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まんが日本昔ばなしの後は、ロート製薬提供のクイズダービー❗大橋巨泉氏、徳光和夫氏が司会をやってましたねぇ‼️篠沢教授、はらたいらさん、松下景子さん、井森美幸さんが解答者として活躍していました。今はこう言った番組が無いですな。
さて、昨日の撮影会に続いては、トキワ街ミュージックストリートで、本日も、チャーミーウイークの2日目である!!!今日も、瓦町くんだりまで、出かけよう!!!会場に着くと、チャーミーが、リハをやっている!!!聞いていると、かなり、調子がよさそうだ!!!今日は通算で、18回、本年最後である!!!ゲストも多い!!!高松モンスターのあみちゃん、バンドのStreetを初め、ズラリだ!!!そして、最後に控えしは、本日、めでたくデビューする新人、鈴比奈(すずひな)ちゃん、だから、鈴木さん???
魔法の天使クリィミーマミ第42話優が住む町での素人のど自慢審査員の一人右の男性審査員名前は「小林巨泉」先生?!まさか…小林亜星と大橋巨泉を足して2で割ったのか?↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
最近は殆どテレビを観なくなりましたが、少年時代60~70年代はテレビが生活の中心でした。子どもの頃夢中になったテレビ番組を思い返します子どもの頃は家族でよくクイズ番組を見てました田宮二郎さん司会のこのクイズ番組は親父が好きで、特によく覚えていますクイズタイムショック昭和44年1月~昭和53年9月、毎週木曜日の夜7時NET(現在のテレビ朝日)系列で放送されていた有名な役
〝シャバダバ・シャバダバ~、シャバダバ・シャバダバ~〟毎週月~金曜の深夜、TVから流れるオープニング・テーマを懐かしく思う昭和世代の男性は多いはず。24年半の長きにわたって放映された、午後11時(過ぎ)から始まる日本初の深夜ワイドショー番組、『11PM』の放送がスタートしたのが、今からちょうど60年前の今日・1965(昭和40)年11月8日のことでした。アメリカの深夜番組『ザ・トゥナイト・ショー』をヒントに企画されたという同番組は、私自身の記憶からするとお色気あ
頭頚部がんは、大橋巨泉さんや坂本龍一さんら、著名人も多く患った中咽頭がんなど、「クビから上」のがんです。キイトルーダが大きな効果を上げるとの治験結果が新たに発表されました。今後は、がんの免疫療法が主役となると、改めて思わせてくれます。「THIRDOPINION命の淵から戻る観る専」最新記事アップ、再発・転移性扁平上皮頭頚部がん向け、キイトルーダ、ドセタキセルの併用療法、有意な効果、全奏効率74%-2025年10月31日(11月5日までフリートライアル中、乳がんはサブタイプ別に専用
今日は2025年10月26日(日)です。現地(25日)メジャーリーグワールドシリーズが開催中です。ドジャース対ブルージエイズ第1戦~2戦はカナダのトロントで対戦しました。=============トロントは1988年に行った事が有ります。懐かしいので当時を振り返って見ました。過去記事です。↓=================まずは・・・・アメリカカナダのシリーズからです。当時は新宿西口支店に勤務をしていました。全国の
どこかで聞いた、おばあちゃん二人の会話です。A:「この頃〇〇さんの姿を見ないけど、どうしたのかしらね」B:「〇〇さんは入院してるそうよ。なんでも風呂場で倒れたんだって」A:「あらそう、ちっとも知らなかったわ。それは大変ね」B:「本当にね、他人事じゃないわね。でもさ、健康ってのはさー、命より大事よねー」A:「本当よねー、ホントホント」もう一つ。若い女性会社員Aと男性会社員Bの会話です。A:「失礼だけどさ。あなたって本当にマザコンよね」B:「僕はマザコンなん
2016年に急性呼吸不全のため82歳で死去した、タレントで司会者の大橋巨泉さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。大橋さんには、家族縁や失敗に注意だが、地位や財産を得る。無理な企て・病難・逆境に注意。意志が強い。自我が強い。発展するが、中年以降は何事も注意。といった暗示があります。引き続き大橋巨泉さんの本名、大橋克巳さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。大橋さんには、家族縁や病難に注意だが、大成功する。幸福。地位や財産を得るが、欲張り過ぎない事。急変に注意。といった暗示があります。
最後に余談をひとつ。大橋巨泉氏は非常に頭のいいお方だ。一時期、評論家というニュアンスの行き違いか何かであの大川慶次郎さんとつばぜり合いをしていた。ことの顛末は判らないが、それから何年も経って、ある大レースでの折だ。巨泉氏が本命に推したある有力馬を大川さんは無印にしていた。結果は巨泉氏の予想が的中。さりげなく巨泉氏はラジオのマイクに向かって喋る。「大川慶次郎さんの無印も気になりました」。大川さんの無印をレース後に広く知らせたこのひと言には、慇懃さと嘲笑がない交ぜになった下劣さが出ている
ところで、ハイセイコーをハンディキャップホースと蔑んだ巨泉氏が、キタノカチドキを一度もそのように呼ばなかったことは奇妙だ、との思いが私の中にある。この両馬の戦歴にどれほどの相違があっただろうか。皐月賞優勝とダービー3着が全く一緒で、「菊花賞は相手が弱すぎたから勝てた」と巨泉氏が言うキタノカチドキと、希代の名馬からたった4センチの差で2着と敗れたハイセイコー。古馬としての一年間を比較するなら、キタノカチドキを上位とする根拠は全く見当たらない。素人の私でさえ容易に判るこの程度のことを、巨泉氏が
そして、最も深く残ることといったら、第20回有馬記念における大橋巨泉氏が打った予想印というエピソードを私は挙げるのだ。著名人物とはいえ、ひとつのレースに於けるその人の予想を、我が競馬人生最大の思い出と位置付けるのは尋常ではないと、自分ながら大いに首を傾げてしまうのだが…。巨泉氏の予想の立て方として、「一に格、二に調子」、をベースにすることは大体判っている。但し有馬記念のような大きなレースになると、長期休養明けの馬に対しては、たとえ格上でも、やや評価を下げて扱うのが氏の特徴だったよう
仲間内では飛び抜けて穴馬券を幾つも取った私で、馬券のパターンとしてはABCのいわゆる三角買いを好まず、ひとつの枠から3点4点、或いは5点という買い方で頑なに貫いてきた。私の悲劇はここだった。それほどまでに5枠に確信があったのだから総流しをかければ良さそうなものだが、それを潔しとしない価値観が仇になったのだ。この日、銀座場外で購入したあと知人と会っていたため、帰宅後テレフォンサービスで結果を聞くこととなった。あとから思えばドラマチックというか、繋がった瞬間360円という音声が耳に飛
二番目だが、これは思い出したくもない腹立たしい馬券のことだ。1988年つまり昭和63年の12月10日(土)。何らかの事情で中山開催の少なかった年で、この暮れへきてようやく第2回中山の3日目として挙行された日だった。この日、メインに「市川ステークス」という準オープンのレースが組まれており、会社の連中たちは盛んにこのレースを話題にしていたが、私はこれには全く関心がなく、「きょうは何と言っても最終だよ」と公言しながら最終の一本に絞っていた。あの時代、精々一万円が限度額で、この最終レースにだけ金を
(九)30年以上競馬にとっぷり浸かり続けてきたなか、当然ながら様々な思い出がある。悲痛なシーンも蘇る。レース中の事故による予後不良で消えていった馬たち、特に忘れることができないのはタカイホーマというクラシック級の牝馬の事故だ。この馬を最も悲惨な馬と記憶しているファンは少なくないだろう。昭和47年晩秋、のちに「エリザベス女王杯」と名称を変えることになる「ビクトリアカップ」でのこと。3角手前あたりで故障発症したのだが、あれが競走馬の本能なのかタカイホーマは停止しない。続けざまに骨折し、ついに
メゾンマルジェラ「レプリカ」フレグランスバイザファイヤープレイスEDT30ml(2023年)レプリカオードトワレスプレー後に矢印の箇所に液溜まりができるのよだから、紐が染まるのね公式のお名前も、一体どれみたいな渋滞してますねぇ〜液体も遠慮なく茶色見たまんま。白いお洋服には気をつけた方がいいわ。今のところ、唯一のマルジェラでございます。アパレルなんて畏れ多くて店先を流すだけで、つま先から頭のてっぺんまで一瞥されて………鼻で笑われそう(個人の印
10年ほど前、自分はジャズばかり聴いていた。マイルス本人はもちろん、彼の〝スクール〝の卒業生たちすなわち、コルトレーンにビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムスetc...ひいてはマイルス門下を離れ、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガス、エリック・ドルフィー、オーネット・コールマンから現代音楽のジョン・ケージ、武満徹まで。一音一音を聴き分け、タイトル無しで(いわば目隠しで)、例えばサックスなら「この音はコルトレーンのかショーターのか」を当てら
(八)自信満々にキタノカチドキをこき下ろしてきた大橋巨泉氏。話はようやく昭和50年暮れの有馬記念へと入ってゆく。このレース、ファン投票第一位が、春のあの天皇賞以来となるキタノカチドキだった。タニノチカラはとうに引退してしまい、この年のクラシック戦線に大旋風を巻き起こした菅原泰夫の牡牝の2頭、カブラヤオーとテスコガビーは出走できる状態になく、どうやら話題といえばキタノカチドキとカーネルシンボリのはじめての顔合わせが実現する運びとなりそうなことぐらいだったろうか。だからといって巨泉氏もまさかこれ
これだけG1競走が増えたのに、よせばいいのに、と思える馬が相変わらず日本ダービーに出てくる。もちろんダービーが競馬の最高峰に置かれるレースだということは判るし、愛馬をダービーの桧舞台に立たせたい馬主の心情も充分理解できる。しかし巨泉氏のアローエクスプレス評ではないけれども、皐月賞で勝てなかったマイラーが、ダービーで雪辱を期したとしても返り討ちに遭うに決まっているのだ。そういえばあのアロー、関係者は菊花賞を本気で取りに出かけていって、1番人気で惨敗の憂き目を見た。いかに当時のアローエクス
血が騒ぐという表現がある。タケホープはまさしく長距離の血が騒いで、1マイル半以上のレースになると非常に強く、有馬記念以外のビッグタイトルを総なめにしていった。もしこの馬が有馬記念を何らかの理由で回避するなりで、一度も出走しないまま引退していたら、史上最強のステイヤーと語り継がれたのではないだろうか。あるいは有馬記念が府中のレースだったら勝つシーンも充分考えられた。こうしてみると強豪とはいっても、いや、強豪であればこそ実は出るべきではなかったレースというのがあって、キタノカチドキなども、2
繰り返すが、私はタケホープを決して軽く見ていない。巨泉氏はタケホープを重く扱い、ハイセイコーを軽く見た評論家だ。私がごとき素人でさえ、あの両馬の対戦成績が単に距離の適性に縛られただけのことだと周囲に言っていたのに、氏が全くそうしたスタンスで競馬を見ていなかったと思える点は、今になってさえ不思議で仕方がない。ダービーを勝ち、菊花賞を勝ち、翌春の天皇賞も獲った。シンザンでさえ天皇賞は秋だった。タケホープは確かに偉業を成し遂げた馬だ。過去、われわれファンが名馬と認識してきた馬たち
(七)再び大橋巨泉氏。例の希代の名馬説に執拗にこだわる私だったが、それはしかし、タケホープがそれほどの馬ではあるまいとの反論からきていたわけでは全くない。氏の物言いがハイセイコーファンへの当て付けにしか聞こえなかったからだ。巨人大鵬玉子焼きではないが、好きなものは好きなのであって、その感情表現は、何人たりとも立ち入ることができない性格のものだ。巨泉氏は、ハイセイコーなんか大した馬じゃないんだよ、ということを力説し続けた解説者だったと思う。応援するなら他にもっとイイのがいるじゃないかと言う
天皇賞を迎えるまでのキタノカチドキの戦歴は、13戦11勝、2着1回3着1回と、非の打ち所のない強豪ぶりを見せつけており、大本番でも連から外れることはあるまいとの見方が大勢を占めていた。が、勝てると断言する声は案外少なかった。テスコボーイ産駒が運命的に抱えていると思われる距離への不安からだったのだろうか。ホクトボーイ、インターグシケンと、この産駒から長距離の大レースをこなす馬が出たのはこれよりのちの時代で、結局ダービー馬を出すことができなかった種牡馬なのだが、既に初期の段階から中距離血統