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4月14日のことです。4月12日の土曜日に荻外荘公園(てきがいそう)と角川庭園を巡り、大田黒公園にもと思っていたら想定していた以上の人混みを見て、行くのをこの日にズラして。こちらに凸💨大田黒公園の概要日本に音楽評論家という分野を確立した大田黒元雄の屋敷跡を杉並区が回遊式日本庭園として整備し、1981年(昭和56年)に開園しました。樹齢100年を超えるイチョウ並木や楓などの紅葉の時期には多くの人が訪れます。敷地内にある西洋風建築物は1933年(昭和8年)に大田黒氏が仕事部屋として建てた
先月ご紹介した大田黒公園。こちらではサトザクラが楽しめるので、先週、見に行きました。イチョウ並木は全く変わらず。まだ新芽が出る時期ではないようです。桜がお目当てなので日本庭園の方へ。あれ?桜は?あぁ…。既に散ってしまったようです。流れの上に桜が咲いていたら綺麗だったでしょうね。なんて思いつつ石橋の上で写真を撮っていたら、年輩のご婦人から声を掛けられました。なんでもスマートフォンのカメラのシャッターが下りないのだとか。「ちょっと
こんにちは♪光の旅ナビゲーターのMotomiです。今日は杉並区の大田黒公園へ行ってきました。荻窪駅から8分ほど住宅地を歩くと、広大な敷地によく手入れされた公園があります。以前から聞いていたのですが、訪れたのは初めてで噂どおりの素敵な公園でした!門構えから風格が感じられます。長い並木道を抜けると池があり澄んだ水の中で鯉が気持ち良さそうに泳いでいます。大田黒公園は音楽家の大田黒元雄氏のお屋敷跡だそうです。お屋敷の中も見学できました。この森の中でスタンウェイのピアノを弾いていらしたん
荻窪に芝居を観に行きました普段は通らない道へ、ふらりん❔これはお屋敷❔なんだかステキ~✨『明治天皇荻窪御小休所』ですって❗大きな桜の木があってこの季節には最高ね🎵少し足をのばせば大田黒公園もあり杉並は緑の多い落ち着く街です
4月5日土曜日早起きして、ごはん炊きました!朝ごはんは、こうなりました。おにぎりと味噌汁❤︎冷蔵庫にあるものをアレコレ入れたお味噌汁は美味しかった〜。もちろん炊き立てのごはんで作ったおにぎりもサイコーです。定番の鮭と梅^^黒いうつわは、白山陶器です。かわいいな。で、本日は実家に行ってから荻窪へ。大好きな先輩のところに行って、あるものをいただき、そのままお散歩🚶こちらにくるのは2回目ですね。荻外荘。こんな古民家に住みたいなー。ステキ。今回は、中には入りま
今日はお昼前に「歩く!」と決めて外出しました。荻窪まで電車で行きました。もう10年ほど前になるかな?私が受け持った学生たちに誘われて杉並区の『大田黒公園』へ七夕の頃に行ったことがありました。今日は大田黒公園→角川庭園→荻外荘公園。と周りながら行ってきました。大田黒公園は日本初の音楽評論家の大田黒元雄(1893-1979)のお屋敷跡。彼の仕事部屋には1900年製のハンブルグ・スタインウェイが鎮座。美しく磨かれたガラス窓から望む庭園の大きく美しい樹木に癒やされました
こんばんはちょっと前暖かい日に荻窪三庭園巡りをしてきました荻外荘公園角川庭園大田黒公園この三つを荻窪三庭園と呼ぶそうです庭園や公園というより立派なお屋敷でした荻外荘(近衞文麿旧邸)大正天皇の侍医の邸宅として建てられたお屋敷後に政治家(近衞文麿や吉田茂)が住んだそう陽射しが燦々と射し込む邸宅和風と洋風が引き立てあっているお屋敷は“人が住む温もり”がちゃんと残っている居心地の良い空間でした角川庭園角川書店の創業者で俳人角川源義氏の邸宅こちらは完全に和風のお屋敷
先月、杉並区の荻窪を散策した時のお話。荻窪という地名の由来は荻が窪地に自生していた事によるそうです。この地が注目を浴び始めたのは関東大震災で家屋を失った人々が移り住んだ事がきっかけだといいます。首都圏の郊外で中央線や地下鉄の駅もあり交通の便は申し分なし。🤔駅の南口から更に南下すると「西郊ロッヂング」というレトロな建物が。😲オヤジが辿り着いた時、若いにいちゃんが建物を撮影していました。📷‟若者さん”には珍しい建築物でしょうね。「ロッジング」ではなく
メモ€161高円寺阿佐ヶ谷そして荻窪へ優しい杉並地面に矢印有、迷わずに。見えて来ましたありゃ〜コレ又素晴らしいねあの向こうのピンクなお家へぐるっと庭園をお散歩しておじゃましま〜す室内ピアノの音楽が流れてますスタインウェイのグランド木彫りですかタイルの壁とカーテンが素敵にマッチ大田黒元雄1893〜1979日本初の音楽評論家お隣には日本家屋お休み処とトイレがあります。和室は本日、利用されてました。
今日の健康散歩は、ぶらぶらと荻窪方面へ🚶♀️立ち寄ったのは大田黒公園🌲何回も来たけど、今日は特に楽しめた気がする。写真を撮るようになってから、自然を愛でる気持ちが増した気がする⤴︎これで13157歩、健康健康⤴︎😀👍
読売新聞が毎月届けてくれる「はいから」という資料がある。その2月分(2025年)にIR荻窪駅の南口にある3つの公園「大田黒公園1)、角川庭園2)、荻外荘公園3)」を紹介していた。近くなので、出かけてきたのだ。先ず、訪問したのが大田黒公園で3つの中では最も大きい。音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた公園である。門を入ると白い御影石を敷いた園路がまっすぐにのびている。その長さは70メートルあり、左右は樹齢100年を経た大イチョウの並木である。荻窪のゆるく起伏する台地に自然の地
こちらも初めて訪れました大目黒公園大田黒公園杉並区公式ホームページwww.city.suginami.tokyo.jpスタイリッシュな建物が目を引きます管理会社?管理棟見学は無料です左側は茶室ですが入れません(お茶会が催されていました)お庭がとても広いんです回遊式日本庭園です東屋もあります記念館(中に入れます)大目黒氏の仕事場だったとのこと音楽評論家らしくスタンウェイのグランドピアノが置かれていますとても洒落ていてなおかつ落ち着く空間ですねタイルの色使いもいい
荻外荘公園、角川庭園を堪能した後、図書館に寄って帰る予定でしたが、2つの公園と共に荻窪三庭園とされている大田黒公園に寄り道しました。築地塀と切妻造り棧瓦葺の立派な門が公園の入口です。この門は総檜造りだそうですよ。知らない人は入っていいのか戸惑う風格の門の右側には表札ではなく「入園無料」と書かれた札が下がっています。正門を入ると石畳の道が真っすぐ伸びています。左右の木は樹齢100年を超える大イチョウです。今の季節は落葉していて寂しい並木ですが…。深
荻窪三庭園の存在荻窪三庭園荻窪駅南側には、芸術家や文化人等が暮らした建物が今でも残されています。杉並の文化的・歴史的資源に親しんでもらえるように、公園として整備または整備計画中である3つの庭園をご紹介します。ogikubo3gardens.jp全然知らなかったよ。。。荻外荘からほど近いのでまずは角川庭園へ角川書店の創業者の邸宅(見学無料です)雪吊り季節が違うと花や緑で受ける印象も変わるでしょうね冬は冬で清々しい感じがします茶室昔の教養人は嗜みとしてお茶を点てるの当たり前だ
週末天気が良かったので荻窪へ行ってきましたというのも新聞広告にこんなのが出ていて…角川庭園・荻外荘公園・大田黒公園の3つの庭園をウオーキングでめぐろうというプラン荻外荘はずっと復元工事をしていて、それが完成したと話題になっていたのでいつか行きたいなと思っていたのですなのでこのプランを参考に行ってみることにしました荻外荘なんて読むかわかります?正解は・・・・てきがいそうです絶対読めないー荻外荘は、昭和初
デザインマンホール杉並区大田黒公園こちらのデザインマンホールの場所は大田黒公園近くにはありません。杉並区荻窪4番31号付近となります。荻窪駅南口からバンダイナムコ方面に向かいと荻窪4丁目信号機付近にマンホールはありますよ。このデザインにはマンホールカードはありません。荻外荘に向かう途中に大田黒公園の前を通りました。今回は時間の都合で寄れませんでしたが、秋には紅葉が綺麗みたいなので、その時は行ってみたいと思います。#大田黒公園#デザインマンホール#なみすけ#ナミー#杉並区#荻
荻外荘と、大田黒公園の荻窪散策をした。荻窪の友達の家にやっと行く機会ができて、上の2箇所をまず散策。荻外荘(てきがいそう)読めませんね。ここは大正天皇の侍医頭だった入澤達吉が建てた別荘で、後に内閣総理大臣の近衛文麿が譲り受けて住み始めた。そして次第に国家の重大な会議の場所になっていった。写真やビデオには東條英機の写真があってビクリと震えた。終戦後この建物の保存運動が起きて、政治史上重要な場所として国の史跡に指定された。一部移転された豊島区から移し、復元整備され
昨夏(9月)に中軽井沢を訪れた際、軽井沢駅から中軽井沢への道筋にある旧近衛文麿別荘に立ち寄って以降、少し気になっていた荻窪の荻外荘(てきがいそう・近衛文麿旧宅)を含む、荻窪三庭園(荻外荘公園、大田黒公園、角川庭園)を巡るお散歩へ、三連休中に主人と行ってきました。(中軽井沢へ出掛けた記事)『中軽井沢へ』連休中に日帰りで、夫と次女と3人で中軽井沢へ行ってきました。(長女は部活で…軽井沢の方へは先月4人で行ったので、今回は3人で)軽井沢駅近くでレンタサイクルし、…ameblo.jp荻窪駅で降りた
1900年製、マホガニー仕上げのスタインウェイと出会う🎹✨場所は杉並区の大田黒公園。↓100年の音色を刻むー大田黒公園ピアノ物語|杉並区公式情報サイトすぎなみ学倶楽部住民が自ら取材する区民参加型www.suginamigaku.org池では小千谷市から送られた錦鯉が。ゆ~ったりと泳いでいました。(追記)『【全編公開!】大田黒公園ピアノコンサート「音によるLoveLetter」第1部:音楽評論家の大田黒元雄氏(1893-1979年)が生前愛用していた1900年製ス
東京、新宿の先の荻窪『大正から昭和初期にかけて「西の鎌倉、東の荻窪」と称され、東京近郊の別荘地として発展してきた歴史がある』昭和戦前期に首相を3度務めた近衛文麿の荻窪にある旧宅「荻外荘(てきがいそう)」ここで、1940年7月19日「荻窪会談」が開かれた当時の荻外荘客間左から近衛文麿次期総理、松岡洋右次期外相、吉田善吾海相、東條英機次期陸相この会談後、第二次近衛内閣で、日独伊三国軍事同盟締結、全政党の解散、大政翼賛会が成立し、国家社会主義体制となり、第三次近衛内閣の後、太平洋戦争開
4か月ほど前に自宅近くから杉並区に向かってウォーキングして、「そうかここは自分の本籍地だった」と思い出した。だからというわけでもないが、昨年12月から一般公開されたと聞いて一度行きたいと思っていた荻外荘という杉並区にある近衞文麿の旧宅を見学がてらウォーキングに出かけた。もともとは、大正天皇の侍医頭だった入沢達吉が1927年に建てた邸宅だったが、近衞がこの家を気に入って、多分無理矢理だと想像するが購入した。3度首相をした近衞としては、この家は問題山積の政治からいっとき離れる別荘のつも
荻外荘より徒歩7分の大田黒公園正門は総檜の切妻造りで屋根は桟瓦ぶき塀は築地塀で造られてる日本で初めて音楽評論家という分野を確立し、当時まだ日本で知られていなかったモーツァルトやドビッシーなどを紹介した、大田黒元雄(1893ー1979)の屋敷跡を杉並区が回遊式日本庭園に整備し昭和56年(1981)に開園した公園です明治26年生まれの大田黒元雄さんは、東京生まれの幼少期は葉山育ち明治43年(1910)17歳神奈川県立第二中学校(現、小田原高等学校)卒業。小田原出身なので親しみが湧きました
東京都杉並区を訪れた続きです杉並区荻窪にある大田黒公園を出発します公園の北側を横切る道路を南西方向に歩いていきましょう周囲は、住宅街ですもう少し歩いていきますこの先、道路は右にカーブしていますが、左側に注目してみましょう荻外荘公園(てきがいそうこうえん)です昭和前期、内閣総理大臣を3度務めた政治家近衛文麿の邸宅であった荻外荘の敷地を整備した公園で平成27年(2015)に開園しました令和6年(2024)12月邸宅が復元さ
東京都杉並区を訪れましたJR中央本線荻窪駅を下車します乗ってきた列車は、緩行線に乗り入れている東京メトロ東西線15000系全扉ワイドドアを採用したラッシュ時対応車両で、その構造上、戸袋窓を設置鍵穴形状の前灯と尾灯も印象的です荻窪駅は、東京都杉並区上荻各駅停車と快速が停車します南口に出てきました地下には、東京メトロ丸ノ内線の駅があり、終着駅です中央本線に沿って東方向に歩いていきましょう丸ノ内線は、この道路の下
昨年末、新聞で杉並区にある近衛家旧宅の荻外荘(てきがいそう)の修復が完成して公開となったことを知りました。そして、かつて萩外荘にあった日本画と香道具を杉並区立郷土博物館で展示中と聞き、年末に先に訪れました。陽明文庫名品展と銘打ったこの催し、おそろしくアクセスの良くない所でしたが入場料100円、客は私ひとりで、さすが近衛家の品だけあって内容はもう最高でした。荻外荘の公開は昨年12月9日、どう考えても暫くは大混雑と思い、タイミングを見ての訪問です。すぐそばには、角川書店創業者の角川源義(げ
この周辺には3つの公園がある。さきほどの荻外荘公園、角川庭園、そしてここ大田黒公園だ。音楽評論家・大田黒元雄の邸宅跡が区立公園として一般公開されている。前回は2年前の紅葉シーズンに来ている。イチョウ並木通りももう冬の風景だ。庭園を流れる川は、上流から下流までの姿を庭園内に納めている。ここが邸宅ですな。入場無料なので、遠慮なく見てゆく。客間が開放されている。前回は新コロシーズン中だったこともあり、入館人数制限やら撮影禁止措置やらがあった。今回は撮影禁止の掲
「丸長中華そば店」の思い出JR荻窪駅にやってきました。今度は中央線の線路の南側を歩きます。駅前の南口仲通り商店街ですが入口のビルは工事中です。らーめん・つけめんの超人気店「丸長」の外観は昔のままですがすでに閉店しています。1947年の創業で、つけめんのルーツはこの店のまかないだったことで有名です。店主の体調が思わしくなく、昨年2023年の11月8日におしまれつつ店を閉めました。(その後お亡くなりになりました)あの胡椒の効いたスープは忘れることのできない味です
2025年が明けて、最初の3連休となりますそんな3連休の初日となる今日、2024年最初のとど散歩に出掛けました今日出掛けたのは、去年の12月から一般公開が始まった『荻外荘(近衛文麿旧宅)』です荻外荘公園荻外荘(てきがいそう)は、東京帝国大学医学部教授にして大正天皇の侍医頭も務めた医学者・入澤達吉の別邸「楓荻荘」として、入澤の義弟であった建築家・伊東忠太の設計により、昭和2(1927)年に建てられました。政治家・近衛文麿に譲渡されたのは昭和12(1937)年のことで
昨年の12月16日、近衛文麿が自害した命日に旧近衛文麿邸の荻外荘を見学した時、その近所にある大田黒公園にも足を延ばしました。大田黒公園は、音楽評論家の大田黒元雄(1893‐1979)の屋敷跡を杉並区が回遊式日本庭園として整備し、昭和56年(1981年)に杉並区の公園として開園(無料)しました。都内でも有数の紅葉の名所として有名です。11月下旬から12月上旬の見頃の時期には夜のライトアップがあり大勢の人が訪れる人気スポットになっています。◆正門築地塀に囲まれた入口の
#大田黒公園#大田黒元雄#角川庭園#角川源義#荻窪⚫︎大田黒公園東京都杉並区荻窪3-33-12ホームページから抜粋/大田黒公園は、音楽評論家・大田黒元雄(1893-1979)の屋敷跡を杉並区が回遊式日本庭園として整備し、1981年に開園しました。樹齢百年を超えるイチョウ並木やもみじなどの紅葉の時期には、多くのひとが訪れます。敷地内にある旧大田黒家住宅洋館は、1933年に大田黒氏が仕事部屋として建てたもので、現在は記念館として公開しています。大田黒が愛用していたスタインウェイ社の