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ヘビと遭遇した日(昨夜のブログ参照)から遡ること数日。まだ向日葵は元気でした。第一養老川橋梁を渡るキハ200です。向日葵とは真逆の季節ですが8月5日に因んだ画像を一つ。2001年1月24日。下北交通大畑線下北駅に停車中のキハ85形気動車です。1985年(昭和60年)7月1日に国鉄大畑線から下北交通に転換。国鉄から譲渡されたキハ22形3両はキハ85形に改められました。数字は西暦から来てます。
青森県むつ市の中心駅、JR大湊線・下北駅。終点の大湊駅よりも知名度は低いかもしれませんが、下北半島の鉄道交通を支えてきた重要な駅です。かつては旧国鉄大畑線、後の下北交通大畑線が分岐し、下北半島北部への玄関口として賑わいました。現在の構内は意外なほどコンパクトですが、昭和時代の航空写真を見比べると、その歴史の大きさに驚かされます。今回は現在の下北駅を訪ねるとともに、廃止された大畑線の痕跡を航空写真やストリートビューで追いかけてみました。下北駅|駅舎と駅前本日は、
下北旅1982。今はどんな旅になるのだろう。。
高校前仮乗降場。こう聞いて、すぐに北海道は相生線の高校前仮乗降場を思い浮かべる方も多いでしょう。今回取り上げるのは相生線ではなく、もう一つの高校前仮乗降場、国鉄大畑線(後の下北交通大畑線)高校前(こうこうまえ)仮乗降場について調べてみたいと思います。仮乗降場来歴昭和35(1960)年3月※高校前仮乗降場として開設(同年2月25日より大畑線・大湊線でのディーゼルカー運行開始を受けて《むつ市史》)昭和41(1966)年12月15日正駅化、海老川(えびかわ)駅となる(「日本
雪をもうもうと巻き上げながら大畑線のディーゼルカーはむつ市の郊外からなだらかな一面の銀世界へ抜け出していった。おそらくはこの辺り、耕地が続く一帯なのだろう。この日は晴天に恵まれたので、地平線は陽光を反射してきらめいて際限がない。走り続ける車窓からは光は至る所に明滅を繰り返して電飾の瞬きのようである。ただ、これは自然の産物なのでその営みは不定期である。久しくその雪原を駆け抜けた後に海沿いの区間に出てくると、外を荒れ狂う風が舞い上げた雪を車窓に叩き付ける猛攻にうってでる。築堤の
1984年の年明け、野辺地から大湊線で下北半島を北へ移動していた。乗車したのはキハユニ26という珍しい気動車で、一両に郵便車、荷物車、客車が同居していた。厳密にいうと、一両のほぼ真ん中あたりに仕切があって扉の向こうに荷物室が、こちら側には客室が拡がっている。半両の空間なので幾分狭くは感じるが、車内には私一人だったので静寂が支配していて外界から隔絶された密室のような雰囲気があった。列車には5人程乗っていたがほかの乗客はすべて隣の普通の車輌を利用している。なぜこんな貴重な
↑↑↑メッセージボードのメッセージを必ずお読みください。・・・・・・・・・・・・【惜別わたらせ渓谷鐵道わ89形】群馬県・栃木県の第三セクター鉄道・わたらせ渓谷鐵道のわ89形(わ89-310形)気動車が6月30日に引退しました。わたらせ渓谷鐵道は車窓に四季折々の渓谷美が楽しめる大変魅力的な鉄道で、わ89形も大好きな車両でした。長い間お疲れ様でした。過去に撮影したわ89-310形の写真です。(1枚目のみ兄弟車両のわ89-300形)神戸〜小中(後追い)神戸
青森県下北半島にある大畑駅と大間町を結ぼうとした鉄道の未成線・戸井線一昨年GW北東北を旅した時に廃線跡散策してきました【焼山沢橋梁を発見】治山工事のためか橋梁が国道から見えますしかも完全な形で~【下北交通桑畑バス停】バス停から集落に通じる通路通路の出口は鳥居が八幡宮の参道トンネルです上の国道が鉄道路盤だったそうで大間線の遺構はここまでこの先は国道279号に転用されましたこの付近は路駐できないので桑畑台むつはまなすライン駐車場を利用右下の画像は桑畑駅予定地
青森県下北半島にある大畑駅と大間町を結ぼうとした鉄道の未成線・戸井線一昨年GW北東北を旅した時に廃線跡散策してきました【風間浦村にあるこの場所は】山すそに沿って13連のアーチ橋を活用した遊歩道・メモリアルロード戦前に計画された大間線1937(昭和12)年に着工されましたが…戦況悪化で1943年に頓挫【橋の上に見える待合室風の駅を復元】しかーし、実際の駅跡は温泉街から暗い階段を上がると下風呂駅予定地跡へ【未成線跡の活用でまちおこし】ここは本州最北端の温泉地下風
青森県下北半島にある大畑駅と大間町を結ぼうとした鉄道の未成線・戸井線一昨年GW北東北を旅した時に廃線跡散策してきました【下北交通大畑線・大畑駅を出発して】有名な遺構の一つ・二枚橋下狄川に架かる7連コンクリートアーチ橋1939(昭和14)年に着手、延長101.5m【下北交通赤岩バス停隣に】低い赤岩2連アーチ橋が残っていますアーチ1連の小赤川橋梁は…2021年の大雨の影響で災害復旧工事の際に撤去に次回も未成線散策を~
青森県下北半島にある下北と大畑を結んでいた鉄道路線が2001年(平成13年)に廃止となった下北交通大畑線かつては国鉄大畑線でした一昨年GW北東北を旅した時に廃線跡散策してきました【終着駅・大畑駅】1939(昭和14)年に開業単式ホーム1面1線の有人駅本州最北の駅の碑が現在は下北交通大畑出張所として活用されています【駅構内は線路が残っています】腕木式信号機も車庫も残り庫内にはキハ85形気動車(旧国鉄キハ22)が動態保存されています次回は未成線散策を~
青森県下北半島にある下北と大畑を結んでいた鉄道路線が2001年(平成13年)に廃止となった下北交通大畑線かつては国鉄大畑線でした一昨年GW北東北を旅した時に廃線跡散策してきました【ホームが残る川代駅】1939(昭和14)年に開業単式ホーム1面1線の無人駅電信柱や県道275号川代停車場線が残っています【川代駅を出て踏切跡が】この踏切は廃止しましたと看板が…鉄道関係の機器も残存【ホームが残る正津川駅】1939(昭和14)年に開業単式ホーム1面1線の無人駅ホームに
青森県下北半島にある下北と大畑を結んでいた鉄道路線が2001年(平成13年)に廃止となった下北交通大畑線かつては国鉄大畑線でした一昨年GW北東北を旅した時に廃線跡散策してきました【駅舎とホームが残る樺山駅】1939(昭和14)年に開業単式ホーム1面1線の無人駅【国道279号から入れます】近所の方が優しく教えてくれました近くに旧日本海軍樺山飛行場跡が(現在、海上自衛隊樺山通信所)【国道279号線を跨ぐ橋梁が】出戸川橋梁が残ります橋の形が異なるのが分かります次回も廃
青森県下北半島にある下北と大畑を結んでいた鉄道路線が2001年(平成13年)に廃止となった下北交通大畑線かつては国鉄大畑線でした一昨年GW北東北を旅した時に廃線跡散策してきました【始発駅だった下北駅】現在は大湊線の駅近代的な駅舎になりました1939(昭和14)年に大畑線の開業に伴い分岐駅として設置単式ホーム1面1線の駅かつては島式ホーム1面2線でしたがその跡が下北交通のホームでしたホーム跡が残っています【むつ市街地では~】廃線跡の路盤が残っています更地が広々と
今回は久々に、北海道外の仮乗降場として、青森県むつ市・大畑町を走った国鉄大畑線の海老川(えびかわ)仮乗降場について調べてみたいと思います。大畑線は東北本線の野辺地駅から分岐し、むつ市の大湊駅までを結ぶ大湊線からさらに分岐する路線で、大湊駅の一つ手前、下北駅から野辺地方向に分岐して、むつ市街地を半周し、進路を180度変えて北へ、下北郡大畑町(現在はむつ市)の大畑駅までを結ぶ路線でした。国鉄再建法に基づき第一次特定地方交通線に指定されましたが、地元の民間企業である下北交通によって継承され、平成
下北で宿泊した翌日は下北交通大畑線跡と仏ヶ浦、そして大湊線の続きです。恐山へは過去2回も行っており、大間はマグロ目当ての観光客で溢れていたのでパス。<5月4日(土)旧下北交通大畑線・仏ヶ浦・大湊線>①旧下北交通大畑線(1985年に下北駅から出ていた国鉄大畑線を転換、2001年に廃止)の踏切跡②キハ22が走ったいたら絶好のロケーション(①の別角度)③大畑駅跡現在はバスターミナルとして使用構内には車庫が現存④5~10月の第3日曜日にキハ85(元国鉄キハ22)の運転
8月13日の第4部は大畑線の廃線跡巡りの続きです。正津川駅跡を見た後、線路沿いの小道を行くと正津川に突き当たり、そこに架かる橋梁を見る事ができました。正津川-川代正津川橋梁廃線跡が真っすぐに伸びていました。正津川-川代川代駅跡にもホームが残っていて、ミラーの支柱と電信柱が残っていました。ホーム跡は地元の方の生活道路になっているようです。川代駅跡出戸川を渡る橋梁も残っていました。川代-陸奥関根出戸川橋梁陸奥関根駅跡にもホームが残っており、ホーム跡には木が生い茂っていて、廃止
8月13日日曜日の第3部は大間線の遺構巡りの続きです。水路を跨ぐ箇所に遺構があったので、車を近くに停めて見上げると、トンネルの坑口が見えたので近くまで行ってみる事にしました。下風呂-桑畑下風呂第二隧道大川尻沢に架かるコンクリート橋の先は家屋が建っていて建設が中止になってからの年月を感じます。下回りを覗くと大した風化も無く綺麗な状態が保たれている様に見えました。焼山沢に架かるコンクリート橋梁も残っていました。渡って対岸に行ってみようかとも思いましたが、先の草むらに入るのも難儀に
8月13日日曜日の第2部です。南部縦貫鉄道の車庫を見学した後は、十和田観光電鉄の七百駅跡に行って来ました。現役時代は十和田観光電鉄線内では唯一の交換可能駅で、車両基地も併設していました。その車両庫は現在七百鉄道記念館となっておりコロナ禍前は年2回ほど一般公開されていたようです。車庫内には電気機関車や東急から購入したモハ3603、自社発注のモハ3401が静態保存されているとの事で、覗いてみたかったです。十和田観光電鉄七百駅十和田観光電鉄線内で残っている遺構は七百駅だけだったので、一気に北
国鉄大畑線の旅1982。下北の風は爽やかだった。。
3月12日の日曜日。ここは熊本県人吉市の肥薩線「大畑駅」高速降りて、寄り道です。高知に帰らないといけないのに、午前中に【霧島神宮】を参拝したからもう昼は過ぎてますけどね「大畑駅」と書いて、「おこば駅」と読みます国鉄時代には青森県の下北半島の〈大畑線〉に「大畑駅」って有り、読み方は「おおばた駅」だったのてすが、普通なら〈肥薩線〉が「薩摩大畑駅」か、〈大畑線〉が「陸奥大畑駅」になるんだろうけど、読み方が違ったからそのままだったのかなで、今の大畑駅てすが、列車は来ません廃
大間崎で昼飯食った後は・・・津軽海峡をまったり眺める。対面には「弁天島」と「大間埼灯台」。海鳥が低空飛行で飛んでいく。カッコいい。ココでお土産一括購入して宅配で送っておきました。来た道戻ります。ハテ?これは何でしょう?ぐぐると、「大間線(未成線)木野部川アーチ橋」らしい。大畑線の終点むつ市大畑から大間まで鉄道通す計画があったけど、完成間近で廃止になったという・・・傍らには「大畑町立佐助川小学校」とありますが、跡らしきものは見つけられませんで
日本の端といったら北海道に怒られるでしょうか。ここは本州の端、下北半島です。国鉄の特定地方交通線であった大畑線を下北交通が運営していた三セク鉄道路線。青森県むつ市の下北駅で大湊線から分岐して下北半島を縦断?横断?し、下北郡大畑町(現・むつ市)の大畑駅までを結んで、2001年に廃止されています。むつ市中心部の田名部駅跡にあるバス乗場。国鉄の路線だったためか、JRバスがおりました。国鉄時代は2面2線だったらしいですが、下北交通になってからは1面1線で運用されていたようです。旧田名部駅は解体
2000年撮影。今回の『駅【アーカイブ】』コーナーは、青森県北東部、下北半島北部の津軽海峡沿いに町域を有していた旧・下北郡大畑町(現・むつ市)の中心部に存在した下北交通大畑線(旧・国鉄大畑線)の終着駅でしたが、利用者の減少などから、2001年4月1日に廃止された大畑駅(おおはたえき。OHATAStation)です。尚、駅舎やホームは現在も存在しますが、今回は現役当時の写真のみを掲載します。写真は少ないです。ご了承下さい。駅名大畑駅(駅番号なし)廃
国鉄大湊・大畑線初秋の頃。キハ22-キハ22-キハユニ26・・恐山がそびえる。。1982
ご覧いただき、ありがとうございます。1968年1月号の時刻表で、東北本線上り・青森-仙台を眺めていたら、野辺地で分割される列車に目が止まりました。客車列車から、気動車が分割されています。青森発7:58の228レ上野行に大湊線325D~大湊から大畑線425Dが併結されており、野辺地で分割されます。客車列車に連結された気動車は、大湊線・大畑線への送り込みを兼ねているものと思います。牽引の機関車の形式は何だったのでしょう?併結の気動車は何両だったのでしょう?気になります。228レは
国鉄大湊・大畑線の旅1982。下北半島の「最果て感」が印象に残る。。珍車キハユニ26に乗車したが、大湊まで回送のキハ58が付いていてカオを撮ってないw
「オミクロン禁足」状態なので、引き続き「蔵出し」を。。。1982年夏、「ゆうづる9号」で青森まで向かう兄を残し、ERWは盛岡で下車(6:21)。久し振りの「乗り鉄」路線は花輪線。まだ「Challenge20,000km」やっているので証明写真撮るべきだったが・・・何も残っていない。接続時間の影響か?盛岡発6:33の急行「よねしろ1号」に乗車。好摩から花輪線乗り入れ。好摩-大更間は1975年夏の父との旅行で乗車しているので、大更から未乗線区。但し十和田南での方転以外は特に記
会社帰りにホヤを買いました。半額シールを貼られたのが1個だけ残ってました。衝動買いしましたが食べ方が分かりませんパッケージの説明によると水洗いするだけで食べられるようです。ちなみに宮城県石巻市の(有)後藤水産の商品です。※Google様からお借りしました。「閉業」になっているのはなぜ?水洗い後の姿です。生ホヤを食べるのは20年ぶりだと思います。前回は青森駅近くの居酒屋でした。以下2001年1月24日ホヤらしきものが写