限りの相生座」が上演されたのニャ。本当に一日限り!!!すごーく貴重な公演でしたのニャ~その華麗なる全貌がここで明らかにニャる~。相生座とは、かつて大田市大田町に存在した演芸場で、大田市を始め、近隣住民の憩いの娯楽場でしたのニャ。島村抱月、松井須磨子の公演、大田市民演劇の「三瓶座」の公演もおこなわれたそうニャ。かの有名な映画俳優・長谷川一夫氏も公演して、世紀の流し目で大田のご婦人達
手元にある、管野舞踊楽劇団のミニ・ポスター。絢爛!エロ!女群の乱舞!ジャズ!独唱!ダンス!楽劇!新舞踊!レヴューやジャズの流行り始めの昭和初期の物だろうか。色使いも綺麗だな。
手元にある、新宿第一劇場での松竹少女歌劇の昭和18年7月公演の広告。〈皆さま憧れの〉松竹少女歌劇山の手進出溌剌躍進第二回公演。喜歌劇「南のパンゲラン」、「夏姿神田祭り」、軽音楽「チゴィネル風の夕べ」、大衆劇「翠琴抄」。下の東京の松竹実演劇場の演目のラインナップも興味深いな。
手元にある、昭和26年3月13日の「スクリーン・ステージ」での「花形ストリッパー立体訪問」日劇小劇場のミミー柳の紹介記事。その隣りには、〈話題呼ぶ春のバレエ界〉の見出しでバレエに関する記事が。新聞でストリップとバレエの記事が並ぶことなど、今では考えられないことだろう。
木曜夜に浅草友達の宇田川さんと、ゆめまち劇場にSKDSTASレヴューを観に行った際にお会いした、SKD松竹歌劇団28期生で昭和50年代の国際劇場で活躍された乙女春花さんと。立ち姿がカッコいいな。
手元にある、昭和30年元旦の内外タイムスの東洋興業の広告。〈お正月のお楽しみは…ストリップの浅草ロック座浅草新宿フランス座へ〉。多くの専属ストリッパーや脱がない普通ショーの踊り子と女優、コメディアン、楽団メンバー、文芸部員たちが所属し、三つの劇場を支えていた。
立川談志師匠に書いていただいた色紙「西條君江俺みたいな奴をどう思う‥立川談志」。朝日新聞の「逆風満帆」で談志師匠にホテルの一室でインタビュー取材をさせていただくことになり、まず、僕の「ニッポンの爆笑王100」に序文をいただいたことのお礼を言った後、テーマに沿って、その半生を伺った。インタビュー終了後に色紙をお願いすると、「何を書こうかな‥」と言いつつ書いてくださったのが、この「俺みたいな奴をどう思う‥」であった。色紙の内容で質問されたのは初めてだったが、すぐに「好きに決まってる
手元にある、昭和30年代後半の岐阜セントラル劇場の開館一周年記念特別興行のマッチラベル。吉田伸光率いる吉田興行は、岐阜セントラルを中心に一時期、多くの系列劇場を持ち、ストリップ界に一時代を築いた。イラストも可愛いし、〈SEXUALNUDETIME〉という表現もオシャレだな。
手元にある、昭和30年代後半の岐阜セントラル劇場のマッチラベル。吉田伸光率いる吉田興行は、岐阜セントラルを中心に一時期、多くの系列劇場を持ち、ストリップ界に一時代を築いた。景気の良さを証明するように多くの種類のマッチが作られているが、これには何故か神殿風の場所でハープを弾く女性のイラストが。〈いつきても見られます〉〈毎週5日間替り入替ナシ〉の惹句はここの定番だ。
今も続けられている岐阜・まさご座(真砂座)の昭和30年代のマッチラベル。〈娯楽の殿堂〉。いい感じで上手くないイラストが可愛いね。片面には当時の地図が。
手元にある、大正期の浅草・御国座での「蟒於由高評仇討」で蟒およしを演じる四代目・澤村源之助の絵葉書。浅草田圃に自宅があったことから〈田圃の太夫〉と言われた源之助は、九代目・團十郎や五代目・菊五郎の相方を勤めた後、長く浅草の劇場で活躍した。この時に演じた蟒(うわばみ)およしは、切られお富や姐妃のお百と並ぶ源之助の当たり役であった。御国座は松竹座の前身で、現在の浅草ROXの国際通り側にあった。
手元にある、昭和30年代の岐阜・真砂座(まさご座)のマッチラベル。NUDEMASAGOZA。STRIPのSの字のデザインのロゴが可愛いね。
演芸情報誌「東京かわら版」の「ペペ桜井半生記ギターをおいて話そうか」の〝追憶のキャバレー〟の回に、興行請負業社紹介誌「ショウインジャパン」掲載のペペ先生の写真提供をさせて頂きました。
手元にある、昭和26年5月の新開地・寿座のパンフ。〈26日ヨリ天下一品!素晴らしい迫力と魅惑あふれる!ストリップシンガー裸の歌手マリアローザ颯爽初登場唄ふストリッパー愈々来る〉。〝歌うストリッパー〟はもともとアメリカのバーレスクにも結構居たようだが、日本ではあまり定着しなかった。他に数組の漫才陣も出演。
手元にある、大正期の浅草・公園劇場での中村又五郎一座「黒船話」で船大工平蔵を演じる初代・中村又五郎の絵葉書。又五郎は二代目・市川左團次一座を離れ、大正6年に自らの一座を結成して浅草・公園劇場に出演すると、浅草の観客から熱狂的な人気を得たが、大正9年に35歳で急逝。又五郎の葬儀の実写が浅草・東京倶楽部で上映されると、その死を惜しむファンが殺到して連日の大入りで、二週続映された。新国劇の沢田正二郎は、又五郎の死を知らされ、「うむ、これからは俺の時代が来る」と呟いたと言われている。
手元にある、昭和30年代の新世界・温劇(温泉劇場)のパンフ。〈日本頑張れ!折れんピンピン大会〉〈待棒の日の丸あがる〉との惹句からオリンピック開催時期であることが分かる。オリンピック大会を折れんピンピン大会とは、実にバカバカしくて良いね。第1部はニュースタイルショウによるハイテーンセックスバラエティ「浮気の虫が泣いている」21景、第2部がニューグラマーショウの異色バーレスク「おんぼろ人生」21景。当時はこうしたショウチームによるバーレスク形式の演目が中心であった。
手元にある、大正4年4月の浅草・大勝館での五代目・澤村四郎五郎の主演映画「岩見重太郎」のチラシ。余興主演は、〈日本一花形浪界ノ少女王〉旭市子嬢である。当時は浪曲の上手い少女がたくさん居たのだろう。澤村四郎五郎は、歌舞伎界から大正3年に天然色活動写真(天活)に迎えられ、忍術トリック映画における日活の「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助のライバルとして活躍。浅草では富士館・遊楽館・千代田館が松之助映画の専門館であったが、四郎五郎の映画は大勝館が専門館となっていた。
手元にある、昭和27年4月の道頓堀・道劇のパンフ。〈ストリップは道劇へ〉。〈東京バアレスクが又々放つ!!奇想天外の桃色ストリップ!!〉〝陽春アベックタイム〟「裸天国」と、〈濃艶無比!!官能昂奮の渦!!妖艶の美女京町ひとみの浅草女剣戟絶賛堂々続演!!〉エロ女剣戟「春姿情炎双六」。京町ひとみのエロ女剣戟、観てみたかったな。
昭和27年1月の有楽町・日本劇場での日劇ステージ・ショウ「笑う宝船」のパンフ。落合登による表紙イラストは、〈喜劇王〉エノケンこと榎本健一の恵比寿様、ロッパこと古川緑波の大黒様、〈ブギの女王〉笠置シヅ子の辧天様、喜劇女優・清川虹子の毘沙門天、当時の新進喜劇人である山田周平の布袋様、同じく三木のり平の寿老人、日劇ダンシングチームの松山紀久子の福禄寿である。裏表紙の7人の写真にも清川虹子が入っているが、景ごとの役割り表では清川の名前がなく、十景の七福神ブギの毘沙門天のところには喜劇女優の丹下キヨ子
手元にある、昭和30年代後半の岐阜セントラル劇場のマッチラベル。吉田伸光率いる吉田興行は、岐阜セントラルを中心に一時期、多くの系列劇場を持ち、ストリップ界に一時代を築いた。〈五日毎に入れ替え〉〈11時開演〉という制度のもと、〈いつ来ても見られます〉を惹句としていた。
現存する岐阜県のストリップ劇場のまさご座(旧真砂座)の昭和30年代後半あたりのマッチラベル。一方の面にはSTRIPの文字、もう片面にNUDEMASAGOZAの文字が。
手元にある、昭和30年代後半の岐阜セントラル劇場のマッチラベル。吉田伸光率いる吉田興行は、岐阜セントラルを中心に一時期、多くの系列劇場を持ち、ストリップ界に一時代を築いた。景気の良さを証明するように多くの種類のマッチが作られているが、これには何故かエジプトの壁画風のイラストが描かれている。
昭和13年8月の浅草・国際劇場での納涼大歌舞伎のパンフ。昼の部が「東海道中膝栗毛」、夜の部は「木曾街道膝栗毛」。共に、彌次郎兵衛を二代目・市川猿之助(初代・猿翁)、弟分北八を八代目・澤村訥子が演じている。また、昼の部の「復讐談高田馬場」では、訥子が〈猛優〉と言われた先代の当たり役・中山安兵衛を演じた。
子どもの頃から植木等さんが大好きで、毎年ファンレターを書いてはご返事を貰っていた。その植木等さんのコンサート・ツアーの構成・演出をお手伝いさせていただくことになった時は死ぬほど嬉しかったな。その時のパンフレットの植木さんへのインタビューも僕がさせていただいた。コンサート・ツアーの最終日に、植木さんにサインを貰いたいな…でも素人みたいで失礼かな…と思っていたら、当時の植木さんの女性マネージャーが「西条さん、植木さんがお呼びです」と。楽屋に行ってみると、植木さんが「西条くん、これ…」と差し出
手元にある、昭和30年代後半の〈ヌードの実演と映画〉丸物裏グランド劇場のマッチラベル。〈毎週五日替〉とあり、ここも吉田興行のチェーン劇場だったようだ。