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桜儚く散りゆく後に主役名乗るは牡丹花都々逸にしてみたら、このような感じでしょうか。駅へと向かう道すがら、大輪の花が目を惹く玄関先に今年も。花の重さを支える枝のつらさ端からよくわかり縁の下の力持ち、ではありませんが。これだけ大ぶりの花を支えるのも並大抵なことではなさそうですね。本題に戻って「伊勢原市内周遊」。前回は「(旧)玉川緑道」の終点まででした。反転して折り返し、(旧)玉川を遡っていくうちに道端に置き捨てられたかのように石仏さま。そして
短歌や俳句を常日頃から鑑賞している私、先日も素敵な一句と巡り会いました。おらが世やそこらの草も餅となる意訳すると「春になったから、そこらにはえているよもぎを摘んで、草餅にしよう。それにしてもありがたい世になったものだ」という、小林一茶さんの作ですが……。つられるようにして、草餅を買い求めてしまいました。そして和菓子屋さんの隣の花屋さん。ふと目に留まり、やはり購入したのがスイートピー。「♪春色の汽車に乗って海につれていってよ」と口ずさみながら、思わ
読者の皆さんは、ほとんどご存じないと思いますが、江戸時代から大山道と呼ばれる道があります。大山(おおやま)は丹沢山塊の中の独立峰で、厚木市からも大きく立派に見える事から、山岳信仰の対象になっていた様です。大山-Wikipediaja.wikipedia.orgこの大山詣でに使われたのが大山道です。全部で8つのルートがあるそうですが、そのうちの一つが私の自宅近くを通っています。江戸時代の道ですが、今もしっかりとした道路として残っています。今日は、この大山道を歩いて来ました。散
今日の昼間のことです。この辺りではまず見掛けない「成田」ナンバー、それも人目を惹く色鮮やかな小型車が田んぼのあぜ道へと曲がっていって。ここは行き止まりの道、すぐにバックしてきました。よく見ると車体側面に「グーグルストリートビュー」と英字表記、天井には全方位カメラが取り付けられていて。そのあと低速で私を追い抜いていきましたので、私のママチャリ搭乗姿が記録されてしまったかもしれませんね。それにしても。車内検問・臨時各駅停車に引き続き、3週続けてのレア体験となりました(笑
先日のこと。帰宅時に発生した人身事故のため、ダイヤが大幅に乱れました。ホーム上にあふれる乗客対策、ということでしょうか。小田急が繰り出した一手が「臨時各駅停車」。電光掲示板に「臨時各駅停車」のレア表示。思わず写メを、と頭によぎりましたが、帰宅途中の高校生、スマホ片手に群がり出でて。若い人たちの中に加わることはあまりにも恥ずかしくて。さすがに遠慮した次第です(笑)。気を取り直して本題「伊勢原市内周遊」。前回は小田急・伊勢原駅から「矢崎通り」を大山方向へと反転するまでで
テレビを見ることがほとんどなくなりました。そんな中で毎週欠かさず視聴しているのが、BS-TBS「酒場放浪記(月曜夜)」と「おんな酒場放浪記(金曜夜)」。今年に入ってから「おんな酒場放浪記」で新たに女性アナがレギュラーに加わったのですが、惚れ惚れする飲みっぷりにすっかり魅了されてしまって。有給休暇を取った先日のこと。夕方TBSのニュース番組を見て驚きました。彼女、サブキャスターなんですね。真面目な顔してニュース原稿を読んでいるところ、ギャップ以外のなにものでもなくて。
バルコニーのお客様「イソヒヨドリ」観察日記、その5。小皿に「カッパえびせん」を入れておくと、30分も経たずに完食すること。あいにく切らしてしまったとき、代替のえび味せんべいを補充したところ、そのほとんどを小皿の周りに散乱させて。「こんなもの食えるか。いつものえびせん出せ!」とばかりに示威行動されたこと、以前記事にしましたが。今回は「かっぱえびせん」と同じ形状の「カレーせんべい」、半々に混ぜて出してみました。途中経過をみると「かっぱえびせん」は完食して「カレーせんべい」だ
就職して最初の勤務地が「川崎フロンターレ」本拠地の武蔵小杉。12年もの間勤務した思い出の地、先週金曜日に異動後●十年のブランクを経て、初めて駅を降りました。目的は定期・普通預金を解約し、地元金融機関へ資金を振り替えること。所要2時間、思いのほか長い手続きを終えてから。微かに繋がっていたこの地との縁、名実ともに切れたこととなって。これでもう2度とこの駅を利用することはないのでは、とひどく感傷的になりました。思えば青春時代の何ページにもわたって過ごした街ですので。気を取
池尻大橋近くの目黒氷川神社さんの美しい石段を登り開けた広場に見えた光景です。最近の神社さんの手水舎には柄杓がないことが多くて少し前にとっても騒いだ感染症の対策の影響でしょうね。お賽銭してお参りし空を見上げてみました。青空と光のあふれる一日です。上目黒氷川神社さんの階段を下りて次は天空庭園のほうに行ってみましょう。
若い友人Rさんと話をすると、新たな発見とともに驚かされること多々あって刺激を受けています。東海大学OGの彼女ですが、キャンパス最寄駅は「小田急線・東海大学前駅」という情報がすり込まれていて。それはそれで間違いはないのですが。自宅近くの駅から東海道線に乗り込むと、そのまま小田急線と接続する小田原駅まで。そこで乗り換えて通学することを四年間、続けていたそうです。ちなみに。平塚駅から大学までバス路線があったこと、こちらに転居してから初めて知ったのだとか。この路線を利用すれば、
前回からの続き閻魔堂から降りてきてふと横を見ると階段が。見上げると鳥居が見えました。行きの時は、ガイドさんとお話しながら歩いていたので、気がつきませんでした一瞬でお参りしたいと思う雰囲気自然の一部の様に溶け込んで見えました。わ〜素敵自然に囲まれています。御嶽神社御祭神倭健命(やまとたけるのみこと)大日孁命(おおひるめのみこと)宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)天児屋根命(あめのこやねのみこと)大日本縁起によると「行基僧正が吉野より勧請。
一昨日のことです。「厚木市内のパチンコ店駐車場で火災発生、車150台近く焼損」というニュースが流れました。ウイークエンドパチンカーの私も時折訪れるホールでもあり、今回の古道旅の出発点「荻野新宿」からも至近の距離。ということでただただ驚いてしまって。どこに災難が転がっているか、本当にわからないものですね。ことによれば、私も巻き込まれていた可能性もあるわけで。被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げる次第です。本題に戻って「(八王子通り)大山道」。前回は「八ツ
好きな果物は?そう問われて迷いなく答えるのが「桃」。真夏のこの時期が旬ですよね。「まるごと果実」にこだわらず、桃フレーバー商品は手あたり次第購入してしまうほど。ところで。「山の日」にちなんで、ということでしょうか。先日のテレビで、東北地方最高峰の尾瀬「燧ケ岳」が採り上げられていました。遠い昔のことになりますが、尾瀬沼のほとりから頂上を目指したことがありました。その下山中、ひどい雷雨に遭って登山道はまるで小川のようで進むこともままならず。ようやく到着した山小屋も既
今日は立秋。暦の上では秋になりました。まだまだ暑くてその実感もわかないところですが、近所の田んぼでは稲穂が既に顔を出していて。昨日こそ早苗とりしかいつの間に稲葉そよぎて秋風のふく古今和歌集に収められている、詠みびとしらずの一首を思い浮かべていました。とはいえ、涼やかな秋風はもう少し先となりそうですが。本題に戻って「厚木荻野新宿」前回はお社を挟んで左方向「八王子通り」でしたが、今回は右手「府中通り」へ。こちらの道も中津川の河原に達する急な斜面
前回のブログ記事で「口にしたこと感じたことを紡ぎあわせて都々逸に」と記しました。身近な友人のRさん、紡ぎ合わせなくても自然に五七五のリズムが形成されている「異能」の持ち主。幼いころから音楽を嗜まれていたことが好影響を及ぼしているのでしょうね。といったところでお茶目な一面もあわせ持つ彼女。先日の呟きも見事に五七五。「そういえば夏のお歳暮送らなきゃ」でも残念。お歳暮は夏ではありません(笑)。本題に戻って「(旧)荻野村」探訪。荻野新宿に戻ってきました。交
高部屋神社の北側から丸山城址公園に向かいます。高部屋神社と城址公園とは、国道246号を挟んで向かい合せの位置にあります。都内では青山通りや玉川通りの愛称で知られるニーヨンロクは、丘陵地の切通のように走っています。東海道の脇往還だった道は、いつしか大山街道と呼ばれるようになり、現在も厚木大山街道の名が残っています。行先表示の沼津が国道の終点です。陸橋を渡って、丸山城址公園にやって来ました。ご覧の通り今は何もありません。周辺より高い位置にあるのが、唯一城跡っぽい所でしょうか。とり
昨日は夕刻に現地着。梅雨の時期に2週続けて好天に恵まれた。感謝感謝。またいつもの肉うどんを夕食に。シャワーを浴びて読書して2230頃におすやみ~。おそよう!0805起床。雲もあるけれど晴れている。う~ん、これは満足度高いな。隣のおばちゃんは、わざわざシールの貼られていないものを選んで買っていた。割引シールつきなんて、競争してでも獲得するものだと思っていたので衝撃的だった。そしてキンキンに冷えたアイス・ミルク・コーヒーで朝食。簡単でいいね。日差しは強烈ではない
下曽我駅~中河原梅林~瑞雲寺~宗我神社~法輪寺~城前寺~東光院~別所梅林~下曽我駅まで約6㎞。大山道大山は神奈川県の最高峰のひとつで、雨降山とも呼ばれた。大山道への参詣道が「大山みち」で、相模平野の各地から多くのルートがあった。二宮尊徳遺髪塚永らく二宮尊徳に仕えていた川久保民次郎が、二宮尊徳の死去にあたり、遺髪を実家に持ち帰り、川久保民次郎の遺言により作られた遺髪塚です。枝垂れ梅と富士山しだれ梅の間から富士山が見えました。素敵な
滔々と流れる相模川、背景には大山が聳える小田急小田原線海老名駅を過ぎて西へ。まっすぐな道に、きれいに区画された畑や住宅が並ぶ海老名中心部は、奈良期の条里制が今も残されていると言っていい。建物がない土地も多いので、方形の土地割りがよりわかる。直線道路が行き着くと、現在の主要道は左へ直角に曲がる。旧大山道はそちらへは曲がらずに、ほぼ相模川へ向かって西進。正確にはちょっと右に曲がってから。つまり少し北へと足を進める。すぐに左に真言宗の総持院が現れる。開放的な寺院だが、権威も感じさせ
大山街道歩きに行ってきました👟今回は二子玉川駅からスタート多摩川にかかる二子橋を渡り二子宿・溝口宿昔は人が行き来する街道だった所今は住宅街坂も多くけっこうキツい💦川崎市を抜けて横浜市へ荏田宿を通り今日のゴール江田駅に到着🙌11.4キロ完歩しました😊江田駅の近くで昼食をと思っていたけれどお店見当たらず😔少し歩いた所にコメダ珈琲発見👀グラタン食べて来ました
今月中に年次有給休暇、残り2.5日必ず取得してください。人事当局から直接厳命がありました。年間で最低5日取得しなくてはいけない決まりは承知していますが、前月コロナ感染の特別休暇で5日連続休んでいる上に、時間休の累積換算で既に4日も消化しているのでクリアしたと思っていたのですが。規定では特別休暇も時間休も除外されるのだとか。忙しい年度末ではありますが、何とかしないとですね。気を取り直して本題「平塚散歩」。前回は「須賀港」と隣接する「湘南潮来」を訪れました。港から距
大山道復活、まずはお銀さまの墓を詣でる2022年12月28日午前10時半過ぎ、8ヶ月ぶりに相鉄線さがみ野駅前に立つ。4月にここまで大山道を歩いた。思わぬ脚のトラブルで断念したのだったが、その後、体調不良や外出自粛、猛暑などなどが重なって、歩ける環境が整わず。気持ちばかりが先走ってしまうのだが、ここは諸事万全となるまでは我慢、と抑えた日々を過ごしていた。いつしか秋になりようやく身体も戻ってきて、世間も幾分穏やかになった。リハビリ(大袈裟)がてらの近隣逍遥を経て、2022年も押し
コロナ感染に伴い、県から「療養案内を送るのでLINEを設定してください」との通知を頂いて。今更ながら登録しました。したのはいいのですが、スマホに登録されている電話番号に紐づけされて自動登録されてしまうことを知らずにいたもので。その結果、仕事上の付き合いのある方や「番号を消去することにためらいを感じていた」昔のひとなど。もれなくLINEに登録、通知されてしまいました。「何を今さら」と戸惑っているのだろうな、と思う反面、自分が一番戸惑ってしまっています(苦笑)。本題に戻って
先週金曜日に新型コロナに感染し発症、今日までが療養期間でした。幸いなことに食欲も落ちることなく、日曜日には早くも平熱となり、のどの痛みも解消。身体は通常モードに戻ったのですが、まさか外出するわけにもいかずに。その結果、この1週間は家にこもりっきりで、おまけにお酒も自粛。20歳すぎてから休肝日など設けた記憶のない私、これだけの長期にわたって断酒ができるとは。今回のことで一番驚いたできごととなりました(笑)。本題に戻って「糟屋通り(大山道)」前回は相模國四之宮「前
日本酒をこよなく愛する私。中でもとりわけ「にごり酒(どぶろく)」が好きで、店先で見かけると思わず手を伸ばしてしまいます。今日購入したどぶろく。岐阜県の造り酒屋のものでした。家に帰ってからラベルをみると、「CrazyMilkofHida」の英語表記が。直訳すると「飛騨(地方)産の狂気のミルク」。確かに白濁した色合いはミルクに見えますが。果たして欧米の方々が正確に理解して買い求めてくれるのでしょうか。余計な心配をしてしまいました(笑)。本題に戻って「糟屋通り(大山
今日は立春。毎週土曜日に出される「気楽爺様」の俳題も立春にちなんで、「(前日節分の)豆まき」と「(立春の日に立つ、とされる)卵」でした。とはいえ、卵のエピソードは全く知らずにいて。私は「豆まき」にちなむ一首を投稿しました。ところで。古今和歌集の始めの一首は「立春を詠んだ歌」になるそうですね。年の内に春はきにけりひととせを去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはん旧暦でいくと、前年12月中に立春を迎えてしまうことが多々あったようです。その間を去年と呼
通勤時間帯、毎朝のようにお会いする目の不自由な方がいらっしゃいます。片手に白杖を持つにあわせて、普通の杖をもう片方に。というのも歩行障害もあるようです。駅改札口へのエレベーターは設置されているのですが、その方は決まって50メートルほど手前にある階段を昇られてます。エレベーターを使わないのは、それなりのお考えがあってのことかと思っていたのですが。でもそうではなくて。階段から奥へとガイドする、点字ブロックが設置されていないため、エレベーターの存在を知らずにいたのだとか。今春
3月末で定年退職を迎えられる方が、今の職場で3人おられます。コロナ禍に見舞われた3年前から、職場での飲み会が完全に消滅。アフターファイブの付き合いも皆無になって。そのような中で、最初で最後の役職者限定の宴会に声をかけられました。感染を懸念してのためらいもあるのですが、今回を逃すとお世話になったお礼も、腹を割った話もできずに終わってしまいそうで。実に悩ましいところですね。本題に戻って「糟屋通り(大山道)」。前回は「大山灯籠」のある曲がり角まででした。鳥居の前を横切
月1の小田原行きを今日にして。毎回同行いただいている友人が還暦を迎えたとのことで、今回はそのお祝いも兼ねてとなりました。20代まで、40代まで、そして今に至る20年刻みでの思い出を傾聴。最近までの20年はあっという間だったという言葉に同感しながら。それにしても。身近で親しくしていただけている方々の年齢の進み方の早さに驚くばかり。といっても同じだけ自分も年を重ねているのに、そこは棚上げしているだけですが(苦笑)。本題に戻って「糟屋通り(大山道)」。前回は戸塚宿へ
毎年のことですが…。1月10日前後、つまり今ごろが日の出が最も遅くなります。この日を境にして、朝の時間が早まっていくんですね。一方で日の入り時間の極みは12月上旬。今頃の時期は1日1分のペースで順調に遅くなっていて。つまり1週間経過すれば7分も違うわけで。この陽の伸び具合、とても嬉しく思っている次第です。本題に戻って大山道。前回は「糟屋宿」で滞留しました。糟屋宿では、江戸へと向かう「矢倉沢往還」と東海道・戸塚へと向かう「柏尾道」が分岐します。(↑)その分岐点、参