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先日(5/19)、世界のコイン館、大平正芳記念館に行きました。この後、大平正芳先生像を観に行きました。大平正芳先生墓所(=^x^=)
6月12日が命日・忌日の有名人・著名人1560年(永禄3年5月19日)42歳没(毛利良勝に討ち取られた)今川義元さん武将1980年満70歳没(心筋梗塞による心不全)大平正芳さん大蔵官僚、政治家第68・69代内閣総理大臣1982年95歳没(?)カール・フォン・フリッシュさん動物行動学者ミツバチのダンスノーベル生理学・医学賞2003年満87歳没(肺炎)グレゴリー・ペックさん俳優『アラバマ物語』アカデミー主演男優賞⇒『グレゴリー・ペック(1916年4
『風をよむ・・・!』は、TBSの日曜朝8時からの報道番組、『(膳場貴子の)SundayMorninng・・・』の最後半のコーナーに着けられた『定番コーナー』のタイトルで、その時その時の社会問題などをテーマに、出演コメンテーター(=約5人)が、それぞれに持論を展開する『面白くも無い時間・・・(笑)』だが、このタイトルにピッタリのコメントを、機を観るに敏なこの方が発せられたと、けのふ(昨日)のNHK・NewsWebサイトに出て居た・・・(笑)(画像は、mainichi.jpよ
2024.06.01「大平正芳の呪いを打ち破ろう!」さもなければ、我が国の衰退途上国化は止まらない。テーマ:頼むよ日本政府!(614)カテゴリ:政治経済戦後日本で「緊縮財政」が始まったのは、実は1995年11月国会の武村正義大蔵大臣(当時)の「財政危機宣言」ではありません。「自民党政治」の場においては、1978年に成立した大平正芳内閣が始まりになります。大平は、元・大蔵官僚。第79、80代の大蔵大臣、そして第68、69代の内閣総理大臣です。大平は「棒樫財政論」や「安くつ
大平正芳の呪いを打ち破ろう!自民党の財政健全化本部の提言は世迷いごとですね。属している議員に票を入れてはなりません。
WHOから命をまもる国民運動オフィシャルサイトWHOからのアクションに抗議し、命を守るための国民運動がここに誕生しました。公式サイトでは、最新情報や活動内容をご案内しています。公式ツイッターアカウントでは運動の最前線からの情報を発信中。また、国民運動公式テーマソングやパレードデモのシュプレヒコールなど、運動を盛り上げるコンテンツも充実しています。参加にあたっての準備や注意事項も詳細に掲載。さらに、プラカ…anti-who.jp
数学の本の次は大平元総理の功績に関しての本である。固い読書が続く。ところで今なぜ大平元総理か?それは貰ったからである(笑)。全400ページ。大平総理と言えば、わたしが中学生の頃、漫画家のいしいひさいち氏の4コマ漫画で『アーウー総理』として描かれていたのが記憶にある。この本を読んでみて、当時実際『アーウー総理』と新聞記者に揶揄されていた。しかし大平語録から『アーウー』を取り除くと、非常に理知的な内容を語っていた、という。高度経済成長が
本日は、父親の依頼ごとをこなした後に、支援者まわり。お昼は中野谷の「お食事処ながき」にてチキンカツ定食。うまし。チキンカツ好きなんですよね〜。↓チキンカツ定食。↓支援者さん宅。田植え最盛期。_________________________________私の尊敬する政治家のひとりに、大平正芳元総理がおります。どれぐらい好きだったかというと、卒業論文を大平氏をテーマにしようと思っていた(挫折しましたが)ほど。中公新書の福永文夫著『大平正芳「戦後保守」とは何か」』は今
今回紹介する記事は2024年1月20日付けの「毎日新聞」の記事です。【宏池会の呪い】というタイトルで、専門編集委員伊藤智永氏が、宏池会はどういうわけか輩出した首班たちが、漏れなく哀れな末路をたどっていることについて、紹介しています。いつもどおり、「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。(4つの視点についてはこちらをご覧ください)☆新聞記事の紹介について(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)★始めに読んでほしいブログについて(1)内容
第14回宮沢喜一氏の手紙に漂う寂寥感岸田首相は教訓生かすのか有料記事宮沢喜一日録戦後政治の軌跡政治部長・松田京平2024年3月8日11時30分宮沢喜一氏の手紙に漂う寂寥感岸田首相は教訓生かすのか:朝日新聞デジタル(asahi.com)配信より池田勇人蔵相(手前左)渡米の壮行会に出席した吉田茂首相(手前右)。両氏の後ろは宮沢喜一蔵相秘書官=1950年4月24日、首相官邸戦後日本を牽引(けんいん)した政治家の一人である故・宮沢喜一元首相の40年間にわたる政治行動記
皆さま、こんにちは祖母👵のつくる煮豆❤豆なのに、、白米🍚が止まらなくなるー❤お正月🎍にね、絶対作ってくれていたの❤ここ数年は入退院繰り返し、認知症悪化でそれどころじゃなくって💦毎年食べる祖母👵の味もっと大切に味わえばよかったなーとあの味が食べられないのが、寂しい気持ちにもなります出来る限り祖母孝行👵したいなと思います財布を変えるタイミングはいつ?👛▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう•••••cut•••••・1910年(明治43年)3月12日、
1泊2日高松~松山一人旅2日目高屋神社(本宮)の天空の鳥居で瀬戸内海を眺めたあとは、次も高所からの眺めです。有明浜の砂に描かれた寛永通宝(銭形砂絵)を眺めてみようと琴弾山(標高58.3m)山頂の象ヶ鼻岩銭形展望台(琴弾山山頂展望台)に向かいました。山頂の展望台までは、このような細い道をのぼって行くのですが、一方通行なので安心です。のぼること3分ほどで駐車場に到着。こちらが銭形砂絵を見ることのできる展望台です。展望台
さてさて…断捨離してたらこんなもの出てきたシリーズ…今回は昔の新聞…カーチャンの遺品整理をしていたら…使い古しの毛糸を保存するために巻かれていたもの…なんだけど…昭和49年10月20日付けの神奈川新聞だったよ…昭和49年というと…1974年だから今から50年前じゃん…ちょうど50年後に発見されるとは…この新聞も捲土重来を期してひたすら時を待っていたのかな?…この面の主見出しは日中国交正常化だけれど…これを主導したのは当時の首相の田中角栄と外相の大平正芳だったな…
リブログさせていただきます。政局の裏で、起きてきた火災‼田中邸も、狙われたのでは?真紀子発言の後でもあり、直感した❗議員であれば、手を出せず。私人の立場となり、実行したのでは?角福戦争は、続いていたようだ❗健全でフラットなリベラル利他主義に生きる、最後の侍、藤原越中守
浦島太郎の島、丸山島を渡ったあとは高屋神社にお詣りです。いい眺め~天空の鳥居です。次も高台からの眺めを求めて銭形展望台へここから見えるのは「寛永通宝」の砂絵です。この砂絵を間近で間近だと、サッパリわからん。この砂絵のある琴弾公園(道の駅ことひき)にあるのが大平正芳記念館物心ついて最初に覚えている首相が大平正芳首相でした。香川県出身の大平正芳元首相讃岐の鈍牛、あーうー宰相の異名がありました。亡くなる2週間前の写真やっぱり顔色が悪い
今回紹介する記事は2023年7月1日付けの「毎日新聞」の記事です。【解散権は誰のもの?】というタイトルで、論説委員佐藤千矢子氏が、さしたる大義もないままに、いつでも衆院議員の首を切れる、とほざく首班の言葉遣いにも耳をすませる必要性について、紹介しています。いつもどおり、「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。(4つの視点についてはこちらをご覧ください)☆新聞記事の紹介について(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)★始めに読んでほしいブ
日本と北ベトナムはわずか2度の交渉機会を経て1973年9月21日、国交を樹立することに合意した。日本政府の計画は、ラオスの首都ビエンチャンに事務官を派遣し、翌74年の春にはハノイに大使館を開設するというものだった。だが、国交樹立交渉で未解決のままだった問題をめぐって両国は対立することになり、74年夏の話し合いでも進展を見ることなく、国交はあるが政府間交流がない状態が続く。問題のひとつは北ベトナムに対する戦後賠償で、国交樹立交渉の合意をもって日本政府が決定した2000万ドルの賠償ではない無償協
そして、もうひとつの「北ベトナムと日本政府が国交をもつことについて、躊躇する理由はない」だが、以下の外相答弁は論文が引用している朝日年鑑の文言とほぼ一致している。第71回衆議院予算委員会2月27日梅田勝:(北ベトナム労働党機関紙ニャンザンの編集長が「日本とサイゴン政府との関係は、北ベトナムとの国交樹立に当たって障害にはならない。日本がベトナム再建のために寄せるあらゆる援助を歓迎する」と述べており)外相が明確に国交樹立の方向へ進めるということが明言できないのは、どういう理由があるのでしょうか。
伊藤論文には、パリ和平協定調印直後に開かれた1973年2月の予算委員会での大平正芳外相による発言として「サイゴン政権は南ベトナムにおいても唯一の政権ではない」「北ベトナムと日本政府が国交をもつことについて、躊躇する理由はない」と、朝日年鑑を引用している個所がある。該当すると思われる予算委員会でのやりとりはどんなものだったのか。大平外相による発言を引き出したのはいずれの日本共産党の不破哲三と梅田勝である。まず「サイゴン政権は南ベトナムにおいても唯一の政権ではない」との発言だが、以下が該当する部分
新聞週間は、毎年10月15日から1週間行われます。また、読書週間は10月27日から1週間行われます。私は「活字を読む」ことは大事だと考えています。タイトルについて2021年10月24日付の西日本新聞を読んでいます。あの日の春秋:知性の差が顔に出るらしい(2013年10月24日)|西日本新聞me読書の秋。作家の城山三郎さんは「今の時代、読書をする人が少なくなりました」と話していた。作家仲間の吉村昭さん、佐野洋さんとの座談の中で...読書の秋。作家の城山三郎さんは「今の時代、読書を
亀の井ホテル観音寺から、車で15分くらい。到着したのは、道の駅ことひき世界のコイン館大平正芳記念館を併設。有料なので行きませんでしたが…(^_^;)『道の駅ことひき』のグッズ・スタンプについてφ(..)となりの観音寺総合コミュニティセンターにて。道の駅記念きっぷ道の駅カードお土産も買ったかな?コミュニティセンターの職員の方に、次の目的地への行き方を聞いて。道の駅を後にしました。
道の駅とよはまから、来た道を戻ること10分ちょっと。到着したのは、豊浜八幡神社拝殿御祭神は品陀和気命。和同元年(708)に創祀された神社で、讃岐十五社のひとつ。御朱印帳を預けている間に、境内を散策。本殿の後ろから。国道側の鳥居から出て。豊浜町(現・観音寺市)指定有形文化財安永灯篭『和田浜の藤村喜八郎と和田の庄屋宮武幸右衛門は協力して、巨額の私財と3年の歳月を費やして和田港築港を完成した。このふたりの功績を後世に伝えるため、喜八郎の子源右衛門が寛政4年(1792)今の漁業組
内閣総理大臣の在任中に亡くなった大平正芳さんは読書家だった。本を読むというのは他人から学びながらも自分の頭で思考することにほかならない。大切なのは現在、今、ここ、自分だ。自分がしっかりしていないと利他の精神はない。自利利他である。ありがとうございます。
諜報機関には二種類ある(らしい)。一つは政府の特定可能などこかから出た指令に従い行動するタイプ。もう一つは、やはり政府の上の方ではあるが政府首脳の意思とは関係なく作戦立案して実行するタイプ。いわゆる別班について書かれていた(どこの出版社だっかた失念したが)新書にあった。いま、ドラマで話題の陸上幕僚監部運用支援・情報部別班(別班)がどちらのタイプなのかはその新書では、読み方が浅いのか判然としない。ドラマ「VIVANT」で主人公の乃木が選抜されるときの面接試験の情景は、
先週金曜日に放送した『報道ライブインサイドOUT』がBS11プラスで視聴できます。ゲストは政治ジャーナリストの田崎史郎さんと細川隆三さん。「昭和の政治家列伝」シリーズで、田中角栄氏と大平正芳氏を取り上げています。9月7日まで見逃し配信中。こちらからぜひご覧ください!
あすの「報道ライブインサイドOUT」は、政治ジャーナリストの田崎史郎さんと細川隆三さんをお迎えし、BS11解説委員の二木啓孝さんとお送りします。テーマは、『昭和の政治家列伝』。田中角栄元首相と大平正芳元首相の政治理念や素顔に迫ります!BS11『報道ライブインサイドOUT』2023年8月25日(金)よる9時00分~9時54分ぜひご覧ください!!
ウィキペディアに「ベトナム戦争」の真実が!その通り、1964年、米国が起こしたのです。戦場の戦士に麻薬を教え、帰還兵によって米国の治安・道徳を崩した。JFケネディ(~1963年)が民意を高めたので、崩す必要があった。毛沢東はDSの命令に背き、北ベトナムはソ連が支援した。長い補給路を叩けば戦争はすぐ終わったのに、米国はそれをしなかった。米国内では反戦運動が広がり、そして麻薬に堕ちる帰還兵に対し尊敬の念は薄れ、治安も悪くなっていった。そして、1972年に中国は田中角栄を呼
今日はうどんの日🍜~せっかくだし饂飩屋さんで晩御飯🌃いただくことにしました~天ざるうどん~因みにざるうどんって讃岐香川県が発祥なんですよ~考案したのは内閣総理大臣🇯🇵もつとめた香川県出身の政治家大平正芳さんです~
2019/07/14配信<第69代大平正芳>(1979.11.9~1980.6.12)(第2次大平内閣)1980年衆参両院・初のダブル選挙京都冷泉家「明月記」初公開〔藤原定家〕大平氏・急死〔キリスト教徒〕
2019/07/13配信<第68代大平正芳>(1978.12.7~1979.11.9)(第1次大平内閣)1979年元号法公布〔1868年9月一世一元の制〕東京サミット太安万侶の墓発見・墓誌出土