大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)は用明天皇二年(587年)、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋との戦いにおいて、聖徳太子は蘇我馬子とともに参戦したが、強大な兵力の物部守屋に三度敗退し、大軍に包囲され絶体絶命の窮地に陥った。その時、椋の大木が真っ二つに割れ、その幹の空洞に身を潜めた太子は九死に一生を得た。起死回生を誓った太子は、恩樹椋の木で自身の十六歳の像を刻み、自ら黒髪を断ち切り植髪し、椋の木を取り巻くように茂っていた白膠木で四天王像を刻み、必勝の誓願を立て、ついに守屋を倒した。その後すぐに、