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『家族性大腸ポリポーシス』この病気は、本当に厄介で嫌な病気😔大腸全摘しても完治しない…私も20歳で大腸全摘手術を受け「終わった~」って思ってたら、33年後に十二指腸の乳頭部に出来たポリープが総胆管に入り込み診断の結果『十二指腸乳頭部癌』と言われ『膵頭十二指腸切除術』を受けた。今回、母が胃カメラ検査で見つかったのは十二指腸で見つかりました。まだ病理検査の結果は出てませんが、多分良性だと思う。って先生が言ってました。去年の年末に胃カメラ検査してたんだけど、その時は何も言われなかったから…
朝は下血があり、どんより落ち込みモード夕方は、ご飯が再開されると言うるんるんモードとっても分かりやすい性格です担当医の先生が入れ替わり立ち替わり、3人も様子を見に来てくれました最後に肛門科の先生とお話してた時に、検査終わりに検査室に私も入って、今の話を〇〇さん(私の名前)としたのよ〜と私はてっきり寝てる間に終わっちゃうな〜と思っていたんですが、話をするくらい起きていたそうなんです全く記憶にな〜い不思議な現象が起こるもんなんですね待望の夕食美味しかったです
下血が治って10日やっと内視鏡検査して、食事が再開される〜歩くのも楽になって来たし、絶好調〜…と思っていたのに夜、トイレに行ったばかりなのに、残便感が少ししてからトイレに行くとナプキンに血がそして、下血してしまいました1回ドバっと出て、早目に下血は止まりその後下血する事はありませんでしたが看護師さんに、何で〜また絶食かな〜と愚痴を聞いて貰ってました午前中のうちに予定通り、内視鏡検査をやりました夕方近くに、担当医の先生が検査の画像を持って来て説明をしてくれましたシンポ
夜は下血も1回も無く、トイレに数回起きましたがたっぷり寝た感がありました朝の採血の結果も、ヘモグロビンが9まで上がってたそうで安心しましたこのまま、しばらく腸を安静にして潰瘍が完璧に治ります様に…
先程担当医の先生がいらっしゃって、お話する事が出来ましたその前にも、当直の先生が何回も顔を見に来てくださったり、肛門科の先生にも相談して頂き、診察して頂いたり、3連休だと言うのに本当に有難いです昨日の下血は、先生方も想定外の事だったそうです肛門から潰瘍を焼く方法も、肛門から近すぎるので出来ないそうです今の所下血は止まってるので、保険の為に明日と明後日も輸血をしましょうと言う事になりましたそして、内服のペンタサは一旦中止になりましたこれで下血が治って、潰瘍が治ります様に今日は担当の先
朝8時前後から夜7時過ぎまでだいたい職場にいます。職場にいるときは、眠くなったとしてもごく短時間ですので、人工肛門を閉鎖した後は腸とあまり戦わずに済んでいます。とりあえず何かあったらお手洗いに向かえばよいので。人工肛門のときは、職場に向かう途中、あるいは職場でお腹から袋がはがれかけたのが2回。職場のトイレに飛び込んで、事なきを得ました。奇跡的に、衣類に影響なしでした。その頃から常に生理用品のお世話になっています。(人工肛門の際も、腸液対策として必須でした)下痢気味
こんにちは。ちこです。リブログのリブログ😊以前に潰瘍性大腸炎の体験談を漫画に描かせて頂いたまなさんご本人です。今、潰瘍性大腸炎で入院中の方、体調がお辛い方、手術前で不安な方、、沢山の人に、まなさんの体験談が届いたら良いなぁ。。穏やかな1日となりますように。
救急車🚑で病院へ運ばれERへ。もちろん、通院している大病院である。見慣れたER入口だが、初めて中へ入った。案内された処置室へ嘔吐袋を握りしめながら、歩いて移動。処置室のベッドで待機している間にも、嘔吐。救急医がきてくれたので、症状を説明し、手術予定の事も伝えたら、「今日は入院してもらって、たぶんそのまま手術になると思うよ。」との見解。念の為入院セット持参してきたと言ったら、褒められた。当直の外科医は、前回手術の時にお世話になった先生達のひとり。「お久しぶり〜」と親しみを持って
下痢入院から退院後はできるだけ散歩をし、食事はとにかく消化のいいものを少しずつ食べるようにした基本的に小麦はやめ、お米もお粥にしたり、野菜はミキサーでポタージュにするか、くたくたに煮て味噌汁にしたり、バナナなどはレモン汁と一緒に煮て柔らかくして食べたその頃10回ほどあった排便も5~6回ほどに治まっていたお腹は上部が時々張ったとにかくお腹に溜まるガスが多い何を食べたら下痢が強くなりガスが増えるのか、記録ノートを読み返してもいまいちわからなかった(記録の意味無いな…)じゃがいもはガスも下
朝になり、主治医が来てくれた。レントゲンの結果、やはりイレウスだった。癒着箇所があるらしい。原因としては、「食べ過ぎ」食べ過ぎて、癒着箇所に詰まったらしい。買い食いしてた事を注意された…(やっぱりね…)点滴と絶飲食生活に戻った。また更に痩せてしまう…アルブミンの数値も低くて、脚が浮腫んでる。数日前には浮腫みが酷く尿量も少なかったので、利尿剤を使用した。30分で2回程トイレに駆け込み、800ml以上排出した。体重測ったら1キロ減っていた!利尿剤すごい!だけど、浮腫は完全
退院してからは食事の記録をノートに付けだしたそこには毎日の食事の内容、飲んだ薬やサプリ、体温、体重、歩いた歩数、便の回数や簡単に体の状態を書くようにしたそれとは別に、スマホのメモにはトイレに行くたびに便の状態を記録するようにしている手術前の体重から退院時は6kgも減っていた家に帰ってからトイレ回数は減らせたものの、下痢は続き体重は増やせず、そんな中いよいよ抗がん剤が始まった1回目は再入院して投与された顔なじみの看護師さんと楽しくお話をしながら過ごさせて頂き、2晩入院の予定だったけど特
五分粥の昼食を完食、おやつにサラダ煎餅と蒸しパンも食べる。早く体重を増やしたいのと、元来食道楽なので甘味や塩気のあるものが食べられることが嬉しかった。買い食いは怒られるかな…と思っていたが、食べてるところを見つかっても「サラダ煎餅、美味しいよね~」と、看護師さんや回診の先生にも咎められなかった。退院日が明後日に決まり、やっと帰れる〜という安堵と高揚感でいっぱいだった。すぐに家族や友人に連絡。水分補給の点滴も取れて、腕も楽になった。しかし、その日は間食が多かったのか、夕飯はあまり食べら
大腸がなくなると、最初下痢が一日に何十回もでるという噂を聞いていた私はいつでもトイレに行けるように、また他の患者さんの迷惑にならないように、お尻のチューブが外れるタイミングで個室に移ることを決めていたMyトイレゲットである柔らかめのトイレットペーパーも用意した寝てる間に漏れることなども想定して、ほぼおむつみたいなパッドも用意して準備万端個室は静かで快適だったトイレは落ち着いてできたし、テレビも室料に含まれてるので見放題だ街中の病院なので景色はビルばかりだったけど、ちょうど夫の職場の
私は約2ケ月程入院してて、結構手間暇かかる患者だったからナースステーションの一番近くの病室だったそこは常に術後の患者さんでいっぱいで、その中には認知症の方もいた認知症の方を扱うのはやっぱり大変看護師さんは知識はあるだろうけど介護士ではない忙しい業務の中で何度も大声で看護師さんを呼んだり、ご飯を食べたくないと言ったり、わがままな態度をとったり、同じ文句ばかり言ったり、、でも隣にずっと居ると伝わってくるんです不安が今何が起きてるか、どこにいるかわからない不安家族がそば
度重なる腸閉塞のせいで治療が前へ進まないので、ストマ(人工肛門)を造ってから1ヶ月半しか経ってなかったけど、ストマを閉じる手術をする事になった。手術を終え麻酔が覚める頃、また大声で名前を呼ばれ、「ゆっくり呼吸してください」前回より息苦しく感じた。お腹全体が痛かった。そしてなぜか全身の震えが止まらなかった。「寒いですか?」と布団をかける看護師さん。私はガクガク震えながら、かすれかすれの声で「痛い‥」と言った。そして強い痛み止めを打ってもらい、しばらくすると痛みが楽
体を動かせないような状態で長期入院をしたのは初めてだったから色々衝撃だった。一番びっくりしたのは"おしもの世話”だった。手術直後はお尻や尿道に管を繋いでるのでおむつをしていた。トイレに行く必要がないし、もちろんお風呂に入れない。それはある時急にきた。「おしものお世話始めますね。」…?おしも…?と、思っている内におむつをはがされ、石鹸を使い手で私のおしもを洗い始めた。初めての経験で前知識もなく、突然だったので羞恥を超えて衝撃だった。私は手術の直後で体が動かせず声を出すのもしんどか
私は腸閉塞を克服するため、病棟内を毎日グルグルと1万歩ほど歩いた。鍛えるためできるだけ早く歩いた。他の入院患者さんに、「あんたどこが悪いのん?」と不思議がられた。その内、"スピードの〇〇さん"という異名が付いた。しかしその努力もむなしく何度も腸閉塞を繰り返した。「ストマがあることにより、つまりやすくなって腸閉塞を起こしている可能性がある」と先生は言った。食事がとれないので毎日点滴をたくさん打つ。だから血管にも限界がきていた。針を刺せる場所がなくな
運命の2023年8月。大病院での診察は、1週間の出張が終った翌日。この1週間で特に異変を感じた。その前から、体重が減り始める。それをカバーするために高カロリーのものを積極的に食べていた。つまり、高脂質の揚物など。(元々揚げ物は大好物♥)それに伴い便秘気味だったのに、出張中は下痢気味になる。出血量が増えた。そして心做しか腹痛を感じる。更に処方薬のリアルダが1週間分足りなかったので服薬できず。↑これも急激に悪化した原因かもしれない。病院変わるし、薬も変わるから1週間位なら大丈夫か
2022年6月頃。血便が出る。血は💩に少しまとわりついている感じ。痛みも無い。が、母が大腸癌で手術した直後だったので、念の為消化器内科医院へ受診。大腸内視鏡検査の予約が取れず、8月に検査予約。血は治まらず、増えもせずといったところ。2022年8月検査日に下剤を飲むが、💩全く出ない…便秘症ではあるが、そんなことあるか?!?ついに気持ち悪くなる…医院へ行くと、医者も驚いてた今までそんな人いないと…内視鏡検査の予約を再度とり、それまでは便秘治療することに。(血便は相変わらず。)
チューブから解放された私はすぐに今度は元気な声で夫に電話した。夫はさっきの電話の私の声があまりにも苦しそうで、そうとう心配したらしく、こちらの元気な声を聞いてホッとして泣いた。私も涙が出てきて2人で泣き笑いしたさて数日経ち、いよいよ食事が始まった。二種類の汁だった。一つは具のないお味噌汁。もう一つはなんだか半透明のドロっとした汁この半透明の汁が変に甘くて、何というか、こういっちゃなんだけど、、ま、まずい…見た目も味も気持ち悪くて頑張って飲もうとす
2022年6月頃病状がでてくる2022年12月潰瘍性大腸炎と診断、内科的治療開始2023年8月病状悪化、緊急入院→内科的治療が全て効かず重症化の為、大腸全摘出(3期分割手術)→手術後、入院中腸閉塞2回→9月退院2024年1月2期目手術直前に腸閉塞入院→手術延期現在、2期目手術を控え、自宅療養中。肛門吻合(IAA)の予定。発病後一度も寛解せず、急激に重症化。現在までの事や、術後の容態を記していきます。カバー写真は、重症化直前のご飯。コロッケ、アジフライ、ハン
手術翌日の晩、急にお腹が張ってきた。夜中気分が悪くて眠れなくなった。吐いたので看護師さんを呼んで吐き気止めをもらって飲んでも、一向に治らず、再度呼んだけど「これ以上何もできない」と言われ、そのまま一晩中放置された。更にここからが地獄の始まりだった…朝になりレントゲンを撮った後、急に先生が来て、「ごめんね苦しかったね~。腸閉塞を起こしてるからチューブ入れるね」と言われた時、やっと楽にしてくれる…!と喜んだのも束の間、ぐいぐい鼻から太いチューブが入ってきた。チューブが深く入
手術は予定では5時間くらいと聞いていたけど、合計7時間かかった。当時コロナで病院待機できなかった夫は、手術終了の連絡がなかなかこなくて不安だったらしい。手術後一晩は個室に泊まる。とにかく腹部全体が痛く、全身がだるくて体を動かせなかった。夜間、数時間おきに看護師さんが手際よく体制を変えに来てくれる。しんどいながらも感心した記憶があり、今でもそのてきぱきとした看護師さんの名前や声はしっかり覚えている。朝から麻酔で7時間も寝ていたせいか、その日の晩は一睡もできず、一晩が恐ろしく
短期派遣で働き始めた会社は1か月で辞めた。「また戻ってきて下さいね」という言葉がありがたいお言葉。2月手術前日に入院。私が男性だったらきっと好きになっちゃうような、若く美しいハーフの看護師さんが担当してくれた。その日は手術に係る麻酔科医や看護師や担当の外科医以外のお医者さん達が代わる代わる挨拶や説明にくるのでせわしなかった。術後看護しやすいよう、詰所に一番近い大部屋だった。翌日、手術着に着替えきっつきつの靴下を履いて手術室まで歩いていく。手術室に入ったら頭にナイロンのキャップを
大腸癌と判明して、しかも大腸全摘しないといけないと聞いてから数日。今後の事を考えて心の中で全摘を決意した。自分はまだ若い。働けるし、やりたい事も行きたいとこもまだまだある。可能なら夫と穏やかな老後ライフも送りたい…!手術したからといって癌が完治するとは限らないけど、とにかく今最善を尽くそうと思った。気持ちは決まっていた。でも一応先生の進めてくれた内科医の話も聞いておこうと思い予定通り診察を受けた。何となく苦手なタイプの医者だった。早口でたくさん喋
内視鏡医院から紹介してもらった大きな病院で改めて検査をして診察を受けた。私の癌は上行結腸という位置にあり、大腸の比較的上の方?だった。なので、肛門は無事だから人工肛門などは作らなくて済むと思っていた。しかし、、、「大腸全摘した方がいいですね。」と先生。夫も私も「え…?」と驚いた。潰瘍性大腸炎の場合、癌の部位だけ切除しても大腸の他の部位にまた癌が出来る確率が高く、さらにこの手術がきっかけになって広がる可能性がある、と。そう、私は17歳の時に潰瘍性大腸炎を発症している。潰瘍性大腸炎と
元旦の喧嘩(私が勝手に切れただけ)以来、さすがに"心配してます感"を出してきていた夫だったが、実はあんまり深く物事を考えないタイプで、良くも悪くも楽観主義なところがある。だから「そうは言っても取り越し苦労だろう」と、考えていたのか検査結果を聞いた時の顔を私は忘れられない。今までの経緯があったから私はさらっと言った。「やっぱり癌やって」夫はしばらく無言になって、顔が固まったまま言葉を失っていた。数秒後そのまま目に涙があふれてきて涙をこぼした。私はその時の顔を思い出すだけで今でも涙が
正月休みが明けて私は予定通り働き始めた。内視鏡検査は1月10日に予約してあった。なので検査結果が出るまでは誰にも言えないしとりあえず出勤するしかなかった。職場は大きすぎず小さすぎず、ほどほどの距離感で人もいい感じだった。ここ数年もともとあったアトピーが酷くなって、ステロイドを断つため専門の病院に入院したり、人に会えなかったし働けなかった。ああ、働きやすそうな感じの会社なのに。アトピーがマシになってやっと働き始めたのに。そんな残念な思いがあった(働けるって幸せなんですね)そして内視
正月休みが明けて私は予定通り働き始めた。内視鏡検査は1月10日に予約してあった。なので検査結果が出るまでは誰にも言えないしとりあえず出勤するしかなかった。職場は大きすぎず小さすぎず、ほどほどの距離感で人もいい感じだった。ああ、働きやすそうな感じの会社なのに。アトピーがマシになってやっと働き始めたのにそんな残念な思いがあった。でもそのおかげで働けるって幸せなんだと少し思った。そして内視鏡の検査の結果。やはり大腸癌だった。最悪の結果を覚悟をしていたせいか、癌がわかっ