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おはようございます。今日は大気が不安定で天気の急変にお気をつけてくださいね。また、黄砂も飛来しそうです。さて、今日、4月17日は『日本書紀』によると御祭神・神功皇后のご命日に当たります。269年神功皇后(仲哀天皇の后、應神天皇の母)<数え100歳>石清水八幡宮では、神功皇后を偲び神功皇后祭・献酒祭を行います。知っているようで知らない神功皇后ですが、神功皇后と言って何を連想されるでしょうか。【神功皇后とは】神功皇后出典Wikipedia神功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40
【食育クイズ:Vol.1580】「京都府」の「祇園祭」おさらいクイズ!船鉾巡行で「神面」をつけて巡行する「御神体」とは誰?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)たねすはら無添加味噌500gAmazon(アマゾン)大豆コーヒー
祇園祭・後祭の最後尾を務めるのは?船鉾は2つあり、いずれも神功皇后の朝鮮出兵を題材としている。前祭の最後尾は「船鉾」(出陣)、後祭の最後尾は「大船鉾」(凱旋)で、長らく休み鉾であったのは「大船鉾」である。舳先(ヘサキ)の飾りが、「金幣」と「龍頭」があり、一年交代に形が変わる。
巡行について、昭和41年から観光客への配慮などを理由に7/17前祭と7/24後祭が統一され平成25年まで山鉾巡行は17日だけとされていた。平成26年、49年ぶりに後祭の山鉾巡行が24日に行われる事となり、祇園祭本来の神輿渡御に先立って山鉾が巡行すると云う姿が甦った。更に同年、元治元年の禁門の変(蛤御門の変)以来、休み鉾であった「大船鉾」が150年ぶりに復活し後祭の最後尾を行く事となった。結果、前祭では23基・後祭では10基の総勢33基の山鉾が都大路を巡行する
…船鉾同様神功皇后を御神体とし、後祭の最後を巡行する山鉾は何か?祇園祭の前祭では、山鉾巡行の最後尾を行くのは船鉾である。この船鉾は、神功皇后が船で出陣する説話を表わしている。この時、皇后は懐妊していた事から御神体に巻かれた岩田帯は巡行後、安産のお守りとして授与され人気がある。前祭が出陣船鉾なら後祭は凱旋船鉾だとして、同じ説話で、同様に船を模ったのが、「大船鉾」である。こちらは後祭の最後尾を務める。「大船鉾」は平成26(2014)年
京都東山区にある瀧尾神社JRの東福寺駅から北へ徒歩3分ほど東側に鳥居と提灯が架かる拝殿が目を引きます。仕事運向上・商売繁盛の御利益創建は平安時代本殿には弁財天・大黒天・毘沙門天の三御柱の神様が祀られています。こちらは拝殿拝殿の天井には.....拝殿天井には全長8mの木彫りの龍が圧倒的!江戸時代後期の彫刻家「丸山新太郎」の作あまりの躍動感ある姿に当初は「龍が夜な夜な水を飲みに動き
…安産のご利益があるとのいわれがある鉾は?神功皇后は、懐妊中に渡海遠征し、後、応神天皇を無事出産した事から安産の神とされる。山鉾中、この神功皇后を御神体とするものが3基ある。船鉾では、出陣姿の皇后を祀り、巡行前夜に御神体に腹帯(岩田帯)を巻き、これを安産祈願の帯として授与する。残る2基は、占出山(前祭・戦勝を占う姿)と大船鉾(後祭・皇后の凱旋姿)。
7月に京都を訪れたときにツインが案内してくれて祇園祭の宵山で大船鉾(おおふねほこ)に登るという体験をしました。一般公開で乗ることができるというのをそのとき初めて知りました。大船鉾(出典:www.ofunehoko.jp)私は京都の祇園祭はなまで見たことはなくニュースなどで映像をほんの少し見たことがあるくらいでして実は祇園祭のことも詳しく知らなかったのでとても勉強になりました。祇園祭の山鉾巡業は、豪華絢爛。
祇園後祭宵山の日に京都へ入りました初めての本格的宵山体験ですまずは大船鉾保存会へ比較的すいていたので拝観券を購入拝観列に並びながらわぁ~大きいですコンチキチンコンチキチン祇園囃子が心地良くコンチキチンコンチキチン大楫(かじ)降り龍と波濤の図(江戸後期日本製)楫本体は木製で雲龍の刺繍を施した羅紗を膠で貼りつめた懸装品龍の目はガラス製美しい懸装品保存会建物の2階へ天水引屋根の軒に吊り下げる懸装品下水引後掛龍頭格好いいですね~来年大船鉾の先端に飾られるの
前回はこちら①はこちら京都伝統工芸館の後、祇園祭後祭2023の山鉾の撮影を再開しました。鈴鹿山です。三条通と姉小路通の間にある、烏丸通の山鉾です。鈴鹿山の説明板です。北側から見た、鈴鹿山です。役業者山です。三条通と姉小路通の間にある、室町通の山鉾です。役行者山の説明板です。鷹山です。室町通と新町通の間にある、三条通の山鉾です。西側から見た、鷹山です。八幡山です。六角通と三条通の間にある、新町通の山鉾です。八幡山の説明板です。南側から見た、八幡山です。南側の八幡山
【祇園祭後祭】大船鉾
殿(しんがり)を務めるのは大船鉾です。長らくの休み山の時期を経て、2014年に巡行に復帰しました。御神体は神功皇后。そして、安曇磯良神・住吉明神・鹿島明神が皇后の脇を固めます。前祭の船鉾が神功皇后の「出陣」の船に対し、大船鉾は「凱旋」の船とされています。神功皇后の衣装は、出陣の船鉾では鎧姿、戦いを終えた凱旋の大船鉾では狩衣姿です。舳先には大金幣と龍頭が、年ごとに交互に飾られます。今年は大金幣です。軒下の左右を飾る軒幕は、国交50周年を記念してベトナムから寄贈されたものです。
毎年、友達と夏の参拝旅行に行きますが今年は祇園祭後祭の宵山の日に日程が合ったので後祭に巡行する山鉾を見に行きました。初めに会所の御神体を参拝してから鉾を見学しました。後祭のしんがり大船鉾を始めに下から見学しました。後方↑船首側から舵(かじ)次に拝観料を払って鉾に乗れるので二階に上がりました。↑船首の龍が飾って有りました。舵の上の方鉾の船首側からの景色鉾の天井板も綺麗な絵が描かれてました。囃子方が座る場所後方の囃子方の座る場所つづく🥒🐿️
京都祇園祭後祭山鉾巡行大船鉾撮影2023.7.24.(月)公式ウェブサイト⤵️京都・祇園祭「大船鉾」|公益財団法人四条町大船鉾保存会四条町大船鉾保存会は、150年ぶりに「大船鉾」を復興し、祇園祭山鉾巡行への復帰を目指すことを決意いたしました。皆様方のご支援をお願いいたします。www.ofunehoko.jp何歳でお箸使えるようになった?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう2歳頃には、上手に使えてたらしい🤔3歳で右膝を骨折してから、ヘタクソになりました😅
久しぶりに祇園祭後祭りの宵山(宵々山)へ日が落ちる前のちょうど提灯に灯がともるタイミング一番の目的は、昨年、巡行に復活した鷹山装飾が充実していました!真松の雉も☆北観音山タイミングよくお囃子がはじまりました!つづいて、南観音山もお囃子、スタート♪大船鉾やっぱりカッコイイ☆御旅所で手を合わせて帰りました~☆過去の祇園祭★祇園祭後祭り山鉾巡行★20220724|AnJyu-NIKKI(ameblo.jp)★祇園祭前祭巡行★
笑顔がいっぱい2023/07/24撮影いずれ劣らぬ後ろ姿。巡行を待つ皆さんの顔も晴れやかです。南観音山が北観音山を追い越して行きます。山が違ってもお隣同士、皆さん顔見知りなのでしょう。頭の大波を乗り越えて大船鉾が登場です。しんがりも準備が整ったようです。次々にくじ改めの市役所前に向かって出立して行きます。煌びやかな山が目を楽しませてくれますが、私には屋根の上のお兄さんが主役に見えました。がんばれ!室町通りだったでしょうか、並んだ提灯と山鉾
暑い一日が始まります2023/07/24撮影雲ひとつない青空、鴨川光ります。暑さにめげてホテルでグダグダしていたら出遅れてしまいました。大船鉾は、すっかり出発の準備が終わっていました。南観音山はすでに北観音山の会所を過ぎていました。四条通を渡り大船鉾がやって来ました。音頭取りの扇が光ります。大金幣も光ります。狭い新町通をゆっくりと上リます。お姉さんもスマホを撮りながらお見送り。鯉山が方向転換します。美術館が動き出しました。
新町通を下リます2023/07/23撮影八幡山です練習したように現地で多重露光できれば良かったのですが、時間がなく・・・下レば北観音山、一段と豪華な懸装品を纏います。この辺りは財力豊かな豪商が並んでいたそうです。続いては南観音山。やはり友人が教えてくれたように、新町通が一番見所があるような気がします。今回撮影で苦労したのは、提灯と山との明るさの違い、LEDの提灯はとても明るく飛んでしまいます。でも、この暑い夜にはちょうど良いのかも。異国の人達が次々と。
夜は点灯するというので、地下鉄で四条までとても暑かったし、少し疲れていたので1箇所だけと思って行ったのが、ここ《大船鉾》でした。灯りがつくとまた、素晴らしいちょうど、中も見学させてもらえる時間でしたので、入れてもらいました。上から下を見るとすごく高いのがわかります。船の中の天井も美しい龍頭ちょっと悩んだのですが、行って良かったです。
今日も暑くなりそうです2023/07/23撮影宵山見物は涼しくなってから、それまで京都の友人が行ったことのないところをいろいろ案内してくれました東山から昇る太陽に起こされました。高瀬川沿いのお店は、まだ眠りの中。宿泊したホテルの朝食は、おかずがありません。パンにウインナーなどが入って何種類かを選べるのでまあ良いのですが、3連泊だとなんとも・・・でも、このサラダは豆類や茹で野菜などがたっぷり。バス停の屋根からはうれしいミストが。待ち合わせの時刻には余裕が有った
先日、祇園祭後祭の大船鉾曳き初め、参加してきました。あれ?船首は龍頭ではないの?今年は、大金幣(というらしい)で1年交代で設置されるらしい。勉強になりました。これが龍頭です(前祭時に撮影)曳き初め、約一往復分曳かせて頂きました。ちょっとした上り傾斜になるだけで…誰か曳いてないんじゃない…?って思うくらい、急に重く感じます〜この綱は綱引きの綱とは違います。神様が宿っているので絶対に跨がないように〜!!🐍🐍🐍うむッ龍頭、大金幣の部分を英語ではフィギュアヘッ
23日(日曜日)京都の友人と後祭の宵山に行きました昨年は夕方早めから周ってバテてしまったので今年は7時30分頃から欲張らずに周れるだけまず大船鉾後祭では唯一の鉾です今年の鉾先は大金幣大楫(おおかじ)ゆっくり写真が撮れているのは並んでいるからですなかなか前に進めないもう少し2階に上がってきました金糸の見事な刺繍龍頭
後祭の山鉾巡行を締め括るのは、大船鉾。11番・大船鉾(くじ取らず)1864年(元治元年)の禁門の変の戦火によって焼失。以来、150年間休み山として名前だけが残されていたが、2014年(平成26年)に巡行に復帰した。大船鉾は船鉾の「出陣の船鉾」に対し、凱旋の船といわれる。この大船鉾も、2014年(平成26)に150年ぶりに復興、巡行に加わった。後祭の唯一の鉾なので、巡行に復帰した
祇園祭後祭の山鉾巡行の、最後の二つに出会いましたこれは、『鷹山』🦅去年2022年から復活したらしいですそして、最後尾らしい『大船鉾』調べたら、前祭と後祭は、巡行逆回りみたいです。そして、これ!!この写真珍しいでしょう通行止めになっているから、車🚗、バス🚌、タクシー🚕に人のいない(信号🚥で渡っていない)道!!河原町通だよー。狙って行ったのではなくて…たまたまちょこっと見れて満足でした〜。
続いて大船鉾。鉾町の四条町はかつて、北四条町と南四条町に分かれていて、大船鉾の出仕も年交替で受け持たれていたそうです。因みに、今年の担当は南四条町で舳先は大金幣北四条町の時は龍頭となります。また舳先幕板飾右舷には、白波にさい格天井には花鳥図が描かれています。そして鉾に上らせて頂き、保存会役員の方が貴重なお話しをして下さいました。拾八の穴は、御神体の神功皇后を設置する場所こちらの穴は囃子方の出入り口で色々な工夫がされています。勿論、駒形提灯も美しかったです。続いて晩御飯は麺ビ
昨年は急な予定が入り、「後祭」を諦め「前祭」を観に行った『祇園祭山鉾巡行』。でも、私は「後祭」が観たいのだ。ということで、今年は予定が入らないよう願っていた(^^;どのルートで現場まで行くか・・・考えた挙句、昨年同様JR京都駅から歩いた🚶♀️(違うのは河原町通は避けた点くらい?)途中「佛光寺」の門がきれいだなぁ~と眺めて🚶♀️まだ「早いんじゃない?」(←独り言です)と錦市場で時間をつぶす。(推しの鉾があるので)市場を歩く人は、ほぼ外国の方たち。観光客が
2023年7月24日。祇園祭(後祭)の山鉾巡行を見に行きました。大阪から京都まで確実に座って行きたかったので、京阪特急のプレミアムカーで淀屋橋駅から三条駅へと向かいました。河原町御池の交差点です。平日の割りには観客が多く、迷った末に京都市バスの河原町御池バス停付近で山鉾巡行の撮影をしました。後祭の山鉾巡行の先頭(くじ取らず)の山である橋弁慶山です。牛若丸(義経)と弁慶が五条大橋で戦う姿を題材にした山です。南観音山です。南観音山の見送りは、加山又造(日本画家)の「龍
御朱印書いて頂きました。☺️スタンプの方も押しました。ちょっと載せられない感じになってしまいました。😁いつもの先生にも書いて頂きました。☺️前祭の時にも書いてもらいました。
こんばんは、たかのんです。本日もご覧下さり、ありがとうございます…厳しい暑さが続きますね…😅⚡電気料金が高騰してるさなか、毎晩エアコンをつけっぱなしにして寝てると、😳何だか罪悪感にかられますが、家の中でも熱中症になるらしいので、特にご高齢の方にはエアコンを消してしまわぬよう、お声掛けも大切ですね…☝☀暑くても元気な蝉さんを見ると、何だか励まされます…💪😁寝てる(?)蝉さん…「蝉さんって夜は寝てるのかな…💤」って疑問に思ってたのですが、別の日に意識して見たら、
昨日は花笠巡行と後祭の山鉾巡行がありました。時系列が前後しますが、まずは巡行の様子をアップします。その後、宵山の話題を投稿していく予定です。巡行を終えて、帰町する途中の北観音山。少し先には鷹山が見えます。四条通(東西の通)から新町通(南北の通)に、鷹山が方向転換して進むのを待っています。帰町は巡行の順番ではなく、山鉾町の位置や道順によって決まります。停まっている間もお囃子は続きます。破風の下に木彫りの雲鶴があしらわれています。天水引は雲龍文様。見送りは「鳳凰宝散唐子嬉遊図」