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いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、ありがとうございます。今年は午(うま)年何事もスムーズに駆け抜けることができるならば、素晴らしいことです。ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。1945年8月14日をもって無力化されたとはいえ、21世紀に
[豊予要塞]高島砲台:高島第1砲台(未達)大分県大分市佐賀関豊後水道(豊予海峡/速吹瀬戸)は海峡幅12.4km、瀬戸内海の西南に於ける重要な出入口。航空機、潜水艦の出現により海洋砲台構築要項が定まり、大正9年に豊予要塞の建設が決定された。出典:陸軍省築城部「現代本邦築城史」第2部第16巻、昭和18年豊後水道(海峡幅12.4km)のほぼ中央に位置するのが高島。陸軍はここに3つの砲台を設置している。出典:浄法寺朝美「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」p.272より抜粋昭和16年1
第5152回昭和五年の連合艦隊司令部への出頭のお話。2026年10月4日日曜日の投稿です。昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】第2932話【前話までの主なお話のあらすじ。】第一航空戦隊旗艦加賀航空隊第二偵察小隊長だった勝畑清海軍大尉と偵察員であった私は、昭和五年四月に天皇陛下からお預かりしていた愛機を台湾海峡に沈めてしまいまして、連合艦艇司令部から出頭命令を受けて2人で向かう事になったのでした。
最上型4番艦重巡洋艦熊野熊野(くまの)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦最上型の4番艦1936年進水1937年就役排水量12,000トン出力153,698馬力最大速力35,36ノットFtoysnの艦コレモデル食玩vol5No6熊野竣工時の主砲は三年式15,5センチ3連装5基の軽巡洋艦小さくて作るのが大変ですネ後に三年式20.3センチ連装高角砲4基に換装し重巡洋艦となる完成しましたカードは通常verのプラスチックカード(青色)金剛型1番艦戦艦金
大戦末期の艦艇の塗装について(考察)アテにならない書籍はガン無視して、自分の目で見た1次資料、即ち写真、及び公文書から、大戦末期の艦艇の塗装については、次の通り有力と思われる。帝國海軍の艦艇において、撃沈されずに生き残った艦艇の著名なものを抜きだすと次の通りに分類できるのではないか。【◎:間違い無し〇:可能性高し△:可能性中▼:可能性低】●緑色系(外舷1号2号)迷彩塗装(カラー映像や写真などから強く支持される艦艇)戦艦「長門」△戦艦「日向」◎■■戦艦「伊勢」◎■■
さ~て、現在、大田区立勝海舟記念館で興味深い企画展が開催されているそうです。以下、同記念館の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。本年8月21日(金曜日)~12月27日(日曜日)日本国内が内憂外患の渦中にあった江戸時代末期から明治時代の初期にかけて、国家のため西欧の学術を習得しようと志し、海外諸国に渡っていた若者達がいました。勝海舟の長男である勝小鹿(ころく、嘉永5年(1852年)-明治25年(
初めて八幡浜にNavigationでナビされたのはかなり昔の夜だった。周りは山だらけなのに、後数分で目的地到着。となっていたので疑問に感じていたが周りは山だらけ。でも九州に渡るフェリー乗り場が在る。内海フェリーだからかなり小さい。豊後水道を航行して九州まで。確か、、記憶だと。大日本帝国海軍の戦艦「大和」は呉から出港して豊後水道を通過して外海に出て沖縄に向かうも、、、、。こうやって歴史を振り返るとこうやってthirdclasscitizenのオッサンがプラプラ旅が出来
毎年毎年、8月15日=自分たちが負けて敗戦国になった日を儀式化して、国を挙げて振り返っている。終戦81年「終戦の日」8月15日が持つ意味海外では「9月2日が戦争終結の節目」|TOKYOMX+(プラス)終戦81年「終戦の日」8月15日が持つ意味海外では「9月2日が戦争終結の節目」s.mxtv.jp80年以上も経って、まあ自分たちが負けた日をずっと振り返っているって、どうなの?どんな国でも、普通の国だったら、負けた日ではなく、自分たちが勝った日を祝うべきでは?
陽炎です。以前からブックオフに中古で置いてありました。気になってはいましたが製作に自信が無かったので躊躇していました。前回1/700で作り面白かったので購入しました。¥3500でした。部品がいっぱいです。観戦模型は経験が浅いので順番に作って行きます。先ずは船底ですが、ここでいきなり選択です。ウォーターラインかフルハルかです。製作後の収納とか転倒を考えれば断然ウォーターラインです。でも折角の部品がもったいない。飾り台で転倒の心配も良さそうなのでフルハルにします。船底に船体を
1/350の空母搭載機です。中古で購入しましたが箱を開けると?2袋入っていました。零戦×3・99艦爆×3・97艦攻×6のはずですが倍あります。1/350赤城のクリアパーツやチェーンもあります。恐らく売った人が確認せずにいたのでしょう。ラッキー!と言いそうですが、そう単純ではありません。デカールは1セット分です。ハセガワに注文すると¥800+送料です。・・・・・作れる分だけにします。クリヤーパーツで構成されています。接着剤で曇ります。尾翼は突き付けでとても作
今日明日スケジュールが何も無く外は暑いし、1人シアターです。何か見たい映画も無くたまたまネトフリで見ています。負けると分かりつつ戦争に突入するなんとも切ない時代です、今現在もなんと無く同じ雰囲気が出て来ています。絶対に戦争にならない様に願います。真珠湾攻撃によって太平洋戦争の端緒を開いた戦略家として知られる大日本帝国海軍の軍人・山本五十六の実像に迫るドラマ。在米日本大使館での勤務経験から国力の差を誰よりも把握し、米英を敵に回す日独伊三国同盟に反対していた海軍次官時代から、自らの意思に反し
1/32零式艦上戦闘機52型の続きです。塗装ですが着陸脚を閉じ、フラップなどを付けての塗装にします。稼働した時に未塗装面が出ない様にそれらしいところは塗っておきます。ラバウル所属機にするので派手に汚します。塗装前です。下面です。全体塗装前です。下面は灰白色です。資料が古いせいもありますが灰緑色は何か抵抗があるのです。上面は緑です。明るい三菱系です。灰緑色みたいwww暗緑色です。パネルの鋲が細かく彫刻されているので派手にやってみました。馴染ませた後、退色の雰囲気を出
1/32零式艦上戦闘機52型の続きです。エッチングパーツが付属しますが精密感アップではなく強度アップに使用します。水平尾翼のエレベーターです。フラップとエルロンです。垂直尾翼とラダーです。垂直尾翼に?と思ったらアンテナ線挿入の穴でした。着陸脚カバーも可動です。本物もこう?と思える構造が面白いです。バネとか組み込みながら作ります。ひっくり返すと・・・楽しいなあ♡配線して翼を貼り合わせます。着陸脚のヒンジは嵌め込むだけです。後々取れそうなので補強しておきます。タイヤと
数字の「0(ゼロ)」と「零(れい)」は、表す数値としては同じ「何も無いこと」を意味します。ただし、言葉の由来や、日常での使い分け(ニュアンス)に違いがあります。3つの主な違い1言葉の由来①ゼロ=英語(Zero)やオランダ語から来た外来語。②零=中国から伝わった漢字(漢文由来)2「わずかにある」という意味の有無①ゼロ=完全に「1未満の何もない状態」を指す。②零=「零細企業」「零時」のように、「きわめて小さい、わずかな」という意味も含む。3読み方の使い
1/32零式艦上戦闘機52型の続きです。いつもの様にLEDを組み込みます。なんというか電飾の計画があったのでしょうか。配線できるようになっています。翼端灯は別パーツで隙間もあります。編隊灯も別パーツで穴が開いています。電飾パーツを組み込んだ製品も発売したのかな?でも射爆装置や機内灯には電飾の気配がありません。しめしめ、私だけかな。内部の細かさは流石です。流石ですが何となく違和感があります。このキットって精密よりもギミックに振っているんじゃない?着陸脚は格納できます。尾輪
特殊攻撃機「晴嵐」3機を搭載し、理論上は地球を一周半できる航続距離を持っていた伊四百型潜水艦。連合国が終戦まで存在を知らなかった、世界最大級の「潜水空母」と、その後のミサイル潜水艦につながる革新的な構想を紹介する。2020-08-05潜水艦の中に航空機を格納し、日本から地球上のほぼあらゆる地点へ進出して攻撃する。しかも、任務を終えた後は、そのまま日本へ帰投する。大日本帝国海軍の伊四百型潜水艦は、この途方もない構想を実現するために建造された「潜水空母」だった。伊四百型潜水艦伊四百型潜
1/32の零戦52型です。高いので躊躇していましたが買ってしまいました。箱を開けると、おお、内蓋が・・・そそるなあ。袋もいっぱいです。しかもデカい。ディスプレイスタンドもあります。デカールを見たら発売は2001です。・・・・・・・やっちゃた?25年も前です。1/48は2008で1/72は2013です。1番古いのかあ。調べればよかったかな。まあいいや。気を取り直します。組立説明図では操縦席や胴体からですが私は発動機からにします。栄21型はシリンダー7個が2列で
前回書き忘れましたがカウルフラップは閉と開が選択できます。開にしました。フラップは元々が下がった状態で閉じた状態にも出来ます。下がった状態にします。塗装です。全体塗装前の下面です。下面は灰白色にしました。上面です。先ずは灰緑色です。暗緑色(三菱系)です。マスキングを剥がしたところです。ここから汚しますが空母搭載機なので茶系は使いません。完成です。風防は開状態です。薄いですが収まりは厳し目です。デカールが光るのでトップコートが必要ですね。通電です。五式戦の
毎月必ず1回。時間が許せば2回訪問している場所があります。それは鹿屋航空基地史料館。妻の父、すなわち私の義父の元勤務地であった海上自衛隊鹿屋航空基地の隣と言うか一角です。戦時中は大日本帝国海軍鹿屋航空基地として使用されていました。『お天気祈願芙蓉部隊【芙蓉の塔】』本日お天気が良かったので(曇り空でそれ程暑くなかったので)バイクで通勤しましたよ。(前日までは35℃越えの殺人的な暑さでした。)帰りもまあまあの曇り空のお天…ameblo.jp芙蓉部隊が最初に