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2026年8月16日(日)。天気曇り後雨後曇り。昼食は、調布市国領の「甲州街道」沿いにある「木曽路」にて、すき焼き御膳。この店は、水木しげる先生のお気に入りだったということで、行ってみたかった店なのです。デザートもたのみました。そして小雨がちらつく中、「町田ダリア園」へ。私は過去に行ったことがあると思っていたのですが、実際に来てみると全然記憶がなくて、「町田ぼたん園(民権の森公園)」と取り違えていたのかも知れません。なお、「町田リス園」との区別はつきます。入場料は550円だったのですが、花
246号線になる前、大山街道を歩いた旅人の一日~市ヶ尾を通り抜けた、江戸時代の旅人の物語~朝靄(あさもや)が残る市ヶ尾の山あい。まだ車の音も、電車の音もありません。聞こえるのは、鳥の声。遠くから聞こえる川の流れ。そして、土の道を歩く人の足音です。「カラン……カラン……。」荷物につけた鈴の音。「パカッ、パカッ。」馬の蹄(ひづめ)の音。ここは今の国道246号線。でも江戸時代、この場所には大山街道が通り、多くの旅人が行き交っていました。今日は、一人の旅人になったつもりで、昔の
このところの長期大工事で変貌が著しい渋谷駅ですが、昭和の時代の姿をご記憶の方もまだ多いことと思います。2023年の1月31日に閉店した東急百貨店渋谷本店の1階に片隅に嘗て展示してあった、昭和40年頃の渋谷駅のジオラマを撮影した写真をこのところ毎日1枚ずつアップしています。南側からのカットの真ん中に鎮座しているのは、建設途上にあった首都高速3号線の工事現場です。玉電を廃止して、東名高速と繋がるこの3号線が国道246号線(青山通り&大山街道)の上に急ピッチで建設されていました。東
『続・春のお散歩4月中旬編その1⑧〜神川橋からの眺め〜』『続・春のお散歩4月中旬編その1⑦〜相模川河川敷〜』『続・春のお散歩4月中旬編その1⑥〜公園内のお花たち〜』『続・春のお…ameblo.jp(前回の記事はコチラ)平塚側の橋の袂平塚側の橋の袂から寒川方面ここからまた渡り返します(ง˙˘˙)วバルコニー?歩道には両サイド(上
上目黒氷川神社(目黒区大橋2-16-20)(主祭神)素盞嗚尊(相殿)天照大御神、菅原道真(社格等)ー(旧上目黒村小名石川組の鎮守社)(沿革等)天正年間(1573-1592)、旧家の加藤定右衛門の先祖(甲州武田元家臣)が武田家滅亡後(1582)に上野原から当地に移住したときに勧請し創建したと伝わる。明治45年(1912)に北野神社を合祀。*「風土記稿」は「舊家名主加藤定右衛門」について記述。武田家家臣は戦死か自害したので当地に土着化したのは傍流の一族ということか。「江戸名
…ということで、神奈川県川崎市を流れる二ヶ領用水に沿って、武蔵溝ノ口駅からほど近い大石橋のたもとを発し、しばしぶらり散歩に及んだ次第。なんとものんびりとした気分で歩を進めたものでありますよ。さほど水路の幅は広くありませんので、生活の便でもありましょう、折々橋が架けられていますけれど、その一つに「濱田橋」という名が。先にも触れましたように、陶芸家の濱田庄司は溝の口の生まれで近くの宗隆寺に墓所がある…ということでしたが、この橋を跨ぐ道はそのお寺さんへと続く道筋なのだそうです。寄り
いやぁ、この山を歩いてみて、あ〜、あの江戸時代の江戸町内を取り仕切っていた、、、、御代官って、こんな雰囲気だったんだなぁ〜って、ちらっと、感じながら、歩いてしまった。まぁ、今も、とある国の「御代官様」がいらっしゃいましたが、、、マレーシア大使館さて、ここから、帰路の方向性に進むことにする。旧・大山街道(今は、厚木街道)を渡り、、、神泉駅から、、、神泉駅から、吉祥寺まで、井の頭線で帰ってきた。明日は、ぶらっと、「おなり〜」街道でも歩いてみようと思う。今まで撮ってきた写真を「Ph
神奈川県川崎市、JR南武線の武蔵溝ノ口駅(クロスしている東急の場合は溝の口駅)からほど近い大山街道ふるさと館の展示を見進める中、展示を見た後には大山街道をぶらりとしてみるかいね…という当初の目論見とは全く違う方向へと変わっていったと申しておりましたですねえ。展示というより実際には掲示と言った方がよいですかね、川崎市発行の「二ヶ領用水知絵図」という案内マップですけれど、これについついくくっと引き寄せられ…。二ヶ領用水の途中には「円筒分水」なる土木遺産級の建造物があると、予て聞き及んでおり
前置きが長いのは毎度のことではあるも、改めて川崎市大山街道ふるさと館の展示を振り返ることにいたしましょうね。展示解説はひとつの部屋というよりも、地下(半地下?)へと続くスロープの両側に配置されておりましたが、まずは「大山道・矢倉沢往還の概要」でもって、大山街道のそもそもを。大山道・矢倉沢往還は、江戸時代に五街道の補助的街道(脇往還)として機能した道で、箱根の北、矢倉沢の関所を通ることから「矢倉沢往還」と称され、「大山道」「相州道」等の別称があります。江戸城赤坂御門を起点に青山を経て
真宗光明寺寺号標⛰️山門⛰️⛰️参道⛰️本堂慰霊塔🔔鐘楼🔔高津駅を出て府中街道を右に進みます。少し進んで川崎信用金庫前、大山街道右に曲がってもう少し進むと左に光明寺があります。
つい先ごろに『ぶらり板橋赤塚散歩』がひと段落となったところで、今度は『ぶらり川崎二ヶ領用水散歩』とはまた?てなものですが、毎度々々シリーズ企画を目論んではおるわけではないものの結果的にはそのように…。先月、今月と何度か川崎のコンサートホールで開催された昼間の演奏会に足を運んだわけですが、その折、予てそのうちにと思っていた施設に寄ったのが始まりとなるのですな。で、「予てそのうちに」と思ったきっかけというのが、またしても?『ブラタモリ』であったという。昨2025年6月に放送された「江戸っ
相模原市中央区淵野辺本町にある道標
こちらのブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。本日の旅はこちらからスタート。圏央道の厚木PAです。建物の形で、どちらに向かっているかは分かる方には分かるでしょうか。安全運転で行ってきます。
旧大山街道を友人と少しずつ歩いていますが今回は…青葉台から南町田までの区間を桜を愛でながら散策しました青葉台駅からスタートして住宅地の中に点在する宝塔や道標や地蔵堂などを辿りながら恩田大橋を渡り長津田駅方面へ江戸から約35kmほどの所にあった長津田宿は大山詣での多くの旅人が最初に泊まった宿場町として賑わった場所です旧大山街道沿いに残る歴史ある10の景勝地は長津田十景に指定されておりこちらの下宿の常夜燈もそのひとつ下宿晴嵐
大山街道方面への外堀出口が赤坂御門と理解。今の史跡は石垣を組み直したもののようだ。
三又庚申堂(川崎市宮前区馬絹3丁目20-37)(概要)昭和15年、陸軍の軍用地として、当時の三ッ又地区(現在の宮前区宮崎3丁目付近)の住民は、この地(現在の宮前区馬絹3丁目20番地周辺)への移住を余儀なくされた。その際に、庚申塔も共に移転してきた。(立地等)・現在は、馬絹3丁目の県道登戸野川線沿いに立地している。昭和7年測量図・現在の三又庚申塔のあたりは何もない(谷戸の源頭にあたる)町内会の掲示板には「三ツ又」とあるが、本来の三ツ又は北にある。昭和7年測量図(馬絹村の北側
今朝は気持ちのよい青空が広がっているのですが何しろ風が強い!!花粉が舞わなければ先日の続き多摩動物公園に行こうかと思ったのですがこれでは難しそうですねどこを走ろうかな〜国道を下りて用水路方面に進みましたが大山街道を走りたくなりました途中お邪魔した溝口神社もう御神体の鏡がピッカピカ!遠くから見ても分かるし我が身が映り込んでしまったら隠しきれないほど諸々映ってまともに見られませんお賽銭は…PASMOしか持っていなくてすみません…先へ進んだら用水路今朝は横切りますひた
二子神社(川崎市高津区二子1-4-1)(主祭神)天照皇大神(社格等)旧村社(旧二子村・二子宿の鎮守)(沿革等)1641年に武田家旧臣小山田兵部が当地に土着(帰農)し天照皇大神を祠を立て祭祀したという。明治時代になり村内の第六天稲荷合社(新編武蔵風土記稿に掲載)を合祀、二子神社の改称、社殿造営(村社に列する)。1943年に社殿を再建。*小山田兵部は不詳。甲斐武田氏旧臣の小山田家は多磨郡小山田をルーツとし、一時は現在の高津区あたりまで支配していた。その後紆余曲折を
2023年の1月31日に閉店した東急百貨店渋谷本店の1階に片隅に嘗て展示してあった、昭和40年頃の渋谷駅のジオラマを撮影した写真をこのところ毎日1枚ずつアップしています。南側からのカットの真ん中に鎮座しているのは、建設途上にあった首都高速3号線の工事現場です。玉電を廃止して、東名高速と繋がるこの3号線が国道246号線(青山通り&大山街道)の上に急ピッチで建設されていました。東横線渋谷駅を跨ぐ形になっていますが、そのホームに停車中の電車が、これまた懐かしい車両達です。詳しくは
梶ヶ谷神明神社(川崎市高津区梶ケ谷4-13-6)(主祭神)大日孁貴命(天照大神)(社格等)旧村社(梶ヶ谷村の鎮守社であった子之神社を合祀し村社に列格した)(沿革等)神明社の創立年代等は不詳だが元禄(1688-1704)以降の創建と見られる。明治3年に梶ヶ谷村鎮守の子之神社を合祀した。昭和43年に土地区画整理により境内整備及び社殿を再建。*新編武蔵風土記稿によれば梶ヶ谷村の神社は次のとおり(子神社)村の東丘上、村の鎮守、西福寺持、末社(牛頭天王社)→
溝口神社(川崎市高津区溝口2-25-1)(主祭神)天照皇大神(社格等)旧村社(溝の口村の鎮守)(沿革等)創建年代不明。古い棟札によれば宝永五年(1708年)に橘樹郡稲毛領溝ノ口村鎮守赤城大明神の御造営と記されているという。江戸時代には矢倉沢往還の宿場町の鎮守で赤城社と称していた。神仏習合であり御神体(神像)は毘沙門天と弁財天に似たものであったという(新編武蔵風土記稿)。明治の神仏分離により、神像を宗隆寺に移し、溝口村、高津村、下宿、中宿、片町、六間町を統合した総鎮
12月中旬の週末は友人と旧大山街道の一部を辿り青葉台から荏田宿界隈までぶらり歩いてみました散策の前に…ド・マーレ湘南青葉台店でイタリアンランチサラダとデザートとドリンクバー付ランチコース牡蠣とほうれん草のクリームソースペンネワタリ蟹のトマトクリームパスタ2種類をシェアして頂きエネルギーをチャージ(笑)………まずはつつじヶ丘の住宅地の坂道を高台まで登ると…かつての大山街道では再勝(さいかち)峠と呼ばれた場所地獄谷に下りる道は暗くて
11月1日(土)足立市場で青森県のご当地ラーメン”八戸ラーメン”を堪能した後、麴町まで電車移動。この日の2軒目はこちらのお店へ店の名前は「めん徳二代目つじ田創業店」「懐かしの店再訪シリーズ」第4弾!この店は2004年3月以来、21年8ヶ月ぶり2回目の訪問になる。当時は”創業店”という表記では無かったが、2005年神田小川町につじ田をオープンさせてそちらを1号店扱いに。(公式HPで”2005年神田御茶ノ水でオープンして以来…”と書かれている)神田小川町店は2
江田と言えば、東名高速の渋滞スポットだったような気がする。(私は、運転免許を持っていないので、よく知らないが、、、)大山街道・江田宿を目指すべく、246を東に進んでいくと、脇の小道を入っていったところで、「荏田宿」と言う案内板と、「荏田宿公園」を発見。ふと、江田駅って、間違った表記だったことを、初めて知った。調べてみたら、元は、平安時代の「江田小次郎」と言う豪族の治めていた土地であったため、「江田」だったそうだが、、、その後の「江戸時代」には、「荏田村」として発展していき、そして
緑豊かな「長津田駅から、「荏田宿」へ田園都市線と横浜線の乗換駅「長津田」そうそう、ちなみに、「長津田」には、、、、「横浜高速鉄道」が、走っていることを知る方は、、、かなり、マニアでしょうねぇ~(*'▽')すごいぞ、この鉄道、たった2駅を「高速」で、結んでいる!かつては、東急・こどもの国線でしたが、、、第三種鉄道事業者「横浜高速鉄道」第三種鉄道事業者とは、、、「鉄道線路を第一種鉄道事業を経営する者に譲渡する目的をもって敷設する事業、及び鉄道線路を敷設して該当鉄道線路を第二種
大和市から、大山街道を、東に進んでいく中で、至って普通の関東近郊住宅街の一般道の風景になっていって、、、私ですらも、自信を見失いかけていたら、、、赤鳥居と、石碑に出くわした。矢倉沢往還(=旧・大山街道)の「下鶴間宿」に達す。ここで、南北に走る「滝山街道」と交わっていたそうだ。これが、あの「246」の元の道だと、思える人は相違ないのだろうなぁ~って、凄い感じてしまいました。因みに、私は、この「旧・246」=「旧・大山街道」を歩いていて、、、東京都内の多摩地方北部幹線である、、、
旧・246(厚木街道)=大山街道(矢倉沢往還とも言う)を進んでいくと、、、海老名市から、「綾瀬市」に入り、峠を越えたところで、、、大イチョウが、立っていた。大塚宿に到着。うむ、衰退が進んでいた、、、(*'▽')ただまぁ、これが有る以上は、ここが「本町」であったことが分かる。平塚信用金庫大塚支店国道246号線は、この辺りは、「大和厚木バイパス」がメインになってしまっており、元々の「旧・大山街道」は、旧街道らしいたたずまいとなっておりました。ただまぁ、この辺りは、大山街道であっ
昨日は、ここから、歩き始めたのですが、一応、木もメインテーマの一つでした~こちらの黄色い木も、一つの題材では、あるのですが、、、もう一つ、この冬、真っただ中にしか、植えられない木々も、なかなか、いろいろな色で植えられていて面白かったです~白い木を眺めながら、丸の内から、六本木を通り、そして、渋谷を抜けて、三軒茶屋で一休みして、二子玉川から、電車で帰ってきました~今から、「いいね」の返信に伺います。(カウンセラー系、宗教系は、興味関心が無いので、返信いたしません。ご理解ください。あと
本日は、池尻大橋を、渡ってきました!この大橋が無ければ!!!ちなみに、今日、ここから、歩き始めました~本日は、旧・江戸城より、、、東海道脇往還の道を行くも、、、とある大私鉄の、街を通って、、、色々と、気付かされました。今週一週間、「いいね」を、本当に、ありがとうございました。明日(2025.11.23)と、明後日(2025.11.24)に、皆さんに、「いいね」の返信に伺います。明日の時点は、今まで、「いいね」回数が、「70回未満」で、以前の私のブログへの「いいね」を入れて頂
9月22日(月)の誕生日に、干支一周分=12年ぶりの大山街道シリーズを再開して、大山街道の比較的新しい旧道部分=三軒茶屋から、旧旧道と再合流する用賀までの約5㎞の道のりを歩いた短時間の旧街道歩き旅の第6弾、最終回です。当日の歩行ルートは↓の地図の通り。歩いた距離は寄り道含め5㎞くらいでした。その5では久富稲荷や桜神宮でお参りをした後、「サザエさんの街」、桜新町の中心街に辿り着いたところまでをご紹介しました(↓再掲)。そのすぐ先にあったアンティーク的な小物の店舗らしき、ちょっと