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1960年に新東宝の社長を退いた大蔵貢氏が、1962年に自身の経営下にあった富士映画と洋画配給の大和フィルムを合併させ設立したのが大蔵映画です。当初は70ミリ大作『太平洋戦争とひめゆり部隊』の様な一般向映画を製作するも興行的に上手く行かず、やがて成人向のピンク映画の製作が主体となります。大蔵ピンク映画の中でも、後の世代の映画ファンから注目されたのが怪談映画でした。朝日ソノラマが発行していた頃のSF映画誌『季刊宇宙船』編集部にも「大蔵怪談映画を見る方法はありますか?」という類いの質問が読者
#タイトルからしてすでに傑作な映画『明治天皇と日露大戦争』1957年傑作というかケッサクというか、とにかく一度見たら忘れられないインパクトのタイトル!ポスターの「大シネスコ」がまたたまりません!(地方では西本正による別撮影のスタンダード版も上映)日本映画史上初めて天皇を画面に登場させた作品で、明治天皇を演じたのは戦前戦後時代劇の大スターだった嵐寛寿郎。初公開時は右だけでなく、大宅壮一らリベラル派も観て「不覚にも涙してしまった」といった記録が残されていますが、戦後の傷がまだ生々しかった
新東宝倒産後に大蔵貢が立ち上げた大蔵映画で製作した作品で、明治天皇の生涯を概ね映画化。幕末から西南戦争までを新たに撮影して、後半の日清戦争から御崩御までは、新東宝の三部作を再編集したものを繋げた全長187分の超大作。一代記とはいいながら、幕末から西南戦争までのくだりの主役は西郷隆盛で、一般に知られた造形の西郷に成りきった岡譲司の見事な名演により、洞窟に追い詰められて切腹まで描かれる。明治天皇は「匿名・青年」というクレジットの、謎の若い俳優さんが話の区切りに出て
さて日本映画の黄金期もいよいよラストです。ラストを飾るのは『東宝』・・・そして『新東宝』なぜ一緒にするのかというと元々『新東宝』は1946年の東宝争議(経営者側と労働組合側対立)の最中、組合を脱退した百数十名の有志とともに1947年中心にできた映画会社。根っこは一緒なので東宝だけでなく新東宝も・・・東宝映画の1950年代は海外の映画祭で受賞した黒澤明監督の『生きる』『七人の侍』キネマ旬報の高い評価を得た成瀬巳喜男監督の『浮雲』豊田四郎監督の『夫婦善哉』など名作・傑
今から65年前の今日、1957年7月30日に映画『鋼鉄の巨人スーパージャイアンツ』が公開されました。監督は数々の娯楽映画やカルト映画(アニメ映画から成人映画)を手掛けた石井輝男さん。現在『シン・ウルトラマン』が公開中ですが、日本映画初の“宇宙から来たスーパーヒーロー”は、スーパージャイアンツになるのではないでしょうか。スーパージャイアンツは、エメラルド彗星から地球の核実験を止めさせる為にやって来た、正義の超人です。『鋼鉄の巨人スーパージャイアンツ』が公開された1957年は米ソの宇宙開
このところの当ブログで、新東宝の社長だった大蔵貢さんのことを書いています。興行成績が不振に陥った「新東宝」のカラーを大転換、撮影現場で演出に口を出すなど、ワンマン体制の限りを尽くした大蔵貢社長には、エピソードが山のようにあります。中でも有名なのが、いつも大作映画でいい役を当ててもらい高いギャラをもらっている、高倉みゆきさんとの関係を記者に問われ、開き直った大蔵貢社長、「女優を二号にしたのではない、二号を女優にしたのだ」と言い放ったことです。高倉みゆきさんは、「和田道子」の名前で東宝などで端役
ひとつ前の当ブログで書いたように、1960年11月に新東宝の社長を辞任した大蔵貢さんは、「大蔵映画」を設立、『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(1962小森白監督)を製作します。明らかに、空前の大ヒットを記録した『明治天皇と日露大戦争』(1957渡辺邦男監督)の夢よもう一度という企画です。その『太平洋戦争と姫ゆり部隊』に、新東宝にいた小森白監督を起用した大蔵貢さん、相変わらず撮影現場にやって来ては演出に口を出していたそうです。こんな大蔵さんの好き放題の行状に腹をたてた人がいます。助監督についていた
ひとつ前の当ブログで、『恋愛ズバリ講座』(1961三輪彰、石川義寛、石井輝男監督)は、ワンマン社長の大蔵貢さんが退陣したので希望に燃えた「新東宝」のスタッフや俳優たちが「新生」新東宝の思いをこめて、ノーギャラで作ったことを書きました。ご存知のように、元々、活動弁士から興行界に入った大蔵貢さんは、興収が低迷する「新東宝」の再建を託され、第4代社長に就任します。1955年(昭和30年)の夏のことです。それまで、新東宝は小津安二郎監督、溝口健二監督、伊藤大輔監督といった巨匠や成瀬巳喜男監督、千葉泰
ひとつ前の当ブログの最後のところで、『恋愛ズバリ講座』(1961三輪彰、石川義寛、石井輝男監督)の第3話「好色」で、三原葉子さんがレストランで酔って自分で服を脱ぎ捨て、ブラジャーとパンティ姿で踊り出すシーンがすごいインパクトだったという話を書きました。このシーンで、三原葉子さんが、東北弁(三原さん自身、盛岡出身)フロアにいる男性客にしなだれかかって「あんた、映画俳優だんべ。あっ、ヨスダテルオでねえが」と話しかけるのでした。このシーンは笑いました。その男性は「吉田輝雄」さん本人なのです。楽屋落
「戦艦大和」「明治天皇と日露大戦争」「東海道四谷怪談」「地平線がぎらぎら」「女王蜂と大学の竜」「恋愛ズバリ講座」「危うし!伊達六十二万石」「影法師捕物帖」「たそがれ酒場」・・・。テレビ録画していた新東宝の映画を、パラパラと見ている。新東宝は1947年に会社が出来て、1961年に倒産した。その間、716本の作品を公開した。年間約50本になる。週に一本の映画を公開した事になる。これは驚異的な事!その内の80パーセントは、どうでも良い作品だったと思う。私が映画館で映画
新東宝(というか大蔵貢)の明治天皇三部作その2。明治27年8月1日に日清両国間で宣戦布告、農村で祖母と2人で暮らす山田一太郎にも召集令状が届いて村の皆でお祝い、祖母をひとり残して宇品港から出征していった。平壌陥落・北洋艦隊撃破と勢いに乗る大日本帝国軍は、天皇・皇后両陛下が直々に各地で国民の慰問に尽力。次に旅順攻略を目指す日本軍に対し旅順要塞はドイツの技術による最新式で、苦戦が予想されるのだった。天皇・皇后と日清戦争[DVD]Amazon(アマゾン)2,000
長らくフィルムが行方不明だった日台合作怪談映画で、「支那怪談死棺破り」は本編内の劇中劇という作り。比嘉健生は元来猜疑心が強く、常に美人の嫁の浮気を心配していたが、その心労か不治の病を患ってしまう。夫の心を察した妻の玲子は思い余って自分の顔を自傷、それが良かったのか健生は周囲も驚く奇跡的な回復。治った健生は傷付いた妻の顔に嫌気がさして、速攻で自分の方から浮気に走り、美人局の朱美に引っかかる。比嘉の資産を玲子が握っていると知った朱美の情夫は、健生に相続させるため、玲子の
新東宝・大蔵時代の映画ポスターを中心に情報も収集しました。ポスターの役割は客寄せの宣伝ですが、映画ファンにはポスターに描かれる世界も大きな魅力の一つです。新東宝は昭和25年(1950年)3月、東宝から独立して自主配給をはじめ、初期は文芸作品も多く製作していましたが、配給網が狭かったので経営が窮地に追い込まれる中、昭和30年(1955年)、興行界の大物、大蔵貢が招聘されました。『風雲七化け峠』(1952年)監督:並木鏡太郎嵐寛寿郎,三原葉子、新人三原葉子のデビュー作品。<三原葉
色々あって江戸にやって来た備前岡山藩の浪人民谷伊右衛門は、士官のかかった縁談のチャンスに許嫁のお岩が邪魔になり、顔が崩れる毒薬を盛る。さらに離縁すべく罠にかけると逆上したお岩は自害。万事済んだ伊右衛門に亡霊となったお岩が逆襲する。東海道四谷怪談HDリマスター版[Blu-ray]4,073円Amazon
新東宝は“映画の宝庫”だった/メディアックスAmazon.co.jp桂千穂「新東宝は”映画の宝庫”だった1947-1961」☆脚本家、映画評論家の桂千穂氏はもうその昔から新東宝好きをずっと公言されていた人で、その方が書かれた新東宝映画本の名著です☆なにしろ桂氏は新東宝の石井輝男脚本・監督の「黄線地帯(イエローライン)」の脚本を自身の脚本のお手本にしてきたと昔から言われていた人で、大蔵貢時代の新東宝映画を観て脚本家になろうと思った方だから、その新東宝愛は相当なものだと思いますな☆この本