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大河ドラマ『麒麟がくる』の作曲家、ジョングラムと明智光秀の故郷、岐阜に行ってきました!ドラマの映像で緑あふれる美濃を見たジョンは自分の故郷と似た美濃に思い重ねながら曲を描きました。それが「母なる大地~美濃~」の曲。曲を初めて聴いた時、ちょうどわたしもロサンゼルスにおり私もジョンと同じように故郷への思いで胸いっぱいになりながら光秀の気持ちを重ね、作られた詩となりました。その曲を、実際に岐阜の地で情景を見ながら光秀の想い、ジョンの想い、誰もが思う故郷への哀愁の想いを心
昨日のラジオ#interfm897「#serendipity」↓思い出のお写真は、ジョングラムとともに、ソフィアでのレコーディングの旅昨日の「#麒麟がくる」のサントラ発売記念SPでは、作曲家の#ジョングラムの大河ドラマで使用され、紹介されていない名曲紹介や、歌わせて頂いた#大河ドラマ紀行歌詞版「#美濃母なる大地」をお届けいたしました。ありがとうございますメッセージを下さった皆様、サイン付きサントラCDは、来週、当選者発
昨日は、尊敬する女性経営者吉川稲さまのパーティで、「君が代」の国家独唱と、大河ドラマ「麒麟がくる」のドラマ紀行で歌わせていただいた「美濃〜母なる大地〜」をギタリストのTomohiroMaedaさんと共に歌わせて頂きましたパーティの主催者である吉川さまは、まだ女性経営者が少ない時代に、通訳の会社を起こされ、中小企業商工会の女性会会長さまもされていたことがあり、長年にわたり、日本の女性経営者の先頭を走り、憧れの存在でいらっしゃった方です。生き様が素晴らしい方
今日もこれから、「麒麟がくる」観ます!作品を通して、皆さまと繋がれるのは嬉しいです大好きな友人やファンの方々が、「ステイホーム★音楽で繋がろう」と動画を配信したら、シェアと共に、大変有難いあたたかな言葉やシェアをいただき、本当に嬉しく思っています。これからも、わたしでできることを音楽でお届けし、コロナに立ち向かう皆さんのハートを応援して行けたら幸せですお会いしたことない方にまで、大好きな親友や元生徒さんを通して、さらにその方の大切な皆さ
本日、リリースした初のカバーアルバムに収録の大河ドラマ「麒麟がくる」で歌っている「美濃〜母なる大地〜」。大河ドラマ紀行の曲に歌詞をつけ、本日、youtubeでスタジオライブ、初公開しました🎤https://youtu.be/74CbjbkqcSAいつも一緒にコンサートで共演しているギターリストのMaedaTomohiro前田智洋さんと、今回は、大河の曲を一緒に演奏できて、幸せです!いつも素晴らしい演奏をありがとう!
「麒麟がくる」の作曲家ジョン・グラムのお家で、LA滞在中は毎週、「麒麟がくる」放映会をしています!ジョンは、ドラマを観ながら英語訳で理解して、また作曲するときのイメージを膨らますみたい。そして驚くことに、登場人物に英語で名前を入れ、関係図も頭に入れて作曲されています。私も今、ジョンの書いた新曲を歌入れレコーディング中🎙来週の「麒麟がくる」では、どんな曲が流れるかな🎤楽しみ✨
大河ドラマ×ハリウッド作曲家音楽に込めた思いについてインタビューが掲載されています。声についても語っていてくれますが歌手として参加させていただけていることが貴重で光栄な機会であると実感しています🎤明日もLAでの制作頑張ります(^^)✨(掲載記事はこちら↓)📕https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/24494?fbclid=IwAR1toAB2SBrjHEVxB-Ljk-949ik-qKQYrr-uCPhrAe49Tszmzbk6Du-_k
※保志喜久玲の神社紀行~ふり返りver.※”綾野剛さんを追え!?番外編☆失意と沈黙の日々~日光東照宮”・去年の今頃に書いた記事をアメブロも教えてくれるんですね。昨年の9月に病気療養の休職期間を使って長期旅行に出ておりました。題して、半分大河ドラマ紀行“綾野剛さんを追え!?”『八重の桜』の松平容保役が印象的ですっかり綾野さんファンになったのです。それで容保公と藩祖・保科正之公の足跡を辿る旅に出たのでした。なので文中に出てくる“綾野さん”とは全部、松平容保公。
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行ブログきくれい誕生日企画~その一《最もいいね!が付いた記事はどれ?》昨日、恥ずかしながら50歳になりました。今後もゆるゆると紀行文を書いて参りますのでこれからもどうぞ宜しくお願い致します。そこで自ら記念企画をしてしまう私。2回シリーズの1回目。この半年で最もいいね!が付いた記事は『奴奈川神社・天津神社☆新潟出張神社紀行』https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12412
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?綾野剛さんを追え!?番外編☆半分大河ドラマ紀行《失意と沈黙の日々~日光東照宮》今回の長期旅行、当初の予定では会津若松の後は新潟から夜行フェリーで北海道入りするつもりでした。小樽の龍宮神社にお詣りし榎本武揚と彼が助けた会津藩士を偲ぶ為です。ところが旅行二日目に北海道地震。電力事情が悪ければ諦めざるを得ません。空いた日程をどうするか?決めかねたまま会津入りすると『綾野剛さん(松平容保)は維新後日光東照宮の宮司
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?綾野剛さんを追え!?⑧☆半分大河ドラマ紀行《終焉の地~斗南ヶ丘・旧斗南藩庁跡》田名部駅に案内所はありませんでした。観光情報は現地調達で済ませる私も今回はやむ無くスマホ検索に頼ります。すぐ近くの旧斗南藩庁跡とは別に旧斗南藩の史跡があるらしい。ここから西へ約3キロならどうにか辿り着けそうです。先程のプラットホームから廃線跡に降り踏切跡からは県道を西へ歩きます。町が途切れ橋を渡り岡を上ると突然立派なホテルが現
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?綾野剛さんを追え!?⑦☆半分大河ドラマ紀行《再興の希望を抱いて~斗南藩士上陸之碑》平成30年9月12日(水)。野辺地駅から下北半島を北上します。前日、山形霞ヶ城を巡った後、高速バスを乗り継いで青森入り。今日は斗南藩の史跡を訪ねるのです。平坦なのに建物や耕地がない車窓。“北海道の果てに風景が似ている”旨をある作家が書いていたのを思い出します。先入観の為かそれ程には感じないけれど海岸を走ると人の気配がさらに希薄に。
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?綾野剛さんを追え!?⑥☆半分大河ドラマ紀行《彩り豊かに復元中~山形霞ヶ城》1時半の電車で会津若松を出発。普通電車を4本乗り継いで夜7時前に山形に到着します。綾野さん(松平容保)からいったん時代を遡ります。最上山形は会津藩祖・保科正之が信州高遠の次に移って来た所です。三万石から二十万石への大出世ですが、元が小藩ですから家臣団から職人まで人手を集めるのが大変だった様です。そして治世7年で会津に再転封。幕府
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行コラム?《分析結果発表!長旅でなぜ体重が増えた?》先月の“綾野さんを追い神社を巡る旅”。11泊12日の長旅で3㌔程太りました。神社・史跡巡りで毎日5~10㌔(体感計測)歩いているにも関わらず、です。・なぜ私は体重が増えたのでしょうか?大宮を除きビジネスホテルに泊まりその『朝食付き率』は72.7%。✓外の提携店で食べる(蒲田)✓デカイおにぎり3つ(山形)✓洋定食のみ(会津若松)等もありましたが、基本的にはバイキン
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?綾野剛さんを追え!?⑤☆大河ドラマ紀行(ハーフサイズ)《いつまでも愛する町を想う?~飯盛山》松平家墓所を一巡して麓まで戻ります。チャイルドシートに子どもを乗せてお母さんが自転車でやって来ます。『さあ、行くよ~』お子さんを促しているお母さん。本当に散歩に来られたご様子ですが、小さい子が登り切れるものでしょうか?最後に白虎隊の飯盛山を目指します。11時を過ぎると何故か院内バス停までループバスが来ません。ひ
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?綾野剛さんを追え!?④☆大河ドラマ紀行(ハーフサイズ)《山懐には誰が眠る?~会津松平家墓所》鶴ヶ城から戻りチェックアウトを済ませホテル付近からループバスに乗ります。主要な名所をつなぐ観光客向けのバスで1回210円、1日券は600円。3回乗って30円お得?もう一声欲しい処です。このバスで会津松平家墓所に向かいます。勿論、綾野剛さん(容保公)に墓参するのです。道中は先程の鶴ヶ城を経由します。三ノ丸跡に綾瀬はるか
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?綾野剛さんを追え!?③☆大河ドラマ紀行(ハーフサイズ)《悲痛な叫びが聞こえてくる~鶴ヶ城》会津若松駅には午後2時過ぎに到着。2日にわたる研修に今日の移動。疲れを感じ早々にホテルに入ります。翌、平成30年9月10日(月)。8時前には朝食を済ませ、チェックアウト前に朝の散歩に出ます。身軽な状態で鶴ヶ城他を廻るのです。通勤通学の車や自転車が行き交います。遠くから天守閣が見守っている気配がします。お城近くで反対側に
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?(会津若松市の『あいづっこ宣言』)綾野剛さんを追え!?②☆大河ドラマ紀行(ハーフサイズ)《ならぬことはならぬものです》この旅行は色んな目的が入り交じるフルーツバスケットみたいな旅で、初日・高遠城趾公園の翌日は諏訪大社の上社へ(本来の神社紀行)。3日目・4日目はそれぞれ品川と水戸でビジネスセミナーに参加(研修旅行)。大河ドラマ『八重の桜』の松平容保(綾野剛さん)と会津藩の動向を追う、本来の旅に戻ったのは5日目の
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?綾野剛さんを追え!?①☆大河ドラマ紀行(ハーフサイズ)≪花は散り葉も落つるかな~信州高遠城趾≫平成30年9月5日(水)。信州伊那地方・簑輪行きの高速バスは小牧JCTから中央道に入ります。昨日台風21号が通過したばかりですが殆んど影響もなく胸を撫で下ろします。躁うつ病で休職して5か月が経過。転身どころか猛暑で悪化の兆しすら。長期旅行の機会を伺っていた処、幾ばくかの資金が転がり込みます。同じ頃に読んでいた本が
※きくれいさんの神社紀行+α《なぜ“フルーツバスケットの旅”になったのか?》昨晩、長旅から帰り、今朝は激疲れ。特に腰。ずっとリュックサックを背負ってウロウロしましたから。・この旅行には3つの趣意がありました。1.会津松平家を追う(大河ドラマ紀行?)出発する1か月程前に『会津武士道』という本を借りてて、会津松平家の足跡を辿るとダイナミックな旅になる!と直感。信州高遠から始まって会津を訪れ、山形を経由、最後は青森のむつ市まで。最後の会津藩
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行《念願の諏訪大社・上社にお詣り》一昨日から約二週間の旅に出ています。出発前、一年前の諏訪大社・下社の訪問記を慌てて書きましたけれど、理由は、2日目(昨日)に念願の上社に行く積りにしていたから。ところが、訪問記を書こうにもスマホでブログ編集が未だに解らない(笑)仕方ないので、帰ってから書く事にして・・・・今回は、会津松平家の足跡を追いつつ時折、神社と研修セミナーが交わって『フルーツバスケットの旅』と自ら呼ぶてんこ盛り状態。随時fac
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行(最後に少しだけ)最遅!『真田丸』巡り☆大河ドラマ紀行②《本陣・茶臼山~終焉の地・安居神社》※前回:最遅!『真田丸』巡り①はコチラhttps://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12392282577.html再び市バスを乗り継いで茶臼山へ。冬の陣では家康が、夏の陣では幸村が、本陣を置いた有名どころです。ここも前方後円墳らしく標高26㍍との事。ですが、南側の河底池から仰ぎ見ればもっと高
※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行?最遅!『真田丸』を巡る☆大河ドラマ紀行①《真田丸出城跡~秀忠本陣跡》平成29年5月4日(祝)。GWの休日散歩は大阪遠征。真田丸出城跡の他、大坂冬の陣・夏の陣の真田幸村ゆかりの地を訪ねます。大河ドラマが『直虎』に代わって早4か月。『真田丸』ロスの声ももう聞こえません。とはいえ、このズレ加減、いつもの私のペースなのですが。◇真田丸出城跡地下鉄玉造駅から南西に徒歩5分。心眼寺門前に出城跡石碑が立っています。他にも、