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●「虎の尾を踏む男達」昔、観た時は話がさっぱり分からず、な映画でしたが、今となっては義経、弁慶の安宅の関の話はよく知ってるので、今回は面白く観れました。圧倒的な大河内傳次郎氏。なんなんですかね?このオーラ感は。何か少し抜けた、切羽詰まった演技でも少し抜けた、観ている方はそこの抜けたところに癒しを感じるといいますか、つまりこれが色気と言いますか、セクシーと言いますかそういう魅力が大河内氏には画面に漲ってて、こういう抜けた感は今の俳優ですと、私的には役所広司氏にも少し感じまして
9月9日㈬大雨この続き👇️『暮らし旅2026①〜老舗純喫茶でモーニング』9月8日㈫俳句はしばらくお休みです今日から暮らし旅の旅日記9月6日㈰朝4時起床カーテンを開けると床にひし形の月明かりルーチン家事、メイクして慌ただしく5時半出…ameblo.jp外国人で混み合う竹林を歩く(消しゴムマジック利用)途中、野宮神社でお詣り嵯峨野巡りの起点らしい大河内山荘庭園までの竹林は急な上り坂こんなだったっけ!?10年以上ぶりの大河内山荘庭園到着私の密かなお気に入り入り口からまた急な坂を
DATE:26/09/09WED製作年度:1935年製作国・地域:日本上映時間:92分原作:林不忘監督:山中貞雄脚本:三村伸太郎音楽:西悟朗主演:大河内傳次郎【丹下左膳】鑑賞:DISC感想:隻眼・片腕という丹下左膳の強面と腕っぷしの強さに対して、孤児となった安吉に見せるやさしさとのギャップが実に魅力的。柳生源三郎も、身近に探している「こけ猿の壺」があることに気づかず金魚釣りをしているのんきさと、それを妻の萩乃に覗かれている可笑しさなど、人物造形の巧みさが印象に残った。
令和八年(2026年)八月十四日十三時三十分、京都文化博物館において活動大写真集『御誂治郎吉格子』完全無声無音版を鑑賞した。『御誂治郎吉格子』現存フィルムタイトル表記は誂御子格吉郎治映画無声現存版65分白黒昭和六年(1931年)十二月三十一日公開製作国大日本帝国製作字幕言語日本語製作日活太秦原作吉川英治(『治郎吉格子』)脚色・監督伊藤大輔撮影唐沢弘光鼠小僧治郎吉大河内傳次郎床屋の仁吉
マキノ雅弘監督による日本の時代劇映画。出演は水島道太郎、河津清三郎、南田洋子。<あらすじ>鈴川源十郎も乾坤合せて三千両という賞金を目ざして、左膳と栄三郎を追っていた。法華寺の位牌堂にお藤と共に身を潜めた左膳は無益の殺生をした人人の霊を慰めるためにお題目を唱えていた。固く封印をした坤竜が側にあった。栄三郎は蒲生泰軒に救われた。彼もまた妖刀乾雲に憑かれたのであろうか、左膳を追う黒装束の岩城藩士を夜毎斬っていた。それを知った左膳は坤竜を彼に返そうとした。だが栄三郎は黒装束の剣士達の手にかか
池田富保監督による日本の時代劇映画。出演は大河内傳次郎、黒川彌太郎、鳥羽陽之助。<あらすじ>加藤・福島良家の断絶に危機感を持った黒田家は、藩主黒田忠之の乱交に心を痛めていた。忠之は側室お秀に夢中で藩政どころではない。藩士栗山大膳も心を痛めるひとりであったが、藩内の大勢は主君の意のままだった。そんなおり、お秀にそそのかされた忠之は、万石船を建造して密輸に手を染めようとした。万石船の建造は公儀の御法度、大膳は反対したが疎まれ長崎へ飛ばされてしまった。万石船建造のために、年貢は3割も増やされ
森一生監督による日本の時代劇映画。出演は大河内傳次郎、月形龍之介、相馬千恵子。<あらすじ>幕末、北海道近海で密貿易船が多く出没した。松前藩がこれを取り締まることとなり、目付の三木原伊織は廻船問屋赤崎屋吾兵衛を怪しみ内偵を開始した。ところが家老の蠣崎は、別の人物が犯人だと主張して譲らない。勝手に犯人を殺害し、伊織すら殺そうとした。アイヌに助けられた伊織は、濡れ衣を着せられた八幡屋のいととともに匿われ、幕府隠密の土屋主水正と出会った。主水正はこれで蠣崎の悪事を江戸に報告できると喜んだが、伊
マキノ雅弘監督による日本の時代劇映画。出演は大河内傳次郎、水戸水子、山本富士子。<あらすじ>江戸市内は妖刀乾雲と坤龍によって擾乱状態にあった。南町奉行大岡越前守は、将軍家に働きかけ饗庭主水正を呼び出し、擾乱の元凶丹下左膳について問い質した。主水正は知らぬ存ぜぬで押し通し、藩に危害が及ぼされるのを食い止めようと必死になる。こうして丹下左膳は支援を受けられなくなり、主君を訪ねてきた彼を殺すようにと月輪軍之助の月輪剣団に命じた。事の発端は関の孫六。その刀を奪えと藩命を出した。激怒した丹下左膳
木村恵吾監督による日本の時代劇映画。出演は大河内傳次郎、轟夕起子、折原啓子。<あらすじ>幕末、国の行く末を案じ人々の心が千々に乱れるなか、幕府は攘夷派の公家を懐柔するための資金三万両を京都に運ぶことになった。その任を請け負ったのは一介の浪人馬場蔵人。彼は黄金を馬車に乗せて江戸を出立。それを聞いた蔵人と縁のある浪人や盗人が相次いで後を追いかけた。蔵人は持ち前の頭脳で襲い掛かる敵を罠に嵌め、自らも剣を振るいちぎっては投げちぎっては投げの大活躍。京都の反幕府勤王の志士ですら欺き斬り殺し無事に
マキノ雅弘監督による日本の時代劇映画。出演は大河内傳次郎、黒川弥太郎、三浦光子。<あらすじ>ゆすりたかりを生業にしている河内山宗俊は、奥州棚倉藩筆頭家老の息子の金子市之丞を助けた。聞けばこの男、親が藩の不正を見つけて証拠を押さえたところ、悪党どもに返り討ちに遭い、父の仇を討つために江戸詰めの殿様に証拠をもって談判するつもりなのだという。意気に感じた宗俊は、彼を密貿易の森田屋に匿ってもらい、さらに森田屋の生き別れの妹で花魁になっていた三千歳に引き合わせた。だが市之丞はしくじり、藩の悪党に
25.9.連休珍しくおかんと二人で回転寿司に食べに行った。北海道じゃ喰えない鱧。う~~~ん、旨い。小津監督「秋刀魚の味」のやり取りを思い出したわ。俺も大学の授業で小津監督とか大河内傳次郎を知った。親孝行出来て良かったよ。
『俺の命はウルトラ・アイ』管理人セブンは昭和四十二年(1967年)七月二十五日、兵庫県西宮市に誕生した。本日五十九歳になった。伊藤大輔映画研究を生涯の課題にしている。伊藤大輔(いとう・だいすけ)脚本家・映画監督・舞台演出家。明治三十一年(1898年)十月十三日愛媛県に誕生。昭和五十六年(1981年)七月十九日京都市において死去。八十二歳。伊藤大輔映画監督作品映画館鑑賞履歴大正十五年(1926年)十一月二十日公開(十五日公開説あり)『幕末剣史
『興亡新撰組』映画十巻無声白黒製作国日本製作日活太秦「前史」十巻昭和五年(1930年)十月十七日公開「後史」六巻昭和五年(1930年)十月三十一日公開脚本伊藤大輔撮影唐沢弘光主演大河内傳次郎(近藤勇)監督伊藤大輔フィルム現存せず。書籍より物語を想像する。幕末京都において暗殺事件が頻発した。幕府は浪人・博徒・町人・農民・力士を集めて新徴浪士隊を結成し京に上らせた。清河八郎の朝廷付き浪士隊の案に反対した芹澤鴨・
『新版大岡政談第一篇』『新版大岡政談第二篇』『新版大岡政談解決篇』『新版大岡政談第一篇』昭和三年(1928年)五月三十一日公開『新版大岡政談第二篇』昭和三年(1928年)六月八日公開『新版大岡政談解決篇』昭和三年(1928年)八月十七日公開映画無声断片版のみ現存製作国日本製作日活太秦原作林不忘脚色伊藤大輔撮影唐沢弘光出演大河内傳次郎(大岡越前丹下左膳)尾上卯多五郎(小野塚鉄斎)伊藤みはる(弥生
『海鳴り街道』映画トーキーオリジナル86分1分8秒無声版現存白黒昭和十一年(1936年)八月十四日封切製作大日本帝國製作言語日本語製作会社日活京都配給日活原作三村伸太郎脚本梶原金八音楽西梧郎撮影三井六三郎出演稲葉小僧新助大河内傳次郎大和屋勘兵衛鳥羽陽之助作兵衛横山運平茂十高勢実乗夜明けの健六今成平九郎春吉宗春太郎おちか衣笠淳子お光伊村利江子女郎石井喜美子東左衛門磯川勝彦元右衛門香川
【光化学スモッグの日】1970年(昭和45年)に東京都杉並区で日本で最初の光化学スモッグが発生した。被害のあった高校では体育授業中の生徒が突然目の痛みや頭痛などを訴えて倒れ、40数人が病院へ運ばれた。【大河内傳次郎忌】独眼隻腕の浪人剣士を演じた『丹下左膳』や『国定忠次』『姿三四郎』などで知られる大正・昭和の時代劇の大スター、大河内傳次郎の命日。生まれは福岡県豊前市の大河内村。【POD】よくわかる光化学スモッグ[宮本潤]楽天市場折りたためるランドリース
税務署やら歯科やら諸々用事をこなしつつ近くに寄ったのでならばと超久しぶりの神保町シアターへ丹下左膳余話百万両の壺とある小藩で先代が手作りした壺に百万両の隠し場所の地図が塗り込められていたことがわかった殿の柳生但馬守も腹心の家臣も稀代の大金持ちになると大喜びだったがその壺が殿の弟源三郎の結婚祝いに渡ってしまったことを知る源三郎の方では粗末な壺一つの祝儀に怒り、婿養子先の妻も、そんなものは捨ててしまえなどというとりあえずは納屋に放り込もう
昭和四十年(1965年)六月二十八日放送NHK『この人この道』では大佛次郎・伊藤大輔・滝沢一が鼎談を為した。大佛次郎(おさらぎ・じろう)本名野尻清彦画像右端の男性。中央は映画監督伊藤大輔、左は映画評論家・脚本家滝沢一。大佛次郎は明治三十年(1897年)十月九日に生まれた。昭和四十八年(1973年)四月三十日死去。七十五歳。小説家・童話作家・舞台演出家・脚本家・戯曲作家・翻訳家。別名義由比浜人阪下五郎
今日は2026年6月18日(木)です。昨日は夕方の情報番組読売テレビの「ニュースTEN」を見ました。その中の「若一調査隊」を見ました。若一さんがアナウンサーを従えて歴史文化などを案内して巡る旅です。今回は京都嵐山の竹林の径にある「大川内山荘」に行きました。丹下左膳で有名な昭和の時代劇スター大川内傅次郎の別宅です。=========僕もむかし・・・3回ほど行った事が有ります。見晴らしがよく庭園が素晴らしい所です。懐かし
黒澤明監督による日本のGHQ協力映画。出演は原節子、藤田進、大河内傳次郎。<あらすじ>戦争が激化するなか、幸福な生活を送っていた人々が、軍による自由と民主主義の迫害によって人生を狂わされる映画。<雑感>戦前は国威発揚の映画を撮らされ、戦後はGHQに反日映画を撮らされる悲劇。愛国映画もバカらしいが、反日映画はもっと酷い。特にこの作品は、アメリカの共産主義者が日本共産党を美化した映画なので最悪の代物。戦後民主主義の縮図のような作品で、黒澤映画の中で最も醜い作品と言っていい。☆0.0。ア
黒澤明監督による日本の時代劇映画。出演は大河内傳次郎、藤田進、榎本健一。<あらすじ>勧進帳を題材に義経と弁慶の安宅の関所越えを描いた黒澤明初の時代劇。<雑感>勧進帳の話なのであらすじは割愛。白紙の勧進帳を1度もミスすることなく朗々と読み上げ、いまにも身体に縄をかけようとする役人をまんまと出し抜いて関所を通る部分だけの作品。弁慶役の大河内傳次郎のしゃちほこ張った演技と、緊張感を表情で表現する榎本健一の対比が演出のポイントになっている。平安末期の物語で江戸時代に歌舞伎で様式が
『時代劇映画の詩と真実』伊藤大輔著加藤泰編昭和五十一年(1976年)四月十四日発行キネマ旬報社伊藤大輔が自身の歴史を確かめ、誕生から昭和五十年代までの歩みを語った。聞き手・編集者は愛弟子の加藤泰である。映画史研究者・後の東京国立近代美術館フィルムセンター研究員の佐伯知紀が助手として参加した。大輔夫人伊藤朝子の記憶力が驚異的で、大輔監督は「よく覚えてるね」と驚嘆している。『血煙高田の馬場』現存断片版にはない安兵衛の友達が圧せられるシーンがあったそう
令和五年(2023年)二月十九日(日曜日)広島市映像文化ライブラリー活弁シアター『忠次旅日記』澤登翠デビュー50周年公演弁士澤登翠演奏カラード・モノトーン・デュオ14:00上映Iー7席で鑑賞した。初めて訪れた映画館だ。職員の親切に深謝する。日本映画・世界映画を大切にしている映画館と感じた。『忠次旅日記信州血笑篇』『忠次旅日記御用篇』映画無声111分版のみ現存『信州血笑篇』公開日昭和二年(1927年)八月十四日封切
『炎の城』映画トーキー98分カラー昭和三十五年(1960年)十月三十日公開製作国日本製作東映京都原作ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』企画中村有鱗脚本八住利雄撮影吉田貞次音楽伊福部昭美術吉村晟編集宮本信太郎録音野津裕男照明中山治雄記録石橋成子装置大西悟装飾佐藤彰美粧林政信結髪桜井文子衣裳三上剛擬斗
大河内傳次郎さん大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)新字体:伝次郎本名:大邊男(おおべますお)別名義:正親町勇室町次郎西方弥陀六(筆名)大河内傳二郎1898年2月5日(戸籍上は3月5日)生まれ、1962年7月18日、満64歳没。福岡県築上郡岩屋村字大河内(現・豊前市大河内)生まれの映画俳優。戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。サ
佐平太家ではおせき(飯田蝶子)からも借金していたのだ。返済を待ってくれと頼むおのぶ(風見章子)に、おせきは「持っていたって、どうせ銭の役をするわけじゃなし」と言って快く承諾するが、静かになった家を寂しがる。来客が多くて菰かぶりが置いてあった時代をなつかしむ二人。佐平太(大河内傳次郎)は栄華の時代を示す場所をめぐる。柔道場に掛っている「杉本佐平太」の札。そこへダンスホールの吉田次郎正(日守新一)がやってくる。*****札を小川に流してしまう佐平太。吉田の話は村長選挙のことだった。立候補する意
清水宏監督による昭和二十四年の映画。主演は大河内傳次郎と風見章子。「映画.com」にある「あらすじ」はかなりデタラメ。*****「小原庄助さん」として知られる杉本佐平太(大河内傳次郎)が住む旧家に、若者たちができあがった野球のユニフォームを見せにくる。そして記念撮影である。初試合にも参加した佐平太だが、いきなりけがをする。*****佐平太が朝湯から出てくるのを待つ村の子供たち。佐平太に自分たちにもユニフォームをくれと頼むが、野球は危ないからやめておけと言う。追い返されて気に入らない子ど
『わが青春に悔なし』映画トーキー110分白黒昭和二十一年(1946年)十月二十九日日本国封切製作国日本製作会社東宝製作責任竹井諒製作松井啓次脚本久板栄二郎撮影中井朝一美術北川恵司録音鈴木勇音楽服部正演出補佐堀川弘通照明石井長四郎音響効果三繩一郎編集後藤敏男現像フィルムラボラトリー配役八木原幸枝後に野毛幸枝原節子野毛隆吉藤田進糸川河野秋武野毛の母杉村春
(とおきひのすくいはなたんちりもみじ)大河内山荘大河内山荘は、映画俳優の大河内傳次郎が34歳から64歳で亡くなるまで造営を続けた回遊式庭園です。「関」八角形の額「関」と書かれた中門から進みます。散策しながら小倉山を登っています