ブログ記事8件
手のひらに刻まれた文字YAKの三文字夜に第二分の「リーディング」が行われ、レアと言う女性は私にこう言いました。「貴女には、イエスの指導霊が着いている、地上最強の指導霊です」。そして私の左手の平にあるYAKの三文字を、「Youalreadyknou.」と、英語で訳したので、どんな意味か通訳してもらうと驚いた。夏の夜、二つの星が私の眉間に飛び込んで、一つの『光』になった瞬間、私の頭の中で聞こえた、『貴女はすでに知っている』だった。(で
1949年に来日したアメリカの経済学者でもあるデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジが日本のハイパーインフレを収めたかった最大の理由は、日本経済を自立させるためには日本を国際貿易市場に参画させる必要があり、そのためには物価を安定させることが是が非でも必要であったということだ、と小塩丙九郎は考えています。ハイパーインフレが続くことに頓着せず、無際限に財政を拡大して赤字を出し続け、企業は自己改革することなく業績を増す、そして結局はそうした悪童の日本の尻を拭かされるのはアメリカ政府、つまり戦争に勝
太平洋戦争翌年の1946年(昭和21年)の正月も明けない1月11日の朝日新聞の一面トップは、『財産税、戦時利得税の全貌大蔵省発表』となっています。その見出しには、『戦時利得を全面的に吸収して、経済再建の基礎を確立するとともに、インフレ防〇〈縮刷版から文字読み取り不能〉の巨堤を築かんとするとする財産税、個人財産増価税及び法人利得税の三法案は旧暦30日の閣議において正式決定をみた後、連合国最高司令本部に提出し許可を求めているが、大蔵省は13日これが全貌を発表した(以下省略)』と書かれています
日本は、3四半世紀ごと、つまりおよそ75年ごと、に大経済破綻を起こしています。そのことについては、以前2回の連載で詳細に説明してきました。そのうち最初の連載は、2月27日付ブログ『今の日本は黒船来航3年前の幕府と同じ』(下記URL〈上〉)に始まる連載『現代と幕末のパラレルワールド』です。そして次の連載は、3月27日に始まる連載『現代日本と明治・昭和のパラレルワール』(下記URL〈下〉)です。https://ameblo.jp/koshioheikuroh/day-20170227.html
太平洋戦争が終わって2日後の1945年8月17日には皇族の東久邇宮稔彦王〈ひがしくにのみやなるひとおう〉が2月足らず総理職に就いた後、東京帝大法学部卒の幣原喜重郎〈しではらきじゅうろう〉が半年間総理を務めています。幣原は、元外務省官僚です。幣原の後に東京帝大法学部卒の吉田茂が首相に就いていますが、吉田も元外務省官僚です。吉田は、1946-47年、1949-52年の合計4年半にわたって総理を務めています。吉田が2度にわたって総理に就いていた途中で1年足らず総理を務めた片山哲〈かたやま
太平洋戦争に負けて、アメリカ軍が日本本土に進駐するとともに陸海軍は解体され、陸海軍官僚はいなくなりました。しかしそれでもまだ、大蔵省官僚の天下はやって来ませんでした。戦時中は、軍官僚が主導する統制経済体制の下で、予算編成はいわば軍官僚の思いのままで、大蔵省官僚はその指導の下で国策銀行であるところの日本勧業銀行や日本興業銀行を管理する実務官僚の立場に置かれていました。そうして気力のない行政実務を行う中で、敗戦が決定的になったからと言って、戦後の経済復興策を準備するということにもまったく手づか
東京大学(当時は帝国大学)が設立されたのは、1886年(明治19年)のことです。その前年に内閣制度ができ、伊藤博文が初代総理大臣に就いています。そして1889年には大日本帝国憲法が制定されています。つまり、日本の近代的な政府機構がおおよその形を見せ始めたちょうどその時期に、その政府の実務を担う者を養成することを目的とした日本初の大学が創設されたということです。大学が設立されてから8年後の1894年には、高等文官試験が初めて実施されています。このことにより、日本の政府官僚はその出自を問わず、