ブログ記事38件
将棋で現存最古の棋譜を現在のプロ棋士が評価する会が、2月27日に静岡市歴史博物館で開かれた。初代大橋宗桂が安井算砂(本因坊)と対局した棋譜は、現在の棋力で奨励会1級レベル(プロは4段から)という。同日に静岡市の浮月楼(徳川慶喜屋敷跡の料亭)で開かれた名人戦A級順位戦(将棋界の一番長い日)に合わせて市が企画。高野智史六段が解説者として、1607年に指された対局がどの手を境にして形勢が転換したかを説明した。後手の安井が四間飛車にした棋譜自体は広く公開されており、今でみれば飛車落ち右四間飛車の原
南光坊天海⑨「慶長十三年、是春、余寒甚シ。秀忠、本因坊算砂・大橋宗桂ヲ召シ、囲碁・将棋ヲ見ル、尋デ、家康モ亦、算砂・宗桂等ヲ駿府ニ召ス。」(「史料綜覧」)本因坊算砂は法華宗寂光寺塔頭本因坊の僧で法名は日海といった。天正6年(1578年)、信長に「そちはまことの名人なり。」と称賛され、名人の語源になったという。天正10年(1582年)、本能寺の変の前夜、信長の御前対局で「三劫」ができたことで有名である。家康も碁を愛好していたようで、天正15年(1587年)に算
「吉川醸造」は伊勢原市内で唯一の造り酒屋。以前口にした「にごり酒」の味が忘れられず、今年のGWに蔵元を直接訪れて訊ねたところ「(にごり酒は)季節限定で、しかも卸す先も限定しています。よろしければ新酒が醸される頃にこちらにお越しくだされば……」ということで、ようやくの思いで入手しました。4年越しになるのでしょうか、何だか昔懐かしい女友達と再会したかのような気持ちがします。本題に戻って「伊勢原市内周遊」。吉川醸造にもほど近い地域となりますが、前回訪れた「雨岳文庫」と隣接した場所に
現在プロの囲碁には7つのタイトルがありますが、名人・棋聖と並んで最高峰といわれるものに『本因坊』があります。今日は、このタイトル名の始祖ともいえるほんいんぼうさんさ本因坊算砂の命日・没後400周年にあたります。1559年に舞楽宗家であった加納與助の子として京都に生まれた彼は、8歳で京都寂光寺に入り出家。そこで仏教を学ぶ僧侶(法号=日海)になると同時に、当時囲碁の強豪であった堺の商人・仙也に手ほどきを受け上達。1578年に織田信長から「そちはまことの名人なり
霊光寺京都市伏見区にある「霊光寺」には、将棋の初代名人・大橋宗桂と棋聖・天野宗歩の墓がある。両方の墓石は将棋の駒の形をしていることで知られている。しかし、現在は拝観拒絶の立札が設置されており、中に入ることができない。数年前まで霊光寺の近くに設置されていた観光案内板には、霊光寺に将棋の駒の形をした墓がある絵が描かれていたので、かつてはお参りできたようだが残念ながら現在はできないようだ。霊光寺山門大橋宗桂は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた将棋差しである。当時は将棋と囲碁が
将棋の初代名人・大橋宗桂は囲碁も強かったと言われ、本因坊算砂と将棋や囲碁で対局した記録が残されている。公家の日記などによると、碁会と将棋会は同時に開催されることが多く、碁打ちが将棋を指したり、その逆もよくあることであった。宗桂は京都下京の町人宗也の息子で、僧侶だったという説もあるが、近年の研究によれば御用達町人という比較的裕福な家の出身であったとされている。弘治元年(1555)の生まれで算砂より四歳上である。初めは宗金、次に宗慶を名乗り、真偽のほどは確かではないが織田信長から「桂馬
先日、平塚・花菜ガーデンで開催されていた「シクラメン展」をブログ記事にしました。私が訪れた同日・同時刻、年下の友人Rさんも来園していたことを知り、まさに「以心伝心」と思ったのですが……。でも、いうほど広くもない園内でのすれ違い。そこに「運命のいたずら」を感じてしまいました(笑)。本題に戻って「(糟屋通り)大山道」「石倉橋」からの急坂を下っていくと「太田道灌公之墓」と刻まれた大きな石標が見えてきます。こちらは道灌公菩提寺の「洞昌院」になりますが由緒が書かれてい
〝〇〇名人〟と呼ばれる方は様々な分野にいらっしゃいますが、本家本元といえば将棋。もともと将棋の名人は江戸時代に本因坊算砂が囲碁と共に名乗っていましたが、1612(慶長17)年に将棋所を大橋宗桂(↓)に譲り、大橋の本・分家と伊藤家の三家における最強者が名乗っていたもの。『名人』将棋における最高位は、言わずと知れた〝名人〟ですが、今日は史上初めてその名人を名乗った大橋宗桂(初代)の命日・没後385周年にあたります。…ameblo.jp江戸幕府が倒れた後の明治か
明日(1/7)はA級順位戦第7局☗斎藤慎太郎八段VS☖羽生善治九段戦が行われます。斎藤八段は残り3局で二つ取れば名人挑戦権獲得、羽生さんはA級残留に後がない状況です。将棋の歴史を紡いできたのが名人戦です。碁界に比して史伝の少ない将棋史の第一人者が書いた初めての”将棋史”が本書のようです。(第一章将棋の伝来)・・・中国から日本に輸入されたのは八世紀ごろで、遣唐使として入唐した吉備真備が持ち帰った、という。しかし、この輸入将棋とは別に平安時代には将棋(駒数36枚
昨日(11/3)はJT杯日本シリーズ準決勝永瀬王座戦で藤井さんが勝ち、決勝はこれまた(渡辺さんに勝った)豊島さんです。解説の中村九段が、「各棋戦で四人ばかりが対戦して研究会をしているので他の棋士との差が増々開く」とおっしゃっていました。そして、明日(11/5)は第71期ALSOK杯王将戦挑戦者決定リーグ3回戦vs△豊島将之竜王戦です。<帯>羽生善治氏推薦!「増川先生のライフワークとしての『将棋の歴史』の一冊です」
「大橋家文書」の公表は、1998年発行の本書が初めてでした。【増川宏一氏著書】将棋1(ものと人間の文化史)1977/11/10出版<「大橋家文書」発見>1980年ころ将棋2(ものと人間の文化史)盤上遊戯1985/11/11出版碁打ち・将棋指しの誕生(平凡社選書「遊芸師の誕生」加筆)1995/10/15出版将
今日(10/18)は、加藤桃子女流が王座戦一次予選2回戦で対戦中です。明日(10/19)は、女流王将戦第2局西山さんvs里見さん、順位戦A級豊島さんvs永瀬さん、順位戦B級1組藤井さんvs郷田さん、女流名人戦挑決リーグ渡部さんvs伊藤さん、とトップ棋士が勢ぞろいです。金・土曜日は竜王戦第2局ですから、将棋ファンにはゴールデン・ウィークですね。「将棋の駒はなぜ40枚か」、いいタイトルを付けました。<帯>日本将棋成立の謎に迫る!
本日(9/30)は、第80期順位戦B級1組6回戦藤井聡太三冠vs横山泰明七段戦です。PCを占領され、11:25、角交換から藤井三冠が自陣角を打ったところからの観戦です。実在した将棋指し、九代大橋宗桂の物語。単身、長崎の地を踏む宗桂・・・”初代大橋宗桂の棋譜”を巡る冒険が始まる。<帯>渡辺くん(三冠)完全監修『宗桂』監修秘話「監修の渡辺くん」も完全収録した『将棋の渡辺くん』④巻(伊奈めぐみ)発売中!登場人物は、九代大橋宗桂のほか田
明日(9/30)は、第80期順位戦B級1組6回戦藤井聡太三冠vs横山泰明七段戦です。藤井さん、横山さんとは初手合い、どんな対局になるのでしょうか?安永四年(1775)江戸。実在した将棋指しの物語。徳川幕府開府より、代々の名人を輩出し俸禄を得る幕府公認「将棋御三家」。その筆頭である大橋本家当主・九代大橋宗桂を巡る、本格将棋ドラマが幕を開ける・・・!!!<帯>渡辺明棋王、完全監修盤上の全てを組み立てる最強の監修者と、『哲也』の星
昨日(9/13)は、第6期叡王戦五番勝負第5局が行われ、藤井さんが三冠目を獲得しました。Abemaで解説していました深浦さんが、「将棋界の記念とすべき日」とコメントしていました。パワーストーン恐るべし!新叡王の記者会見で、中日新聞の岡村淳司さんが質問していましたが、その岡村さんが9/11付け中日紙面に『増川宏一さんの秘話』を寄せています。その冒頭は、七月下旬の増川さんの訃報と月初(7/5初版)の謹呈本(本書)のあとがきのはなし。「刊行に寄せて」と「はじ
授業後にコメントを送ったら、「塾の先生から言われたことがない言葉です!」という感想をいただいたんですが、大丈夫か塾の先生。まだ私は2回やっただけですが、「この生徒を教えたら誰でもそう思うようなこと」を伝えただけだぞ。というわけで、「家庭教師との授業における密度の濃さ」をアピールしてみました。挨拶が遅れましたが文系講師マゴメです、こんばんは。今日も生きています。「気分はサバイバル」受験生中心の生徒以外に、大きな仕事を3つほど抱えています。無駄な大文
Amebaブログのアプリを開くと星占いが出てきますよね。日曜は「魚座は第1位!」、「新しい運がひらける」とかだったんですが、ずっと仕事していました。まあ、「仕事を通して運がひらける」ということにします。写真はまた「夏特集」ということにしています。パイナップルの酸っぱさというか苦味というか、あの後味が嫌いな方に一言だけ言っておきたい。「沖縄で食べてください」「沖縄で作ってるパイナップルの缶詰」でもいいです。ぜんぜん味が違います。昔、生徒にお土産で渡した
職場の若い女性の話。「あのクライアント、歯がストリップしていて苦手なんです」。ん、つまり「歯に衣着せぬ」ってこと。うまいこというものです。その彼女の昨日の発言。「高校の時出場した県大会の開会式、皆が一糸まとわぬ姿で行進したのには感動しました!」あのー、それは一糸乱れぬではないでしょうか(笑)。本題に戻ります。(↑)大山「二の鳥居」前回訪れた「〆引」バス停と東名高速を挟んで反対側に建てられています。そして、この鳥居の脇にあるのが(↑)雨岳文庫江戸時代、この付近の名
読者の皆様こんばんは。雁木師でございます。今日はコミックをご紹介します。以前「歴史系将棋コミック」として「宗桂~飛翔の譜~」というコミックをご紹介させていただきました。残念ながら今回紹介する第3巻が最終回となってしまいましたが、歴史好きな方には面白い内容だったのでお薦めしたいと思い、この記事を書くことにしました。宗桂~飛翔の譜~(3)【電子限定特典付き】(SPコミックス)Amazon(アマゾン)970円原作は星野泰視さん、監修は渡辺明三冠。コミック乱ツインズ(リイド社)にて20
新井政彦著2020/1/31初版棋譜監修:及川拓馬六段<帯>「浮きたつように指せ」と留次郎は言った。15歳、奨励会三段。令和の天才将棋少年が幕末にタイムスリップ。伝説の棋士・天野宗歩と対峙する。「腰を引くなということです。もちろん、がむしゃらに向かっていけという意味ではありません。腰を引けば、刀を振っても切っ先は相手に届きません。平常心に少しだけ喜びと楽しさが混じっている。そんな気持ちで刀を振れば、自然に相手を切ることができます。」
読者の皆様こんばんは。雁木師でございます。今日はコミックをご紹介します。今回紹介するのは、歴史系将棋コミックです。宗桂~飛翔の譜~1(乱コミックス)748円Amazon宗桂~飛翔の譜~2(乱コミックス)748円Amazon「宗桂~飛翔の譜~」①②でございます。漫画は星野泰視さん、監修は渡辺明三冠(連載開始時は棋王)で月刊コミック乱ツインズにて2018年9月号より連載開始。第1巻は今年3月、第2巻は8月に発売されました。ここでお二人のプロフィールをご紹介し
こんばんはリイド社からのお知らせと京急将棋まつり3日目ののプログラム詳細を一緒に紹介します宗桂〜飛翔の譜〜2巻8月9日発売&イベントのお知らせ『宗桂』2巻・『将棋の渡辺くん』4巻同時発売記念!トークショー&サイン会8月18日(日)13時より、横浜市・京急上大岡駅の京急百貨店で行われる「第20回京急将棋まつり」の特設会場で、『宗桂』2巻発売を記念したトーク&サイン会を開催。作者の星野泰視と監修の渡辺明はもちろん、大人気将棋エッセイ『将棋の渡辺くん』の作者かつ渡辺
風鈴750個響く涼のトンネル岐阜新聞江戸風鈴や同市塩河の「わくわく体験館」のガラス工房で作られた風鈴がずらりとつるされている。回廊を風が吹き抜けるたびに、周囲には涼しさを感じる音色が...町中にどんと構える水門一体何の役に?三田神戸新聞理由を記した書物はないが、郷土史に詳しい印藤昭一さん(55)によると、少なくとも九鬼家が三田藩主になった江戸前期の1633年には三田御池の水を使ってい...初節句には何が必要?女の子のお祝いの衣装や料理をご紹介エキサイトニ
前回は「伊勢原市内にある湯河原町の看板」を記事にしました。「不思議な看板」のある場所からわずかに登った地点に、古刹「上行寺」があります。このお寺さんには江戸の著名人のお墓が多くありますが、このうちの2人(大橋宋桂さんと桂川甫周さん)の石碑が門の脇に設置されていました。私ごとで恐縮ですが、その昔プロ棋士に憧れて中学校から高校までの間に千駄ヶ谷の将棋会館に通っていました。「初代将棋名人」といわれている宗桂さんのお墓が間近にあるのも、プロを夢見た私にとって不思議なご縁と都合よく思っている
「札付き」「折り紙付き」の”札”や”折り紙”って何のことを指しているの?ニコニコニュースどうやら、この「札付き」の札は江戸時代にまでさかのぼることができるようです。江戸時代、現在の戸籍にあたる書類を「人別帳」と呼んでいましたが、素行の悪い...夜のお江戸は妖怪だらけ!?【江戸妖怪ワンダーランド】ValuePress!(プレスリリース)東東京を中心に妖怪イベントを実施している『妖店百貨展』(台東区谷中)は、夜の日光江戸村を貸切、『江戸妖怪ワンダーランド』を開催します。2018年
こんばんは漫画『宗桂〜飛翔の譜〜』を出版するリイド社からのお知らせです。イベントのお知らせもあります。リイド社は、2019年3月13日(水曜日)に、書籍『宗桂〜飛翔の譜〜』第1巻を刊行いたします。■内容紹介●安永四年(1775)、江戸――実在した将棋指しの物語。江戸には代々、将棋で俸禄を得る“将軍家将棋指南役”、つまり幕府公認の将棋指しがいた。実在した「将棋御三家」である。この物語は、御三家筆頭・大橋本家当主にして、後に八世名人を襲位する「九代
将棋における最高位は、言わずと知れた〝名人〟ですが、今日は史上初めてその名人を名乗った大橋宗桂(初代)の命日・没後385周年にあたります。宗桂は、1555(弘治元)年に京都の町人・宗也の息子として生まれました。実家は比較的裕福だったと考えられますが、幼少~青年期について、またどのような経緯で将棋に関わったのかは詳しく分かっていません。ただ当時の京都には将棋や碁を指すことを生業にしていた芸人・遊芸師と呼ばれる人たちがいたそうですから、彼はその中で頭角を現し
この年は申年。初形「サ」が、詰め上り「ル」になる立体曲詰を創作。あまりにもくだらないアイデアにつき「おもちゃ箱」には連絡しなかったが、それでも「徹人」加藤徹さんのリサーチ網はごまかせず、結局年賀詰コーナーに晒された。「年賀詰は、このくらいくだらないのが丁度良い」という三輪勝昭さん一流の誉め言葉?を頂き、2016年は明けた。さんざん古典詰将棋を並べたせいもあり、前年に「江戸時代の名人オマージュ」作をシリーズ化して、スマホ詰パラに投稿した。ただこの頃になると掲載までの期間がかな